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アンドレア=シェニエ

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第三幕その五


第三幕その五

「どうぞ」
 彼は入るように言った。入ってきたのは先程の若い党員ではなかった。密偵だった。
「君か」
 ジェラールは彼の姿を認めてそう言った。
「どうしたんだね」
「あの方が来られています」
 密偵は恭しい態度でこう答えた。
「あの方?同志ロベスピエールか」
「いえ」
「では同志タンヴィルか。サインなら済んだと伝えてくれ」
 彼は今は一人になりたかったのだ。だが密偵はそんな彼に対して言った。
「女性の方です」
「まさか」
 ジェラールはそれを聞いて顔色を変えた。
「ええ、その通りです」
 密偵は頭を垂れてそう答えた。
「どう為されますか」
「決まっている」
 ジェラールはすぐに言った。
「お通ししてくれ。至急にだ」
「わかりました。それでは」
 密偵は再び頭を垂れると部屋から立ち去った。そしてすぐにマッダレーナを連れて戻って来た。
「お久し振りです」
 マッダレーナはジェラールに対して頭を垂れた。
「はい」
 ジェラールもだ。彼はあくまで紳士的な態度を崩さない。まずは密偵に対して声をかけた。
「席を外してくれ」
「わかりました」
 密偵は頷くとそれに従った。
 扉が閉まる。部屋には二人だけとなった。
「さて」 
 ジェラールはマッダレーナに顔を向けた。
「一体何のご用件でこちらに来られたのですか、マドモアゼル」
 わかってはいたがあえて尋ねた。
「おわかりだと思います」
 マッダレーナは強張った顔と声でそう言った。
「はて」
 ジェラールはとぼけてみせた。
「私には何のことだかわかりませんが」
「そんな」
「仰っていただかないと」
 これは策略だった。彼女を追い詰める為の。
 彼の顔は笑ってはいなかった。声もだ。ただ彼女の動きを探っていた。
(どう出るかな)
 マッダレーナはその顔を更に強張らせた。もう蒼白になっている。
「あの方を」
「あの方」
「シェニエ様です。アンドレア=シェニエ。詩人であられます」
「その者なら知っています」
 ジェラールはそこで言った。
「革命の敵として今捕らえられています」
「はい」
「このままでは明日にでも裁判にかけられるでしょう」
 それ以上は言わなかった。裁判にかけられるのがどういうことか、誰でもわかることだからだ。
「そして貴女は何故ここに。彼とのご関係は」
「その」
 彼女は問われて顔を少し俯かせた。
「言わなくてはなりませんか」
「ご自由に」
 言うのはわかっていた。あえて彼女の口から言わせたかった。
「あの人は」
 彼女は搾り出すようにして言う。
「私の愛しい人です」
「そうでしたか」
 わかっていた。だが知らないふりをした。
「ですから・・・・・・。それ以上はおわかりだと思います」
 彼女は両目をキッと見開いた。そして叫んだ。
「あの方をお助け下さい!それには貴方のお力が必要です!」
 そう言ってジェラールに懇願した。全てを捨てた顔であった。
「私のですか」
 彼はここで逡巡した。迷いが強くなったのだ。
(どうするべきか)
 彼は一瞬マッダレーナから顔を離した。
(言うべきか。いや)
 顔を少し俯かせた。
(言わざるべきか)
 迷った。だが言うことにした。
「彼を愛していますか」
「はい」
 マッダレーナは頷いた。
「助けたいですか」
「絶対に」
 強い声でそう言った。
「その為にここに来たのですから」
 真剣であった。その為には全てを捨てる覚悟であった。
 ジェラールはその目を見た。唇を噛む。それから言った。
「わかりました。しかし条件があります」
「条件とは」
 マッダレーナはジェラールを見た。
「簡単なことです」
 ジェラールは顔を歪めさせながら言った。再び彼女から顔を離す。
「貴女が私のものとなることです」
 そしてまた彼女に顔を向けて答えた。その顔はマッダレーナのそれに劣らぬ程強張っていた。
「そんな・・・・・・」
 それを聞いたマッダレーナの顔が割れそうになった。ジェラールはそんな彼女に対して言葉を続けた。
「簡単なことです。一度だけ私に全てを許されればいいのです」
 それがどれだけ卑劣なことか、ジェラールはわかっていた。唾棄すべきことであった。だが彼はそれでもそれを言わざるを得なかったのだ。
「貴女は気付いておられませんか、私の想いを」
「貴方の」
「そうです。私がどれだけ貴女を想っていたか」
 ジェラールはそれまでひた隠しにしていた己の本心を遂に告白した。
「あの忌まわしい屋敷で使われていた時から貴女のことを見ていました。夕方にメヌエットのステップを学んでおられた時」
 彼は思いつめた顔で話を続けた。
「それだけではない。花園の中にいた時も。詩を読まれていた時も。私は常に貴女だけを見ていました」
 それは真実であった。彼は彼女だけを見ていたのだ。
「それは適うことがないと諦めていました。忌まわしい身分という鎖があった。だがそれは断ち切られた。それから貴女を探し続けた。そして今ここにおられる」
 彼はここで彼女に強い視線を浴びせた。
「この日が来ることをどれだけ待ち望んだか。今どうしてこの機会を逃すことができようか」
 彼女を問い詰める様にして言葉を出す。
「今ここで言いたい。何と思われようが、言われようがかまわない。貴女を私のものとしたい!」
 最後には叫んでいた。最早隠すことはできなかった。
「・・・・・・・・・」
 マッダレーナはそれを聞き沈黙していた。だがゆっくりとその口を開いた。
「わかりました」
「な・・・・・・」
 彼は断られるだろうと考えていた。断ってほしかった。それで諦めがつくからだ。
「それであの方が助かるのなら」
 彼女は今にも壊れそうな顔でそう言った。小さいが強い声で。
「私は喜んで貴方のものになりましょう」
「・・・・・・・・・」
 今度はジェラールが沈黙した。彼女の心を知り何も言うことができなくなったのだ。
「私の様なものの犠牲であの方が救われるなら」
 彼女はここで顔を上げた。
「私は喜んで犠牲になりましょう!」
 そして今までとはうって変わって激しい声でそう宣言した。
 やはりジェラールは何も言うことが出来なかった。マッダレーナは言葉を続けた。
「革命が起こった時のことです」
 彼女は言った。
「人々は私の屋敷にも雪崩れ込んで来ました。そして家の者を次々と殺していきました」
「そうでしょうね」
 否定することはできなかった。革命を全て見てきたからだ。
 
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