剣の丘に花は咲く
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第八章 望郷の小夜曲
第八話 月下の口づけ
前書き
いや~やっと終わった終わった\(^ω^)/。
とはいえエピローグがまだ残っているけど(o´Д`)=з。
それでは第八話『月下の口づけ』どうぞ。
山脈に沈んでいく夕日が、緩やかに広がる草原を赤く染め上げている。
万色に彩られた世界が、赤の世界に移り変わり始めていく。
そんな中、夕焼けの光を浴びながら丘の上に立つルイズたちは、夕日に色に染め上げれられた草原を見下ろしていた。
息を飲む美しさ。
絶景。
昼と夜の境。
自然が生み出す一瞬の美。
しかし、そんな美景を目の前にして、ルイズとキュルケは、感動に打ち震えることなく、また、息を飲むようなこともせず、ただ、ショボつく目を擦りながら顔をふらつかせていた。
時折頭だけでなく、身体全体も揺れ、頭から倒れそうになっているが、その度にぎりぎりの所で気が付き、慌てて頭を振るということを何度も繰り返していた。
しかし、それも仕方がないことであった。高貴な貴族であるルイズとキュルケにとって、歩きでの旅の経験など豊富な訳もなく。ロサイスで一晩休んだとはいえ、目が覚めてから一日
中歩き続けたため、既にルイズたちの疲労は限界を越しており。ルイズたちは、まるで鉛を飲み込んだかのように全身を重く感じていた。
そんな今にも倒れ伏し、いびきを上げそうな二人の姿に、シエスタは何度も後ろを振り返っては心配気な視線を向けている。
「あの、ミス・ロングビル。二人共もう限界のようですが」
「…………」
このまま歩き続けるのは流石に無理っ! と判断したシエスタは、横に立つロングビルに声をかけるが、ロングビルはシエスタの声掛けに応えることなく、目を細め何かをじっと見つめている。
「ミス?」
「……ん? ああ、すまないね。ちょっと見とれていたよ……余りにも綺麗な景色だからね」
「え? ……そう……ですね」
ぼうっとした顔をしていたロングビルだったが、シエスタの訝しげな顔に気付くと、目を細めたまま微かに口の端を曲げると小さく首を振った。シエスタはロングビルの言い分に頷いたが、納得はしてはいなかった。
なぜなら、丘の上から草原を見下ろすロングビルの顔には、綺麗な景色に見とれていたと絶対に言えない。
余りにも複雑な感情が浮かんでいたから……。
空から降り注ぐ月の光を遮る枝葉の下で、少女たちの苦痛に呻く声が闇の中響いてた。
「ま……ま、だ、だいじょうぶよ」
「まだ、いけ、るわ、よ」
「……こりゃもうダメだね」
木々が生い茂る森の中。地面の上でうめき声を上げ、それでも前へと進もうとするルイズとキュルケを見下ろしながら、ロングビルが苦笑いを浮かべている。
「ウエストウッド村でしたっけ? もう日が落ちましたし。明日にしませんか」
シエスタが提案すると、ロングビルは小さくため息を着いた。
「そうだね。これじゃ仕方ないか」
「じゃあ。今日のところはここで休みましょう。ほらほらミス・ツェルプストーもミス・ラヴィエールも汚れますよ。テントを張りますからそこどいて下さい」
「う~……わた、しは、しろうに、あう、の、よ」
「まだ、いける……いける、わ」
「はいはい大丈夫ですよ。きっとシロウさんに会えますから。今日のところは寝ましょうね」
地面に突っ伏し寝言を呟き始めるキュルケとルイズに「はいはい」と頷きながら、シエスタは手早くテントを張り始めた。シエスタはテントを張りながら、チラリと横に視線を向ける
と、そこには鬱蒼と生い茂る枝葉の向こうに見える月を、目を細め見上げるロングビルの姿があった。
やっぱり変ね。
この森の中に入ってから、明らかにロングビルの様子が変であった。
惚けたように、ぼうっと月を見上げるロングビルを横目に、シエスタは昨日の夜のことを思い出した。
昨夜、アルヴィーの人形劇からテントに帰ると、丁度そこにロングビルが戻ってきた。「遅いわよ」とルイズたちが文句を言うと、ロングビルは笑いながら謝り、とある情報を提示し
た。
その情報とは、「士郎と思われる男がウエストウッド村にいる」と言うものであった。
……………………。
……その後が大変だったなと、その時のことを思い出したシエスタのテントを張る手が鈍りだした。
ウエストウッド村に士郎がいる。
それを聞いたルイズとキュルケの動きは迅速であった。取るものも取らず、子鹿のように震える身体でウエストウッド村に向かおうと走り出そうとしたのだ。
完全に日が沈み、足元さえ覚束無い夜の闇が広がる中を、五十リーグ先の森にある村まで……。
しかも、疲労が頂点を極めた身体で……。
もちろんシエスタも早く士郎と会いたい。少しでも可能性があれば、どんな所にでも行くつもりであった。ルイズたちが動き出さなければ、シエスタが向かおうとしていたかもしれなかったが、自分よりも先に暴走を始めた二人の姿を見たおかげで、冷静になることが出来た。
ウエストウッド村に向かおうとする二人を何とか落ち付かせようとしたシエスタだったが、疲労と興奮で脳内麻薬がドバッと溢れ出しているルイズたちを止めることは難しく。最終的にはロングビルの手によって、強制的に止めてもらうこととなった。具体的には、ゴーレムで二人を一晩羽交い絞めにしたのだ。そのおかげで、一晩中ゴーレムに抱きつかれたまま過ごした二人の疲労は、殆んど回復することなく。結果、一日掛けて五十リーグを走破した姿が、この十代の少女とは思えない倒れ伏した姿であった。
昨日までは、特に変ではなかったんですけど……やっぱりあの時から。
ぐでっと寝転がるルイズたちから顔を逸らしながらシエスタは、顎に指を当て首を傾げる。
シエスタの記憶では、ハッキリとロングビルの様子が変わったのは、士郎が七万の軍勢と戦ったという草原を丘の上から見下ろした時からであった。あの時、ロングビルは夕焼けに燃
える草原ではなく、丘の横に見える、今いるこの森を見ていた。ウエストウッド村がある森がそこだと聞き、士郎と会えるから様子が変わったのかなと考えていたのだけれど……。
でも……それにしては、嬉しそうな顔をしてはいなかったような。
丘の上から森を見下ろしていたあの時、ロングビルはとても複雑そうな顔をしていた。
嬉しそうで……悲しそうで……怒っているようで……泣いているようで……とても複雑な顔を。
どれだけ考えても、答えが出るわけがなく。ぐるぐるとまとまらない思考を回しながら、大きく溜め息をつくと共にテントを張り終えたシエスタは、寝転がるルイズたちを運ぼうと顔を向けると、そこには、
「あっ……」
まるで母親のような優しい笑みを浮かべたロングビルが、ルイズたちの頭を優しく撫でていた。
先程までの呆けたような顔ではなく、そこには遊び疲れて眠りこける我が子を見る母親のような顔であった。
優しく、起こさないようにそっと撫でるその手に危うさはなく。手慣れているような様子すら見えた。
「……本当に……分かんないなぁ」
ポツリと呟いたシエスタは、そっと目を瞑るとロングビルのことを思う。
……ミス・ロングビル。
―――学院長の秘書。
―――メガネが良く似合う緑髪の美女。
あれ……そう言えば彼女のこと、わたしってまだ全然知らないんだ。
「いつか……教えてくれるかな」
戦争が終わった後、学院で士郎の帰りを待っていたわたしの下に届いたのは、士郎が戦場で行方不明になったというものだった。士郎が生死不明と聞き、わたしが何もしない筈もなく、直ぐに裏表問わず情報収集を始めたが、結果は芳しいものではなく。手に入った撤退戦の情報といえば、真偽不明のものばかりであり、これだというものは……一つしかなかった。
あの戦争の終盤。連合軍の撤退は、ロサイスから逃げ出す前にアルビオン軍は追いつくはずであったが、結果は無事ロサイスから脱出することに成功というものだった。しかし、奇跡のようなその結果の原因については、裏表共に様々な情報が交錯しておりハッキリとしないものであった。
表―――軍に聞くところによれば、アルビオン軍に何らかの問題が発生し、進行に支障をきたしたと言うものであった。だが、そのアルビオン軍に発生した問題について、軍は明確な
答えは出していない。
裏―――情報屋に聞くところによれば、反乱軍を加えた七万の軍は、何者かによってその進行を止められたというものであった。
―――何者かによって進行を止められた。
それを聞いた時、確信した。
……士郎だと。
ロサイスに向かうアルビオン軍を止めたのは……士郎に違いないと。
間違いないと判断したのは、情報屋から手に入れた情報の一つを手に入れた時であった。
情報屋もまた、アルビオン軍を止めた者については情報を掴みきれていないのか、わたしは様々な情報屋から情報を手に入れたが、共通しているもの等は殆んどなかったが。数少ない共通したものの中の一つに、アルビオン軍を足止めした者と戦っている最中、何時の間にか数え切れない程の剣が突き立った荒野にいたというものがあった。
無限に剣が突き立った世界……それを聞いた時、わたしはアルビオン軍を止めたのは士郎に違いないとハッキリと思った。
何故かは分からない。
だけど、わたしは疑いの余地なくそれを信じていた。
七万のアルビオン軍を士郎が止めた。
だがそれは、士郎の死を予見させるものでもあった。いくら化物じみた強さを持つ士郎でも、七万の軍を相手に無事にすむわけがない。それどころか、死んでいてもなんらおかしくはない状況である。
しかし不思議なことに、わたしは士郎が死んだとは欠片も考えてはいなかった。理由はない。本当になかった。ただ、生きているという確信だけが何故かあった。
そして、それを感じているのは、わたしだけではなかった。
キュルケも、シエスタもそう感じていると……。
偶然ではない。
わたしの勘が、そう告げていた。
だから、わたしは慌てて士郎を探しにアルビオンに向かうことはなかった。
……ルイズはアルビオンに向かうための船はなく、行くことは出来ないと言っていたが、蛇の道は蛇と言うぐらいだ。裏の世界で生きていたわたしは、行こうと思えば何時でもアルビオンに行くことが出来た。
でも、行かなかった。
士郎が生きている。
その確信があるから行かなかったというわけではない。生きているからといって、無事と言うわけでもないかもしれないのだ、一刻も早く士郎の下に行きたい思いが確かにあった。だが行かなかった。
理由はルイズだ。
士郎が死んだと思い込み、部屋に閉じ込もったルイズ。それを放ったらかしにして出ることが、わたしにはどうしても出来なかったのだ。
とは言え、あの状態のルイズを説得する自信はなく、下手に刺激して自殺されるのもと考えているうちに、シエスタがルイズを部屋から引っ張り出してくれた。さらに、あれよあれよと言うまに二人は士郎を探しにさっさと学園を飛び出していった。
あれは本当に急で、慌てて追いかけたおかげで折角準備していたものを置いてきてしまった。
全く何でここまで気を配っているのか……本当に分からない。
情が移ったのか、妹を思い出したのか、それとも他の何かなのか……。
もしかしたら感染ってしまったのかもしれないね……士郎のお人好しが。
地面の上で、泥だらけになりながら眠りこけるルイズとキュルケを見ていると、何時の間にか腕を伸ばしていた。頭に手を伸ばされた手で、汗と泥で汚れている髪を梳くように撫でていると、ルイズの口からくすぐったそうな笑みが混じった声が溢れてきた。小さな子供のようなそんな姿に、気付かないうちにわたしの口元に笑みが浮かんでいた。
この森に入ってから、どうにもざわついていた心が、少し落ち着いたみたいだ。
ウエストウッド村にはティファニアが住んでいる。あの子に人を会わせるのは気が進まないが、ルイズ達なら大丈夫だろう。ウエストウッド村に着いたら、ティファニアのことなんか眼中にないだろうし、色々とわたしがフォローすればいいだけの話だ。
村についてからのことを考えながら、無邪気な顔で眠るルイズたちの姿を見ていると、村にいる子供たちのことを思い出してしまう。
ふっ……本当に子供みたいだね……。
あれだけ騒いでいたのに、横になれば人形の様に静かに眠ってしまう。
時折小さな笑い声を漏らす姿に、良い夢を見ているのかなと、こちらの顔にも笑みが浮かぶ。
ゆっくりと、起こさないように髪を梳くように撫でていた手がピタリと止まる。
口元に浮かぶ柔らかい笑みも、何時の間にか消えていた。
ルイズの髪に触れていない手で頬を撫で……自分の顔を隠す。
指の隙間から覗くルイズたちは、変わらず寝息を立て安らかに眠っている。
わたしは目を閉じると、小さく息を吐いた。
ああ……やっぱりわたしは、この子達が好きなんだ。
……情が移ったとかじゃない。
不器用だけど自分の気持ちに真っ直ぐな子。
素直じゃないけど、思いやりがある優しい子。
身分を気にしながらも、それでも必要なときは、決して怯まず行動する力を持った子。
わたしは何時の間にか、こんなにもこの子たちが好きになっていた。
いや、この子達だけじゃない。
知らないうちに、わたしには大切なものが増えていた。
自分とテファとウエストウッド村の子供たちぐらいしか、わたしには大切なものはなかった筈なのに、気が付くと数え切れないほど大切なものが増えていた。
人だけじゃない、誰かと過ごす時間……場所……食べ物……仕事……。
本当に色々と……。
全く、あの身軽な盗賊時代からじゃ考えられないほど、重たいものを抱えちまうようになっちまった。
くそ……余りにも重くて、もう逆に手放せなくなっちまったじゃないか。
だからこそ……わたしは怖い……わたしの過去を知ったこの子たちが離れていくのが……蔑みの目で見られるのが……怖い……。
あれだけ嫌っていた貴族だってのに……ただの平民だっていうのに……今はこの子達に嫌われるのが……とても怖い……。
全く……酷い男だねぇシロウ……。
わたしにこんな悩みも抱かせるなんて……とんだ「正義の味方」だ……。
……だから……さ、シロウ。
早く戻ってきて、一緒に悩んでくれよ。
一緒に考えてくれよ。
そばに……いてくれよ……。
「……わたしのこと……ずっと……見てくれるって……言ったじゃないか……ばか……」
小さな小さなその呟きは、虫の音にかき消される程小さなものだった。
だからそれを聞いていたものは少なく。
夜に鳴く虫と生い茂る木々……そして……。
一人の少女……だけであった。
「ふあ……ぁ……ねむ……っう」
テントからそっと抜け出したルイズは、瞼を擦りながら森の奥に向かって歩いていく。か細い月明かりの光りだけを頼りに進むルイズの身体は小刻みに震えており、足は内股気味であ
った。チラチラと背後のテントを何度も確認しながら森の奥に向かったルイズは、月光に照らされた、腰の辺りまで鬱蒼と生い茂った茂みにまで歩いていくと、ガサリと音を立てしゃがみこんだ。
「ん……ぁ……」
草むらから水音と共に安堵の息が、虫の音に混じって響く。
水音が止んでから暫く経つと、ゴソゴソと衣擦れの音の後、茂みの中からびょこんと月光に照らされた桃色の髪が飛び出した。どことなくスッキリとした顔をしたルイズは、茂みを掻き分け歩みだした。茂みを掻き分け掻き分け服のあちこちに草を引っ付けた姿で抜け出すと、足早にテントに戻ろうとしたが、
「ミス・ラヴィエールッ!」
「ひひゃいっ?!」
背後から突然掛けられた声で飛び上がってしまった。
「っだ、誰っ?!」
反射的に太もものベルトから杖を取り出し、慌てて振り返り声を掛けてきた相手に杖を突きつけると、そこには、
「って、シエスタじゃない。何? あなたも花を摘み、に来た……の?」
焦った様子のシエスタがいた。
汗を滲ませ焦った調子のシエスタの様子に、ルイズの声は尻窄みに消えていった。必死な様子で顔を
寄せてくるシエスタの調子に、ルイズは顔を傾け問いかける。
「どうかしたの?」
「大変ですっ! シロウさんがいたんですっ!」
「……え……嘘っ!?」
しかし、肩に掴み掛かりながら唾を飛ばし言い放ったシエスタの言葉に、ルイズは一瞬呆然とした後、驚愕の声を上げた。
肩を掴んでくる腕を振り払い、逆にシエスタの肩を掴んだルイズは、ガクガクと揺さぶりながら顔を近づける。今まさに食いかかりそうなルイズの姿に、シエスタは強ばらせた顔をカクカクと首を縦に振って頷いて見せた。
冗談で言っていないと知ると、ルイズはシエスタの顔をキスするかのように近付けた。
「どこっ!? シロウは何処にいるのっ!!」
「こ、こここっちですっ! 皆さんも、もう向かっています!」
シエスタがテントがある方向とは逆の方向を示す。
ルイズはシエスタから手を離すと、その方向に向けて走り出し。遅れてシエスタがルイズの後を追い始めた。
勢いよく走り出したルイズだったが、森歩きに慣れたシエスタに直ぐに追いつかれてしまう。どんどんと進むシエスタの背中に必死にすがり付くように追いかけるルイズだったが、未
だに慣れぬ森歩きや披露に、次第に足の動きが鈍りだしていく。しかし、前を走るシエスタの速度は変わらない。気付けばシエスタの姿は森が作る闇の中に消えていっていた。
「ちょっと、まちな、さいよ……早すぎ、よ、あなた」
「ミス・ヴァリエールっ! こっちです!」
「だから、待ちな、さいって、言ってる、で、しょ~が」
息継ぎのように、時折抗議の声を上げるが、シエスタは歩みを止めず、ただ闇の奥から声だけが聞こえる。ルイズはシエスタの声だけを頼りに走る。荒い呼吸が喉を痛め、急な運動で
下腹部が痛みだしている。一日中歩いたことによる疲労は、たった数時間の睡眠では全く回復出来るはずがなく。とっくの昔に足の感覚はなくなっていた。
しかし、それでもルイズは足を止めない。
腕を振り、足を上げ、必死に森の闇の中を駆ける。
どれだけ走ったのか、どれだけの時間が経ったのか、それすらも曖昧になった頃、ルイズは月明かりに照らされた開けた広い場所に立っていた。月明かりを受けた草が銀色に光り、ま
るで銀糸で編まれた絨毯のようだ。
そしてその中心に立ったシエスタがルイズを見つめていた。
ルイズは荒い呼吸を落ち着かせながらシエスタに近づく。
「ふ、う、し、シエスタ。ここ、に、シロウがいるの?」
「ええ。いますよ。ほら、そこにいるじゃないですか」
ルイズの問いに笑みで応えたシエスタが、闇に沈む森の奥を指差す。ルイズは目を細め、シエスタが指差す森の奥をよく見ようとした瞬間、
「っ」
背筋にゾクリと寒気が襲った。
悪寒に従い咄嗟にその場から飛び離れると、先程まで自分がいた場所に太い木の枝を振り下ろした姿のシエスタがいた。
「……操られてるの?」
自分の代わりに太い木の枝が叩きつけられた地面は大きくえぐれ、当たっていては無事ではすまなかったことを示していた。地面に枝の先端を埋めた姿のまま、シエスタがルイズに顔だけを向ける。森の中とは違う遮るものがない開けた草原には、眩いほどの月光が降り注いでいる。そのため、森の中では良く見えなかったシエスタの顔が、月明かりに照らされハッキリと見えていた。
その―――仮面のような笑みが。
「止まりなさい」
ゆっくりと立ち上がり、地面から引き抜いた木の枝を肩に担ぎ近づいてくるシエスタにルイズは杖を突きつける。しかし、シエスタの歩みは止まらない。仮面のような笑みをたたえた
まま、ゆっくりとルイズに近付いていく。ルイズは月明かりに浮かぶシエスタの瞳の中に、奇妙な陰りのようなものを見ると、無意識に呪文を唱え杖を振り抜いた。
放った魔法は『ディスペル・マジック』。
もうシエスタは目の前まで迫っていたことから、呪文の詠唱は短く、そのため効果範囲は狭かったが、人一人掛かった魔法をディスペルするぐらいは問題はなかった。
避ける間もなく『ディスペル・マジック』を受けたシエスタがドサリと音を立て地面に転がる。
「シエスタっ! 大じょ……う……」
倒れ伏したシエスタに駆けよろうとしたルイズだったが、その足は尻窄みに消えていく声と同じように小さくなっていく。
完全に足が止まったルイズの足元―――シエスタが倒れていた場所に小さな人形が一体転がっていた。
「これって……もしかして……」
膝を曲げ、顔を近づけるとその人形に見覚えがあることに気付く。
その人形が、先日ロサイスで大道芸人が操っていた騎士人形だと。
「何でアルヴィーがこんなところに」
ルイズが地面に転がるアルヴィーに手を伸ばそうとすると、背後から下生えが踏まれる音が響いた。ルイズは反射的に背後を振り返り、杖の先を音が響いた先に向ける。
「……誰?」
ルイズの視線の先には、黒いローブを頭からすっぽりと被った女がいた。ローブの上からでも分かる身体のラインと、隙間から溢れた一房の長い黒髪から女だと思われるが、それ以外のことは全く分からない。
「あなた、昨日の……」
しかし、ルイズは目の前に立つフードを被った女に見覚えがあった。記憶に新しい、ロサイスでアルヴィーの人形劇をしていた大道芸人だと。
足を止め、こちらをフードの奥から見つめる女に、ルイズは杖を構えた姿で対峙する。
「―――どうやらロサイスからつけていたようね。誰? 何が目的なの?」
「……誰、か……そうですね。シェフィールドと名乗っておりましたが。ふふ……もちろん本名ではありませんが」
「ふざけないで―――ッ」
ルイズが視線を強くすると、女は肩をすくめニヤリと口元を歪めた。
「目的は……あなたが嵌めている指輪と―――」
言葉を言い終える前に、女が爆発した。
ルイズの魔法『エクスプロージョン』。
それがローブを被った女を襲ったのだ。避けるまもなくルイズの魔法を受けた女は、粉々になって地面にばらまかれた。女が粉々になったことに、ルイズは一瞬ビクリと身体を震わせたが、直ぐに違和感に気付くと、ばらまかれた女の下に駆け寄っていく。そして、地面の上に転がるそれに気付いた。
「……アルヴィー」
ルイズの足元に粉々になって転がっていたのは、原型がなくなる程粉々になった小さな人形であった。どうやら目の前で転がっている壊れた人形が、先程まで立っていたローブを被った女に化けていたようだった。
「っ!? そこっ!!」
壊れた人形を見下ろしていたルイズだったが、背後に気配を感じると、振り向くと同時にエクスプローションを放つ。
腹に響く爆音を立て爆発が起きる。
魔法を放った姿のまま、ルイズは油断なく杖の先を森の奥に向けている。
視線の先では、闇に落ちた木々が破壊され、地響きを立て倒れていく。油断なく見つめる先、もうもうと木片混じりの土煙が立ち上る中から、人影が歩いてきた。
「全く、とんでもない人ですね」
「……あんたはとんでもない臆病者のようね」
土煙の中から現れたフードを被った影は、一つではなかった。一、二、三……合計で五人。現れたローブを被った影に差異はなく。ルイズにはどれが本物なのか分からなかった。
じりじりと後ろに下がるルイズの前で、ローブを被った女は一斉に頭を下げた。
「偉大なる『虚無の担い手』を前に、この卑小な身ではとてもとても恐れ多く……」
「……わたしが『虚無の担い手』? 何勘違いしてるの?」
頭を下げた姿で、笑い混じりの声でかけてくる女に、ルイズも笑みをもって返す。
「勘違いなどしてはいませんわ。恐ろしくも巨大な『虚無の担い手』……だからこそ、これだけの数を用意しなければ不安で仕方がなかったんです」
「……ッ! 」
ルイズの顔が驚愕に歪む。
フードを被った女たちが背後に手を向けると、森の奥からぞろぞろと、剣や槍など様々な武装をした騎士や戦士が現れた。
「―――ガーゴイル使い」
現れた人影の顔に生気や意志を感じられなかったことから、その正体に気付いたルイズがポツリと呟くと、女は首を左右に振った。
「使えるのはガーゴイルだけではありませんよ」
女は後ずさるルイズに詰め寄るように一歩前に足を動かすと、まるで演劇の役者のように一つ大きく礼をした。
「それでは改めて名乗りましょう。わたしはあらゆるマジック・アイテムを操る使い魔―――」
女が顔だけ上げルイズを見上げた。
大きく動いたことでフードがズレ。フードに隠されていた女の顔が微かに見える。
その口元には笑みをたたえ―――、
「『神の頭脳』ミョズニルトン」
額には、古代語のルーンが自ら光り輝いていた。
「『虚無』の使い魔でございます」
ルイズがフードを被った女―――ミョズニルトンと称するシェフィールドと相対していた頃……。
「全くいきなり襲いかかってくるなんて、女の扱いがなっていないわね」
「まっ、それも仕方ないんじゃないかね。見るからに女に縁がなさそうな根暗じゃないかい」
「あはは……皆さん余裕ですね」
十人以上の武装した男たちを従えた、フードを被った男と対峙していた。
何故こんな状況に陥ったのかというと、それは今から十分程前のことだった。
一日中歩き続けていた疲労から、ぐっすりと眠りこけていたキュルケを起こしたのはロングビルだった。無理矢理起こされ、寝ぼけ眼のキュルケを強制的にテントから連れ出したロングビルは、先に起こしていた本を懐に抱いたシエスタを連れ森に向かって走りだした。走っているうちに目が覚めたキュルケから事情を何度も聞かれたが、ロングビルは答えることなく走り続けた。そして開けた場所に出ると、唐突に足を止めたロングビルは、懐から出した杖を森の奥に向けた。
膝に手をつき息を切らしたキュルケが、足を止めたロングビルに再度事情を聞こうと声を上げかけた時、森の奥から男が現れた。
武装をした男たちに、ロングビルがテントから逃げ出した理由に気付いたキュルケが、胸の谷間から取り出した杖を男達に向けて―――現在に続く。
キュルケが欠伸をこらえながら、ロングビルが腕を組みながら、そしてシエスタが呆れた笑みを浮かべながら視線を向ける先には、背後に剣や槍などで武装した男たちを引き連れたフ
ードを深く被った男がいる。
ロングビルやキュルケは余裕の様子だが、縋るように懐に抱いた本に力を込めたシエスタは、青ざめた顔を浮かべ余裕の欠片も見えない。
「これだけの数を相手に……」
「安心しなさい。確かに人数は多いけどあの男以外はメイジじゃないわ。メイジ以外がどれだけ集まろうと、ものの数ではないわよ」
怯えるシエスタを安心させるように、優しくキュルケが笑いかけるが、前に立つロングビルがそれを否定した。
「いや、あんまり舐めない方がいいようだよ―――フードを被った男はもちろんのこと、後ろの男たちも、どうやらただモノじゃないようだ」
「何よ、どういうこと?」
キュルケが訝しげな声を上げると、ロングビルは男達に杖を向けたまま答えた。
「ふん……人じゃないようだねこれは……アルヴィーか」
「アルヴィーって、はんっ、アルヴィーがどうしたって言うのよ、人形ごときがどれだけ集まろうと、それこそものの数じゃないじゃない」
キュルケが笑いながら肩を竦めると、ロングビルは目を細め顔を厳しく引き締めた。
「ただのアルヴィーだったらね。あれはどうやらただの人形じゃないようだ」
「何でそんなことが分かんのよ」
「……動きを見れば分かるさ。ただの人形の動きじゃない。熟練した剣士の動きだよあれは……っ。まさか……これは『スキルニル』かい?」
じっと男たちを睨みつけていたロングビルが、何かに気付いたようにハッとした。
「『スキルニル』?」
「……血を吸った人物に化けることが出来る古代のマジック・アイテムさ。厄介なことに姿形だけでじゃなく、その能力も一緒にね……古代の王たちはこれで戦争ごっこをしてたって聞くけど……まさかその相手をすることになるとは……」
「あ~……嫌な予感がするんだけど……もしかしてあそこにいる奴らって」
じりっと後ずさったキュルケが杖の先を突きつけた男たちを見て鈍い声を上げる。
キュルケが何が言いたいのか察したロングビルも、同じように後ずさりながら小さく頷く。
「ああ、ただの剣士というわけじゃないだろうね。あたしらを相手にするんだ。『メイジ殺し』と呼ばれる奴らの血を吸わせた人形じゃないかね」
「『メイジ殺し』……」
シエスタが怯えたように震えた声を漏らすと、人形の前に立つフードを被った男が指揮者のように杖を頭上にかがげた。
「来るよっ!!」
「っ!?」
ロングビルが叫んだ瞬間、フードの男の背後から、『メイジ殺し』の人形が襲いかかってきた。
咄嗟にロングビルは襲いかかってくる人形の前に巨大な壁を作り出す。一瞬人形たちの動きが止まった間に、ロングビルはシエスタを抱え背後に飛び退きながら、同じように後ろに逃げるキュルケと視線を交わす。
地面に足が着くと同時に、ロングビルが作った壁を乗り越えた人形たちが迫る。人形の動きはロングビルの予想通り、ただの人形ではなく熟練した剣士の動きであった。
一般的なメイジでは反応することも出来ない動き、しかし、ロングビルはそれに完璧に反応していた。
「人形如きが―――」
一瞬で目の前に迫る人形たちに向かってロングビルが杖を右に振る。
「―――舐めるんじゃないよッ!!」
杖が振るわれると、迫る人形たちを取り囲むように巨大な壁が生まれた。
「おまけだっ! とっときな!!」
ロングビルが右に振り切った杖を左に振ると、人形たちを閉じ込めた壁の上から細かな黒い粉が立ち上った。
「キュルケッ!!」
「これでッ! いいんで、しょっ!!」
ロングビルが視線を向けると、地面に倒れた姿のままのキュルケが囲いに向けて杖を振るい―――瞬間。
爆発が起きた。
人形たちを収めた壁が内側から弾けるように膨らみ。
凄まじい爆音が森に響き渡る。
「っぁ!!?」
「くぅっ?!」
「きゃ、あっぁ!?」
爆音が響くと同時に囲いに罅が入り、衝撃波が周囲に放たれた。
鼓膜を破られるような轟音と共に、腹を殴られたような痛みと衝撃にごろごろと転がるロングビルたち。
ロングビルは直ぐに起き上がると、杖を罅が入った囲いに向けた。ロングビルが杖を向けた瞬間、ボロボロになった囲いが崩れ始める。
「……シロウから聞いてたけど……まさかこれほど威力があるとは……もう少しよく聞いておけばよかったね」
以前冗談交じりに寝物語に士郎に聞いた土魔法を利用した攻撃方法で、『粉塵爆発』というものがあった。『粉塵爆発』とは、密閉された空間内で一定の濃度の可燃性の粉塵を引火させると爆発を起こすという現象である。
それを頭の片隅に残していたロングビルが、咄嗟に使ってみてはみたものの、その威力は予想以上のものだった。
「でも……上手くいったようだね」
「いたた……もう何が起きたのよ?」
「わゎ……み、耳が……頭が……ふらふらするぅ~」
ロングビルが立ち上がると、キュルケたちも身体をふらつかせながらも立ち上がり始めた。
「上手くって、何がよ」
「見な、一発で仕留められたようだよ」
痛む頭を押さえながらキュルケが顔を横に向けると、ロングビルが杖の先を崩れ落ちた囲いを向けた。ロングビルの杖に導かれるように顔をそこに向けると、キュルケの目に囲いの欠片に混じった壊れた人形の手足が映った。
「そうみたいね。じゃ、残りの相手はあと一人ってこ―――」
「とはいえ油断は出来ないけどね」
未だに煙る土煙の中から現れたのは、一人の男だった。
衝撃波は男も襲ったのか、身に纏っていた筈のフードは何処かに吹き飛んでしまい、フードの下に隠されていた素顔を露わにしていた。
油断なく身構えるロングビルの横では、キュルケが息を飲み、驚きに目を見開いている。
「うそ……あなた……ワルド……子爵」
呆然としたキュルケの呟きが聞こえたのか、ロングビルが視線だけを向ける。
「ワルドって……ルイズの婚約者だったていう」
ロングビルの目が微かに見開く。
「そうよ、何で彼がここに……いいえ、それは今はどうでもいいわね。かなりやばいわ。あの男、元はトリステインの魔法衛士隊の隊長よ」
「魔法衛士隊の隊長かい……全く、次から次へと」
女王を守るための魔法衛士隊―――しかも隊長。その強さは折り紙つきだ。下手をすれば『メイジ殺し』の集団よりも厄介かもしれない。
ロングビルの顔が顰められる。
「もしかしてあれも人形かしら?」
「さて……それはどうかね」
ゆっくりと歩み寄ってくるワルドを睨み付けるキュルケの目が、僅かに細まると、疑問の声を上げた。鉄で出来た剣のような杖を向け近付いてくるワルドの顔には、感情というものが全く感じられなかった。仮面のような無表情で、ゆっくりと規則正しい動きで近づいてくるワルドの姿は、それこそ先程のスキルニルよりも人形のようだった。
だからこそ、ワルドを見てスキルニルではないかとキュルケが疑問を浮かべるのは仕方がないことだろう。
しかし、ロングビルはキュルケの問いに小さく首を振った。
「分からないの? さっきはほぼ断定していたくせに。あっちもさっきと似たような雰囲気だけど」
「ああ、生気は感じられないけど……多分……人形じゃないだろうね」
「ふ~ん……で、その根拠は?」
杖を構え直し、大きく息を吸いながらロングビルが自分の考えを伝えると、キュルケも杖をワルドに向けながらその根拠を求めた。
「勘と経験ってとこかね……あの男からはそう言う匂いがしないっていうか……」
「匂いねぇ……で、正直なところどう? 勝てる?」
ワルドとの距離は既に二十メートルは切っている。風の使い手ならば、一瞬で詰めることが出来る距離だ。ワルドから一歩進む度に、離れるようにキュルケとロングビルが後ろに一歩下がる。張り詰めた空気を晴らすように、キュルケは口の端を曲げる、引きつった笑みを浮かべながらロングビルに笑いかける。
「難しいね。ワルド子爵って言うと『閃光』の二つ名を持つほどの使い手。下手な攻撃は当たらないだろうし、当たっても逸らされるだろうし……勝つのは難しいだろうね」
ハハハッと乾いた笑みを浮かべたロングビルに、引きつった笑みを浮かべていたキュルケが、不意に笑みを消すと強い視線を向けた。
「それはあなたのゴーレムでも難しいのかしら」
ポツリと小さく呟くような言葉が耳に入ると、ロングビルも乾いた笑みをすっと消し去ると、鋭い視線をキュルケに向けた。
「……どういう意味だい」
「意味なんてないわよ。言葉通りあなたのゴーレムなら勝てる可能性はあるんじゃないってこと」
刺すような鋭くも冷たい視線を受けながら、キュルケは涼しい顔を浮かべたままだ。
ロングビルの脳裏に、ある考えが過ぎる。
「……あんた、もしかして」
身体から粘ついた汗が吹き出し。声が喉にへばりつくような感覚を感じながら、ロングビルが震える声で隣に立つキュルケに声をかける。
怯えるような視線を向けられたキュルケは、しかしロングビルが想像していたような表情は浮かべていなかった。
嫌悪や忌避もなく。
蔑みもなく。
ただ不敵な笑みを浮かべていただけであった。
キュルケの顔に浮かぶ笑みを目にしたロングビルが、目の前にワルドのことを忘れたかのように一瞬立ち止まる。
動きを止めたロングビルに気付くと、キュルケも立ち止まった。
そしてロングビルに顔を向けると、ハッキリとした声音で胸を張り言った。
「言っとくけど。あたしはあなたの過去に特に興味はないわよ。例え昔どんなことをしてたってね。それはあたしだけじゃないと思うわよ。ルイズもそこにいるシエスタもね」
キュルケが後ろに立って事の成り行きを見つめていたシエスタに指を向けた。キュルケの指先に誘われるように、ロングビルの視線がシエスタに向けられる。
ロングビルの震える視線を向けられたシエスタは、一瞬びっくりとした後、ふわりと優しく微笑むと深く頭を下げた。
キュルケの言葉に同意したシエスタの姿に、しかし、躊躇うようにロングビルが呟く。
「それは……」
「ふんっ、そうね。こう言えば分かるかしら」
ハッキリとしない様子のロングビルに苛立ったように、キュルケは自分の豊かな胸に勢いよく手を叩きつけると大きく言い放った。
「あたしは、あのシロウに心底惚れてるのよ。どんな過去があっても、気にすると思う?」
「っ! ―――っく」
一瞬森の中が静寂が満ちた。
一歩ずつ近づいていたワルドの足音も、遠く微かに鳴っていた虫の音も消え、キュルケが言い放った言葉の余韻だけが響いていた。
微かに頬を赤くしたキュルケを前に、言葉の余韻が消えると共に、呆然とした表情を浮かべていたロングビルの口元から空気が抜けるような音が響く。
「アッハッハッハッハッハッハ―――」
音は段々と大きくなり、先程の爆音に負けじと森に響き渡った。
「―――ハッハッハ……はぁ……そうだね。あのシロウに惚れてんなら、確かに気にするような柔な奴らじゃないってことか……そうか……そうだね……なら……遠慮はいらないか……くくっ……それじゃあ久々にいこうかね」
笑い声は段々と小さくなっていき、最後は大きな息を着くと同時に溶けて消えるようになくなっていった。腹を抱えて大きく腰を曲げた姿で笑い終えたロングビルが、顔に掛かった長い緑髪を片手で上げながら身体を起こし。目の前で堂々と胸を張るキュルケに目尻に涙が浮かぶ瞳で笑い掛けると、足を止めこちらを睨みつけてくるワルドに顔を向けた。
その顔にはニヤリとした不敵な笑みが浮かんでいる。
そして、杖を持った腕を大きく頭上に掲げると、大きく地面に突き立てた。
「あんたのか細い『閃光』で、わたしの土くれを破れるかいッ!!」
突き立てた地面から眩い輝きが生まれると共に、辺りに地響きが響き渡る。
杖を突き立てた地面の周囲が持ち上がり、その高さはどんどんと高くなっていく。
ついには三十メートルを超える大きさまでになった。
森に生える木々を押し倒しながら生まれたその巨大な影は、月明かりを受けその姿を浮かび上がらせる。
「ハハッ!! 『土くれのフーケ』さまのお通りだッ!!」
巨大なゴーレムの肩に乗ったロングビルが、足元にいる虫のような大きさに見えるワルドに向かって吠えた。
シェフィールドと名乗った女が口にした言葉を受けたルイズが、震える口で小さく呟く。
「『虚無の使い魔』ですって。何を言っているの」
「虚無の使い手があなた一人だと思っていらしたんでしたか? まあ、信じるも信じないもあなたの勝手ですが、ここであなたが取れる選択肢は二つしかありませんよ。あなたの持つ水のルビーを差し出すか、それと―――」
シェフィールドがルイズに要求を突きつけていた途中で―――爆音が響いた。
「やっぱり威力が足りないっ」
シェフィールドが言葉を言い切る前に、ルイズがエクスプローションを目の前の集団の中心に放ったのだ。
爆発は背後にいた剣士たちも巻き込んだが、それでも全体に比べれば微々たるものであった。
爆発によりもうもうと立ち上る土煙に紛れ、ルイズは森の奥へ向かって駆け出していった。
「全く、本当にとんでもない人ですね……逃げても無駄だと言うのに」
土煙が晴れると、既にルイズの姿は影も形もない。しかしシェフィールドは焦ることなく腕を一振りした。背後の剣士たちは、シェフィールドの指示に無言で応えルイズを追って森の奥に向かって走り出した。
「っはっはっはっ……っはぁ……っく」
森の中を駆けるルイズは、時折後ろを向いては魔法を放つ。『虚無』の威力は詠唱時間の長さに比例する。走りながらの詠唱では満足出来るほどの力が出ず。精々が後ろから迫る一、二体に当てるぐらいしか出来ない。
放った魔法はディスペル・マジック。
シェフィールドのセリフを遮って放った魔法の爆発が、背後にいた剣士たちを巻き込んだ時、粉々の壊れた人形の欠片が見えた。そのためルイズは剣士たちが先程のシェフィールドと同じくアルヴィーだと予想して放ったのだが。
「っは、っぅ、や、やっぱりアルヴィーね」
木々の間に魔法を消された人形が転がるのを見て、息切れ混じりに呟くと、それに答えるように森の奥からシェフィールドの声が響く。
「正確には『スキルニル』という魔法人形ですよ。血を吸った人物の姿と能力を完璧に模倣することが出来る人形。そしてあなたを追うこの人形たちは全て、『メイジ殺し』と恐れられた者たちの血を吸った人形たちです。かつて古代の王たちはこれで戦争ごっこをしていたと聞きますが」
「そ、それがどうしたっていうのよ。ふん、全部ただの人形にしてやるわよ」
ルイズの視線の先、差し込む月光に照らされた武装した戦士のガーゴイルたちが姿を現す。
それを睨みつけながら、ルイズは不敵に笑いながら強がりを言い放つと、森の奥からシェフィールドの笑い声が答えた。
「あっはっはっ! 何を言っているの? さっき言ったでしょ。『戦争』ごっこをしていたってね。何体いると思ってるの! それと―――」
じりじりと後ろに下がり、距離を取ろうとするルイズに向けて、シェフィールドは笑い混じりの声を投げかけた。
「時間稼ぎをしようと思っても無駄よ。あちらの方も自分たちのことで手一杯でしょうからね」
「っ!? シエスタたちに何をしたのっ!!」
シェフィールドの言葉に目を見開き足を止めたルイズが、キッと森の奥を睨み付けると鋭く言い放つ。
「わたしは何も。ただ、わたしが欲しいのはあなたの持つ『水のルビー』だけでなく、『始祖の祈祷書』もなんですよ。あなたがテントから出てきた時、祈祷書を持っているようには見えなくてね。二手に分かれたんですが……どうやら正解だったみたいですね。今頃あちらに向かわせた者が手に入れているでしょう……ただ、あちらの方は、わたしと違って優しくないので、今頃どうなっているか」
「っっ!!」
一瞬で血が頭に上ったルイズは、叫び声と共に魔法を放とうとしたが、寸前のところで我慢した。
無駄な魔法を放つ余力などないことをギリギリのところで思いだし、踏みとどまったルイズは、大きく息を吸いゆっくりと吐き出した。
シェフィールドの言う通り、『始祖の祈祷書』は今は持っていない。
多分、今持っているのはシエスタだろう。
士郎を探すため学院を出る際、ルイズはシエスタにもしもの時は『始祖の祈祷書』と『水のルビー』を持って逃げるように伝えていた。
シエスタは自分がトイレに行くためテントを出たことを知っている。
だから、何者かが襲ってきたとしたら、直ぐに『始祖の祈祷書』を持って逃げ出していることだろう。
それに、キュルケもロングビルも腕の立つメイジだ。
そう簡単にやられるとは思えない。
大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻したルイズは、森の奥に向かって走り出し距離を取ると、直ぐに木の陰に隠れゆっくりと目を閉じた。
木に背中を預け力を抜くと、どうやってここから脱出するか考え始める。
いくら腕が立とうとも、キュルケとロングビルが刺客を倒し今すぐ助けに来てくれるとは考えられない。
そして、シェフィールドの言う通り、これだけの数の人形にディスペル・マジックを掛けることは出来ない。
そう遠くないうちに魔力は切れるだろう。
そして、魔力が切れればメイジの自分に出来ることはない。
森の奥。
闇の中から自分を探すガーゴイルたちの足音が聞こえる。
ぐちゃりぐちゃりと夜露に濡れた下生えが踏み潰させる音が響く度に、ルイズの身体が震え、口の中から乾いた音が響く。
「……シロ、ウ……シロウっ……シロウ―――ッ!!」
歯が鳴る音を立てないように硬く口を閉じた筈のルイズの口から、使い魔の名が漏れる。
必死に沸き起こる恐怖の震えを押さえながら、ルイズはシロウに助けを求めていた。
しかし、ガタガタと身体を震わせながら、目尻に大粒の涙を浮かべ縋るようにシロウ名を呟くルイズの心の奥から冷めた声が響き始めた。
呼んでも来るはずがない。
だってシロウはもう自分の使い魔じゃないんだから。
サモン・サーヴァントのゲートが開いたことがその証拠。
使い魔としてのシロウは、もういないってこと……。
だから、呼んでも来るわけがない。
例え生きていたとしても……。
もう……使い魔じゃないから。
「―――なら、もう一度呼べばいいってだけのことでしょ……ッ!!」
心の奥から響く冷めた言葉に向けて、ルイズが言い放つとゆっくりと立ち上がる。
背後を振り返ると、迫るガーゴイルに杖を向けると呪文を唱え始めた。
口にするのは、古代のルーンではない。
爆発の魔法でも、解除の魔法でもない。
メイジなら誰でも使えるコモン・マジック。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール―――」
魔法学院の二年生になると、誰もが一度は唱える魔法。
召喚魔法。
使い魔を呼ぶための魔法。
敵を倒すための『虚無』の魔法ではない。
使い魔を呼ぶ魔法なんて、こんな時に唱えるようなものじゃない。
しかし、呪文を唱え始めたルイズの心には不安も恐怖も感じてはいなかった。
だって、信じられるから。
だれよりも。
どんなものよりも。
あなたのことが―――。
シロウとの思い出が、ルイズの脳裏を走馬灯のように走り抜け、
「五つの力を司るペンタゴン! 我の運命に従いし、『使い魔』を召喚せよ!!」
悲鳴のような声と共に杖を振り下ろした。
「ッ!? まずいっ! まさかっ!?」
ルイズが何の呪文を唱えているか、背筋を冷たい悪寒が襲うと同時に気付いたシェフィールドが、ガーゴイルを咄嗟にけしかける。
闇に浮かぶ銀色のゲートに向かって、ガーゴイルが飛びかかる。
剣を、槍を、斧を振りかぶった古代の『メイジ殺し』たちがルイズに迫る。
月光に煌めく刀身が、ルイズの目の前に迫る。
しかし、ルイズは目を逸らさない。
自分を斬り殺そうとする凶器を睨み付けるように目に力を込める。
刃がルイズを切り裂く。
その直前。
「―――全く」
目を見開くルイズの前で、襲い来るガーゴイルの身体が上下に二つにズレ始めた。
ルイズの前に、赤い―――赤い外套が風に揺れている。
枝葉の隙間から零れ落ちる月光を受け、赤い影が揺らめく。
赤い影はゆっくりと振り返ると、呆然と立つルイズに笑い掛けた。
「―――俺のご主人様は随分と無茶をする」
目の前で呆然と立ち竦むルイズに、士郎はデルフリンガーを肩に担ぎ笑い掛ける。
「どうもルイズは何時も何かしらトラブルに巻き込まれているな」
「……っ! な、何よもう! か、勝手にいなくなったかと思えば、いきなり現れて……何時も何時もあんたって」
士郎の言葉でスイッチが入ったかのように、呆然としていたルイズが動き出す。
ボロボロと、涙を流しながら叫ぶルイズは、ガバっと勢いよく士郎に抱きついた。
「ばかばかばかっ!! 何でもっと……もっと早く来ないのよ」
縋り付くように抱きしめた士郎の身体に、ルイズが流す涙が染み込んでいく。
震え泣きながら抱きつくルイズの姿を、目を細め見下ろす士郎は、そっとその背中に手を当てると囁いた。
「すまない。随分と遅くなってしまったな」
「っ……許さない……許さないんだから」
「そうか。それじゃ、許してもらえるまで何処かに隠れてお―――」
「ダメっ!!」
士郎が頭を掻きながらあさっての方向を見ると、ルイズは押し付けていた顔をガバッと上げ叫ぶ。
「冗談だ。許してもらえるように努力するよ。ま、その前に―――」
必死な形相のルイズに笑いかけ落ち着かせると、そっと身体から離し、背後を振り返る。
そこには見えるだけでも二十体以上のガーゴイルを従えたシェフィールドの姿があった。
「これを片付けるとしようか」
月光を受け、ギラリと鋭い眼光が煌めく。
怯えたように、シェフィールドが一歩背後に後ずさる。
「ふ、ふんっ。し、知ってるわよ、あなたはもうガンダールヴじゃないって。その左手が証拠よ」
震える指先で士郎の左手を指差しながら、シェフィールドが歯が鳴る音が混じった声で叫ぶ。
指を突きつけられた士郎が、デルフリンガーを振り下ろすと空いた左手で顎を撫でた。
「ふむ、確かに俺は今は『ガンダールヴ』ではないが。だが、それがどうした?」
「っ、何を言って」
士郎が一歩足を前に出す。
怯えるように、シェフィールドが後ずさる。
「ガンダールヴでなくなっただけで、俺が弱くなったと思っているのか……ハッ! 馬鹿がッ!!」
声と同時に士郎は地を蹴った。大量の濡れた下生えをその下の土ごと巻き上げた士郎は、一瞬にしてシェフィールドの前に立つと大きく横一文字にデルフリンガーを振り抜いた。
デルフリンガーを振り抜いた士郎の動きは止まらない。
二つの月が雲に隠れるのに合わせたかのように、士郎の姿が掻き消えた。
現れたかと思えば消える。
まるで士郎が何人もいるかのようだ。
月光が雲の隙間から差し込み、何時の間にかルイズの横に立っていた士郎を浮かび上がらせる。
気付かないうちに隣に立っていた士郎の姿に、ルイズがビクリと身体を震わせる。
目を白黒しながら隣に立つ士郎を見上げるルイズ。
「さて―――」
デルフリンガーを剣に鞘に収めると、首を傾げ立ち尽くすシェフィールド達に顔を向けた瞬間。
「感想はどうかな」
二十体以上のガーゴイルと共にシェフィールドたちの身体が横に二つにズレ始めた。
ドサリと音を立て切り裂かれた上半身が地面に落ちる。
「が、ガーゴイルはこれだけじゃないわよっ!!」
森の奥からシェフィールドの声が響くと同時に、十八体の新たなガーゴイルが士郎に向かって飛びかかり。
「ああ、もちろん―――」
そのまま地面に転がり落ちた。
地面に転がったガーゴイルたちは、直ぐに元の人形の姿に戻る。ピクリとも動かない人形には頭はなく、代わりに頭が在るはずの近くに矢が転がっていた。
「―――知っている」
「な、何が……」
呆然とした声が、森の奥から響き、何時の間にか左手に黒い弓を握り構えていた士郎が、ゆっくりと黒弓を下ろす。
「う……そ」
全てを見ていたルイズが、ポッカリと開いた口から驚愕の声を漏らす。
あの時。
士郎に向かってガーゴイルが襲いかかった時。
襲いかかってくるガーゴイルを前に、士郎は慌てることなく左手を構えた。その手には、何時の間にか黒い弓の姿があった。
黒弓をガーゴイルに向けた士郎は、何時の間にか取り出した三本の矢を、纏めて弓の弦に掛け放った。
それからは、まさに一瞬の出来事だった。
矢を放ち、空になった筈の手には、これもまた何時の間にか矢が握られていた。
それを、士郎は合計六度繰り返した。
しかも、一瞬で。
熟練した弓兵でも難しい曲芸じみた速射を、士郎はまさに一瞬でやり終えた。ルイズの目には一度しか弓を引いたようにしか見えなかった。
襲いかかってきたガーゴイルの額に矢が突き刺さった結果を見てから、初めて六度矢を射ったと気付いた程の早業であった。
絶技を目にしたルイズが、口をあんぐりと開けた顔で士郎を見つめている。
阿呆のように口を開けるルイズにチラリと視線を向けた後、士郎は森の奥に向かって歩きだした。
「さて、残りはお前一人だな。こそこそ隠れていないでさっさと出て来い。それとも無理矢理引きずり出されたいのか?」
「ッッ!!?」
驚愕に息を飲む音が月の明かりさえ届かに闇の中から聞こえ、濡れた下生えが踏み潰さえれる音が辺りに響く。
「どうやら引きずり出されるのが好みのようだな」
下生えを踏む音から、シェフィールドから逃げるかと判断した士郎が、黒弓をシェフィールドに向けた。
士郎の鷹の目と称される眼光は、微かな月明かりに浮かぶ森の奥に隠れたシェフィールドを完全に捕らえていた。
突き刺すような悪寒に襲われたシェフィールドが、咄嗟に逃げようとするが、それを見逃すような士郎ではない。
士郎から放たれる、物質化したかのような濃密な気に当てられ固まるシェフィールド。
森の奥。闇を見通す眼で背中を向け怯えた顔を見せるシェフィールドの姿に、人形ではなく本物だと判断した士郎が、弓に番えた矢の切っ先を向け―――。
「ッ!」
その場から飛び離れた。
士郎の身体が地面から離れた次の瞬間、森の奥から何かが飛び出して来た。
バキバキと枝を折りながら森の奥から現れたそれは、士郎が先程まで立っていた場所を横切り、ごろごろと地面を転がりながら速度を落とすと、ローブをマントのように翻しながら立
ち上がった。
素早く立ち上がった男は、かなりの衝撃を受けただろうにも関わらず、淀みない動きで剣に似た杖を自分が飛び出してきた森に向ける。
勢いよく転がったためか、顔を隠すフードは外れ、男の顔は眩いほど輝く月明かりの下に晒されていた。
「…………ワルド」
「―――え?」
濡れた地面を転がったためか、泥だらけの姿になった男を見つけながら士郎がポツリと呟く。
士郎の背中に向かって駆け寄るルイズの耳がその呟きを拾う。
ピタリと足を止めたルイズの顔がゆっくりと士郎の視線の先に向かう。
「うそ、な、なんで……」
月光に照らされる男の顔を目にしたルイズは、身体を石のように硬直させた。
声を上げないようにするかのように、戦慄く口元を両手で隠したルイズが震える声を漏らす。
「……偽物ではないようだが、何故貴様がここにいる」
黒弓を消した手にデルフリンガーを握ると、士郎は森の奥に顔を向けるワルドに剣を向けた。
士郎の殺気混じりの声を向けられても、ワルドは全く反応を示さない。
訝しげに士郎の顔が歪んだが、何かに気付くとワルドと同じく森の奥に顔を向けた。
士郎が森の奥に顔を向けたことに合わせたかのように、闇の奥から足音が聞こえてきた。
足音と共に木々が倒れる音が響く。
段々と大きくなる足音は、次第に地響きに代わり。直ぐにそれは立つことも難しいほどの大きな地震のような揺れに変化する。
「な、何よもうっ!?」
「これは……まさ―――」
頭を抱え地面にヘタリ込んだルイズが悲鳴を上げる。
大きく上下に揺れる地面の上、士郎はしっかりと大地を踏みしめ地揺れに耐えると、鋭い目つきで森の奥を睨む。
士郎が何かに気付いたかのように眉を寄せ、何かを言葉にしようと口を開いた時、
「ッッッ!! ハッハァっ!! どうだコラァァァァァッ!! まいったかッ!? 埃みたいにふらふらふらふら飛びやがってっ!! くくく……それがボールみたいに吹っ飛んで……
ッッッ!! くくく……クアッハッハッハァッ!! いい気味だぁっ!!」
「ちょ、ちょちょちょっと、おち、落ち着い、てぇよぉっ! だめっ! ダメダメダメェえっ!! 死ぬっ! 死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃうからァァァああッ!! 止まってロングビィィルゥうっ!! 」
「あ、あはははははははははは―――ハハハハハッはははあっはハハッははは八ハハハハハハは…………あ…………光が……見える」
三十メートルはあろう巨大なゴーレムが森の木々をなぎ倒しながら走ってきた。
ゴーレムの肩にはロングビルとキュルケ、そしてシエスタが乗っている。
勢いよく走るゴーレムの身体は途轍もなく揺れており、その肩に乗るロングビルたちが感じる揺れは、ルイズたちが感じる地震のように揺れる地面など比べようがないほど激しい。高さが三十メートルもあるためか、走る際の上下に揺れ幅も桁が違う。一歩進む度に五メートルは上下に揺れていた。
安全装置がないジェットコースターのような存在となった走るゴーレムの肩の上には、慣れた姿で立つロングビルと、ゴーレムの肩にへばりつくように這い蹲るシエスタとキュルケの姿があった。キュルケは必死にゴーレムを止めさせようと訴えるが、真夏の蚊のように全く捕らえることが出来なかったワルドに初めてクリーンヒットしたことからテンションがヤバイ程上がったロングビルの耳には届かない。強気な筈のキュルケの瞳は、既に涙で一杯になっており、ゴーレムが上下する度に目尻から大粒の涙が流れている。
だがそれでもまだマシな方だった。
魔法にまだまだ慣れていないシエスタにとって、全長三十メートルの走るゴーレムの肩に乗るという(自殺)行為は、あっと言う間に彼女の理性と言うか精神を遥か彼方に追いやり、新たな次元に導こうとしていた。
「く、うぅ……ちょ、あれって、え、でも、うそ? まさ、か、フーケのゴーレ、ム?」
下生えを掴むように伏せていたルイズが、どんどんと近づいてくるゴーレムの姿を見て首を傾げる。
「……ワルドが吹っ飛んで来たのはあれのせいか……まったくマチルダの奴無茶をして」
「え、マチルダ? ……マチルダって誰のことよ」
士郎はゴーレムの肩の上で笑い声を上げるロングビルの姿を見て、呆れた顔で知らず声を漏らした声が近くで地面に伏せたルイズの耳に入った。
「あ~……ロングビルのことだ」
背後の地面から責めるような声を受けた士郎が苦い顔で答えると、未だ激しく揺れている地面に立ち上がり詰め寄ってくる。
「ミス・ロングビル? 何でミス・ロングビルをマチルダって言うのよ。どういうこと……って! あのゴーレムに乗ってるのってミス・ロングビルなのっ!? じゃあ、あれを作ったのは……」
「どうやらあのゴーレムでワルドをここまで吹っ飛ばしたみたいだな」
「ミス・ロングビルが? 何で分かるのよ」
「……聞けば分かるだろ」
ルイズの問いに、士郎はゴーレムの肩を指差す。
士郎が指差すゴーレムの肩の上からは、ロングビルの引きつった笑い声に混じり、子供なら聞いただけで泣き出しそうな声が聞こえてくる。
人の声というよりも悪魔のような声を上げるロングビルの様子に、地面に揺れる度に身体を上下に揺らしながらルイズが引きつった声で呟く。
「……あ~……確かに……あれって本当にミス・ロングビルなの」
「……多分」
ルイズの言葉に士郎は自信なさげに頷く。
呆然と立ち尽くす士郎たちの前で、巨大なゴーレムが地響きを立て立ち止まった。
急激に止まったことから、巨大なゴーレムの足が巻き上げた大量の土砂がまるで津波のように持ち上がる。
士郎は咄嗟にルイズの身体を抱えると、迫る泥の津波から飛び離れた。
「ど~こ~だ~っ!! まだだよ! まだ足りないよ! わたしのこのイライラを収めるにはまだまだ足りないんだよっ! 何処に行ったんだいこの野郎ッ!!」
「も、もう、だめ、だ……め、死んじゃう……死んじゃ……う、わ」
「あは、あはは、アハハハ……は、はは……はぁ~……はは……うっ吐きそ」
立ち止まったゴーレムの肩の上から悲怒交々の声が落ちてくる。
ゴーレムが巻き上げた大量の土砂で霧が掛かったようになり、唯一の明かりである月明かりを遮り、視界は完全に闇に沈んでしまっていた。
「はぁ……しまった逃げられたか」
「………………えっ、あ、に、逃げられた?」
士郎はルイズをお姫様抱っこした姿でぐるりと顔を見回すと、小さく溜め息を吐いた。ルイズは士郎に縋り付いた姿でぽ~っとしていたが、「逃げられた」という言葉が耳に入ると、ハッと顔を上げた。
「どうやら、この騒ぎに紛れて逃げたようだな」
「……何と言うか……色々と酷いわね」
士郎の腕の中で山のようにそびえるゴーレムを見上げ、未だにギャーギャーと騒ぎ声を上げるロングビルの声を耳にしたポツリとルイズが呟いた。
泥の霧が晴れ、空から冴え冴えした月明かりが破壊され尽くした森を照らし出す。
既に敵はいない筈なのに、未だに森の中は悲鳴や怒声、笑い声で騒がしい。
泥の霧で薄汚れた姿になったルイズが呆然とした顔で、まだまだ騒がしい森を眺めていたが身体に回された士郎の手に力が入ったのを感じ、ゆっくりと顔を上に向けた。
そこには同じく泥で汚れた士郎の顔があった。
後光のように月の光を背に受けた士郎の顔は、ルイズの目にはハッキリと映らない。
ボヤけて滲んでよく見えない顔をよく見ようと、士郎の首に手を伸ばし顔を近づける。
どんどんと士郎の顔が近づくが、ボヤけて滲むのは変わらない。
何時の間にか、ルイズは涙を流していた。
後から後から溢れ出る涙で、士郎の顔がボヤけ、滲んでいる。
それは士郎との距離がゼロになっても変わらない。
閉じた目尻から大粒の涙が溢れ出る。
そっと唇に、夢見るほど求めていた感触を感じる。
感触は一瞬。
ゆっくりと離れる唇に縋るようにそっと目を開いたルイズの目と士郎の目が交差する。
柔らかな優しい笑みを浮かべる士郎に、ルイズは照れたように真っ赤になった顔を逸らすと、照れを隠すようにポツリと声を漏らした。
「ま、全く、こ、こんな所でキスするなんて、ムードも何もあったもんじゃないじゃない」
顔を背けながら、非難の声を上げるルイズだが、その声には隠しきれない喜色が混じっていた。
「だが、悪くはないだろ?」
笑い混じりの士郎の問いに、ルイズは桃色に染まる頬を緩ませる。
破壊尽くされた森の中。
空高く降り注ぐ月光と悲怒交々の声を全身に受けながら、笑みを浮かべた士郎とルイズはもう一度―――
「―――否定はしないわ」
―――キスを交わした。
後書き
感想ご指摘お願いします。
いや~あともう少しで二桁か~……まだ先は長いな。
頑張ります。
それでは次はエピローグ。
多分すぐに投稿する……と思います。
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