銀河英雄伝説 アンドロイド達が見た魔術師
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姫提督から見た帝国内乱
大貴族のご令嬢ともなれば当然のように美しいものだとヤンは思っていたが、ドレスを着た彼女はたしかに美しいと思わざるを得ない。
そんな美女が優雅に貴族の礼を尽くしてヤンに挨拶を述べた。
「エリザベート・フォン・カストロプと申します。
なにとぞよしなに」
「自由惑星同盟第五艦隊所属のヤン・ウェンリー中佐です。
亡命とそれに伴う連絡担当として艦隊司令部より派遣されました。
よろしくお願いします」
そうやって互いの挨拶から始まった舌戦だが、はやくもヤンはエリザベートの舌戦の巧みさに警戒心をあげる。
最初の自己紹介において、軍人として自己紹介しなかったのだ。
更に、その丁寧な挨拶から貴族そしての振舞いまでしたのに、『カストロプ公爵令嬢』の名乗りをあけず『貴族のお嬢様』として応対した。
彼女の身分が彼女自身によって丁寧にウェールに覆われている以上、正規の外交官ではないヤンはそのウェールを払う事を避けた。
「自由惑星同盟への亡命について以下の手続きがあります。
正式な外交関係を帝国とは結んでいませんが、ここに外務委員会の外交官が来て申請に関する手続きを行います。
それまでは、身分的には銀河帝国関係者ととして扱いを……」
当たり前だが、フェザーン・銀河帝国の二カ国しかないのに外務委員会は必要なのかという意見はかなり昔からあった。
それを説き伏せて外務委員会を設立したのはやはり人形師だった。
フェザーンとの通商問題や帝国との捕虜交換だけでなく、帝国内貴族との交渉によるチャンネル確保など作って見ると仕事はいくらでもあったのである。
フェザーン在住の高等弁務官も外務委員会に属しており、今回の内乱による亡命騒動で一番修羅場っている省庁でもある。
ヤンの説明にエリザベート嬢は了承し、これでヤンの仕事の八割は終わった。
残り二割は人質であるヤン自身が殺される事による『炭鉱のカナリア』なのだが、この時点でその可能性は低いとヤンは見積もっていた。
ベンドリング中佐にせよ、エリザベートにせよ理性的で自分の立場をわきまえている。
ここで暴発するぐらいなら、もっと前に自滅していただろう。
という訳で、ヤン待望の趣味の時間である。
最高級茶葉の香りを楽しみながら、雑談の形でヤンはそれを口に出した。
「同盟においても内乱の詳細はある程度入ってきております。
同盟は助けを求めた者の手を離したりはしません。
たとえそれが帝国貴族といえども。
とはいえ、こちらの事を尊重して手を握り続けている限りですが」
「色々言葉を選んでの慰めの言葉ありがとうございます。
とはいえ、戦に負けたのは事実。
敗者が語るのはおこがましく、ただ従うのみですわ」
同盟の情報網ではどうしても外輪部しか分からない帝国内乱の当事者に近い人物が目の前に居るのだ。
正規の裏取りなどは外務委員会や情報部にまかせるとして、ただ単純に歴史に残るであろう事件の内幕をヤンは聞きたかったのだ。
もちろん、情報の有用性を知っているだろうエリザベートはそのヤンの矛先をかわす。
だが、舌戦、特に己の趣味の領域での舌戦においてヤンはその才能を使わないつもりは毛頭無かった。
「本国では更新されていると思いますが、こちらの情報ではまだカストロプ領は落ちていませんでした。
エリザベート嬢がここに来ているという事は、失礼ですがカストロプ領は……」
あえて、肉親の話をふる事で彼女の表情を読んで次の矢を放とうとしたのだが、彼女の顔に浮かんだのは怒りでも悲しみでもない微笑でした。
「ヤン中佐。
一つ訂正を。
私、今回の内乱において帝国正規軍の軍人として動いていましたのよ」
「え?」
思わずヤンの口から間抜けな声が出てしまい、それが面白かったらしくエリザベートはコロコロと笑う。
ヤンの声にて今から述べる事が同盟への外交カードになる。
そう確信したからだ。
「私、コーディネーターなのですの」
貴族社会など上流階級における結婚はどうしてもいずれ血が濃くなる為に遺伝子障害などを発生しやすいのは人類が地球にいた頃から問題にされていた事である。
その解決の為に遺伝子治療は発達したのだが、その技術を突き詰めて人形師が生み出したコーディネーターという新人類は帝国内貴族に革命的衝撃を持って受け入れられたのである。
人類を越える体力や肉体、知能に容姿という分かりやすいそれを金と権力が有り余る銀河帝国貴族階級が手に入れない訳がなかった。
そういう観点から見ると、ヘルクスハイマー伯の亡命騒動にて暴露された遺伝関連のスキャンダルがいかに爆弾なのかが理解できるだろう。
実際にこの技術が確立してからの貴族子弟のかなりの人数がコーディネーターになっており、いずれは優勢人類による劣勢人類の支配なんて事態が起こっていた可能性もあった。
だが、彼らコーディネーターの貴族子弟は他の貴族子弟と同じく腐敗し、驕っていったのである。
人を人としてたらしめる教育が『自分は他者とは違う特別な人間だ』から始まっているのだから、そりゃ自我が肥大し驕るのも無理は無い。
人が人として生きていられるのも社会的要因と教育のおかげであると後にこの件について結論がでて、コーディネーター融和に役に立つのだがそれは先の話。
話をカストロプ令嬢に戻そう。
「父上は長く帝国中枢にいらして、いつ追い落とされるか不安でした。
その為、お付き合いのあるフェザーンを通じて、兄と私を作ったのだそうです。
兄は領地の統治の為に、私は皇太子の寵妃となる為に。
母方の遺伝子は教えられていませんが、この容姿から察していただければと」
(まるで競走馬の配合だな……)
とヤンが思ってしまうのをどうして責められようか。
血脈による富の管理と容姿や肉体などの好条件を遺伝レベルで作り出して次世代を造り、その次世代が家の存続の為に更に……
人為的科学技術がなければ人の世が延々と行っていた事の焼き直しでしかない。
「ちなみに、私の准将としての階級も寵妃の為なんですのよ」
「またどうして?」
「花畑から花を探すのと、荒地に咲く一輪の花を摘むのはどちらが簡単だと思います?」
「なるほど」
専制国家であるがゆえに、女の争いは民主主義国家であるヤンが想像する以上に深く陰湿である。
そこで確実に勝ち残る手段として軍人を選ぶとは、目の付け所が違うというか。
同時に、実力主義が蔓延している帝国軍において、飾りとはいえ准将位まで来た彼女が無能とも思えない。
これがコーディネーターとしての才能か彼女の資質かはヤンにも分からなかったが。
「失礼ですが、帝国正規軍に属していながら、なぜ亡命を?」
ヤンの質問に、エリザベートは当事者として思い出す顔で答えた。
「おそらく、同盟における帝国の内乱は一くくりにされていると思うのですが、あれは複数の対立が連鎖的に繋がったに過ぎないのですわ。
ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の対立が軸にはなっていますが、宮廷内でも我が父カストロプ公が帝国宰相リヒテンラーデ候の追い落としを図っていましたし」
財政崩壊の帝国の再建に尽力したリヒテンラーデ候はその功績で帝国宰相の地位についていた。
その下で実務を担当していたカストロプ公がその追い落としを図り、娘を皇太子の寵妃に差し出す。
ヤンの頭の中で少しずつ帝国内の権力闘争が整理されてゆく。
何しろ有史以来、権力闘争というのは戦争と並ぶ歴史の花である。悲しい事に。
「もしかして、皇太子も一枚噛んでいた?」
ヤンの質問は少々踏み込みすぎたものだったらしい。
エリザベートは微笑を浮かべたままその質問を聞き流した。
「クロプシュトック侯については私もよくは分かりません。
ルードヴィッヒが倒れたあのテロが発生した時、私はルードヴィッヒとの密会の為に離れてあの場に居なかったのです。
それが私の命を救いました」
エリザベートの質問にヤンは警戒を強める。
寵妃として差し出されたはずなのに、皇太子のそばを離れ、正規軍として動いた。
そんな芸当ができるのか?
「テロの首謀者がクロプシュトック侯であり、その狙いがルードヴィッヒとブラウンシュヴァイク公を狙ったものである事はすぐに判明しました。
そして、クロプシュトック侯の身柄を押さえる為に兵が動いた時に、私は皇帝陛下の前に出て愛しのルードヴィッヒを奪ったクロプシュトック侯を討つ勅命を欲したのです。
この船と私の旗下の艦隊は帝都にあったので」
さらりと美談のように語っているエリザベートの話の裏にヤンが気づかない訳が無かった。
どうして、テロ直後の混乱している帝都で皇帝を探し出して勅命を得るなんて事ができるのか?
微笑を浮かべるエリザベートの背後にあるどろどろした闇を感じてヤンは体を震わせる。
「あら?
室内温度が寒かったですか?」
「お気になさらず。
ですが、あったかい紅茶をもう一杯いただけませんか?」
「かしこまりました」
(限りなく何かあるが、踏み込むのはやめよう。
かつて人形師の秘密を知ってしまって、こんな所に居る羽目になったんじゃないか)
ヤンも趣味と興味が尽きないとはいえ、同じ失敗を繰り返したくはない。
人は学習する生き物である。
「この時点では、クロプシュトック侯のみを討つ勅命しか出ていませんでした。
その後、黒幕としてリッテンハイム侯と我が父カストロプ公討伐の勅命が出た時、私の拘束命令が出たそうですが、それを庇い私の身分を保証してくれたのがリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン中将なのです」
「……なるほど」
艦隊の出陣にはどんなに急いでも一ヶ月はかかる。
テロ当日に出陣ができる艦隊があった。
いや、同盟の情報部が集めたグリンメルスハウゼン中将の艦隊はそんな士気と錬度にはないはずになっている。
という事は、彼は飾りの頭であり、実務をやった連中がエリザベートの他にもいるはずなのだ。多分。
「グリンメルスハウゼン中将がこれほどの名将だったとは、同盟の情報部も大慌てですよ。
オーディン上空の艦隊戦において烏合の衆だった反乱軍に的確な攻撃によって撤退に追い込み、アルテナ星域にてフェザーンからの傭兵艦隊を撃破し、レンテンベルク要塞攻防戦において反乱軍から要塞を奪還したのですから」
ヤンの言葉におそらく現場指揮官か幕僚として参加していただろうエリザベートは楽しそうに笑った。
「そうですわね。
私が提供したこの船の指揮官席でいつも居眠りばかりしていましたわ。
ケスラー参謀長やミューゼル分艦隊司令なんかそんな姿を見てため息をついていらしたのですよ」
出てきたケスラーとミューゼルという言葉をヤンは忘れなかった。
そして、その名前の一つについてはヤンの人生に深く関わるのをヤンは知らない。
「お話できる限りでいいので、グリンメルスハウゼン中将の活躍をお聞かせください」
「勅命を得た時、艦隊を動かす正当な将官が私には必要でした。
帝国において女が艦隊を動かすのには抵抗があるのです。
私も教育を受けては居ますが、私兵ならばともかく正規軍を動かす時に兵がついてこれるとは思っていませんでした。
クリューネワルト伯爵夫人の元に居た皇帝陛下より信頼できる指揮官を紹介していただいたのが閣下だったのです。
艦隊戦の最中でも眠っておられた大胆なお方でしたわ。
閣下のお導きがなかったら、こうしてここでお話はできなかったでしょうね」
「若いの。
歴史に触れてみてどうだったかな?」
「ビュコック提督。
あのお方は相当の食わせ物だと判断せざるを得ません。
いずれ情報局の方でも似たようなレポートが出ると思いますが」
「そのご令嬢の実家の話だが、一週間前にグリンメルスハウゼン大将の艦隊によって制圧され、帝国は内乱の終結を宣言したよ。
若いのの妄想でいい。
長い宇宙の航海の暇つぶしに聞かせてもらえると面白いな」
「……おそらく、ルードヴィッヒ皇太子とブラウンシュヴァイク公とカストロプ公が組んで、リヒテンラーデ候を追い落とそうとした。
リヒテンラーデ候はクロプシュトック侯を使って、ルードヴィッヒ皇太子とブラウンシュヴァイク公を排除しようとし、生き残ったブラウンシュヴァイク公にリッテンハイム侯が犯人と唆した。
あのご令嬢の艦隊がクーデターの中核戦力だったんでしょう。
カストロプ公がテロ前に捕らわれていたか殺されていたかの理由でクーデター失敗に気づいた彼女は、体制側に寝返り実家を売る事で破滅を回避、機会を伺おうとした。
彼女にとって誤算だったのは、彼女の戦力が中核となったグリンメルスハウゼン艦隊の活躍で反乱軍が各個撃破されて体制側についたとはいえ、彼女の身の安全が危うくなった事。
だから、逃げ出したし、ここまであれだけの船団を維持できたんです。
そんな判断が彼女か彼女の幕僚にできる人間がいる。
食わせ物と私が判断した理由です」
「これはまだ未確定情報だが、貴官と入れ替えで乗船した外務委員会の外交官の話だと、ご令嬢は同盟ではなくフェザーンの亡命も考えているらしい。
カストロプ公の隠し財産の運営はあそこで行われていたからな」
「……いっその事、辺境惑星のコロニーをカストロプ公国にしてしまったらどうですか?」
ヤンのこのぼやきは後に同盟とフェザーン主導で実現する。
道化師がフェザーンに与えた旧同盟領の一星系に隠し財産と資本をかき集めたカストロプ公国が設立され、同盟とフェザーンがそれぞれ承認したのだ。
これによって、同盟は反帝国国家を手に入れ、フェザーンは同盟のご機嫌取りと余分な贅肉と化していた領土の一部スリム化に成功。
帝国の激怒については同盟は警戒しつつも鼻で笑ったが、フェザーンは帝国への財政支援と同盟をちらつかせた外交によってそれをかわす事に成功する。
これらの交渉に従事したフェザーン領主であるルビンスキーの名を高めたが、その代償として帝国の怒りを買った事が彼の治世に重くのしかかるのはこれからである。
なお、帝国内乱の論功行賞にてグリンメルスハウゼンは上級大将に昇進しただけでなく、内乱で荒れに荒れたクロプシュトック侯領を得る事になった。
彼自身は既に統治できる体と才能に無く、代官として赴任したラインハルト・フォン・ミューゼルが彼の死後に爵位と領地を次ぐ為の隠れ蓑と噂された。
彼の姉は現皇帝の寵妃であるクリューネワルト伯爵夫人。
宇宙はまだラインハルトを姉の下でおこぼれをもらった親族にしか見ていなかった。
緑の髪の女達以外をのぞいて。
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