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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第八章 望郷の小夜曲
  第三話 凍える湖

 
前書き
 短いですが勘弁を……。 

 
 日が沈み、空に月と星が輝く頃、トリステインの首都に明かりが灯り始める。その中で、最も明るく輝くのは、首都トリスタニアの中心、王宮であった。無数にある王宮の窓の多くは、眩い魔法の明かりが漏れている。しかし、明かりが漏れる窓もあれば、暗く闇に沈む部屋もあった。その中の一つ、王宮の数多くある部屋の中で、最も重要な部屋である執務室は、その中の一つであった。

「……どうして」

 星明かりが微かに照らす執務室の中、小さな疑問の声が響く。
 闇に溶けるように消えた問いからは、何の感情も感じられない。
 疑問を投げかけた人物。トリステインの女王である、アンリエッタ・ド・トリステインは、椅子に寄りかかりながら、闇に染まる天井を虚ろな表情で見上げていた。
 前に進むためと自分に言い聞かせ、始まった戦争は、誰もが予想外の結末で突然終わってしまった。

 アルビオンでの、これからという時に起こった一部王軍の反乱。

 連合軍上層部の多数の戦死。

 連合軍からの撤退許可申請。

 ……順調に進んでいた筈の戦況からの、唐突な撤退許可を求める報告。
 考えられない報告に、敵の偽装も疑われたことから、会議は紛糾した。それを枢機卿のマザリーニが何とかまとめ、撤退許可を送ったはいいが、突如現れたガリア艦隊が、アルビオン軍を降伏させたことから、さらに事態は混乱を極めることになった。
 そして今、トリステインの女王たるアンリエッタは、戦後処理のための会議に出席するための準備をしていた。
 戦争終結後、アルビオン軍を降伏させ、この戦争を終わらせた張本人たるガリアから、今後のアルビオンの処遇についての会議への出席を求めてきたのだ。これを断ることなど出来る筈はなく、トリステイン王宮の面々は、ガリアの考えが読めないことに不安を感じながらも、会議に出席するための準備を始めたのだった。

 アルビオンの今後の処遇についての会議は、言ってしまえば、この戦争の分け前を決めるための会議だ。この戦争で、連合軍に加わった国は、それなりの負担を被っている。それを取り返せるか、取り返せないのかが決まる大事な会議であり、失敗は許されないものであった。しかし、その会議に出席する最も大事で重要なトリステインの代表たる女王の心には、迫り来る会議への緊張感は、欠片も見出すことは出来なかった。
 いや、それどころかどんな感情さえも浮かんではいなかった。





 目の前が闇に沈む程の憎しみを持っていた。

 だから、闇を振り払い、未来へと進むために、その闇の元であるクロムウェルを、アルビオンの貴族派を消そうとした。

 なのに……何故だろう? 
 
 闇を振り払うために始めたこの戦争なのに、憎い敵がいなくなり、闇が消えた先には……何もなかった。

 何も……何もない……憎い敵が消えたことによる喜びも、開放感も……何もない。

 前に進むために始めた戦争なのに、憎い敵が滅び、視界を覆う闇が消えた先には、進むべき道も消えていた。

 これは、憎い敵を自らの手で滅ぼしていないからなのか?

 それとも、未だ憎い敵が死んだことに実感が持てないだけなのか?

 ……違う……そうじゃない……そういうことじゃ―――ない………わたくしはただ…………



「―――ただ……縋っていただけ」



 そう、縋っていたのだ……崩れ落ちそうな心を、ウェールズ様を殺し、その死さえ弄んだ貴族派を憎むことで保っていたのだ。
 クロムウェルが、貴族派が生きていた頃は、その憎しみの大きさが邪魔をし、その事実に考えが至ることはなかった。
 それが、憎しみを向けながらも縋っていた対象が消えたことから、縋るものがなくなった心が崩れ始める中、憎しみにより辿り着くことが出来なかった答え(真実)に辿り着いてしまった。
 虚空を見つめるアンリエッタの頬に、不意に細い銀線がスゥッ、と流れる。
 アンリエッタは、迷子の子供のような、不安に揺れる瞳で闇を見上げながら、震える声を漏らす。

「一体わたくしは……これから……どうすれば」

 アンリエッタの視線が、左手の薬指に嵌められた指輪。ウェールズ王子の形見である『風のルビー』に向けられる。指輪は、窓から差し込むか細い星明りに微かな輝きを見せていた。
 左手に顔を寄せ、縋るように指輪に頬を摺り寄せる。
 静まり返った執務室の中に、くぐもった声が響き始めた頃、執務室の扉が鳴った。
 のろのろと指輪から顔を離したアンリエッタだったが、扉の向こうにいる者に声を掛けることはしなかった。ノックの音が再度響く、しかし、アンリエッタは返事はしない。
 三度目のノック後、扉が開く。
 扉の向こうから、細い人影。
 枢機卿のマザリーニが入ってきた。
 アンリエッタは、マザリーニが入ってきたことに気付いたが、視線を向けるだけで、声を掛けることはなかった。
 
「準備の方は進みましたかな」

 閉じた扉を背に立つマザリーニが、窓から差し込む月の明りに微かに浮かび上がるアンリエッタに声をかける。そこで、初めてアンリエッタが返事を返した。
 
「……ええ」
「未だガリアの意図は読むことは出来ません。しかし、この会議に出席しないというのは有り得ません。分かっておられましょうが、我が国はこの戦争で国庫にかなりの損害を受けています。ですので、少しでも有利な条件を……聞いておられますか」
「…………ええ」
「ふむ……なら良いのですが、とにかく、会議で出来るだけ有利な条件を得てください」
「………………ええ」
「…………」

 話しかけてくるマザリーニに顔を向けず、ぼうっ、とした視線で虚空を見つめながら声だけで返事をするアンリエッタの様子に、マザリーニは微かに眉を顰めると、マザリーニは手に持った紙の束を見下ろし小さく溜め息を吐く。
 生返事を繰り返すだけのアンリエッタに、眉を顰めながらも近づいたマザリーニは、椅子に座るアンリエッタの前のテーブルの上に、バサリと音を立てて紙の束を放り投げた。アンリエッタは、ぼうっ、とした視線でテーブルの上に放り投げられた紙の束を見下ろし疑問の声を上げる。

「…………これは?」
「陛下が目を通す必要がある書類です」

 顔を向けずポツリと呟いたアンリエッタに、マザリーニが短く答えを返す。

「そう……後で目を通しておきます」
「いえ、出来れば今、目を通して頂きたい」
「……急を要するものならば、あなたにお任せします……今は……出来れ―――」
「今―――ッ、御目を通して頂きたい」
「…………」

 何もやる気が起きないアンリエッタにとって、書類に目を通すことさえ難しいものであった。そのため、マザリーニが提出した書類を確認することなく、アンリエッタは小さく首を振るだけだった。そんなアンリエッタの様子に、マザリーニは紙の束から一枚の紙を掴み取ると、無理矢理アンリエッタの顔に突きつけた。
 アンリエッタは目を細めながら、突きつけられた紙を掴むと、それを星明かりで照らし、目を顰めて見てみる。

「……名前?」

 アンリエッタの呟きの通り、闇に浮かぶ紙の上には、ぎっしりと名前が書かれていた。
 一体何の書類なのか分からず、アンリエッタが横に立つマザリーニを見上げる。マザリーニは一度目を閉じると、ゆっくりと目を開きながら、見上げてくるアンリエッタに対し、優しげに聞こえそうな程穏やかな声色で答えた。

「こたびの戦争での、戦死者名簿でございます」
「―――ぇ?」

 パサリ、と乾いた音が聞こえた。
 アンリエッタの身体が、不安げに揺れる瞳が、凍ったように固まる。
 テーブルに落ちた紙を見ることなく、アンリエッタは静かな瞳で見下ろしてくるマザリーニを見上げている。

「せん、ししゃ?」
「その通りです。貴族だけでなく、貴賎を問わず、分かる限り此度の戦争で死んだ者の名が記しております」
「―――わた、くし、の……せい……なのですか」
「……違う……と言って欲しいのですか」

 息を吹きかけるだけで、崩れ落ちそうな様子のアンリエッタに、マザリーニは変わらない静かな瞳で応えた。
 
「全てがそうとは言いません。アルビオンとの戦争は時間の問題であり、陛下はそれを少し早めただけにすぎません」

 マザリーニは、視線をアンリエッタからテーブルの上に散らばる紙の束に移す。

「彼らが何のため死んでいったのか、陛下にはわかりますか」
「……わか……り……ません」

 ポツリポツリと途切れ途切れに応えるアンリエッタに顔を向けず、マザリーニは戦死者の名前が書かれている紙の上を撫でる。

「陛下のため、国のため……それも有りましょう。しかし、彼らが真に想っていたものは、親であり、子であり、恋人……身近なものです。そして陛下」

 マザリーニの硬い視線が、アンリエッタを貫く。

「―――それらが集まったものが、国なのです」
「……っ……」

 先ほどとは違う、マザリーニの余りにも強い視線と口調に、アンリエッタは呼吸困難になったかのように口元がパクパクと動く。
 マザリーニは、そんなアンリエッタに構うことなく言葉を続ける。

「そして……その国を守る者が、女王たるあなたです」

 断言するように、キッパリと言い切ったマザリーニの言葉を受けたアンリエッタは、暫くの間、沈黙を保っていたが、やがて小さく呟くように口を開き始めた。

「………………あなたは……どうしろと言うのですか? あなたでしたら気付いていた筈でしょう……こたびの戦は、わたくしの復讐から始まったものだと。あなたは戦争が始まるのは時間の問題であったと言いましたが、起こらない可能性もまたあった筈です。起こったとしても、もしかしたらずっと先のことで、この戦で、死ぬ筈のない人が死んだかもしれません」

 アンリエッタの指が、戦死者の名前の一つをなぞる。

「復讐に目を眩ませ、皆を死に追いやったこのわたくしに……一体どうしろと……責任を負い、死ねばよろしいのでしょうか」
「それが何になりましょうか」

 何処かそれに期待するかのような口調で言葉を口にするアンリエッタに、マザリーニの冷たく冷静な声が向けられる。

「陛下が死んでも、何の解決にもなりません。死んで楽になろうだなことは、決して許されはしません。王となることを陛下が決断された時から、陛下は逃げることは許されなくなったのです。罪の意識に苛まれ、眠れぬ日々が続こうとも、死んだ者達の縁者から罵倒されようとも、陛下は罪を抱えたまま、生き続けなければならないのです。生き続け、死んでいった彼らが守ろうとした家族を、国を守っていかなければならないのです」
「……わたくしには……死ぬことさえ……許されないのですか」

 戦死者の名が記された、紙の上に置いた左手の薬指に嵌められた指輪を見つめながら、アンリエッタは平坦な声音で呟く。
 
「王になど……ならなければよかった」
「後悔しても、もう戻ることは出来ません」 
 





 戦死者名簿に目を落としたまま、微動だにしないアンリエッタに小さく頭を下げたマザリーニが、静かに執務室から出て行く。
 一人残ったアンリエッタは、マザリーニが出て行く前からの姿勢を、暫くの間続けていたが、窓から差し込む星光が、中天に座した双月の光に変わる頃、アンリエッタの手が動いた。
 カサリと乾いた音を立てながら、紙束を掴んだアンリエッタは、それを月明かりに照らしながら読み始める。
 戦死者名簿に記載された者の数は多く、一人一人の名を覚えることは出来ない。
 それをアンリエッタは、名簿に記載された者の名前を一人一人口にしながら読み進めている。
 名前を読むのではなく、呼びかけるように口にし、その者が確かにこの世界で生きていたことを胸に刻み付けた。
 名前を呼びながら、心の中でその相手に赦しを請おうしたが、死に追いやりながら、赦しを乞うなど許される筈がないと思い止まる。


 
 赦して下さい……ですか。

 許される筈のないことに対する赦しを乞う……それは、初めてではない。

 何も感じなくなった筈の心に、柔らかな暖かい光りが小さく灯る。

 誰もが、自分でさえ自分が赦せなくとも、赦してやると言ってくれた人がいた。

 わたくしを女王ではなく、ただ一人の少女として見てくれた人。

 救い、赦してくれた人。

 大切な友人の使い魔。

 今でも鮮明に思い出せる、あの時、震える身体を抱きしめてくれた力強い腕の力……身体の熱さ。

 溶けてそのまま一つになってしまいそうなほど、熱く甘い口づけ。



 崩れ落ちかけた心が、柔らかなものに包み込まれる。
 冷え切った身体に、死者に引きずられ、自分もまた冷たい死者になりかけていた身体に微かに熱が灯るのを感じながら、アンリエッタは戦死者名簿を読み進める。
 どれだけの時間が経ったのだろうか。
 ただでさえ数の多い中、一人一人の名前を口にしながら紙を捲っていたことから、最後の紙を読み始める頃になると、窓から覗く空は白み始めていた。
 アンリエッタは月光ではなく、朝日に照らされる紙に記載された名前を読み進めている。
 
「―――リア・カレント……エミ―――」

 しかし、それまで淀みなく読み勧めていた筈の口が、最後の一枚の末尾に書かれた名前が目に入った瞬間止まり、力が抜けた指の隙間から手に持った紙が床に落ち始め、後を追うようにアンリエッタの身体が床に崩れ落ち始めた。


 
 戦死者名簿の最後の一枚。



 その最後に書かれた名前。



 その名が目にした時、微かに灯っていた筈の暖かさが消え。



 心と身体が凍りつく。



 意識が……心が深い……深い穴の中に落ちていく。



 抗う気力も意志もない。



 急速に闇に沈み始めた意識の中、アンリエッタが最後に口にしたは、



「―――エミヤ―――シロウ」

 

 唯一人、赦すと言ってくれた人の名前であった。 


 
 

 
後書き
 皆さんにお聞きします。

 地の文のセイバーを何と書いたほうがいいですか?

 セイバーですか?

 アルトリアですか?

 教えて下さい。

 感想ご指摘お願いします。 
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