少女1人>リリカルマジカル
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第三十話 少年期⑬
『約束』
当事者の間で取り決めるきまりのこと。口で言ったり、紙に書いたりすることもあるが、基本的なところは同じだろう。今、あるいは未来において実行に移すことを保証すること。人間関係を円満にするにはとても大切にしなければならないものだ。
俺だって約束を破るような人は信用できないし、そんな人とあんまり関わりたいとも思わない。そんな風に俺も思われたくないので、俺自身も約束は守るように心がけている。不可抗力でできなかった場合は謝るし、それに破らないように頑張るぐらいはするもんだ。
あと子どもの頃は簡単に約束とか言えたけど、大人になるとここらへんがかなりシビアになるよな。約束を使うハードルが高くなるというか。社会の目もあるし、人間性とかも問われたりとかさー。
……まぁでも、子どもの世界でもシビアなところはあるか。「将来お嫁さんにしてね」という恋愛フラグをたてる漫画や小説結構見たし。果たして将来は純愛かヤンデレか黒歴史か。場合によっては、子どもの時の約束ほど恐ろしいものもないのかもしれん。
と、考えがまたふらふらしてしまったので話を戻そう。とりあえず俺は、約束は大切なものだと思っている。だから我が妹であるアリシアにも気を付けないとダメだぞ、と伝えたことがあった。それに元気な返事を返してくれた素直な妹である。
そんな経緯もあってか、アリシアは約束したことはしっかり守ろうとする子になった。お風呂場でこけた事件以後は一度も走ることはないし、夜更かししないと決めてからは母さんを心配させないために早く眠るように心がけていた。それにえらいぞー、って褒めると嬉しそうにはにかむのだ。なにこのかわいい生き物。
とまぁ、これはこれで良いことである。このまま真っ直ぐに育っていってほしいと思うのも当然の願いだろう。このことに問題はない。
むしろ問題があったとすれば、それはただ俺自身がそのアリシアの真っ直ぐさを少々過小評価してしまっていたことだろう。まさか1年以上も前にぽろっと出してしまった口約束を、ここまで真摯に考えてくれるとは思ってもいなかったのだ。俺自身はすっかり忘れていたのだから。
時間にして約2時間。アリシアはその約束を守るために俺にずっと付き合ってくれた。それに便乗した母さんも、妹と一緒になって頑張ってくれた。本当に2人が俺のためにやってくれたのはわかったんだ。だけどさ……。
「お兄ちゃん、お母さん! これなんていいんじゃないかな?」
「あら、いいわね。色合いも悪くないし、デザインもかわいらしいわ」
「でしょ。あ、でもこっちのデザインもいいなぁ。むむぅ……」
「えっと、アリシア。もう十分だと思うんだけど」
「ダメ! ぴったりのお洋服見つけてあげるって約束したもん。お兄ちゃんが私に頼むって言ってくれたことだもん!」
アリシアのやる気というか迫力に、水を差してすいませんと謝ってしまった。思い出したけど、確かみんなでお花畑へピクニックに行く前に買い物の話をしたかもしれない。その時はずっと先のことだったし、軽い気持ちで頼んだ気がした。
その約束がまさか、2時間以上着せ替え人形になるフラグだったとは思ってもいなかった。買い物かごの中は俺とアリシアの服で埋まっている。服を見つけては試着をするの繰り返し。『女性と服を買う』ということが、こんなにも体力・精神力を使うものだったと久しく忘れていた。
「……女の人ってすげぇな」
『ますたー、目が若干死んでいますよ』
女性の多くには謎パワーがあると俺は思っている。普段は運動があんまり得意ではない人もこの時は何時間でも動き続けられる。集中力があんまりない人も、何時間も集中でき、細かい部分から経済的な部分までも見抜く目を持つ。
買い物時の女性はきっとスター状態なんだと思う。つまり敵わない。前世でも今世でもそういうところは変わらないと俺は思っている。男性人でも疲れない人はいるらしいけど、俺はこういうのはどうも苦手だ。服とか別におかしなものじゃないなら基本なんでもいいし。
『ますたーってところどころ無頓着な部分がありますよね。衣服とか装飾品とか。興味が薄いといいますか』
「うーん、どうもなぁ。どうでもいいって訳ではないんだけど……」
「あなたってこだわりがあるところは妥協しないけど、基本大雑把なものね」
母さんが口元に笑みを浮かべながら会話に入ってきた。その内容に俺も乾いた笑みが出る。母さんとコーラルの言うとおり、俺ってかなり適当なところがあるらしい。もう少し興味を持った方がいいんだろうけどなー。
「悪いわけではないけれど、気にかけておいてもいいと思うわ。特に女の子はそういうところに厳しい子もいるから」
「うぐっ。……わかった」
「ふふっ」
俺の頭を優しく撫でながら忠告してくれる母さん。まだ6歳だからそこまで気にしていなかったけど、俺だっていつかは彼女をつくって結婚とかしたいと思うし。気配りができる男にはなりたいよな。せめて顔には出ないようにしよう。
「そうね。だからもう少しだけアリシアに付き合ってあげて。あの子お買いものができるってすごく張り切っていたから」
「あ、うん。俺も選んでくれているのは嬉しいから別に。それにしても、アリシアがあんなにもお買い物が好きだったなんて知らなかったよ」
「それもあると思うけど、……きっとあなたに頼られたのが嬉しかったのね」
母さんの呟いた言葉に俺は首をかしげたが、そこで服を手にこちらに向かってきた妹を見つけたので意識をそちらに移す。
アリシアは俺たちの前で止まり、見て見てというように持って来た服を見せてくれた。その目はキラキラと輝きながら、こちらの反応を窺っているようだった。その様子にまるでワンコみたいだな、と想像してしまい小さく噴き出してしまった。
「む、なんで笑うの」
「ごめんごめん、ただの思い出し笑いだよ。うん、その服いいと思うよ。アリシアも自分の欲しい服は見つかったのか?」
「あ、うん。だけどどっちの色にしようか迷ってて……。お兄ちゃん、選んでくれる?」
「あぁー、いいけど。あんまり俺のセンス期待するなよ」
「はーい」
いや、そこはそんなにいい返事を返さなくても。元気よくうなずく妹。俺ってそんなにセンスがないように見えるのか。……見えるんだろうなぁ。それに少し落ち込みながらも、俺は店の奥に行くアリシアの後を追いかけていった。
『なんだかんだで仲がよろしくて何よりですね』
「えぇ、本当にね」
******
さて、今日は家族でデパートへとやってきました。さすがにリニスをデパートに連れて行くのは難しかったため、今日はおとなしく家で待ってもらっている。それにケージの中に入るの、リニスはわりと本気で嫌がるし。現在冬真っ只中だから、家でぬくぬくしているのだろう。
なので、コーラルを入れて俺たち4人で買い物に来ることになった。もう2ヶ月ぐらいで始まるであろう学校の準備を揃えに来たのだ。学校で必要な道具や、服などを買い物メモを見ながらみんなで選んでいた。
「ふぅ、結構買ったなー。学校の準備って大変だわ」
『そうですね。学校側からある程度は用意してくれますが、必要な物も多いですしね』
「学校かぁー」
現在母さんと俺たち3人は別行動をしている。というのも、さすがに疲れた俺とアリシアがベンチでダウンしているのが現状だったりするけど。遠くに行かないことを約束して、母さんは残りの買い物を済ませてくれていた。
そんなわけで、俺たちはおしゃべりをしながら待つことにした。学校のことについて話していると、アリシアからぼんやりとした口調でつぶやく声が聞こえてきた。たぶんまだ学校のイメージがわかないのだろう。学校選びの時もよくわからなさそうにしていたし。
前に学校のパンフレットを見せてもらったけど、ミッドって学校がそれなりの数あるのだ。人口が多いのもあるが、専門学校が多数あるのも大きいのだろう。
「結局は2人とも普通の魔法学校に通うことになったけどな」
『ますたーもアリシア様もリンカーコアはありますからね。マイスターもできれば同じ学校にしたいとおっしゃられていました』
春から通う学校はクラナガンにある初等部・中等部が合体したそれなりの規模がある魔法学校である。大きいのは生徒数が多いこともあげられる。多種の専門教科を学べ、普遍的な知識と魔法についても勉強できる。将来の選択肢が広げやすくなっているのだ。日本の小学校に魔法や選択教科も増えた認識でいいと思う。そのため授業時数も増えている。
あと魔法の基礎を学ぶことが目的にもあるため、魔法が使えなくても知識を学びたいということなら実は入学はできたりする。魔法を教えない普通科の学校に、リンカーコアを持った子が入学できるのと似たようなもん。リンカーコアが必須って魔法学校もあるけど、俺たちが入学するところはそんなに厳しくない。たぶんアリシアのことも考えて、母さんが選んでくれたのだろう。
『……ますたーは本当にその学校でよろしかったのですか? 将来なりたいものは決まっているのでしょう。魔法ももっと専門的に学べるところもありましたよ』
「確かにそうかもしれないけど、急ぐ必要もないじゃん。必要なら今までみたいに自習したらいいさ。アリシアと一緒に勉強したいし、子どもらしく遊びたかったしね」
コーラルの質問に俺はそんな風に返答する。ちなみに本心である。魔法は色々学びたいけれど、専門家になりたいかと言われれば違うと思う。将来性の高いところに行くのもいいけど、独り立ちを急いているわけでもない。今は子どもなんだから自由でいいじゃん。急いで働きたくないでござる。
そういえばリリカル物語って、就業年齢めっちゃ低かった印象があったな。嘱託をしていた9歳のなのはさんやフェイトさん、はやてさん。同じく9歳で遺跡発掘しているユーノさん。14歳で執務官をしていたクロスケ君、と前世の価値観で考えるとおいおいと思ってしまう年齢である。
もちろん彼ら自身が選んだ道なのだから深くツッコむつもりはない。でも原作に出ていた人物たちの年齢が総じて低かったのも確か。そういう世界だってわかってはいるんだけどさ。そんなに幼い子どもが仕事に就くってなんか怖くないのかな。年齢ってやっぱり経験や知識と比例していることが多いし。
でも10代で仕事に就いて頑張っている人が、この次元世界にはそれなりにいる。一応地球のように学生として過ごす人の方が全体数は多いけれど。だけどどうしてそんなことができるのか。特殊な環境だから、という理由だけじゃ難しいはずだろう。
そんな俺の疑問を解消してくれたのが、次元世界にある学校であった。日本の学校を基準に考えていた俺としてはかなり驚いたな。ここでは学校自身の特色がものすごく出ていたのだ。
簡単に言うと、初等科の時点で大学のように専門が分かれていたり、選択出来てしまうらしい。普通科の学校と魔法科の学校でまず道が分かれ、そこから魔法関係、技術関係、医療関係などの専門を選んでいく。小学生でだ。早ければ10代、才能があれば1ケタの年齢で資格だってとれてしまう。
10代で仕事に就いている人は、大抵初等部の内に専門的な知識を中心に勉強しているそうだ。確かに社会人になった記憶があるからわかるけど、仕事に就くと普遍的な知識より専門的な知識の方が使う場面が多くなる。知識はあるのだから即戦力としては使えるのだろう。経験だって後からついてくる。俺としては、そんな考え方もあるのかとびっくりしたな。
とまぁ、細かいところは多々あるが割愛しておこう。要は幼い内に将来を決めている人は、さっさと将来に向けて勉強することができる環境というわけだ。もちろんまだ決まっていない人の方が多いだろうけど、その時は普通に学校に行って、好きに選んでいけばいい。20代から仕事に就く人だっているんだし。
俺としては普通に進学していくつもり満々である。ゆっくり勉強して、やりたい専門教科を習って、10代後半か20代ぐらいにでもちゃんと考えたらいいやと思っている。別に早くから自立しなくてもいいよね。母さんのご飯おいしいし、1人暮らししたいとも思わないし。ぶっちゃけそんなに難しい勉強もしたくない。
『あぁ。つまり根本的なところがずぼらなのですね』
「子ども時代謳歌して何が悪い。最終的にヒモにならなければいいんだよ」
『うわぁ…』
……親孝行はちゃんとできるように考えてんだからいいだろ別に。
「お兄ちゃんって学校のこと詳しいよね」
「え? あ、まぁうん。ちょっとはね。なんか気になることでもあったのか?」
「その、学校ってお勉強するところなんだよね。先生がいて、たくさん子どももいて……」
あっているかな、というように俺の目を見つめる妹に俺はうなずいてみせる。アリシアが学校を楽しみにしているのは知っている。学校が決まった時なんて実際に見に行ってみたい、と一緒に見学したこともあった。新しい勉強道具に嬉しそうに笑う姿も見ていたからだ。
だけど何か心配なことでもあったんだろうか。俺が話の続きを促すと、アリシアは少し顔を俯かせる。それに金色の髪が肩から前に垂れ下がり、妹の膝の上に舞った。
「あのね、私……お友達できるのかなって」
「あぁ、なるほど」
肩をすぼめながら話す妹の姿に、俺はアリシアが不安に思っていることがようやく分かった。長い間俺たちは同年代がいない環境で過ごしてきたのだ。クラナガンへ正式に引っ越して来たけど、まだ1ヵ月ぐらいしか経っていない。どう同年代と関わったらいいのかわからないと緊張して当然か。
そんなのいつも通りで大丈夫だよ、と俺は思うけどそれをそのまま伝えるのは無責任な気がする。アリシアなら、きっとすぐにでも友達ができると思うけど。でもこればっかりは気持ちの問題だよな。その一歩さえ踏み出せれば、自信になるはずなんだろうけど。
俺自身も妹の交友について今まで考えなかったわけじゃない。今度公園にアリシアも一緒に連れて行こうかな、と俺なりに思っていたぐらいだ。その時にでも、友達作りの場をつくってあげれば大丈夫かなと考えていた。
みんな気のいいやつらだったし、俺から紹介すれば妹もすぐに輪の中に入れてくれると思う。正直それでいいかな、と俺は思いをめぐらせていた。
俺自身はアリシアにはやっぱり笑っていてほしいと思っている。過保護かもしれないけれど、そのためなら色々手も回すし、話だって通しておく。俺が常に前へ出ていれば、アリシアが傷つくことも減らせるはずだ。そんな風に俺は考えていた。……でもこれって、本当にアリシアのためなんだろうか。
「――きゃッ!」
「へっ?」
思考に耽っていた俺に小さな悲鳴が耳に入った。音の方に顔を向けてみると、妹の髪と同じ金色の髪の女の子が転んでいるのが見えた。荷物を手にいっぱい持っていたからか、受け身もとれず顔面から床に倒れこんでいる。うわぁ、あれは絶対に痛い。というかあの子ピクリとも動かないんだけどッ!?
荷物が床に散乱し、周りの買い物客も驚きに固まってしまっている。俺もいきなりのことに動けずにいたが、ふと気づくと視界にもう1つ金色を見つける。その金色の持ち主は、真っ直ぐに倒れている女の子に向かって全速力で走っていった。
「……なんか、アリシアにはいらないお節介だったのかな」
『アリシア様はお強い方です。守ってあげることは大切ですけど、見守ってあげることも必要ですよ。それに、ますたーの後ろにずっといる方でもないですから』
「うん、確かにそうかもしれないな。なぁ、荷物番お願いしてもいいか? 散らばっている荷物拾ってあげたいし、怪我をしているなら係員さんに知らせないといけないから」
『はい、もちろんですよ』
コーラルに荷物番を頼み、俺もアリシアと同じようにその子のもとに走った。いくつかの荷物は傍にいた人たちが拾い集めてくれており、俺もそれを拾いながら女の子の所に向かう。幸い大きな怪我もなかったようで、アリシアの呼びかけにゆっくりと起き上がった女の子。その後その子はあわわ、とあわてながらも恥ずかしそうに心配している妹と話をしているようだった。
最初は不安げだった妹も、その子と話をしていく内に顔の固さがなくなっていった。お互いに表情が柔らかくなり、くすりと笑いあっている。真っ赤なおでこに照れ笑いをする女の子と、その綺麗な痕に気遣いながらも吹き出すアリシア。あ、怒られてる。
ずっと俺の後ろにくっついていた妹。俺が守ってあげないと駄目だと思っていた存在。だけどそんな関係も少しずつ変わっている。人間、ずっと幼いままでいることはない。そんな当たり前なことを忘れていた。
俺はそんな自分に呆れながらも、楽しそうに話す彼女たちの会話の中に入っていった。
******
「そんなこんなで、妹のお友達デビューはできましたとさ」
「そりゃよかったな」
次の日、俺とエイカは表通りの道を歩いていた。昨日あった話をすると、はいはいと肩をすくめながらも聞いてくれる。なんだかんだで律儀な性格だよな、エイカって。
「でさ、その子も俺たちと同じように学校に行くために買い物をしていたみたいなんだ。しかも同じ学校だったみたいで、アリシアそれ聞いて嬉しそうでさー」
「はいはい。……学校ね」
小さなつぶやきをこぼすエイカに俺は少し口を噤む。どうかしたのか、と聞きそうになったが気づかなかったふりをしてそのまま話を続ける。でも話題は変えておいた方がいいかな。なんかあんまり触れてほしくなさそうなのはわかるし。
エイカもすぐに、いつも通りのふてぶてしそうな表情になっていた。エイカみたいなタイプは初めてだから、距離感がちょっと難しい。いったいどこまで踏み込んでいいのやら。予想だけど、多分その距離感を間違えればこの関係は終わる気がするのだ。
エイカも俺のことを聞いてきたりはほとんどしない。それはきっと遠慮ではないと思う。明確に壁が作られているのが感じ取れるし。なら俺は気づかないようにすればいい。相手が嫌がっているのなら俺は干渉しない。でもフォローできるならする。そんな距離感が、俺とエイカの中で当たり前になっていた。
「そうだ。なぁなぁエイカ。今度妹を公園デビューさせてあげたいんだ。新しくできた友達も一緒に」
「はぁ? ……まぁいいんじゃねぇの。あいつらノリが良過ぎるぐらいアレな集団だし」
「ノリいいよねー、本当に。この前やった『地球の遊びを体験しよう大会』も盛り上がったよな」
思い出すのはいつもの子ども達との楽しいふれあい。少年Cがハメをはずし、少年Aが巻き込まれ、少女Dが取り押さえ、少年Eはわれ関せず駄菓子を頬張り、少年Bがすべてにツッコむ。ツッコミ終わってほっとした少年Bの横で俺がさらに場を混沌とさせ、エイカが最後に沈める。だいたいこんな毎日である。
「なんだろう。それにお前の妹が加わるってまじか。絶対マシなことにはならない予感しかしないんだが」
「ご期待に添えそうでなにより」
「否定しろよ」
うちの子は喜んでカオス空間に突入できますから。
「……でだ。ぐだぐだ喋りながら歩いていたけど、ここが向かっていた目的地であると」
「そうだよー。なんでそんなに『うわぁ…』みたいな表情するのさ」
目的地に到着した途端、めちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。
「なんだこの異界」
「いや、普通にお店なんだけど。確かにカオスだけど、気づいたらどっぷり飲み込まれている場所ではあるけれど」
「説明聞いてもっと関わりたくないんだが」
俺が今日エイカとやってきたのはお馴染み『ちきゅうや』である。店主の趣味が暴走してできたお店なので、店主の影響がもろに現れる。音楽にはまっていた時は表にレコードやらが並び、漫才にはまっていたら小道具が置かれ、プチ漫才大会がなぜか店先で行われる。
簡単に言えば、店の前を見れば店主が現在はまっているものがわかるのだ。時々とんでもないものが置かれていることもあり、驚いた地域住民が管理局に通報してしまったこともしばしば。でもめげない店主。法律に引っかかりそうな物は、置かないように気をつけてはいるらしい。
「けど面白いものもここにはいっぱいあるんだぞ」
「お前の言う面白いものは、店先に置かれている5メートルはありそうなサメの模型以外にもあるのか」
それを肯定できてしまう悲しさ。店先に置かれているサメを俺も眺める。絶対映画ではまったんだろうな、店主さん。本当どこの世界に、店の前に巨大なサメのオブジェを飾る所があるんだよ。ここサメ専門店じゃないだろ。海も特に関係ないだろ。遊園地じゃないだろうが。これ設置した時、絶対どや顔だったんだろうな。……うん、実は俺も結構混乱していたみたいだ。
さすがにこれは撤去されるんじゃね。通行人ビビっているし、なにより通行の邪魔だ。どうやって設置したのか気になるが、ここファンタジー世界だしな。やり方も人物もぶっ飛んでいてもおかしくない。
「って、おい。やっぱり管理局員来たじゃねぇか」
「あ、本当だ。――あれ? あの人どっかで見たことが…………あ、くまさんだ」
「……お前、絶対背丈と色でそれ決めただろ。そのあだ名」
エイカは同情の眼差しをくまのお兄さんに向けた。
「あ、サメ見て驚いている」
「普通あんなのあったら驚くだろう。……恐る恐る触りだしたな」
「未知との遭遇だね。お、デバイスで撮影しだした。しかも辺りを見回してから記念にツーショットも撮るとはなかなか」
「お前知り合いなんだろ。声かけないのか」
「俺は今見守り精神に目覚めているから」
エイカはさらに憐憫の眼差しをくまのお兄さんに向けた。
「こんにちはー、店主さん」
「おぉ、アル坊か」
その後、公務を思い出したらしいくまのお兄さんが店に入り、店主と話をして帰っていった。さすがに通行人の心の平和のために必要なので、撤去をお願いしたらしい。店に売られていたサメの映像記録を、ひっそりくまさんが買って帰ったところまでじっくり眺めてから、俺たちは店に入った。仕事中だったし、挨拶は後日でいいだろう。
店に入ると相変わらず元気そうな店主さんがいた。うん、やっぱりめげてない。俺の声に店の整理をしていた手を止め、こちらに視線を移す。すると俺の後ろにいるエイカを見つけて目を見開き、にやりと口元をゆがませた。
「へぇ、アル坊もやるじゃないか」
「いやぁ、それほどでも」
「おい、なんの話だ」
店主さんと同じような表情を俺も作る。それに不気味そうに怯むエイカ。本日エイカをこのお店に連れてきた真の理由が、今明かされる。
「わかっているさ。お前さんが……新たなる布教者だろ」
「――やばい。俺が知らない間に何かにカテゴライズされている」
「こーら、逃げない逃げない」
店主さんの言葉を聞き、すばやく逃走を謀ったエイカ。そこは逃亡するだろうとわかっていた俺が襟首をつかんで確保したけど。ぐほォッ!?、という声が店に響き渡った。
その後に涙目で頭をはたかれたが、とりあえず説明を試みてみた。最初は猫のように毛が逆立っていたエイカも、俺の説得に少しずつ落ち着きを取り戻していく。どうやら話を聞いてくれるようにはなったみたいだ。
「……つまり布教っていうのは、要はこの店の宣伝をしろってことか」
「そうそう。俺ここでバイトしているんだけど、人手不足だからさ。エイカも一緒にやらないかなーと思って」
この前子ども達とやった遊びも布教の一環だった、と告げると遠い目をされた。全力を出すと決めたからには俺はやるよ。現在のターゲットは子どもに絞り、認知度の底上げを目指している。子どもが釣れれば親が釣れる。まさに芋づる方式。せこい? 給料かかってんだよ。
それに実際人手不足も事実である。店主さんからも事前に布教者が増えることに賛同をもらっている。あとはエイカをここに連れてきて話を聞いてもらおうと思っていた。エイカの事情はわからないけど、俺なりに何かフォローできないかと考えて思いついた方法。
無理強いをするつもりはない。でもエイカの中の選択肢を広げることはできる。そんな風に思って。
「ふーん。というかなんでわざわざ俺なんだよ」
「いやさ。せっかくだったら友達と一緒にやりたいなーって」
「うっ。そ、そんな理由かよ」
声が上擦ってますよ、エイカさん。意外に直球とか予想外のことに弱いよね。反応が面白いからそのままでいてほしいところです。それにしても、やっぱり声をかけて正解だったかも。1人より2人の方が効率もいいし、俺も楽しいし。素晴らしきは友情だよね。
「ん? そんな理由だったのか。俺はてっきり前に新しいバイト員紹介したら、紹介料として給料上乗せしてやるって言ったのが理由だと思っていたんだが。前にアル坊、友達に流されやすいのが1人いるって言っていただろ」
「…………」
待ってエイカさん、マウントはまずい! この体勢は俺にも周りの目にも非常によろしくないからッ!! あと超いい笑顔で笑わないで! 友人の初笑顔という心温まるシーンがこれってないよッーー!?
******
「えーと、とりあえず。エイカ的にはバイトはどうなの?」
「まぁ、給料がもらえるっていうのは魅力的だが」
引っ張られまくった頬に手を当てながら、俺は先ほどの話の続きに戻った。それにしてもちくしょう、店主め。覚えていろよ。引っ張られている間、ずっと腹抱えて爆笑しやがって。今度は奥さんが超笑顔になりそうなことを色々ふき込んでおこう。
「宣伝が苦手だったら店番でもいいんじゃね? この店って雰囲気がかなり独特だから、ご新規さんが尻込みしちゃうんだ。でも店に子どもや犬猫とかがいると入りやすいじゃん」
「いや雰囲気もあれだが、まずはサメのリアル模型置くような店に普通来れねぇだろ。あと俺は犬猫と同じ扱いか」
「その混沌さがこの店のチャームポイントだと誤魔化しながら、頑張って宣伝するのが俺たちバイトの役目だろ」
「それがミッドに浸透したら何かが終わる気がするんだが。……それと、さり気なく俺をカウントするな」
エイカにぐちぐち文句を言われたが、最終的にはOKをもらうことができました。やはりバイト料とバイト員特典をチラつかせたのが勝利のカギだったか。新商品のインスタント食品でここまで釣れるとは。俺ですら一歩引いた、少年Eとの食い物談義は熱かったもんな。
あとは子どもらしく漫画やアニメ見放題も効いたらしい。やっぱり子どもを魅了するのはこういうものだよな。日本のテレビコーナーに映るウルトラな方や、はやてさんのように狸と認知されてしまうロボットの話。改めて見てもつい見てしまう。これが名作か……。
「この髪いったいどうなってるんだ。ここまで盛ってクルクル巻けるって。服も全員熱そうなものしか着てないし…。しかもなんで宮殿ってこんなにも広くて、豪勢にしなきゃだめなんだ? わけわかんねぇ。でもこういう戦いもあるのか……」
「あの、エイカさん。こっちのアニメはいいの? 確かにそれも名作には変わりないけど」
ぶつぶつ言っている内容はアニメのツッコミっぽいけど、めっちゃ真剣に見ている。まさかそのアニメに嵌るとは予想外だった。熱いストーリーだってのは聞いたことがあったけど、実際に視聴したことがなかったから何とも言えないのだが。まぁ、いっか。
それからアニメを2人で見て、感想を言い合いながら『ちきゅうや』での時間は過ぎて行った。その後、お店の常連さん達に挨拶をしたり、店内の掃除を一緒にしたり、店主さんからもらったお菓子を頬張ったりした。なんだかんだでエイカの弾んだ声が聞けて良かった。
少しずつでも変わったり変えていったりする世界。将来はどうなるのか漠然としているけれど、こんな風に楽しく笑っていられたらいいな。おいしそうに饅頭を食べるエイカを見守りながら、俺も最後の一切れを完食した。
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