剣の丘に花は咲く
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第八章 望郷の小夜曲
第二話 友達
前書き
投稿遅れに遅れてすみませんm(__)m。
エタってはいません。
エタりません。
本当にごめんなさい。
「―――そしてぼくが突撃と高らかに指示を下すと、勇猛果敢な我が部隊は次々に襲いかかるオーク鬼どもに銃弾を叩き込んだ! だがしかし、敵は怯むことなく襲い掛かる、このままでは押し切られてしまう。そんな時、ぼくの魔法が炸裂したっ!!」
魔法学院のとある教室の中に、ギーシュの声が響く。
ギーシュが高らかに杖を掲げると、息を飲んで真剣な顔をしてギーシュの話を聞いていたギャラリーからおー、と言う感嘆の声が上がる。ギーシュはギャラリーの反応に調子を良くすると、更に声を大きくする。
「ふっふっふ。ぼくが杖をひとふりする事に、ゴーレムがオーク鬼を打ち倒すっ!! 歴戦の戦士が集ったぼくの部隊とゴーレムを止められる者などいなかったっ! そしてつい―――あれ?」
鼻を膨らませ、自慢気に話をしていたギーシュだったが、常に視界に入れていた女性が席を立つのに気付くと、滑らかに動いていた口がピタリと止まる。席を立った少女は、ギーシュに声を掛けるどころか顔を向けることなく教室を出て行く。その様子にギーシュは慌てて席を立つと、急いでその女性の後を追いかけ始めた。
「も、モンモランシーっ!」
「何よ」
教室から出たギーシュは、石畳の廊下を歩く少女。モンモランシーの背中に向けて声を上げる。しかし、モンモランシーは振り返ることなく歩き続ける。モンモランシーの背に、拒絶の意思を感じたギーシュは、足に更に力を込め、走る速度を上げた。
「何で逃げるんだよモンモランシーっ!? 君に聞いてもらうために話しをしていたのにっ!」
モンモランシーに追いついたギーシュは、モンモランシーの肩に手を置いて引き止める。
「そうだ、これを、これを見てくれ。勲章だ。しかも杖付剛毛精霊勲章だぞ!」
「それがどうしたっていうのよ」
「ど、どうしたって……く、勲章だよ。君のためにぼくは手柄をたてて」
モンモランシーの予想外の態度に、戸惑うギーシュ。モンモランシーは勢いよく振り返ると、声を荒げてギーシュを責め始める。
「勲章? 手柄? わたしのため? はっ! 何を言っているのよあなたは、聞いている筈よね。あなたたちが戦争に行っている間に、この学園に敵が攻めてきたって」
「そ、それは……」
もちろん知っていた。
魔法学院に帰ってきて直ぐにその話は耳にした。幸い学園の生徒に死者は出なかったが、銃士隊の中には戦死者が出たそうだ。
「わたしのためって言うなら、戦争が始まったら、常にわたしの傍にいて、わたしを守るべきでしょうっ!! あなたがいくら手柄や勲章を立てても……わたしが死んでたら、意味がないでしょ」
「モンモランシー……」
涙に瞳を潤ませながら声を荒げるモンモランシーに、気落ちした様子でギーシュが小さく名前を呼ぶ。
「それに、良くそんなに浮かれていられるわよね」
「え?」
「あなたも随分親しかった筈でしょ……ルイズの使い魔と」
「あっ」
悲しげに目を伏せて呟くモンモランシーに、ギーシュはハッ、と目を見開くとがくりと肩を落とした。
「ルイズ……戻ってきてからずっと部屋に閉じ篭っているのよ。食事もちゃんと取っているようには見えないし……このままじゃ」
「……シロウ……か……」
二人の視線が、示し合わせたように同じ方向に向く。
視線の先には、女子寮である火の塔の一室。
この戦争で、大切な人を亡くした少女が閉じこもる部屋。
……ぁ…………ぅ………………はぁ……ぁ…………
日が沈み。月と星が空を彩り始める頃、魔法学院にある五つの塔のうち、学生が住む寮塔に見える窓に明かりが灯り始める。そんな中、一つだけ明かりが灯らない部屋があった。
明かりがなく、闇に沈む部屋を浮かび上がらせるのは、空に浮かぶ二つ月。雲一つなく広がる空から降り注ぐ月光が、窓から差し込み部屋の中にある天蓋付きのベッドの上にいる人物を照らし出す。そんな青白い月光に照らされる部屋では、くぐもった声が響いていた。
……ぁ……ぃ…………ぁ…………っ……
か細い明かりに照らし出される部屋に響く、同じくか細い声を持ち主は……この部屋の主であるルイズであった。
大きなベッドの上にいるルイズは、すっぽりと身体全体を覆う大きな服を着て仰向けに寝ころがっている。窓から覗く双月が、ブカブカの服から微かに覗く白い手足を青白く浮かび上がらせている。時折身動ぎする度に、服の裾から覗くルイズの身体は、ぬらりとした何かで濡れていた。
…………っっ……んっ………………
ルイズが身に付けている服は、か細い月明かりでもハッキリと分かるほど古びた大きな男物の服であった。
それは以前、士郎が王都で購入した粗末で地味な服。士郎がそれに袖を通したのは、数える程度でしかなかった。元々情報収集のため購入した服であり、任務が終われば捨てても構わないものであったが、貧乏性と言うか何と言うか、士郎はそれを捨てることはなかった。そんな士郎に対し、ルイズは苦い顔で何度も捨てなさいと文句を言っていた。しかし今、そんなみすぼらしいものは捨てなさいと散々文句を言っていた当のルイズが、士郎用に購入したタンスの中からそのみずぼらしい服を引っ張り出しただけでなく、それを着込みベッドの上に寝ていた。
……ぁ……ぁ……ぁ…………ん…………ぃ…………
ベッドの上にいるルイズは、時折痙攣するように身体を震わせている。
口から漏れる吐息は、荒々しく乱れ。痛みを堪えるように悶える身体から覗く身体は、青白い月光に照らされながらも、その赤みをハッキリと見せていた。
………んっ………っ…………ぁっ…………
段々と強くなる身体の震えと共に、ルイズの押し殺したようなくぐもった声も激しくなる。身体をよじり服が捲り上がる度に、一糸まとわぬ桜色に染まったルイズの身体が覗く。
震えを抑えるかのように身体に回された手が動く度に、ルイズの身体の震えと声は細かく激しくなる。
部屋の中にベッドが軋む音と、粘ついた音が混じり、
………っ、っ、っ……ぁっ……んぅっ……っ!!
ルイズの背が反り返ると共に、押し殺した悲鳴のような声が部屋に響き渡った。
「…………何……してるんだろ……わたし……」
ベッドから起き上がったルイズが、粘つく疲労を感じながら、濡れて張り付く服を指で摘みあげポツリと呟く。ふと顔を横に向けると、暗闇に慣れ始めたルイズの目に、みすぼらしい男物の服を着た少女の姿が映る。
少女の顔は淫蕩に歪み、汗などで濡れた服は身体に張り付き、身体の線を露わにしている。ねっとりとした空気に澱む部屋と少女の姿に、まるで情事後の娼婦のようだと、ルイズは眉を顰める。しかし、それが化粧台の鏡に映る自分の姿だと気付くと、浮かぶ表情が苦笑いに変わった。
「……はは……本当に……わたし……なに…………やって、るんだろ……」
ベッドの上。
力なく項垂れたルイズの瞳から、透明な雫が溢れだし、ベッドに染みを作り出す。
次から次へと溢れ出すそれをルイズは拭うことなく溢れるままに、落ちるままに任せている。
ルイズの身体はピクリとも動かない。
何も知らない人にこれは人形ですと言えば、驚きながらも信じてしまいそうなほど、今のルイズは生気というものは全く感じられなかった。
それは、まるで人形のようにピクリとも動かない身体だからというわけではなく、人間を人間たらしめる心が……全く働いていないからであった。
抑えようもない感情に翻弄され、心が上手く動かない……理由ではない。
潰される程に大きく、重い悲哀や絶望は確かにある。
しかし、それ以上に、胸にポッカリと穴が空いたかのような虚無感……空虚感が大きすぎた。
後から後から溢れ出る様々な感情の坩堝が……すとんと綺麗に落ちてしまう程に。
ルイズがアルビオンから魔法学院に戻ってから、既に七日が過ぎていた。神聖アルビオン共和国との戦争が終結してからの日数を加えると、丁度三週間経過した計算になる。
戦争終結後、二週間掛けて魔法学院に戻ってからの一週間、ルイズは士郎の匂いが残る服を着込んだ格好のまま、ずっと部屋に引きこもっていた。ルイズが部屋から出るのは、トイレやお風呂、そして食事の時だけであった。部屋に閉じこもっている間、ルイズは心の中で、士郎との思い出が何度も……何度も繰り返していた。
士郎との辛い思い出が甦れば、ぼんやりとしたルイズの顔は悲しみに歪み。
士郎との楽しい思い出が甦れば、笑顔に変わる。
かと思えば、不意に能面のように感情が、表情が消える。
焦点が合わない瞳で虚空を見つめ、ころころと表情が変わるなと思えば、唐突に無表情になる。その様子は、まるで壊れた玩具……明らかに普通ではなかった。
喜怒哀楽の様々な感情と、何の感情も感じさせない能面のような表情が代わる代わる浮かぶのが、何度も繰り返される。ルイズの一日は、そうして過ぎてゆく。
最初は確かにそれだけであった。士郎と出会ってから今までの思い出を、何度も何度も脳裏に繰り返すだけ。
しかし、一日、二日と日々が過ぎてゆく毎に、士郎との思い出が甦るたびに……胸にぽっかりと穴が空いたかのような喪失感が、ただ大きくなるだけだった。
士郎がいないという現実から逃げるため、底なし沼に沈み込むような絶望感から逃れるために、士郎との思い出に逃げ込んでいたが、心に出来た穴の広がりを止めることは出来ず。日毎に大きくなる穴に、ルイズの心は削られていく。何もやる気が起きず、起き上がる気力さえも既にない。最後に何かを口にしたのは、何時だったか? それさえも思い出せないほど、もう朧げであった。絶望に蝕まれたルイズは、ゆっくりと……しかし確実に死に向かっていた……。
このままでは死んでしまう……そのことは、靄がかかったかのような思考であったが、ルイズは理解していた。しかし、だからといって、ルイズにそれに抗おうという意志が起き上がることはなかった。確実に近づいてくる死の気配に、ルイズの心は欠片も恐怖に震えることはなく。逆に、士郎と会えるかもという喜びが生まれるだけであった。死ねば士郎と会える。
絶望に沈み込んでいた心の中に生まれたその希望だけが、ルイズを人間に押し留めていた。死を恐ることがないルイズが、今すぐ死なない理由は、ただ、自殺をする気力さえ生まれないというものであった。だから、ルイズは緩慢に迫る死を、最も士郎を感じていた思い出を何度も思い出しながら待ち続ける。
最も士郎を感じられる思い出。
それは、士郎と触れ合った思い出。
士郎を自身の身体に中に受け入れた思い出。
それを少しでも強く感じるため……少しでも鮮明に思い出せるように……その時に感じた全てをなぞっていく。
身体の外と内に感じた士郎の指先を……唇を…………。
部屋に引きこもってから一週間が経った今では、一日中それをするだけであった。
それを証明するかのように、ぼんやりと虚空を見つめていたルイズの指先が、滑らかな動きでするすると動き出す。
霞がかった脳裏に、士郎との思い出が甦る。
「……っぁ」
ルイズの指先が、未だ固く屹立し、敏感になったままの先端に触れた瞬間、
「――――――っ」
涼やかな風が、闇と淫蕩に沈む部屋の中に吹き込まれた。
「―――随分とまあ……」
ねっとりとした空気が満ちる部屋に風穴を空け。涼やかな風と共に人工的な明かりと共に、人影が入り込む。
ドアを開け放ち、廊下から差し込む魔法の明かりを遮り立つのは、
「ふんっ……どうやら……お楽しみのところを邪魔してしまったみたいですね」
桶を脇に抱えたシエスタであった。
部屋の中に漂う粘ついた女の匂いに顔を顰めてみせると、シエスタは部屋の主であるルイズに挨拶するでもなく、ずかずかと上がり込む。ベッドの上にいるルイズに顔を向けることなく部屋を横切り、締め切られたままの窓を開け放った。窓が開けられた瞬間、風の通り道が生まれ、冷え込んだ夜風が音を立てて吹き込んでくる。涼やかな風は、部屋の中に澱む空気を吹き散らし、霧散させる。勢い良く吹き込んでくる風を目を閉じ受け止めていたシエスタは、吹き込む風が弱まると、くるりとベッドの上からぼんやりとした視線を向けてくるルイズに向き直った。
「……窓ぐらい開けたらどうなんですか?」
シエスタの呆れたような声に、ルイズは何の反応も返さない。ただ、意志が感じられない、焦点が合わない視線を向けてくるだけ。そんなルイズの様子に、シエスタは小さく溜め息を吐くと、ゆっくりとベッドに近付いていく。近づいてくるシエスタに対し、ルイズは何も言わずただ視線を向けるだけ。
ベッドの脇で立ち止まったシエスタは、暗く澱んだ瞳で見上げてくるルイズを見下ろす。
互いに何も口にしない。
部屋の中に、窓から吹き込む風の音だけが響く。
そんな中、突然、
「ッ!」
激しい水音が響き渡った。
発生源は、ベッドの上。
ベッドの上には、まるで服を着て風呂に入ったかのようなルイズの姿があった。
突然水を掛けられたルイズは、しかし何の反応を見せることなく、視線は変わらずベッド脇に立つシエスタに向けられたままであった。
そんなルイズの何の感情も感じられない視線を向けられるシエスタは、脇に抱えていた桶をルイズに向けた姿で立っていた。桶の端から、水滴がポタポタと落ちて床を濡らしている。
ルイズを見下ろすシエスタの目は、ルイズと違い、燃え上がるような怒りに染まっていた。それは鍛えられた戦士でさえ震え上がらせるほどの怒りに染まっていた。しかし、そんな視線を向けられながらも、ルイズの瞳には、何の感情も浮かぶことはなかった。凪いだ夜の海のように、暗く静かなままである。そんなピクリとも身じろぎしないルイズ髪の先から水滴が落ち、ベッドの上に出来た水溜りに波紋を作り出す。
ノックもせず部屋に上がり込み、桶に入った大量の水をぶっかけられる。しかも、それをやったのが、貴族でもなんでもないただのメイド。普通では考えられないどころの話ではなく、理由がなんでさえ許されることなく、その場で殺されたとしても何ら問題がない。しかし、そんな出来事が起きたというにも関わらず、ルイズは何の反応も示さない。悲鳴も怒声も上げることなく、それどこころか、身動き一つしない。混乱が極まって、何の反応も出来ないということではない。それは、目を見ればハッキリと分かる。ただ、何も感じていないだけだと。そのことを、ルイズをじっと睨みつけていたシエスタは直ぐに理解していた。
「何時までそうしているつもりですか」
シエスタの声は、微かに震えていた。
「……もう三日も何も口にしていない……このまま……死ぬとでも言うつもりですか」
「…………」
それは、瞳に宿る怒りのためか……それとも……。
シエスタが手に持った桶から手を離す。乾いた音と水音を立てて、桶が床に転がる。空になった両の手を、ルイズに向かって伸ばし始める。
「……何か言ったらどうなんですか」
「…………」
シエスタの問いに、ルイズは何も答えず、ただ暗く澱んだ視線を向けるだけ。そんなルイズの胸ぐらを、シエスタの両手が握り締め。
「何をやっているんですかッ!!」
勢い良く持ち上げた。
引き裂かんばかりに握り締めた襟から鈍い音が響く。勢い良く引き上げられたルイズの額とシエスタの額がガツンと音を立ててぶつかる。かなりの衝撃と痛みがあるはずなのだが、眉根を釣り上げルイズを睨み付けるシエスタの顔からは、苛立ちと怒り以外の感情を感じられなかった。そしてそれはルイズもまた同じであった。茫洋とした瞳と、何の表情も浮かばない様子からは、どれだけ小さな感情さえ感じられないままである。
ほんの少し顔を動かすだけでキスが出来る程の距離で、シエスタはルイズを怒鳴りつける。
「あなたは……あなたは士郎さんの何なんですかっ!? あれだけ……あれだけ何時も何時も士郎さんのことを自分の使い魔だと言っているくせにっ! 士郎さんはまだ帰ってきていないんですよっ! っそ……それどころか……し、死んだ……という話も……あなたも……聞いている筈です」
「…………」
追いつかれる筈のアルビオンの軍勢が現れることなく、ロサイスからの撤退が間に合ったのは、ルイズの使い魔である士郎が、アルビオン軍を足止めしたのではないかと、撤退中の船の上で噂になった。士郎のその人外の強さは、ある程度周知されていたため、普通は鼻にも掛けられない筈のその噂は一蹴されなかった。それに加え、半狂乱状態で悲鳴を上げながら士郎の名を叫ぶルイズの姿が、更にその噂に真実味を加えさせた。
だがやはり、たった一人で七万の軍を止められる筈がないと、その噂を信じない者は多く、そしてそれは上層部に顕著であった。そんな中、主人を守るため、七万の軍勢の足止めしに向かった使い魔の噂を信じる者も少数ではあったがいた。そして、その人たちは絶望に染まり、人形のように意志が感じられなくなったルイズに慰めの声をかけ始めた。士郎がアルビオン軍の足止めに向かったことが真実ならば、残念だがもう死んでしまっているだろうと。
だが周囲のそんな者たちの親切心が、慰めの言葉が、ルイズの心に生まれた穴を少しずつ大きくしていく。
とある使い魔がアルビオン軍を足止めに向かい、そして死んだ。その噂は、同じ船に乗っているシエスタの耳に入らないはずがなかった。
「何か言ったらどうなんですか……何か……何か……っ」
「…………」
「……まさかあんな噂を……信じている訳ないですよね」
「…………」
「―――ッ答えてくださいっ!?」
襟を握る手に更に力を込めたシエスタは、睨み殺さんばかりにルイズを睨みつける。
「あんな……あんな噂を信じ込んで、勝手に絶望して……こんな所で腐っている場合ですかっ!! アルビオンに戻ってシロウさんを探そうとは思わないんですかっ!?」
ルイズを怒鳴りつけ、息を荒げながらシエスタはルイズを睨み続ける。大の大人でも竦み上がる程の怒声と眼光を向けられながらも、ルイズは何の反応も見せない。そんなルイズの様子に、シエスタの苛立ちと怒りは上限を越える。ルイズの襟元を掴む右手を離し、シエスタは大きく振りかぶる。
次の瞬間、甲高い乾いた音が部屋の中に響――
「…………ぃわよ」
「え」
くことはなかった。
シエスタは、右手を大きく振りかぶった格好で、目の前のルイズを不思議そうな顔で見下ろす。小さな声だったが、間違いなくルイズの声であった。戸惑うシエスタに追い討ちを掛けるように、ルイズの声が再度響く。
「何も……何も知らないくせに……偉そうなこと言わないでよ……っ」
「―――っ……何も、知らない……ですか?」
憎しみと絶望が満ちる声と共に向けられるルイズの瞳に、シエスタが息を飲む。
人形のようなルイズの瞳には、何時の間にか強い意志の光が鈍く輝いていた。ルイズの瞳に輝く光り、それは、シエスタが今まで見たことがないものであった。絶望の闇が満ちる中、微かに光る鬼火のようなその光は、見るものを不安と恐怖におとしいれる。
ルイズの瞳に輝く光に魅入られたように、シエスタの身体はピクリとも動かない。
「あなた……わたしがあんな噂を信じているとでも思ったの?」
怒り、憎しみ、苛立ち……溢れそうな感情が詰め込まれた言葉がシエスタに向けられる。
「……じゃあ、あなたは何で部屋に引きこもったままなんですか」
常人ならば、怯えて声が出せなくなるほどの感情が詰め込められた言葉を向けられながらも、シエスタは怯むことなく反発するかのように厳しい声を上げる。
硬い声で非難するような声を放つシエスタに、ルイズはぽつりと囁くような声で質問を投げかける。
「あなた……サモン・サーヴァントについてどれだけ知ってる?」
「? 何をい…………そう、ですね……サモン・サーヴァントですか……わたしはメイジじゃないので良くは知りません」
ルイズの質問に質問で返しそうになったシエスタであったが、疑問の声を飲み込むと小さく首を振る。
「そう……なら教えてあげる」
シエスタの答えを聞くと、ルイズは微かに頷くと口を開く。
「サモン・サーヴァントは、わたし達メイジの使い魔を召喚する魔法よ。召喚ゲートから呼び出される使い魔は、大体は呼び出すメイジの系統を象徴するような動物や幻獣が選ばれそう
よ。そして―――」
ルイズは無表情だった顔に小さく歪な笑みを、怪訝な顔をするシエスタに向ける。
「サモン・サーヴァントは、契約した使い魔がいれば呪文を唱えても召喚ゲートが開くことはないの」
「? それが一た―――っ……」
唐突にサモン・サーヴァントの説明を始めたルイズの意図が読めず、困惑していたシエスタであったが、ルイズの説明の最後の言葉に、天啓のようにその答えが閃いた。閃いたその答えの余りの恐ろしさに、シエスタの身体がカタカタと震えだす。
「あんな話……信じられる理由ない。だから……そうよ……そのことを証明するためにも……サモン・サーヴァントを唱えたのよ……わたしにはシロウがいる。だから……ゲートが開く筈なんか…………でも…………」
「…………開いたんですか」
その時のことを思い出したのか、目を見開き、ガタガタと震え、声が出せなくなったルイズの言葉の続きを、同じく身体を震わせるシエスタが口にした。
「……そう……よ……ゲートは開いた……はっ……はぁ……な、なら……っあ……し、シロウは、し、シ……」
サモン・サーヴァントの呪文を唱え、ゲートが開いた。
その答えは一つしかない。
メイジ一人につき使い魔は一つ。
つまり、ルイズの使い魔である衛宮士郎は、死ん―――
「―――死んでいません」
喉に何かがつっかえたかのように、荒い呼吸の中、士郎の死を告げようとしたルイズの声を遮ったのは、
「シロウさんは、絶対に死んでなんかいません」
未だ微かに身体を震わせるシエスタであった。
「シロウさんは絶対に生きています」
「っ、な、何でそんなこと言えるのよ……っ!!」
シエスタの余りにもハッキリとした断定に、ルイズは何とも言えない苛つきを覚え、不満と苛立ちが入り混じった声を上げる。
「メイジじゃないあんたには分からないだろうけど、ゲートが開いたってことは、もうっ、もうシロウは死んだって言うことなのよッ!!」
「確かにわたしはメイジではありません。サモン・サーヴァントについても良く知りません。でも、分かることはあります」
「何が分かるっていうのよ……っ!?」
地の底から響くような重く低いルイズの声に、シエスタは不敵な笑みを返し応える。
「シロウさんが生きていることがです」
言葉に出すことで自信を得たのか、何時の間にかシエスタの身体の震えは止まっていた。逆にルイズの身体の震えは大きくなる。理由が分からない苛立ちや不満に顔を歪ませたルイズだったが、不意に笑いだした。
「はっ……ははは……ふん……あ、哀れね……あんたはただ、シロウが死んだということを信じられないだけよ……根拠のない理由で、シロウの生に縋るあんたは……はっ、ははは……笑えるほど哀れね」
「……それはわたしのセリフですよミス・ヴァリエール」
「なにを―――」
ルイズの声を遮り、シエスタが笑い出す。
「ふふっ……サモン・サーヴァントのゲートが開いた? だからシロウさんは死んでいる? そんな理由でシロウさんの死を信じてしまったあなたの方が……笑えるほど哀れですよ」
「っ!! 哀れ? 哀れですってっ?!」
「ええ、本当に哀れですね。だってつまりあなたは、シロウさんとの繋がりは使い魔契約しかないと言っているんですよ」
「っ!」
シエスタの言葉に目を見開くルイズ。
「あれだけ騒いでいた癖に、シロウさんとの絆が契約でしかない……ですか……本当に哀れですね」
「っッ!!」
パンっ! という乾いた音が響く。
一瞬で髪を逆立てさせながら、ルイズの手がシエスタの頬に叩きつけられる。
「……図星を指されて起こりましたか」
頬を張られた衝撃で横を向いたままの姿で、シエスタはポツリと呟く。シエスタの頬は、闇の中でも分かる程赤く腫れている。頬を張られた衝撃で、口の中を切ったのか、閉じた唇の端から、つぅっと細い血の糸が流れる。
シエスタは顔を横に向けたままの姿勢で、横目で眼下のルイズを見下ろす。
「言い返せないから暴力で訴える、ですか……全くあなたという人は」
「っ! 五月蝿いッ!! 出てけっ!!」
シエスタの視線から逃れるように、ルイズは顔を背けると声を荒げると、枕など近くにある物を投げつけ始めた。
「っ、く……っ」
「出てけっ!! 早く出てけぇっ!!」
憎悪に光る視線を向けられながら、シエスタは物を投げつけられる。
どれだけ罵倒されても、硬い物を投げつけられ、身体に痣や傷をつけられても、シエスタは身を守るような動作を、悲鳴を口にすることはなく。ぐっと歯を食いしばり、じっと耐えていた。
「―――あんたには関係ないでしょっ!!」
パンッ! と再度乾いた音が部屋の中に響く。
音の発生源は、シエスタではなくルイズ。
一体何が起きたのか理解できないのか、頬を張られた衝撃で顔を横に向けた姿で、呆然とした表情を浮かべている。ルイズは鋭い痛みを発する頬に、ゆっくりと指を伸ばす。熱を持つ頬に指先が触れ、敏感になった頬に痛みが走る。再度頬に走る痛みに顔を顰めたルイズが、キッ、と眉根を釣り上げ、感情が見えない瞳で見下ろしてくるシエスタを睨み付けた。
「―――ッどういうつもりッ!?」
「……関係ない―――ですか」
痛みにより、一瞬で怒りの沸点を超えたルイズが、噛み付くようにシエスタに怒鳴りかかる。
しかし、シエスタはそんなルイズの怒りを欠片も気にした様子を見せることなく。ただ悲しみに満ちた瞳でルイズを見下ろしていた。
「―――そう、ですね……あなたは貴族様で、わたしはただの平民……だけど……だけどミス・ヴァリエール」
部屋に入ってきてから、厳しい顔をしかしていなかったシエスタの顔が、優しげな笑みに変わっていた。
その瞳に秘められたものは、その声に潜むものは……憎しみではなく悲しみ、怒りではなく淋しさ。
シエスタの急な様子の変化に、ルイズの喉元まで出かかった罵声が喉に引っかかる。
怒りに沸騰していた頭に冷たい風が入り込み、一瞬だけ戻った知性が、先程自分が口にした言葉の酷さを訴える。自分が口にしたあまりの言葉に気付き、ルイズの顔から血の気が引く。
ルイズの様子に気付いたシエスタの顔に浮かぶ寂しげな笑みに、微かに暖かなものが混じる。
「わたしは、あなたを友達だと思っていました。例えあなたにただの平民だと思われていても、わたしはあなたを友達だと」
膝を曲げると、シエスタはベッドの上のルイズに視線を合わせた。先ほどとは違い、怒りではなく、慈愛が混じるシエスタの視線に戸惑い、ルイズはシエスタの視線を顔を背ける。
怯えるように顔を背けるルイズの姿に、シエスタはくすっ、と笑うと、懐から取り出したハンカチで、ルイズの顔を拭き始めた。
「っ、ぁ、うぅ」
「だから、友達がこんな死にそうになっていたら、心配しますし、どうにかしたいと思うんですよ」
「シエ、スタ?」
眉根を緩やかに曲げたシエスタは、ルイズの顔を拭き終えぐっしょりと濡れたハンカチを懐に収めると、膝を伸ばして立ち上がる。
「ミス・ヴァリエール。少しは目が覚めましたか。サモン・サーヴァントのことは、確かにわたしにはよく分かりません。だけど、シロウさんのことは良く知っています。それは、あなたもですよね。あのシロウさんが、そう簡単に死ぬと思いますか?」
「……七万の軍を相手にしたのよ」
むくれた様子を見せるルイズに、シエスタは不敵な笑みを返す。
「ええ、でも、シロウさんならきっと大丈夫です」
「……どうして、そんな自信を持てるのよ」
「……ミス・ヴァリエール。あなたとシロウさんの絆は、使い魔の契約だけではない筈ですよ」
にっこりと笑ったシエスタは、呆然と見上げてくるルイズの胸に指を突きつける。ルイズはシエスタに突きつけられた自身の胸を見下ろす。
「きっと、あなたにも感じられる筈です……目を閉じて……強く、強く想ってください。シロウさんのことを……絶望に染まった想いではなく、ただ純粋にシロウさんのことを想ってください」
シエスタは自分の胸に手を当て目を閉じる。
「きっと、感じられる筈です。シロウさんを」
「……シロウを……感じる? ……シロウを……ぁ……ぇ?」
シエスタと同じように胸に手を当て目を閉じたルイズが、身体の奥に感じた暖かな気配に戸惑いの声を上げる。
ルイズには、その気配に何処か覚えがあった。
それは……自分が求めてやまないもの。
繋がりが絶たれた筈の人の暖かさ。
「これ……な、に?」
「さあ? それが何なのかはわたしも分かりません。でも、それを感じるのはわたし達だけじゃないみたいですよ。ミス・ロングビルもミス・ツェルプストーもジェシカも感じている見たいですよ」
初めて感じるその気配に動揺するルイズに向かって、シエスタは肩を竦めてみせる。
「え? え? ミス・ロングビル? キュルケ? ジェシカ? ど、どういうことよ?」
「まあ実は、わたしも最近気付いたばかりなんですけどね」
「え? あれ? え? し、シエスタ?」
わけが分からず、縋るような眼差しを向けてくるルイズの様子に苦笑を浮かべると、シエスタはくるりと身体を回し、ぽすんとベッドの上のルイズの横に座った。
「わたしもシロウさんが死んだと思い込んで、同じように落ち込んでいたんです。何にもやる気が起きなくて、船の上でずっとボーとしていたわたしを、ジェシカがわたしがミス・ヴァ
リエールにしたみたいに引っ張り上げてくれたんです。まあ、ジェシカはわたしみたいに優しくないから、最初っから水じゃなくて平手打ちでしたけどね」
ジェシカに叩かれた記憶を思いだし、左の頬を撫でながらシエスタはシミジミと呟く。
「シロウさんが生きていると信じられず、絶望していたわたしを叩きのめ……叩いて、ジェシカは『シロウは生きてるッ!!』って断言しました。その言葉が余りにも確信に満ちていたから、どうしてそんな風に確信出来るのか聞いたら……」
「……聞いたら?」
小首を傾げながら続きを求めるルイズに、シエスタはその時のことを思いだし、くふふと含み笑いを浮かべた。
「『あたしの中にシロウがいて、シロウの中にあたしがいるからよっ!!』て言ったんです」
「は? どう言う意味よそれ」
顔を顰めてみせるルイズを見て、シエスタの顔に浮かぶ笑みがさらに濃くなる。
顎に指を当て、う~と唸りながら考え込むような仕草を見せると、シエスタは胸を抱くように身体を腕を回す。
「まあ、その言葉通りだと思いますよ。ミス・ヴァリエールも何となく分かるんじゃないんですか?」
「うっ……まぁ、確かに……分からなくはないわ、ね」
『あたしの中にシロウがいて、シロウの中にあたしがいる』意味不明な言葉だけど、確かにそうとしか言えない感覚だった。
胸の中にシロウの気配があって、そして、その気配の中に、自分が入っているような……。
言葉に出来ないそんな不思議な感覚。
「……それでもう一度聞きますが、シロウさんは死んだと思いますか?」
「ぅ……それは……」
からかう調子で聞いてくるシエスタを、恨みがましい目で見上げるルイズ。
それをにやにやとした笑みで見下ろすシエスタ。
「…………」
「何処行くんですか?」
「お風呂よ」
無言でベッドから降りたルイズに、シエスタは声を掛ける。
ルイズはシエスタに問いに顔を向けることなく、着替えを取り出しながら応える。
「食事の用意をしておきますね」
「…………」
着替えを手にしたルイズはドアに向かって歩きだす。
今度はシエスタの言葉に返事を返さない。
しかし、開いたドアの前で、ルイズはピタリと動きを止める。
「ミス・ヴァリエール?」
ドアの前で微動だにしないルイズに、シエスタが訝しげな声を上げると、ルイズは小さく震える声でその声に応える。
「……ルイズ」
「え?」
「ルイズでいいわ」
「ミス・ヴァリエール?」
「だからルイズよ。わたしはあんたの……その友達……なんでしょ。なら、ミス・ヴァリエールじゃなくてルイズって呼びなさい」
「……え? あの? それって」
戸惑うシエスタから逃げるように、ルイズは部屋から出て行く。
一人部屋に取り残された形になったシエスタは、暫らく呆然としていたが、ルイズが言った言葉がゆっくりと頭に染み込むと、熱を帯びだした頬に手を添え、
「っふ……ふふ……ええ、わかりました」
小さな微笑みを浮かべた。
「ルイズ」
後書き
投稿遅れて本当にすみませんでした。
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