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おいでませ魍魎盒飯店

作者:卯堂 成隆
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Episode 3 デリバリー始めました
  翡翠の営巣

 
前書き
【アルキオーネ】……ギリシャ神話に登場する一人の女性の名前。 中むつまじい夫婦であったが、夫が海で死んだことを知るとその身元へとたどり着くためにその姿を翡翠(かわせみ)へと変えたとされている。
 やがて鳥へと生まれ変わった二人は、海の上に巣をつくるようになる。
 アルキオーネの父である風神アイオロスは、1年のうちに七日だけ彼女たちのために海を行く風を止め、その間は波も穏やかになるのだとか。
 その神の恩寵による平穏のことをいつしかアルキオーネと呼ぶようになり、転じてハルシオンと呼ぶようになった。
 睡眠薬のハルシオンの名前は、この伝説を基にしている。
 春に咲く雑草ハルジオンと混同しないように注意。
  

 
「で? この情報は間違いないんだろうな?」
 通話機の向こうから聞こえてくるキシリアの声はトーンがいつもより低く、不機嫌というよりは不信感に満ちていた。

「無茶言うニャア。 これだけの時間に全員の名前と種族とアレルギー調べるのは骨が折れるニャ。 多少のミスは大目に見て欲しいニャ」
 キシリアからの通話に応答しているのは、一人砦に送られたマル。
 昨日のうちに砦にたどり着いた彼は、キシリアにこき使われている弟たちとは裏腹に、客人と言う待遇をいいことに三食昼寝つきのVIP待遇を満喫していた。

 そして通話にでる声は、さも哀れを誘うかのような悲痛な声だが、実際には顔が見えないことをいい事に、フカフカのソファーに腰掛けて鼻をほじりながらの対応である。

 そんなマルの手には、チラシの裏に書いたへたくそな文字の羅列。
 ミミズが瀕死のダンスを踊るがごとき特徴的な悪筆で記されているのは、この砦に駐留している兵士と職員の名前と種族の一覧だった。
 なぜそんなものを確認しているかというと、この砦の住人の種族の多様性に問題があるからだ。

 この砦に勤務する兵士の大半はゴブリンやコボルトなのだが、そもそも霊的に塩に弱い体質を持つ彼等に人間と同レベルの塩分を使うことは禁物である。
 特に直接塩に触れることは厳禁で、以前キシリアの店でポテトチップスを再現した際に大量の食中毒患者(?)が発生しかけたことがあるため、キシリアもその手の問題にはかなり気を使っていた。

 その他の例を挙げるならば……ケルピーやアハ・イシュカといった水妖系の種族は唐辛子などの香辛料を始めとする【"熱"に分類される食材】を摂取すると体調を崩して発熱しかねないし、ハーピーやケットシーにチョコレートを与えれば麻薬と同じ症状を引き起こす。
 つまり、種族によって好む食材や食べてはいけないものがあるのだ。

「ちなみに話は変わるが……」
「まだ(ニャ)にかあるのか?」
 話題が変わったことを確認すると、マルは指の先にまとめたソレを爪の先でピンと弾いた。
 忌まわしき廃棄物は、鮮やかな放物線を描いて艶やかに磨かれた木製テーブルの脚に着陸する。
 そしてその一連の仕草を横で見ていたゴブリンの青年兵士と侍女(シルキー)の眉間に、それぞれ一本づつの溝が刻まれた。

「もしもマルの注文した食事に森髭が混じっていて、知らずに食べたらお前はどうする?」
「そんなひでーことされたら、逆さ吊りにして蟹漁のエサにするニャ。 当たり前だニャ?」
 なにを言っているのだと言わんばかりに、脚を組みなおしたマルは鼻に指を突っ込みなおしつつ、気だるげに返事を返す。

「そうか、では万が一がおきたときは心置きなく蟹のエサになってくれ。 あと、鼻をほじった指はちゃんと消毒しておくように」
「ニャ!?」
 驚いた声を上げるマルが何か問いかけるより早く、キシリアのせせら笑うような声と共に魔道具による通話は一方的に打ち切られた。
 むろん、キシリアの目にマルの様子が実際に見えているわけではない。
 キシリアの後ろにいるポメかテリアがマルの癖をチクっただけだ。
 だが、言われた本人はやましい部分があるだけに平静ではいられるはずも無く……。

「キ、キシリア! ちょっと待つニャ! 何で通話機のスイッチ切れてるニャ!? 俺様とお話してプリィィィィズ! これは何かの陰謀なのじゃよぉぉぉぉぉぉ!!」
 慌てて魔道具のスイッチを入れてキシリアの番号に繋ごうとするも、かえってくるのは通話不能のノイズのみ。

 まぁ、実際には砦に設置されている通話用の魔道具で砦の執事にあらかじめ名簿を確認しているため、マルがいい加減な調査をしていても問題は無いのだが、キシリアはわざとマルにその事実を教えないで通話を打ち切っていた。
 当然、先ほどの会話は執事から聞いたデータとマルの報告に差異がいることを承知の上での対応だ。

「ニャー! 俺が悪かったから、お願い通話に出て!! キシリア様ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 これを人は自業自得と言う。
 そんなマルの慌てように、最初から事情を知る兵士たちは思わず噴き出しそうになり、マルから顔を背けて必死で声を押し殺していた。

「マル殿、鼻血が出てますぞ」
 おそらく笑みを(こら)えているのだろう。
 表情が崩れてものすごい形相になったゴブリン兵士が、将来を悲観して真っ青になったマルにハンカチを差し出すが……
「にゃひぃっ! ゴメンナサイ! 蟹のエサは嫌だニャアァァァァァァァ!!」
 マルは鼻水交じりの鼻血と涙を噴出しながら、脱兎を追い抜く勢いで廊下の向こうに逃げていった。
 その後ろを、とうとう臨界点を突破したゴブリン兵たちの爆笑が追いかける。

 残されたのは、ハンカチを手にしたまま憮然とした表情のゴブリン兵のみ。
 まぁ、テンパっているところにいきなり顔を歪めたゴブリンに声をかけられれば普通はこうなるだろう。

 そこへ、この砦の内向きを任されている男妖精(ファー・ジャルグ)がマルを呼びにやってきた。
「はて、マル殿はどちらに?」
 執事は、目に涙を浮かべて笑い転げる兵士たちを不思議そうに眺めながら、マルの姿を探して周囲を見回す。
 そして彼は、床やテーブルについた汚物を見咎めて片方の眉をピンと跳ね上げた。
「これはまた、ずいぶんとお行儀が悪いようですな」

「執事殿、マ……マル殿ならば、と、隣の部屋のサイドチェストの中に……ぷぷぷっ」
 見れば、客室の半開きのサイドチェストの隙間から黒ブチの入った白い尻尾がはみ出ている。
 なんとも、元怪盗にはあるまじき無様な隠れ方だ。

 ――まぁ、いい。
 なんともいえないため息をつくと、執事であるその男妖精(ファー・ジャルグ)は用件のみを伝える事にした。

「マル殿。 たった今、キシリア殿からの通話がはいりまして、弁当の用意が終わったので、転送を開始してほしいそうですよ」

*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*

「「コロッケェェェェェェェェェェェェェッ!!」」
 南に昇った太陽が煌々と照りつける砦の中庭に、ゴブリン兵たちの声が唱和する。
 彼等が殺到している先にあるのは、いつもの蟹クリームコロッケだ。

 乳製品に目が無く、ほぼ乳製品のみで生活している彼等ゴブリンにとって、キシリア特製の蟹クリームコロッケはあって当然。
 むしろなかったら暴動を起こしかねない代物である。

 ちなみに蟹クリームコロッケを薬膳として簡単に分析するならば、小麦・牛乳・バターといった主成分が全て【土行】である【甘】、そのうちのバターが体をやや温める【温】の性質を持つ。
 そして蟹が【水行】である【鹸(塩辛い)】であり、体を冷やす【寒】。

 全体で見れば多めの【温】で【寒】を中和して、体温への影響をニュートラルに近くしているといったところか。
 だが、味の五行のバランスの観点で見ると、牛乳や小麦が【土行】を高めるものの、同時に【土行】が【水行】を相殺するという、結局無駄の多い構成になる。
 そこでキシリアは、このメニューに【木行】を高めるトマトと、【金行】を補う胡椒をベースにしたソースを付け合せていた。
 このような技術を、【補助益生克(ほじょえきせいこく)】と呼ぶ。
 ――まぁ、ゴブリン達の属性が【土行】に偏っているため、全体のバランスもかなり【土行】よりになるよう調整はされているが。


「ほほぅ? これはすばらしいですなぁ」
 そして、今回のメインである北京ダックをおいしそうに食べているのは、この砦の衛生兵のまとめ役であるソウテツ・カワタロウ・シバテン治療官であった。

「何がそんなにすばらしいのかね? シバテン殿」
 その様子に興味を引かれたボイツェフ中隊長が思わず声をかけると、シバテン治療官は首を軽く横にふり、ボイツェフ中隊長の名前の書かれた弁当箱をそっと差し出した。
「お分かりになりませんかな? まぁ、論より証拠。 まずは食べてみなされ」

 弁当箱を受け取ったボイツェフ中隊長は、まず受け取った弁当箱の外装をしげしげと眺めて首をひねる。
「ふむ……この器、魔道具(アーティファクト)ではありませぬか。 なるほど、込められた理力を利用して中の温度と湿度を一定に保つ仕掛けとは……なんとも贅沢な」
 まるで貴重な薬品を管理する保存箱のような、これだけで金貨数枚の価値がある代物である。
 だが、それを野外に携帯する食料の器としてオマケのように使用している神経が理解できない。

 そしていぶかしげな表情のまま弁当の蓋を開くと、焼き立ての北京ダック香りが周囲に溢れかえる。
 同時に、ボイツェフ中隊長の腹からグググと低い音が響いた。
「こ、これは…………もはや言葉が出ませんな。 自分の語彙の少なさを恥じるばかりだ。 あぁ、匂いだけで涎が止まらない」 
 自らの腹の底からわきあがる衝動に従い、思わずその飴色の焦げ目の付いた鳥の皮を指で摘もうとするが……

「あー 中隊長。 食べ方が違う」
 部下のゴブリン兵が横から口を出してきて食べ方を指南する。
 ちなみにこ兵士はもとよりキシリアの店の常連だ。
 先にマルから食べ方をしっかり教えてもらっているため、先ほどからしたり顔で周りに食べ方をレクチャーしている……まぁ、どこにでも一人はいるタイプのヤツだ。

「この白くて平たい食べ(クレープ)の上に、この焼いた鳥の皮を置いて、細切りにした(キュウリ)も乗せて、巻いてからこの茶色い液体(醤油)につけて食べるんだよ」
「な、なかなか面倒だな」
 慣れない手つきで中隊長がクレープを巻く様子を、いつのまにか周囲のゴブリン兵たちも暖かく見守り始めた。
 ちなみにこの世界には、キシリアの自宅と一部の魔王の城を除いて、まだナイフもフォークも存在していない。
 スプーンは主に薬剤師の計量用だけである。 
 よって、砦をあずかる中隊長でも、国を束ねる魔王でも、食事の基本は生肉を指で摘んでガブリが普通だ。

 そんな中隊長が危なっかしい手つきで北京ダックをまいたクレープをタレにつけて頬張ると……

「……まいった」
 最初に出てきたのは、他でもない敗北宣言だった。
 一口噛めば、口の中に広がる甘くて香ばしいクレープ生地と味噌とゴマ油ベースのタレのハーモニー。
 その奥からは、淑女の夜着のようにささやかな麦芽糖の甘みに包まれた、濃厚でまろやかな北京ダックの脂が千夜の逢瀬の睦言のようにマッタリと舌に絡み、一緒に巻き込んだ緑の瓜が油のしつこさを後朝(きぬぎぬ)の台詞のようにサッと余韻を残しながら洗い流す。
 しかも……

「ただ美味いだけでなく……まさか、食料に理力を仕込むとはな。 この作り手は何者だ?」
 飲み下せば、腹の底から暖かな力がわきあがり、全身を力強い息吹が吹き抜ける。
 耳を掠める痒みにも似た快感を覚えて手をやれば、数年前の戦いで半分千切れたはずの耳がその形を取り戻していた。
 戦いの勲章として、わざとそのままにしていた傷だったが、まぁ、治ったならば直ったで嬉しいものだ。
 やろうとすれば目の前の治癒官にも同じことが出来るだろうが、彼の技術は外部を治療用の物質で覆い、その物質を患者の器官と同化させるという外部的なアプローチになる。

 だが、これは……
 見れば、ひどい火傷を負っていたはずの部下の顔や手足からも醜い火傷の痕が消えていた。
 しかも、その身に帯びる理力の強度が明らかに……

「驚いただろう? ワシの使う治癒術とはまったく逆だ。 これは、体の内側から必要な物質を補って、さらに患者自身の持つ力を増幅して同じ効果を生み出している」
 おそらく、単純に怪我の治癒というならばシバテン治癒官の技術のほうが優れてはいるだろう。
 だが、これは単に目先の効果のみを考えないのであれば……
 いや、むしろ細やかな内臓系の疾患へのアプローチを考えるなら……

「考えるな、ドミトリー。 このメシは美味い。 ただけそれだけでいいではないか。 何でも自分の仕事に結び付けて役立つかを考えるのはお主の悪い癖だ」
 中隊長の思索を断ち切るように、治癒官は付け合せの緑の瓜の千切りを美味そうに齧りながらそう窘めた。

「だ、だが、この技術を利用すれば兵士の体力や生命力を一時的に底上げ……」
「やめておけ。 独占すれば恨みを買うぞ。 最初からこの技術はお前のものではない」
 明るい太陽の下、兵士たちがこぞって弁当の中身を奪い合っている。
 その光景はあまりにも平和で、幸せそうで、ここが対勇者の最前線であることを思わず忘れそうに……いや、忘れることができればどんなに幸せなことだろうか。
 この輝かしい光景が、嵐の海のつかの間の凪の間に巣を作る翡翠(アルキオーネ)の営みだとは知っていても、そう考えざるをえない。

「……惜しい。 むしろ欲しい」
 キシリアという妖精を配下に迎えることが出来たなら、兵士たちの顔にも笑顔が多くなるだろう。
 そして、いま笑いあっている兵士たちが無事に故郷に戻る可能性を大きく底上げできるだろう。
 ――勇者と言うバケモノたちにさらされる、この砦に勤める兵士の生存率はお世辞にも高くない。

「なら、彼女の技術を誰かに学ばせて……」
 新たな技術の獲得にボイツェフ中隊長が意欲をみせたその時だった。

 鐘楼から、慌しく鐘が鳴る。
 そして、斥候のゴブリンが高い見張り台の上から喉が裂けんばかりの声で叫んだ。
「てっ、敵襲! 敵は炎を操る勇者とその一行!!」
 
 彼等の幸せな昼食が終わる。 
 

 
後書き
(゚∀゚)ノ[薬膳ちょこっとメモ No.4]

【五行と五味】
 薬膳の思想は、道教の五行思想と密接なかかわりがあります。
 まず、味を大きく下記のように割り振り、その性質を大まかに定めています……ほんと大まかだけどね。
 あと、【淡味】があるから六味だし。

【木】=【酸っぱい】【渋い】
【火】=【苦い】
【土】=【甘い】
【金】=【辛い】
【水】=【塩辛い(鹸)】

【酸っぱい】【渋い】……汗かき、心臓の激しい鼓動、慢性的な咳、下痢、頻尿などを治療する。 主に慢性的な体質の改善に対して効果が高い。
※ちなみに男性の"早い"のを治す効果もあります。

【苦い】……喘息、排尿時の痛みなどと言った、体から何かを吐き出す際の問題に効果があります。 体の中に溜まっている悪いものを排出する効果が高い、いわゆるデトックス効果ですね。

【甘い】……脾臓や胃の刺激を和らげ、痛みを取り除きます。 体に足りないエネルギーを補って疲れを癒す効果があるため、"元気を取り戻す味"ともいえるでしょう。

【辛い】……感覚的に理解しやすいと思いますが、体を温め、気力を高め、全身の血の流れを活発にして、綺麗にします。 人を活動的にする味ですね。

【塩辛い】……体の中で凝り固まったものをほぐして溶かす効果があります。 体を内側からストレッチするための食材ですね。 ただ、塩分だけにとりすぎは注意!

【淡味】……たぶん感覚的になじみがないので『何のこっちゃ?』だと思います。 えぇ、こういう概念があるとだけ思ってください。
 甘味と同じく脾臓に関与するので、「コク」とか「まろやかさ」のようなものかもしれません。
 ちなみに、このカテゴリーの食材は「津液」といって、いわば体の中の水分……ありていに言えばリンパ液と呼ぶのが近いモノの流れをよくします。 肌の潤いなんかも、この"津液"に入っているため、美容上はとても大事です。
 はい、ここテストに出るよー(大嘘)
 ちなみに、むくみを取り除いたり、胃もたれ、目眩などの症状を緩和します。
 
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