ソードアート・オンライン ―亜流の剣士―
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
Episode2 新たな出会い
俺は今、アインクラッド第八層の最前線の街にいる。最近ではすっかり攻略のペースも安定し、この世界にもそれなりに平穏が訪れていた。
…ただ、今の俺の心理状態は世界のそれとは全く正反対にあった。
「だからさ、なんでそんな安いんだよ!」
街中の露店通りで俺は叫んでいた。その声を受けて、髪の毛をツンツンと逆立てた店主は、やれやれ、と言わんばかりに首を左右に振った。
「何と言われようと、こいつには千二百コルまでしか出せないよ」
全く進展を見せない押し問答に飽きたのか、周りにちらほら集まっていた野次馬たちも三々五々離散していく。
が、そんなこと関係なく俺は交渉を続ける。
「安いだろ!?《サラマンダーの表皮》はこれから前線で必要になるはずだ」
「だから高いってか?二、三日前までならそうだったかもな」
「はぁ?」
思わず俺は聞き返していた。
《サラマンダーの表皮》は現状でかなりハイランクの耐火性アイテムだ。ちらほらと火を吐くモンスターが増えており、尚且つ今度のボス戦で火系統の攻撃を持つモンスターを相手にすると噂されている今、このアイテムには相当の価値が付く…はずだった。
「いやな、アルゴっつう情報屋が次のボスの情報を流した後に、多くのプレイヤーが同じことを考えたわけだ。そのせいで《サラマンダーの表皮》はもう飽和状態なんだ。分かるな?」
「なっ……くそ」
店主の言い分は実に筋が通っている。多くのプレイヤーが俺と同じことを考え、サラマンダーを乱獲する。その結果、需要に供給が追いつき相場が下がるのは悔しいが納得がいってしまう。
「なっ、その辺のNPCのショップで売ってもこんな値はつかねぇよ?今、俺に売るのが正解だろう」
男の言うことはまたしても正しかった。街にあるNPCショップに売っても《サラマンダーの表皮》は高値が付くアイテムではない。
さらに、プレイヤーショップでも、火系統のモンスターが減る、もしくはもっと火耐性のいいアイテムが出てくれば値は下がる一方だ。
「…仕方ない。そっちの言い値で売るよ」
「そうこなくっちゃ!あんたの熱意に免じて千五百コルで買い取ってやるよ」
目の前のトレードウィンドウの提示額が言葉通り増加した。
意外といい奴なんだな、と思いつつトレードの成立ボタンを押そうとした。その時、
「ちょっといいか」
俺の後ろから声がかかった。振り返ったら、ビックリするくらい近くに一人のプレイヤーが立っていた。声をかけられる今の今まで、こんなに接近されていることに気が付かなかった。
「おい、部外者は口出さないでくれるか!…ってお前は…!」
俺の横に立つプレイヤーを見た店主の顔色が変わった。ひどく渋い顔をしている。その視線に俺もそのプレイヤーをよく見た。
線の細い顔だ。一見では男か女か惑うくらいに。少し癖のある黒髪。体の線も華奢、というほどではないが相当に細い。背に携える剣は、オーソドックスな片手剣。
だが、このプレイヤーの一番の特徴は
「黒ずくめの装備…って攻略戦で見たことあったような……」
全身まちまちな俺の装備と違って、統一された黒い装備。全身を黒のロングコートで包むこのプレイヤーを、俺は今までに参加した前回、前々回のフロア攻略戦で見かけたことがあったはずだ。
「確か…えぇと、なんて名前だったっけ?」
「……見せてくれるか」
俺の問いを無視し、しかし躊躇いがちに言う黒ずくめのプレイヤーに、俺は自身のウインドウを可視モードにした。
そのプレイヤーがウインドウを覗き込んでいる間も、俺は記憶のどこかにあるはずの名前を探していた。
「マキト…じゃないし、ケントでもないよな?」
「やっぱり…なぁ、あんた」
またしても俺を無視して、黒い剣士は店主に声をかける。
「このアイテム、あんたが言ってるほど市場に出回ってないよな」
「そうなのか?」
「あぁ、そもそもコイツをドロップするサラマンダー自体がレアモンスターだからな」
ようやく俺の方を向いて黒い剣士は答えた。
「今ならそうだな…装備をきっちり買い揃えても多分お釣りが来るよ」
俺を一瞥して言ったそれに少々気分を害さざるを得なかった。だが、俺より嫌な顔をしながら店主が口を開いた。
「勝手なこと言わないでくれ。こっちはもう交渉がまとまりかけてたんだ。営業妨害だぞ!」
最後はほとんど絶叫に近かった。続けて喚こうとする店主の耳元に黒い剣士が近づいて囁いた。
おそらく、あまり聴いてはいけないことなのだろうが、《聞き耳》を常時発動にしている俺は耳聡くその内容を聴き分けてしまった。
「…あんた、《聖竜連合》のメンバーだろ。噂はいろいろあるぞ。サラマンダーのポップ地点を占有して耐火性アイテムを独占してる、とかな……」
「……ッ!?」
囁かれた店主の顔色が一気に青ざめた。途端にトレードウインドウの金額が何倍にもなり、店主は店舗代わりのカーペットを即座にしまうと立ち上がった。
「それで文句ねぇだろ!…くそっ、儲け損ねたぜ……」
「ちょっ、待てよあんた!」
俺の制止も聞かずにトレードを成立させた店主が立ち去り、後には黒い剣士と俺だけが残った。
俺が目の前の剣士の名を思い出すべきか、それとも先にとりあえず礼を言うべきか、将又謝礼に一割払うべきかまとまらない思考をグルグルさせていると、黒い剣士が先に声を発した。
「悪かったな、口出しして」
「や、別にこっちは困らない…っていうかなんだかよく分かんないけど、売値が跳ね上がって助かったよ」
「そっか、そりゃ良かった。じゃあな」
それだけ言って立ち去ろうとするそのプレイヤーの肩を反射的に掴んでいた。さすがにこの無礼な行動に、黒い剣士は顔を歪めた。
「悪い。けどちょっと待ってくれ……そうだ、キリト!それがあんたの名前だったよな!?」
ようやく思い出した名前を叫びながら、俺の中には名前に付随した他の情報も蘇っていた。
メチャ強な片手剣士…俺と同じくソロプレイヤー…攻略組を支える強者たちのうちの一人……ビーター…。
「…ん?《ビーター》ってなんだっけ?」
聞いたことはありこそすれ、意味の分からないそのワードが思わず口をついて出た。その途端、肩を掴んでいた手が乱暴に払われた。
「俺はあんたのことなんて知らない。…それに、迷宮区に行くならもっと装備に気を使った方がいいぞ」
不機嫌そうにそう呟いたキリトは、今度こそ立ち去ってしまった。
一人ポツンと残ってしまった俺は、呆然としたまま立ち尽くしていた。
そんな俺の背後からまた聞き覚えのない声が聞こえた。
「ホンマ、彼の言う通りやなぁ。あんたの装備ダメダメやで」
見知らぬ人からのダメ出しに多少ムッとしつつ振り返ると、そこには今度は惑う事なき一人の女性プレイヤーが腕組みをして立っていた。
…何故女性と断言できるのかと問われれば、そりゃ体型が実に女性的だから…と言わざるを得ないのだが、今は誰にも聞かれないから問題なしだ。
アイスブルーの綺麗な髪。全体にお姉さんチックな雰囲気を漂わせる顔立ち。かけられた銀縁のスッキリしたホルムの眼鏡がさらにその印象を強くさせる。
ただ、全身に武器らしい装備品はなく、生産系のプレイヤーなのかと俺に仮定させる。いや、この印象は物書きなんかの方が似合っているかもしれない。完全に俺の主観であるが――。
なんて俺の思考を読み取っていたかのように、思考が終了した途端眼鏡をグイッと押し上げながらそのプレイヤーは空中に指を走らせた。パッとフレンド申請の表示が現れたそこには《シスイ》と言う名が記されていた。
「カイトくん言うんやね。うちはシスイや。よろしゅう」
「お、おぅ。よろしく…」
視線でシスイが申請の許諾を促して来る。なんだかよく分からないが、こんな状況で拒否を選べるような俺ではない。促されるままに許可を押した俺にシスイが満足そうに頷く。
「これでうちら知り合いやね!ところで、さっきの彼が言ってたみたいにその装備で迷宮区に送り出すのは心配やわ。てことで、うちが今からコーディネートしたげるから来て!」
「えっ?…ちょっと引っ張るなよ!?」
「心配せんでいいって!うちに任せとき!」
そういって、そのシスイというプレイヤーは俺の手を引きずってショップへと入っていった。わけも分からないまま、俺は初対面の女性に全身のコーディネートを始められたのだった。
ページ上へ戻る