シャンヴリルの黒猫
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41話「クオリ・メルポメネ・テルプシコラ (5)」
彼が旅立って数十年、わたしの生活は幽閉される場所が牢から例の部屋に移った以外、何も変わりませんでした。外に出ることは無く、ひたすら本を読む毎日。
「どうして移ったの?」
「脅したんですよ、わたしが」
穏やかでない単語にびっくりしているユーゼリアをみて、笑った。
「彼がいなくなった1ヶ月後、くらいでしょうか。自分から言ったんです。“暇だ、あの本を持ってこい~”って」
そうしたらその部屋に連れていかれました。わたしは数十年そこにいました。読む本には困りませんでしたし、古代魔法の研究が随分進んだので、実りある日々でしたよ。
「数十年……」
「正確にはー、どれくらいでしょうかねぇ。6,70年はいたと思いますよ」
「そ、そんなに!?」
せいぜい3,40年と思っていたユーゼリアは高い声を上げた。
「そしてある日、唐突に、里は崩壊しました。奴隷商の一団に襲われたんです」
どうして里の場所が割れたのかは分かりませんが、それは若い男達が狩りに行っている時間帯、外貨欲しさに中から手引きした愚か者がいたんでしょう。老人は殺され、女子供はどんどん捕らえられていきました。
民家には火が放たれ、その火は図書館にも燃え移りかけていたと思います。
「……なぜ」
「“なぜ、わたしが生き残ったのか?” ……父が、逃がしてくれたんです」
扉を守る衛兵も賊を迎え討つ為に出払っていて、非戦闘員の父は図書館の消火にあたっていたんでしょう。密かに4階に上がって、わたしを部屋から連れ出しました。裏口の扉をあけて、
『もっと早くに出してやれなくてすまない。逃げてくれ。お前には生き残ってほしい。古代魔法が伝わっている里は多くない。この里はもう駄目だろう。古の魔法を、途絶えさせないでくれ』
と。一言一句忘れずに覚えていますよ。それが不器用な父の、最後の言葉ですから。わたしは『今こそ古代魔法を用いるべき時だ』と里に戻ろうとしたのですが、
『まだ上手く制御ができない魔法では、あの商人たちには勝てない。今は逃げてくれ』
そう言って、わたしの背を押しました。
それからわたしは逃げて逃げて…、もとからわたしの存在を見たわけではない盗賊は結局わたしをのがし、わたしは体をすっぽり覆い隠すローブ以外はなにも持たずに、世に放り出されました。
それからなんとか素性を隠しつつギルドを伝って生きてきましたが、奴隷商人というのは鼻が利くもので、どこからともなく沸いて出てはわたしを捕らえようと襲ってくるのです。
そのせいでパーティを組むとパーティメンバーにまで被害が出てしまって……。それでも魔道士がソロでできることには限界がありますから、
「だから、臨時パーティを組んでいたってわけね」
「はい」
クオリが視線をユーゼリアに戻した。にこりと笑う。
「全然面白くもありませんが、これがわたしの全てです。だから、自画自賛のようですけど、魔道士としてはかなりの戦力になれるかと思いますよ」
「…そうみたいね。古代魔法って、どれくらいの数使えるの?」
「全部で20種類くらいです。あまり沢山では無いんですけど…」
「十分だわ。古代魔法って効果がとても大きいんでしょう? 噂に聞く限りだと」
「そうですね。威力の面ではかなりのものかと」
見てみたい。
一魔道士としてそんな衝動に駆られたが、一般に知られていない魔法である以上、闇雲に使うわけには行かない。何のためにわざわざ暗号文にして後世に伝えられたかを考えれば、なおさらだ。
古代魔法は、例えば魔獣と遭遇したなどの状況以外では使えないだろうと思った。特殊な魔法は彼女がエルフであることをばらしやすくなってしまうかもしれないからだ。本人にその意志がない限り、無理強いさせるようなことはできない。
「けっこう長く話し込んでしまいましたね」
「…うん。打ち明けてくれて、ありがとう。……ん? じゃあクオリって今何歳!?」
「今年で多分103になります。人間でいうと、だいたい30歳手前あたりですかね。それよりそろそろ休憩挟みませんか。アッシュさん、止めてもらえます? …あれ、アッシュさーん?」
絶句したユーゼリアを放って小窓から顔をのぞかせると、腕で顔を隠したまま(おそらく木漏れ日が眩しかったのだろう)動かないアシュレイの姿。顔は見えないが、静かに上下する胸で、彼が寝入っていることがわかった。
「寝てますね。そっとしておきましょうか」
「珍しいわね……疲れてるのかしら。ああでも、アッシュがいないと馬車が止まらないわ」
そんな会話をしていると、馬車がだんだん減速し始めた。あれっと小窓を覗くと、特に障害物もないのにシュラが道の端に馬車を寄せて足を止めていた。
「あ、ありがとう、シュラ」
普段は無視するのに、この時はシュラが嘶き返した。
――礼はいいから、静かにしろ。
なんとなく、そう言われたような気がしたユーゼリアだった。
だが気をつけていても流石に馬車の扉が開くと気配でわかるらしく、気を使われていた当の本人は目が覚めた。
「ん、休憩か?」
「あ、うん。そう。アッシュもお茶はいかが?」
「頂こうかな」
ユーゼリア特製の紅茶は、鍋で沸騰した熱々のお湯のおかげでまたアシュレイの舌を火傷させ、悶絶するアシュレイと声を上げて笑うユーゼリア、吃驚するクオリと、賑やかな休憩づくりに一役買ったのは、いつものことである。
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