薬剤師
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第一章
第一章
薬剤師
十八世紀イタリアミラノ。ここに一軒の薬屋があった。
「風邪薬はこれですか」
「はい、そうです」
イタリア人らしい明るい黒い目をしていて癖のある短く刈った茶色の髪の顔がやや四角くはっきりとした眉の形をした端整な顔立ちの若者がカウンターで客に応えていた。カウンターの後ろは様々な薬が入った箱で一杯である。
「他には頭痛の薬もありますけれど」
「頭痛のですか」
「それに歯磨き粉も」
そういったものもあるというのである。
「そちらも如何でしょうか」
「はい、それじゃあどちらも」
客はにこりと笑って全部買って行った。客が去ると若者はまずはふう、と溜息をついた。カウンターは全て褐色の木造りで中々頑丈そうである。若者は黒い服の上に白い上着を羽織りそのうえで溜息を出して難しい、それでいて困った顔をしてカウンターにもたれている。
「全く、この仕事はなあ」
右で頬杖をついての言葉であった。
「何もわからないし面白くないし」
こう言うのである。
「何をしていいのかさっぱりわからないし」
つまり今の仕事に不平を持っているというわけである。
「これでグリエッタがいないととっくに辞めておるところだよ、薬剤師なんて」
「おおい、メンゴーネ君」
ここで店の奥から低い男の声がしてきた。
「いるかい?」
「あっ、センブローニョ先生」
メンゴーネと呼ばれたこの若者はその声が聞こえてきた方に顔を向けて応えた。
「今お客さんが来たところで」
「ああ、そうなのか」
「風邪薬と頭痛の薬、それに歯磨き粉が売れましたよ」
「そうか、それは何よりだ」
ここでその声の主が出て来た。髪は白く顔は細長く皺が目立つ。垂れているというよりは垂れ下がっている目をしており身体つきは痩せている。その彼がセンブローニョだった。白い服とズボンの上にメンゴーネと同じ白い丈の長い上着を羽織っている。
「売れるに越したことはないからな、わしの薬が」
「ええ、全くです」
メンゴーネは彼の言葉に応える。
「それで僕もですね」
「ああ、君もそろそろ風邪薬を作れるようになってきたな」
「見よう見まねですけれど」
それでも一応は、ということだった。
「何とかできてきましたかね」
「何事も敬虔だよ」
センブローニュはこう言いながらカウンターの前に座った。そうして手元に置かれていた新聞を手に取った。そのうえで懐から眼鏡を取り出し顔にかけるのだった。
「それじゃあ」
「新聞読まれるんですか」
「ちょっと休憩でね」
「休憩なら店の奥でもできますよ」
「その奥にいるのに飽きたんだよ」
眼鏡をかけたその顔でメンゴーネに述べるのだった。
「それでここに出て来たんだよ」
「そうだったんですか」
「そうだよ。それでね」
センブローニョはさらに言うのだった。
「今日はヴォルピーノさんが来る日だったね」
「ああ、あの人ですか」
メンゴーネはヴォルピーノという名前を聞いて一気に不機嫌な顔になった。
「あの人も来るんですか」
「この場合は来られるだよ」
さりげなく彼の言葉を訂正させた。
「お客さんだしお得意様だし」
「それはその通りですけれど」
「まあとにかくだよ」
センブローニョは新聞に目を通しながら彼に告げる。
「ヴォルピーノさんが来たら頼むよ」
「一応わかりました」
これまた随分と誠意に欠ける返事だった。
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