シャンヴリルの黒猫
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34話「スレイプニル (4)」
前書き
長らく放置しておりまして……申し訳………
アシュレイの思いもよらない台詞に棒立ちになった女性2人は、そろそろと視線だけを鋼の馬に向けた。
(まさか、ばれるとは思わなかったな……)
アシュレイもびっくりだった。
確かに特別気にして力を抑えていたわけではないが、まさかひと目で見破られるとは思っていなかった。今回は、スレイプニルという種が特に知能が高いということもそれに加担していたのだろう。
アシュレイが剣を手に柵の中に入ると、スレイプニルはいきなり立ち上がり、首を彼に向かって下げたのだ。紛れもなく魔獣の最敬礼。
『……お前、気がづいていたのか』
アシュレイが声をかけると、ブルンとひと鳴き。未だ無い瞳は、だが優しく彼のことを見ていた気がした。アシュレイは初めからスレイプニルを殺そうなど考えていなかった。例え魔獣と恐れられる者であっても、生まれたばかりの仔は無力なのだ。そんなときに連れ去られて、こんなに狭く暗いところで鎖に繋がれ育てられたこの仔馬が、アシュレイには哀れでならなかった。ゆえに、転移の魔法でどこかへ送ろうと考えていたのである。
『……そうか。先程は彼女に牙を向かないでくれて感謝する。不意に脅したりして、悪かった』
ユーゼリアのことだ。スレイプニルはまた優しく嘶いた。
『お前は狩りをしたことがあるか? ……無い、か。ならば自力で覚えてもらうしかあるまい。悪いが、俺ができるのはここから逃がしてやることくらいだ。本能のままに生きろ、我が同胞よ』
そのまま馬に手のひらを向け、詠唱にはいろうとした途端。スレイプニルはその頭をアシュレイの手のひらに押し付けた。驚いて詠唱を止めると、仔馬の意志がアシュレイに流れ込む。
『何? 俺についていきたい? 馬鹿を言うな。お前は人形になれないだろう。それとも何か、馬車馬としてでも働くのか?』
魔獣は基本的にプライドが高い。当たり前だ。強靭な肉体とそれに見合う力を持っているのだから。ゆえに、ここまで言えば諦めるだろうとタカをくくっていたアシュレイだが、それでかまわないという馬の意思に思わず面食らった。
『……お前、わかっているのか。重い馬車を、お前1頭で運ぶんだぞ。首に縄をかけられて、身体を鞭で叩かれて。……本気か?』
――傷ついた貴方も、同族がいることで少しでも傷を癒せれば。
アシュレイには、スレイプニルがそう言っているように感じた。馬は気づいていたのだ。人と、魔の者の狭間に立ち、苦しんでいたアシュレイのことを。
これにはさしものアシュレイも叶わなかった。
『……そう、か。なら、共に行ってくれるか、同胞よ』
スレイプニルが首を擦り付けてくる。この仕草は、親に甘えているのと酷似していた。本来、魔獣が遣い魔にそんなことをしようものなら、一瞬で首をはねられるだろう。だが、アシュレイはユーゼリアに、人に触れることで、良くも悪くも甘くなった。ユーゼリアのことを格下の魔獣に感謝など、普通しないものである。気づかぬうちに、アシュレイは偽りの優しさを、本物に変えることができたのだ。そして、それを本能的に悟ったスレイプニルの知性の高さにも、感嘆するばかりである。
「兎に角、俺が柵の中に入ったら、こいつが鼻面を押し付けてきたってわけだ」
「私には触れさせてすらくれなかったのに……」
恨みがましい目で馬の頭を睨むユーゼリアだが、全く相手にされていなかった。
「まあそういうわけで…こいつ、俺らが貰い受けるって形でどうよ?」
「え!? 魔獣よ!?」
「だってもうペットみたいなもんだろう」
「でも……」
渋るユーゼリアに、クオリが追い討ちをかけた。
「いいんじゃないでしょうか。どういうわけかは分かりませんが、スレイプニルがアッシュさんに懐いているのなら。魔獣は一度懐を見せた相手には決して襲いかかりませんし」
「うぅ…わかったわよ。2人が、そんなに言うのなら……」
話がまとまりかけたところで、再び空気と化していた店主が割り込んできた。思わずアシュレイの機嫌も悪くなる。今まで美女美少女と話していたのに、いきなり生え際が後退したおっさんが会話に入ってきたのだから、まあ当然といえば当然かもしれない。
「お、おい! あんた、奴を殺すんじゃなかったのか!? 危ないんだろう!?」
「事情が変わったな。ま、もともとこの3人の中の誰かに懐いたら、こいつはタダで譲渡してもらう約束なんだから、あんたには問題ないだろう? 被害を被るのは俺たちなんだから」
「ぐっ」
奥歯を噛み締め店主は引き下がった。
(やれやれ、諦めの悪い……)
ふうっとため息をつくと、再び2人の方を向く。
「じゃ、そういうわけで、いいかな。とりあえず馬車と同時に馬もゲットした、ということで」
「もっちろん! これでお金が浮いたわ! ただでさえ6人乗りを買って、ちょっと心もとなかったのよね」
「じゃあ、この先行われるという武闘大会に出ませんか? 賭けが公式にあるそうですよ。勝てば一攫千金も夢じゃありません」
「それはいいわね!」
「期日に間に合えば、選手として登録もできるかもしれません。もし優勝できたら賞金がもらえますよ」
最後はこちらに顔を向けて、にやりと笑った。「貴方なら勝てるでしょう?」といっている顔だ。そこまで言われれば勝ってやろうじゃないか、という気になる。
「まずは、馬車ね。おじさん、あの馬車買うわ! 150万でいいのよね!」
「……くそッ。もってけ泥棒!」
「ありがたくいただいていきますね」
るんるんとスキップをしながらギルドに向かうユーゼリア。お金を一旦おろしてくるらしい。
アシュレイはというと、スレイプニルの背中に早速またがって、高くなった視界に感嘆の声を漏らしていた。おもわず脱力するクオリ。
「中々の景色だな。お前、飛べるのか? ……まだ無理か。ま、仕方ないか。そう落ち込むなよ」
「……魔獣と意思疎通ができるだなんて、規格外ですね。一体何者ですか?」
「なんだろうな。俺が聞きたいよ」
「ちょっ」
はぐらかされたと思ったクオリが文句を言おうとアシュレイを見上げると、彼はスレイプニルの背にまたがったまま、遠くの空を見つめていた。その横顔に、ほんの僅か、“寂しさ”が宿っているような気がして、クオリは口をつぐむ。
「さてと。ユーゼリアがすぐに来るだろうから、馬車のところに行って待っていよう」
「あ、はい」
ぶすっとしていた店長をスレイプニルが急かした。頭のその大きな鎌をちらつかせるだけで、情けない声を出しながら店頭にダッシュで戻っていく。思わず吹き出した。
「アッシュさん!」
「ん?」
「わたし、暫くお世話になりますね!」
「おう。よろしく、クオリ」
「はい!」
なんだかこの2人といると、自分を偽らずにのびのびできると、クオリは思った。
******
一晩馬車倉庫と馬小屋を借りることになった宿屋にその旨を伝えると、スレイプニルについて随分驚かれた。
「あ、あれが馬車馬かい!? 襲ったりしないんだろうね!」
「問題ない。何もしなければ、な」
「ちょっとアッシュ! 怖いこと言わないの!」
にやりと笑いながら言うと、慌てたようにユーゼリアがフォローを入れた。アシュレイは腹をバシバシと遠慮なく叩かれ、ちょっと痛がっていた。
「じゃ、行きましょうか。次の目的地はファイザル! 武闘大会へ! 急げば2日目からの試合には間に合うわ。お金稼ぐわよ!」
「それから、新しい仲間に、乾杯」
「よ、よろしくお願いしますっ」
その晩、クオリは初めて翌日が楽しみで眠りに就けない、という現象に出会った。
(何もかもが、この2人といると新鮮ですね……)
楽しい旅になりそうだ。ファイザルでは一体何が起きるだろう。
(きっと、アッシュさんがまたすごいことをやらかすんでしょうね)
想像は尽きなかった。
暁の空に、雲は1つも見えない。
******
宿の天井には降り立った一羽の黒いカラスが、赤い目を朝日に照らされていた。
――――Chapter.1 “邂逅” 【了】
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