シモン=ボッカネグラ
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プロローグその四
プロローグその四
「それがあんたの孫の父親に言う言葉か!?あんたに認めてもらう為に身を盾にして戦ってきたというのに」
「そんなものは御前が勝手にした事だ。わしの知った事ではない」
彼は冷たく言い放った。
「確かに御前はこのジェノヴァの為に戦った。だがそれとこれとは何の関係も無い」
「だから和解しようと言ってるじゃないか」
「和解?どうして貴様などと和解しなくてはならんのだ?」
彼は顔に侮蔑の色を込めて言った。
「わしはフィエスコ家を侮辱した者は決して許さん、それが我が家の掟なのだからな」
「ではどうすればいいんだ!」
「そんな事は自分で考えろ」
「くっ・・・・・・」
シモンはその言葉に声を詰まらせた。
そして暫く考えた。フィエスコの方を向くと言った。
「俺の命で気が済むのか?」
フィエスコは答えない。
「では一思いにやれ。彼女と結ばれないならどうせ同じだ」
「御前の命!?」
彼は傲然と見下した声で言った。
「そうだ、そんなに憎むというのなら一思いに殺せ。そのほうがお互い清々する」
「フン、何故そんな事をせねばならんのだ」
フィエスコは冷然と言った。
「わしは別に貴様を殺そうとは思わん、確かに貴様は憎いが我が家を侮辱した事は忘れてやってもよいのだ」
彼はシモンを見て言った。
「一つ条件があるがな」
「条件!?」
シモンはその言葉に反応した。
「そうだ。貴様がわしの可愛い娘に手をつけて生まれたあの娘をわしに譲るというのならな。わしとて孫は可愛い。あの娘には何の罪も無い。まだ顔も見ていないがわしはその娘をきっと幸せにしてやる。どうだ、悪い条件ではないだろう」
「・・・・・・それは出来ない」
シモンはその言葉に声を沈ませて言った。
「何故だ?」
「運命を司る神があの娘を連れて行った」
「それはどういう事だ?」
フィエスコはその言葉に眉を顰めた。
「俺はあの娘をこのジェノヴァから離れたところで育てていた。俺は敵が多いからな」
平民達に人気があり軍人として有名なシモンは度々刺客に命を狙われていたのだ。
「俺はその家で一人の年老いた女に世話をさせていたのだ。ある日俺はその家に帰った」
「ほほう、それでどうしたのだ?」
「家には誰もいなかった。中では女が殺されていて娘の姿は何処にもなかった」
「御前の敵の誰かがやったのだろうな。誰かまではわからぬが」
「ああ。俺はあちこちを探し回った。・・・・・・だが見つからないのだ。今だにな」
シモンは話し終える頃には完全に沈んでいた。
「それは不憫で残念な話だがそれでは仕方無いな」
フィエスコは冷たく言った。
「ならばこの話は無かったことになる。わしは御前と和解はせん」
彼はそう言うとシモンに背を向けた。
「待ってくれ、娘は必ず見つけ出す」
シモンはそんな彼を呼び止める様に言った。
「どうやってだ?」
フィエスコは後ろを振り返らず言った。
「それは・・・・・・」
シモンは言葉が無かった。方法が思いつかなかった。
「無いのだろう、それでは話にもならん」
フィエスコはそう言うと去って行こうとする。
「おい、待ってくれ!」
シモンは呼び止めようとする。だが彼はそれには耳を貸さず姿を消した。後にはシモンだけが残った。
「・・・・・・何という奴だ」
シモンはそんな彼の後ろ姿を見て言った。
「あんな美しく清らかな娘がどうしてあんな男から生まれたのだ。信じられん」
ふと屋敷を見る。扉が開いていた。
「中にいるんだったな。入れてもらうか」
扉の前に行く。そして中を窺う。
「誰もいないな。失礼だが入ってみるか」
彼はそう言うと屋敷に入って行った。そこへフィエスコが戻って来た。
「ほう、奴は屋敷の中へ入ったか」
シモンの姿が無く屋敷に光が照っているのを見て言った。
「精々探し回れ。そして冷たくなった娘を見るんだな」
彼はシモンを呪うように言った。その声には憎悪の他に悲しみも混じっていた。
シモンは屋敷の中を家の中で見つけた聖母像の燭台を手に探し回っていた。
「マリア、一体何処にいるんだ」
屋敷の中は誰もいない。そして彼は地下室へ入って行った。
「さて、そろそろかの」
フィエスコは暗い笑みを浮かべて言った。
「貴様もわしと同じ苦しみを味わうがいい」
そう言った時だった。シモンが屋敷から出て来た。
「そんな・・・・・・・・・」
彼は完全に絶望していた。屋敷の門をくぐり外に出るとガックリと膝を着いた。
「何故だ、何故彼女は死んだのだ・・・・・・」
フィエスコはそれを見て相変わらず暗い顔で笑っている。そこへ遠くからシモンを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ボッカネグラ!」
大勢の群集の声だ。シモンはすぐにそれに気付いた。
「何だ?」
見れば職人や水兵達である。松明を手に持っている。他にも多くの者がいる。老若男女様々だ。
「あれは・・・・・・」
その先頭にはパオロとピエトロがいる。どうやら彼等が明け方に来てくれるよう集めた者達らしい。
「旦那、そんなところにいたのか」
パオロが彼に声をかけた。
「これを見てくれ、皆貴方に総督になって欲しいんだ」
ピエトロも言った。
「皆の願いだ、総督になって街と俺達を導いてくれ」
皆その声に頷いた。松明の火がゆらゆらと揺れた。
「総督か・・・・・・」
シモンはそれを半ば放心した状態で聞いていた。
「俺にはそんなもの・・・・・・」
「皆貴方を必要としているんだ」
「そうだ、それを断るのはどうかと思うぞ」
二人はそんなシモンに無理強いするように言った。
「そうか・・・・・・」
シモンは皆の顔を見た。皆彼を期待する眼差しで見ている。
彼にはもう断れなかった。絶望した気持ちをそれで紛らわせようと思った。
「わかった、引き受けよう」
その言葉を聞き皆歓声をあげた。
「よし、これで俺達の総督の誕生だ!」
「ああ、貴族の奴等を黙らせて俺達のジェノヴァを築くんだ!」
皆口々に叫ぶ。
「結局は貴族が憎いだけなのか・・・・・・」
シモンはそんな彼等を見て呟いた。だがそれは彼等の耳に入っていない。
「あいつが総督か、何ということだ」
フィエスコはそれを見て苦々しげに呟いた。だがすぐに姿を消した。
「いずれ時が来る。その時こそ恨みを晴らしてやる」
皆シモンを取り囲んで松明を掲げて喜びの声をあげる。しかしシモンはそれを沈んだ気持ちで聞いていた。
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