シモン=ボッカネグラ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
プロローグその三
プロローグその三
「そしてフィエスコの奴はどうなるんだ?」
一同の中の一人がポツリと言った。
「これさ」
頃合い良しと見たパオロが出て来た。そして左手で首を切る仕草をする。
「皆来てくれ」
そう言って手招きする。皆それに従い彼を取り囲んだ。
「あの屋敷を見てくれ」
そう言ってフィエスコの屋敷を指差した。
「フィエスコの奴はあそこに一人の美女を閉じ込めている」
「ああ、それは聞いた事がある。何でも自分の慰み者にしているとか」
一人が言った。
「まあ話は最後まで聞いてくれ。そう、そして彼女は暗い牢獄の中でいつも泣いているのだ」
「何て奴だ、それでも人間か」
「この手で八つ裂きにしてやろうか」
「いや、火炙りにしろ。悪魔は火で焼き尽くしてしまえ」
パオロの言葉に皆激昂した。
「まるで悪魔の館だな。哀れな美女が悪魔の奴隷になっているのだ」
「そう、そしてあの門は傲慢な貴族共にだけ開かれるのだ。そしてその宴を共有するのだ。気の毒な美女が奴等に貪り食われているのだ。・・・・・・静かにしてくれ、その哀れな人の心が彷徨う気配がするだろう」
「ああ、許せん、貴族の奴等は皆殺しだ!」
一同は怒り来るって叫んだ。
「諸君、見ろ」
その時屋敷の中から光が見えた。赤く弱い光である。
「悪魔共の火だ」
「恐ろしい!」
「あんな連中をこれ以上のさばらせていいのか?今度は俺達の恋人や娘がああやって奴等に貪られるんだぞ」
パオロはここで彼等を煽る様に言った。
「そんな事許してたまるか!」
「おお、逆に俺達が奴等を一人残らず地獄へ叩き落としてやる!」
「そうだ、正義の鉄槌であの腐った頭を叩き潰してやる!」
彼等は口々に叫ぶ。パオロとピエトロはそれを見てニヤリ、と笑った。
(上手くいったな)
(ああ、これで決まりだ)
二人は囁き合って笑った。
「では皆明け方ここに来てくれるな」
パオロは一同に顔を向けて言った。
「当然だ!」
彼等は一斉に叫んだ。
「よし。そして誰を選ぶのかもわかっているな」
「当然だ、シモン=ボッカネグラの旦那だ!」
(これでよし)
二人は心の中で笑った。
「では明け方に」
「おお!」
パオロとピエトロは一同を連れてその場を後にした。そして酒場に連れ立って行った。
静まり返った屋敷の門から一人の男が出て来た。
歳はシモンより一回り以上上であろうか。黒い髪と瞳の気品のある堂々とした顔立ちの長身の男である。その長身は豪奢な服に覆われている。この屋敷の主ヤコブ=フィエスコである。
このジェノヴァでも有数の門閥貴族の家の当主である。富裕を誇り街への影響力も絶大である。
また権謀術数の渦巻くこの街でも有数の政治家である。その政治力により彼は街で最大の実力者となっていた。
だがそれが平民達の怒りを買った。彼等との戦いにより彼もまた力を失い今は失脚している。
「愚かな者達だ、そうして内部で争って何になるというのだ」
彼は下に下りて言った。そしてふう、と溜息をついた。
「だがもうそんな事はどうでもいい。最早この屋敷とも永遠の別れだしな」
そう言って屋敷を見た。暗闇の中に浮かび上がるその屋敷は何も言わない。
「マリア・・・・・・」
ふと女の名を呼んだ。
「聖母様と同じ名を与えたというのに。何故幸薄くわしより先に死んだのだ」
頬を涙が伝う。
「わしは御前をどうする事も出来なかった。沈む御前をどうする事も出来なかった」
そう言って顔を俯けた。
「あの男との結婚を許すべきだったのか、いや、それだけはならん」
彼はそう言って頭を振った。
「だがあの娘を殺したのはわしだ。・・・・・・わしは何と愚かな父なのだ」
屋敷から多くの人々が出て来た。どうやらフィエスコ家に仕える者達のようだ。
「旦那様、お元気で」
彼等を代表して一人の年老いた男が言った。
「うむ、そなた達も元気でな。今までご苦労だった」
「はい・・・・・・」
彼等は礼をしてその場を去って行く。フィエスコはそんな彼等を無言で見送っている。
「娘もいない、家もない。最早わしは只のさすらい人か」
彼はその場を去ろうとする。だがその時誰かが屋敷の前に来た。
「あの男は・・・・・・」
それを見たフィエスコの顔が怒りに満ちていく。シモンが来たのだ。
「至るところで俺の名を呼んでいる。どうやら俺が総督になりそうだな」
彼はそう呟きながら教会のところにやって来たのだ。
「明け方に皆ここに来るというが。そうすればようやく俺は彼女を迎えられるのだな」
そう言って屋敷の方を見た。
「もう少し待っていてくれよ。そうすれば俺達は一緒になれる」
「そう上手くいくかな」
フィエスコが彼の前に出て来た。
「あんたか」
シモンは彼を見て言った。無意識に眉を顰める。
「よくもまあそんな事が言えるな。あの娘が御前の妻になるだと?」
フィエスコも不快さを露にして言った。
「丁度貴様に天罰が下るように願っていたところだったというのに。今そうして貴様の顔を見るとはな」
「あんたはそうやっていつも悪口ばかり言うな。いつも俺が頼んでいるのに」
「頼み?何だそれは」
フィエスコはとぼける様に言った。
ページ上へ戻る