シモン=ボッカネグラ
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第三幕その四
第三幕その四
「それがどうしたというのだ。私と御前は今こうして和解するのだ」
「・・・・・・最後になってか。何故今まで気が付かなかったのだ、わしは」
うなだれる。罪の意識が彼の心を激しく撃つ。
「それが運命というものだ」
「・・・・・・何という残酷なものだ。どの様な責め苦よりも惨たらしい」
「・・・・・・それは違う」
シモンは嘆くフィエスコに対して言った。
「どう違うというのだ」
フィエスコはシモンに対して言った。
「あれを見よ」
シモンは指差した。そこにはあの娘がいた。
こちらに近付いて来る。その後ろからガブリエレやジェノヴァの人々がやって来る。
「マリアか・・・・・・」
フィエスコは彼女の姿を見て呟いた。
「そうだ、御前の宝だ。私が授けるな」
アメーリアがやって来た。白い祝福された服を着ている。
「御父様、こちらにいらしたのですか」
「ああ、実は御前に紹介したい人がいる」
シモンは娘に対して優しく微笑んで言った。
「あの人か」
ガブリエレはフィエスコを見て呟いた。
「ようやく本当に巡り会えたのだな」
彼はそれを見て再び呟いた。だがそれをアメーリアには言おうとはしなかった。
「おじ様、どうしてこちらに?」
彼女は自分の養育係を認めて言った。
「それは・・・・・・」
フィエスコは口籠もりながら言おうとする。だがシモンが先に言った。
「マリア、この人はもう一人のマリアの父なのだ。かって私が愛したもう一人のマリアのな」
シモンは優しい声で言った。
「ではこの人は私の・・・・・・」
アメーリアは彼の顔を見てハッとした。
「そうだ。彼もまた気の遠くなる程長い間御前を捜し愛していたのだ」
「そして今やっと巡り会えたのね」
アメーリアは恍惚とした顔で言った。
「そうだ、これで長い間我々を支配してきた憎しみは消え去る」
シモンは一同に顔を向けて言った。
「これで私の役目は終わった」
「いえ、御父様にはまだやるべき事が残っています」
アメーリアはそれに対して言った。
「いや、私の為すべきことは全て為した」
彼は娘に対して言った。
「私はもうすぐこの世を去る」
「そんな、その様なご冗談を・・・・・・」
アメーリアはそれを信じようとしない。
「いや、真だ」
フィエスコが言った。
「彼は先程毒を飲んだしまった。パオロが水に入れた毒をな」
「パオロが・・・・・・」
ガブリエレはその言葉を聞いて考えを巡らせた。
「ではあの時の・・・・・・」
ガブリエレがシモンに忍び寄った時にテーブルの上にあったあの壺の中の水であった。
「そうだ」
シモンは彼に対し答えた。
「それに気付かなかったのも運命だったのだ」
彼はそう言うとゆっくりと倒れた。
「御父様!」
アメーリアは父を必死に助け起こした。
「無駄だ、私はもうすぐこの世を去る」
彼は娘の腕の中で言った。
「だが悔いはない。こうして娘に出会えたのだからな」
彼は微笑んで言った。
「そんな、やっとお会い出来たというのに・・・・・・」
彼女は涙を流していた。ガブリエレもフィエスコもそうであった。
「私の生涯は憎悪と血に彩られていた。だがそなた達は違う」
シモンはアメーリアとガブリエレに対して言った。
「そなた達には神のご加護があるだろう。そしてジェノヴァもまた真の意味での繁栄を迎える」
彼の声は穏やかであった。それはまるでこれまでの長い憎しみの歴史であったジェノヴァの歴史を清めるかの様であった。
「私はそれをあの世で見よう。それこそが私の最後の仕事だ」
「この世の幸福は全て束の間の悦楽に過ぎないのか」
フィエスコは彼の言葉を聞いて呟いた。
「御父様、死なないで!」
アメーリアが必死に声をかける。
「これが今までの憎悪の報いだというのか」
ガブリエレはかって憎しみに捉われていた己が心の愚かさを悔やんだ。フィエスコは二人を見て再び呟いた。
「人の心は涙を流し続けるものだ。それが絶える事は決してない」
シモンは最後の力を振絞ってアメーリアに対して言った。
「最後に顔を見せてくれ」
「はい」
彼女はその顔を父へ近付けた。
「これでもう良い。思い残す事は何一つとしてにない」
そしてジェノヴァの人々に顔を向けた。
「これでお別れだ。だが一つだけ伝えよう」
「はい」
皆その前に畏まった。
「次の総督はガブリエレ=アドルノを推挙したい。皆この者と共に繁栄の道を歩んでくれ」
そして次にフィエスコへ顔を向けた。
「娘達とジェノヴァを頼む」
「・・・・・・・・・」
彼は黙って頷いた。そしてシモンはアメーリアに顔を向けた。
「さらばだ」
そう言うと静かに目を閉じた。そしてゆっくりとその頭を後ろへ落とした。
「御父様!」
だがむ返事は無かった。彼は娘の腕の中から天界へ旅立ってしまった。
「ジェノヴァの市民達よ」
フィエスコはジェノヴァの人々へ顔を向けて言った。
「これからは彼を、がガブリエレ=アドルノを総督と認めてくれ。そして彼と共に歩もう」
「いや・・・・・・」
誰かがふと口に漏らした。
「ボッカネグラだ!」
そして言った。
「そうだ、ボッカネグラだ!」
皆口々に叫んだ。
「・・・・・・だが彼はもういない」
フィエスコは彼等に対して言った。
「今我々が彼に出来る只一つの事は」
そう言ってアメーリアの腕の中で眠るシモンに顔を向けた。
「祈るだけだ」
皆その言葉に従った。跪き静かに祈りを捧げる。
「そしてこの街を覆った憎しみよ消え去れ。忌まわしい対立の炎は永遠に灯ってはならぬ」
フィエスコは静かに言った。その時遠くから何かが聞こえてきた。
「鐘か」
それは教会の鐘の音であった。
「神の声は全てを清めて下さる。人間の愚かな過ちも。しかし」
彼はもう一度シモンの顔を見た。
「罪の意識は最後の審判まで清められることはない」
鐘の音は静かに鳴り続ける。そしてジェノヴァの街を清め続けていた。
シモン=ボッカネグラ 完
2004・2・24
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