シモン=ボッカネグラ
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第二幕その一
第二幕その一
第二幕 官邸
シモンは官邸に住んでいる。ここには彼の住居の他に執務室や先程の会議室等がありジェノヴァの政治の中心となっている。豪壮で周りを威圧させるような造りになっている。
あの事件が起こった刻のことである。シモンは真犯人の捜査をパオロに任せ他の政務に当たっている。当のパオロはその真犯人が他ならぬ自分自身の為ろくに捜査などしてはいなかった。
その官邸のテラスに彼はいた。ピエトロと一緒である。彼等はそのテラスから市中を見下ろしながらテーブルに着いている。その上には壺が中央に一つ、そしてカップが二つ置かれていた。
「あの二人を使うか」
パオロは茶を飲みながらピエトロに言った。この時茶はかなり高価なものであった。
「ああ、それしかないな」
彼もそれに同意した。
「じゃあこれを渡そう」
パオロはそう言うと懐から一つの鍵を取り出した。
「これであの二人を牢屋から引き出してくれ。秘密の廊下を使ってな」
「あそこか」
この官邸はいざという時に備え多くの隠し通路や隠し扉がある。そのことを知っているのはシモンの他には彼の腹心であるこの二人だけだ。
「この鍵で廊下への扉は開くからな。頼んだぞ」
「わかった」
ピエトロは鍵を受け取るとその場を後にした。
「急げよ、一刻も早く高飛びしばくちゃいけないからな」
パオロは走り去るピエトロの背中に対して声をかけた。
「さて、と」
パオロは立ち上がりジェノヴァ市内を見回しながら呟いた。
「まさか自分で自分を呪い誓いまでさせられるとはな。恐ろしいことだ」
彼はそう言うと忌々しげに顔を顰めた。
「すぐにこの街を逃げ出さないとな。さもないと断頭台に上がるのは俺になっちまう。今まで貴族の奴等を難癖つけて片っ端から送った場所に今度は俺が行くことになる」
そう言うと広場の方を見た。処刑はその広場で行なわれるのだ。
「それだけは御免だ。俺は何としても生き延びてやる」
テーブルの前に戻った。そしてカップに残った茶を飲んだ。
「その前に総督だけは何とかしないとな」
壺を手に取った。そしてカップに茶を注いだ。
「追っ手を差し向けられたら厄介だ。それに思い知らせてやらないとな」
再び茶を口に含んだ。
「一体誰のおかげで総督になれてしかも返り咲けたと思ってるんだ。恩知らずが」
完全な逆恨みであった。だがそれは彼にとっては当然の理屈であった。
「この中にゆっくりと忍び寄るドス黒い苦しみを注いでやるか」
彼はそう言うと壺を見た。
「そして殺し屋も用意する。二段の備えだ。さて、どちらにやられるかな」
そう言うとニヤリ、と笑った。悪事に身を浸す悪魔の笑いであった。
ピエトロが戻って来た。ガブリエレと老人を連れている。
「早かったな」
「ああ、こちらも急いでいるものでな」
ピエトロはいささか焦りながら言った。
「ご苦労。それじゃあ先に行っておいてくれ」
「わかった。あの場所で落ち合おう」
「ああ」
ピエトロは逃げる様にその場から姿を消した。
「また悪事を企んでいるようだな」
老人はそんな二人を見て言った。
「それがあんたにどういう関係がある?」
パオロは居直って彼に対し言った。
「ヤコブ=フィエスコ。あんたも本来ならこの街にはいられない筈だがな」
「えっ!?」
ガブリエレはその名を聞いて驚愕した。彼の名はこのジェノヴァで知らぬ者はいなかった。かってシモンの最大の敵として彼と争った貴族達の領袖の一人であったのだ。
「・・・・・・何処でそれを知った」
彼はそれを否定することなく問うた。
「流石だな。てっきり否定すると思ったが」
彼はそれを見て口の左端を吊り上げて笑った。
「わしを馬鹿にしてもらっては困るな。これでもフィエスコ家の主だ」
「もう廃れてしまった旧家のか」
彼は皮肉を込めて言った。フィエスコはそれには答えなかった。
「まあそんなことは今はどうでもいい。あんた達に頼みがあってここへ来てもらった」
「何だ!?悪事なら一人でやればいい」
フィエスコは嫌悪感を込めて言った。
「相変わらず頑固だな。それが家を没落させる原因となったというのに」
「誇りと言ってもらうか。卑劣な事や悪事はフィエスコ家にとっては最も忌むべきものだからな」
「やれやれ。あんたにとってもいい話なんだが。ガブリエレさん、貴方にもね」
彼はそう言うと水を飲んだ。そして二人に対してあえて友好的に微笑んだ。
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