魔弾の射手
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第三幕その一
第三幕その一
第三幕 神の加護と救い
森の中である。ここに猟師達が集まっていた。
「素晴らしい日になりそうだな」
その中の一人が森を眺めてこう言った。
「ああ、全くだ」
同僚の一人がそれに同意する。
「昨日はとんでもない嵐だったからな。こんないい天気になるとは思わなかったよ」
「あの嵐の原因を知っているか?」
「いや」
彼は同僚に答えた。
「狼谷でな」
「あの谷か」
彼はそれを聞いて眉を顰めさせた。
「ああ、出たらしいんだ」
「悪魔がか」
「そうだ、またな」
その狩人は同僚に囁くようにして言った。
「あの谷にだけは近付くなよ」
「わかっている」
それは狩人達の暗黙の掟であった。
「悪魔に魂と売り渡すところだからな」
「そういうことだ」
「あんな場所に行く奴の気が知れないよ」
「全くだ」
彼等がそう話しているとマックスが来た。
「おう、マックス」
彼等は気さくに彼に声をかけてきた。
「どうだい、調子は」
「ええ」
彼はそれに丁寧な物腰で応えた。
「何とも言えませんが」
「おいおい、大丈夫か」
「謙虚なのはいいことだがな」
彼等はマックスの本来の腕を知っている。
「今日で御前さんも結婚か羨ましいなあ」
「おい、御前はもう結婚しているだろうが」
「おっと、そうだった」
彼等は冗談混じりにそんな話をしていた。それを見るマックスの目が細くなった。
ここにカスパールが来た。猟師達は彼にも声をかけてきた。
「あんたも頑張れよ」
「おう」
彼はそれに元気よく応えた。
「まあ任せておけ」
彼もまた仲間達からは腕のよい猟師として知られていた。だがその真実までは知らなかった。
猟師達は先に進んだ。カスパールは彼等を見ながらマックスに囁きかけてきた。
「わかってるな」
「勿論だ」
マックスは暗い顔をして頷いた。
「弾はまだ持っている」
「よし、幾つだ」
「一つだ」
マックスは答えた。
「さっき領主様の前で三つ使った。御前は幾つ使った?」
「二つだ」
「何!?」
マックスはそれを聞いて思わず声をあげた。
「おい、正気か」
「何を言っているんだ」
「あと一発ずつしかないんだぞ」
彼は純粋に弾の数だけを気にしていた。実はこの魔法の弾の真実を聞かされてはいないのだ。
「それがどうした」
教えた張本人はしれっとしていた。当然である。
「一発あれば充分じゃないのか」
「うう・・・・・・」
マックスは逆にそう言われて言葉を詰まらせた。
「その魔法の弾のことはもうわかった筈だ。それでいいだろう」
「言われてみればそうだが」
「その一発を大切にしろよ」
ここで彼は心の中でこう言った。
(御前とアガーテを地獄に誘う弾なのだからな)
しかし心の中の言葉であるのでマックスには聞こえはしなかった。
「わかった。じゃあこれで決めよう」
「そうこなくちゃな」
ここでマックスを呼ぶ声がした。彼はすぐにそちらに向かった。
「ふふふ、全ては計画通りだ」
カスパールはマックスの後ろ姿を見送って悪魔的な笑みを浮かべた。
「これであいつとアガーテはザミエルのものになる。そして俺はこれからもこの世を楽しむというわけだ」
ここで狐を見かけた。
「これでな」
すぐにその狐を撃った。狐はもんどりうって倒れた。
「これはマックスとアガーテにやるとしよう」
悪魔的な笑みのままそう言った。
「地獄への手土産にな」
マックス達が森の中にいる時アガーテは自宅で婚礼の準備に取り掛かっていた。
古く、質素だがそれでいて美しく装飾された部屋である。窓の側には花瓶がありそこにはあの白い薔薇がある。それは窓から入る太陽の光に照らされて白く輝いていた。
アガーテはその中にいた。白い花嫁衣裳に緑のリボンを身に着けている。花瓶の白い薔薇の前に跪いていた。
「天におわします気高き主よ」
彼女は薔薇に語りかけていた。
「今日のこの素晴らしい日を授けて下さったことを深く感謝致します。願わくば私とあの人に永遠の幸福をお授け下さい」
それは彼女の深い信仰心から来る言葉であった。魔物が潜む暗い森の中にあって神の力はあくまで偉大なものであるのだ。
「私にあの人を、そしてあの人に私を。その御力でお授け下さい」
最後にそう言うとゆっくりと立ち上がった。ここにエンヒェンが入って来た。見れば彼女も盛装である。
「ここにいらしたのね」
「ええ」
アガーテは彼女に顔を向けて答えた。
「ではそろそろ行きませんか」
「その前に聞いて欲しいことがあるのだけれど」
「何でしょうか」
おおよその見当はついていた。彼女の晴れない顔を見ればわかる。
「昨日の夢だけれど」
「いい夢ではなかった」
「ええ。私は白い鳩になって」
「いい夢じゃありませんか」
「それだけならいいのだけれど。あの人に撃たれてしまうの」
「それで!?」
流石にそれを聞いてはエンヒェンも穏やかではいられなかった。
「けれどすぐに起き上がって。そのかわりに黒い大きな鳥が倒れていたわ。私は無事だったの」
「それは非常にいい夢だと思いますよ」
そこまで聞いて安堵した顔で答えた。
「そうかしら」
「結婚の前の日に見る夢はこれからの生活の予兆です」
「それは前に聞いたけれど」
「雨蛙が天気を告げるのと同じで。それはきっと吉兆ですわ」
「それならいいのだけれど」
それでもアガーテの顔は晴れない。見るに見かねたエンヒェンはそんな彼女に対して言った。
「白い鳩は幸福、そして黒い鳥は災厄です。お嬢様が災厄から救われるということですわよ」
「そうなのかしら」
「ええ」
エンヒェンは彼女を元気付けるように強い声で応えた。
「だからそんなに落ち込まれることはないですよ」
「わかったわ」
アガーテはそう答えた。だがやはりその顔は晴れない。エンヒェンはそんな彼女に対して遂にこう言った。
「では一ついいお話を致しましょう」
「お話?」
「そうです。お嬢様が望まれているお話をです。宜しいですか?」
「ええ、どうぞ」
彼女はそれを薦めた。エンヒェンはそれを受けて話をはじめた。
「私の従姉のお話ですけれどある日寝ていたら急に無気味な気配がしました」
「真夜中に!?」
「はい。部屋の扉が開いて何かがやって来ます。火の様に燃え盛る瞳を持って鎖を鳴らしながら」
「それはもしかして」
「お話は最後までお聞き下さい」
エンヒェンはここで微笑んで彼女を制止した。
「その様子に驚いた彼女は思わず悲鳴をあげました。そしてそれを聞いた家の人達が見たものは」
「何だったの?」
「犬でした」
「犬!?」
「そう、買っていた家の犬でしたの。とんだ化け物でしたの。そういうお話ですわ」
「よくあるお話ね」
アガーテはそれを聞いて少し溜息を出した。
「けれど少しは気持ちは上向いたのではありませんか?」
「ええ」
それは事実であった。アガーテはほんの少し笑ってそれに応えた。
「花嫁はそうでなくてはいけませんわ。笑っていないと」
「そうね」
アガーテはようやく彼女の言葉に笑顔で頷くようになった。
「貴女の言葉に従うわ」
「そう」
彼女はアガーテのその言葉を聞き満足したように頷いた。
「そうでなくてはいけません」
「ええ」
「花嫁に相応しいのは悲しい顔ではありませんわよ」
またアガーテを元気付けるように言った。
「明るい顔こそが相応しいのです。周りを幸せにするような顔が」
「それが花嫁の務めなのね」
「そうです、その通り」
彼女は言葉を続けた。
「回りを喜ばせるのが。悲しみは別の仕事、少なくとも花嫁の仕事ではありません。ですから」
またアガーテに言う。
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