ロミオとジュリエット
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第四幕その三
第四幕その三
「あの方には必要ありません。ですから御安心下さい」
「ええ」
答えると急に身体に緩慢な麻痺が漂ってきた。
「神父様、これが」
「そうです、死です」
彼は答えた。
「その死が貴女を受け止められ幸福へと誘ってくれるのです」
「少しずつ目が見えなくなってきています」
「そうでしょう。ですがそれは眠りと同じ」
「目が覚めたならば」
「永遠の幸福が目の前にあるのです」
「ロミオ様が」
「そう、あの方が」
「私の側で永遠に」
「ジュリエット様、神は貴女達を見守って下さっています」
神父は崩れ落ちていく彼女を優しい目で見ていた。
「ですから御安心を」
「わかりました。それでは」
「一時のお別れです」
「さようなら」
ジュリエットはそのまま崩れ落ちた。神父はその身体を受け止めてから礼拝堂の中央に静かに寝かせて鈴を鳴らした。するとシスターが礼拝堂の中に入って来た。
「これから貴女にお願いがあります」
「何でしょうか」
「使いを頼みたいのです」
「使いをですか」
「はい、マントヴァまで」
彼は述べた。
「宜しいですね。馬で急いで」
「馬でですか」
「そうです。貴女は乗馬がこのうえなく見事ですから」
このシスターの特技であった。彼女を使者によく使うのはこれが理由であったのだ。
「今回もお願いしますね」
「はい」
シスターはそれに頷く。
「ではマントヴァに」
「おそらくその途中で御会いになられるでしょう」
「あの方に」
「そう、あの方にです。そして伝言をお伝え下さい」
「どの様な御言葉ですか?」
「すぐにヴェローナに戻って欲しいと。ただしこっそりと」
「こっそりとですか」
その言葉に問う。
「そうです、そしてこの教会に来られるよう。宜しいですね」
「わかりました」
「それではすぐにお願いします。後はこちらでしておきますので」
「はい」
「すぐに」
「それでは」
シスターは一礼して礼拝堂を後にした。神父はそれを見送って静かに述べた。
「さて、最後の詰めです」
ジュリエットを見下ろして真摯な顔で述べた。
「これが上手くいけば御二人は結ばれて。そして」
彼の願いが思い浮かぶ。
「ヴェローナもまた永遠の幸福と平和が。もうすぐです」
最後の賽が投げられた。運命の賽が。それがどう動くのかは誰にもわからない。いや、神だけがわかっていた。若し神父が神ならば今この賽を投げはしなかっただろう。しかし彼は神ではなかった。それが悲劇を決定付けるものになってしまったのであった。
シスターの伝言を聞いたロミオは真夜中に一人ヴェローナに戻っていた。そして教会で神父と会い今ある場所へと向かっていたのであった。
「あの、神父様」
ロミオは戸惑った声で彼に問う。
「これから何処に行かれるのですか?」
「何処だと思われますか?」
「そこまでは」
何か不吉なものを感じていたが何処に行くのかはわからなかった。
「ですがやがてわかります」
「はあ」
「貴方が今永遠の幸福に向かわれているということが」
「永遠の幸福ですか」
「そうです」
神父は答えた。
「もうすぐです」
「ですが神父様」
ロミオの顔は晴れてはいなかった。
「何でしょうか」
「この夜の道は」
彼は心の中にある不吉な胸騒ぎを抑えられなくなっていたのだ。
「ここはまさか」
何かがわかってきた。
「間違いない、神父様」
前を進む神父に声をかける。
「ここは」
「ロミオ様」
だが神父は彼には答えない。逆に声をかけてきた。
「は、はい」
「これからは貴方だけでお進み下さい」
「僕だけで」
「そうです。それではこれで」
あえて気を利かして一人にしたのである。だがそれが間違いであった。
「間違いない、この道は」
ロミオは道の中で一人言った。
「墓場への道だ。ならジュリエットは」
墓場の方へ顔を向けた。
「いや、そんなことはない。そうだ、だから」
自分に言い聞かせながら先に進む。
墓場は暗闇の中に緑の草や蔦と赤い野の花が見える。それがまるで人の魂のようだ。それに白い墓標や十字架、それに捧げられている花。昼に見れば美しいのであろうが今は闇の中に浮かぶその白と赤、そして緑の世界がまるで異様な死の世界のようであった。
ロミオはその中にいる。キャブレット家の墓に向かっていた。
「行こう。そして彼女と会うんだ」
何かを否定しながら墓場を進む。だがそこにいたのだ。
物言わぬジュリエットであった。静かに微笑んで棺の中に微笑んでいた。
「そんな・・・・・・ジュリエット・・・・・・」
不安が今絶望となってしまった。
「どうしてこんなことを・・・・・・」
亡骸にすがりついてさめざめと泣く。
「僕は貴女だけが全てだったのに。貴女がいなくなったなんて」
ジュリエットは答えはしない。ただ死に顔を彼に見せているだけであった。
「どうしてなのだ、答えてくれ」
だがやはり答えはない。それがロミオの絶望をさらに深くさせたのであった。
「駄目なのか・・・・・・やはり」
観念したかのように頭を垂れた。そしてその亡骸を抱き寄せた。
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