前略、空の上より
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第ニ話「勘違いのお年頃」
「うん。視界良好、スッキリ」
鬱陶しかった髪を切ってもらうと視界が大きく開けた。短髪となった自分を鏡で確認して満足そうに頷く。
「これで大丈夫ですか、マスター」
「おう、バッチリだよ。ありがとな、ニンフ」
ハサミを片手に不安そうに聞いてくるニンフに微笑んだ俺は彼女の頭を一撫でした。
「えへへ、お役に立てて嬉しいです」
嬉しそうにはにかむニンフ。その笑顔に胸がほっこりと温かくなった。
俺がこの世界にやって来て一月が経過した。
過去の俺を知るシナプスの住人やエンジェロイドたちは代わり映えした俺の姿に当初は戸惑いの色を隠せないでいたが、時が経つに従い段々と慣れていっている様子だ。
特に顕著なのがイカロスやニンフといったエンジェロイドたち。
主に棄てられないようにと献身的に尽くしてきてくれる彼女たちだが、「俺がお前たちを捨てることはありえない」と断言してからは段々と俺に対する態度が軟化してきた。
今までは肩肘が張っているような、どこか緊張感を持ち合わせて接していたが、最近では程々に気を抜いて話が出来るようになっている。ふとした笑顔も見られるようになってきたのは俺としては嬉しいものだ。
まだまだ自己主張が乏しいイカロスも少しずつではあるが自分なりの考えというものを持ち初めている傾向が見られ、外向きの笑顔を浮かべていたニンフも心からの笑みを洩らすところもちらほらと見受けられるようになってきている。アストレアは相変わらずの馬鹿だが。
「この服も変えたいところだな」
空人の民族衣装なのか知らないがローマの人が着るような服だよこれ。白い布だけじゃ防寒対策できてないじゃん。なにより、ダサい。
「そういえばこの辺りに……」
「マスター?」
首を傾げるニンフ。手を振るうと目の前の空間に穴が開いた。知識としては知っていたが実際に目にするととんでもないな……。
右手の中指に嵌めた指輪の機能で眼前の空間と亜空間を接続。ぽっかりと虚空に開いた黒い穴に手を通した。
「えーっと、どこにあるかな、っと……。ああ、あったあった」
取り出したのは掌サイズのリモコン。小型の素粒子変換装置だ。こいつで丁度良いサイズの服を作ろう。
「マスター、ダウナーの服を着るんですか?」
身を乗り出して画面を覗いたニンフが俺を見上げた。余程意外だったのか目を丸くしている。
「こらこら、ダウナーなんて言っちゃ駄目だぞ。差別用語なんだから。ちゃんと人間って言いなさい」
「あ、はい。ごめんなさい」
素直に謝ったニンフの頭を撫でる。この一ヶ月で変わったなこの子。
「さて、取り合えずこれでいいか」
カタログのようなものが画面に表示され、服を選びボタンをプッシュ。現在、着用している服が光に包まれたと思うと次の瞬間には別の服装へと変化していた。流石は素粒子変換装置、いい仕事するなぁ。
選んだ服は二十代の若者が着るようなジャケットにスラックス。上下とも好きな色である黒で統一している。これでアクセサリーを付けたらどこぞのホストだな。顔だけは良いし、俺。主観的視点じゃなく客観的視点ねこれ。
「どうかな?」
ファッションモデルのような出で立ちをしてみる。顔を輝かせた反応だけで答えは十分だった。
「カッコいいです、マスター!」
「そ、そうか?」
そのキラキラ輝かせた視線が眩しい。
天宮の頃の俺は並みの容姿だったため、女の子に『格好いい』などの声を掛けられたことなんて一度もない。しかも中学、高校と男子校だったから女の子との接点はあまりなく彼女が出来た試しもない。
そんな俺が、生まれて初めて『格好いい』と言われた。
(やべっ、ちょっと楽しいかもこれ……)
モデルを勤める自意識過剰男たちの心情が少しだけ解ったかもしれない。完全な空回りの可能もなきにしもあらずだが。
「俺、ちょっと皆のところ行ってくるわ!」
「えっ? あの、マスター?」
玉座の間を離れて廊下を上機嫌で歩く。
「おっ、タナトス!」
丁度良いところにタナトスが。俺の姿を認めたタナトスはいつもの柔和な笑顔を浮かべた。
「あら、どうされました? なんだかご機嫌ですね」
「分かるか? 流石だな」
「ええ、それはもう。ご主人様ったら今にもスキップしそうな勢いですもの」
口元に手を当ててクスクスと笑う。こういう何気ない所作が淑女という感じで様になっている。
「ところで髪をお切りになったのですね。お召し物も変えて」
「ああ。人間たちでいうところのイメチェンというやつだ。どうかな?」
爪先から頭頂まで視線を這わせたタナトスはニコッと微笑んだ。
「よくお似合いですよ。キリッとして格好いいです」
「そうか? 嬉しいな~!」
さらに気分がよくなった俺は大きく手を振ってから彼女と別れた。
「ふふっ、ご主人様も変わりましたね」
背後から微笑ましそうな目で見守るメイドさんには終始、気が付かない俺であった。
† † †
「さてと、他に誰かいるかな~」
ニンフに引き続きタナトスにまで格好いい発言を貰った俺の気分は有頂天。鼻歌まで歌っちゃうぜ!
すれ違うオレガノたちが不思議そうな目で俺を見てくるが、そんなの気にしない。だってアルカインだもの! ……いかん、ちょっと気分が高揚し過ぎて思考回路が愉快なことになっている。落ち着け俺。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせていると、視界に見覚えのあるピンクが移った。
「……マスター」
「ん? おー、イカロスか」
そこには何故か箒を持ったイカロスが立っており、せっせと地面を掃きながら俺の顔を凝視していた。
「なにしてんの?」
「……掃除を」
「ああ、手伝ってるのね。自分から手伝うなんて偉いなイカロスは。ご褒美にナデナデしてあげよう」
「あ……」
イカロスの頭を優しく撫でる。サラサラの髪は絹のように手触りがよく、いつまでも触っていたい気持ちに駆られた。
不思議そうな顔で俺を見上げる彼女の頭から、鉄の意志で手を引き剥がす。
「……マスター、髪切った?」
コテンと首を傾げるイカロス。よくぞ聞いてくれましたとばかりに髪をかき上げた。
「おお。いい加減鬱陶しかったからな、バッサリやったぜ。切ってくれたのはニンフだけど」
どうよ、と服も兼ねて訊いてみると、いつもの無表情でコクンと大きく頷いた。こうして見るとイカロスの無表情って本当、オレガノにそっくりだなぁ。いや、オレガノがイカロスにそっくりなのか。どことなく愛嬌があるところが特にそっくりだ。オレガノってイカロスをベースにしてるのかな。姉妹設定? ハーピーと被るじゃん。
(まあ、可愛いから細かいことは気にしないけどな!)
「んじゃ、掃除がんばれよ!」
「……」
ピッと親指を立ててエールを送るとイカロスも表情を変えずにサムズアップした。なんだかんだでノリが良いαちゃんだ。
機嫌上々でイカロスと別れた俺は鼻歌を歌いながら、いつの間にか廊下をスキップしながら移動していた。
(ニンフやタナトス、イカロスにまでお墨付きを貰えるなんて、俺ってイケてる?)
先程からニヤニヤが止まらない。鏡を見ればさぞや締まりのない顔をしているだろう。
「むふっ」
「――!?」
すれ違う男がビクッと震える。
通りすがる男たちが俺を見ては驚愕のあまりに絶句する。とうとう同性までもを魅了するようになってしまったか……。なんて罪作りな俺!
「マスター! 何してるんですか?」
得意の絶頂だった俺に話し掛けてくる者が一人。振り替えればそこにはアストレアの姿があった。
「おお、アストレアか! いやなに、迸るパトスの赴くままに行動していただけさ。それよりどうだ? 俺のこの姿は!」
バッ! と自分なりに思う格好いいポーズを決める。完璧だ。今の俺の背には後光が刺していることだろう。
(さあ、俺を褒め称えるがいい……!)
鼻高々で聴覚に全神経を集中させる。
きょとんとした目で見つめてきたアストレアは――。
「ぷぷっ」
盛大に吹いた。
「あは、あははははははっ! な、なんですかそれ! バッて、バッて……! ぷくくぅ――!」
「――」
腹を抱えて笑うアストレア。時が止まる音を確かに聞こえた。
「はー、変なマスター」
その一言が俺の心を撃ち抜いた。
「へ、変か……?」
「うん、すごく変。というか気持ち悪いんだけど! ぷぷっ……!」
似合ってるけどマスターのテンションが気持ち悪い、との言葉は耳に入ってこなかった。
両手と両膝を床につき打ち拉がれる俺。
(とんだ勘違い野郎だったのか……)
恐らくニンフたちは社交辞令のつもりで格好いいと言ってくれたのだろう。それを真に受けてはしゃいだ俺って……!
「穴があったら入りたい……」
「――?」
羞恥に身を悶え自分自身に絶望する俺であった。
後書き
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