フィデリオ
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第二幕その一
第二幕その一
第二幕 勇気の天使
牢獄の中は暗く沈んでいる。所々が朽ち果て、水で湿っている。そこはまるで洞窟のようであり蝙蝠がいても不思議ではなかった。だがそうした者達はいなかった。
かわりに罪を犯した者達がいる。彼等はその罪を償う為にここにいる。狭く、沈んだ世界でその目だけを光らせている。暗闇の中でその目だけが光っていた。
そのさらに奥に彼はいた。ボロボロになった囚人の服を身に纏っている。その手足には長い鎖があり、それが身動きを制限していた。牢獄の奥深くで彼は捉われの身となっていたのだ。
その顔は決して卑しくはない。汚れてはいるが見事な金髪に彫刻の様に整った品のある顔、青い目をしている。だがその青い目には力はなく肌も土気色だった。長身の長い牢獄での生活のせいか縮んでいるように見えた。彼は俯き、落胆した顔でそこにいた。
「ここにいてもうどれだけ経つか。静寂と荒廃だけがここにある」
牢獄にいる筈の鼠や虫達さえそこにはいなかった。それはまるで地獄のようであった。
「神によりこの苦しみを受けた。人生の春はすぐに去っていき今はこうしてここにいる。私は真実と正義を口にした為にここに閉じ込められた。これは神の御意志であろうか」
それは誰にもわかりはしない。神という存在が善であるかも悪であるかも本当のところは誰にもわからないのだ。彼にとって善であっても他の者や神にとっては違うかも知れない。人の世とは理不尽なものなのであるから。
「だがそれならいい。私は己の運命を受け入れよう」
彼はそれでもよしとした。
「私は正しいことをした。それはレオノーレがわかってくれればそれでいい。彼女が私を理解してくれているのならそれだけで私は幸せだ」
彼の想う人なのであろうか。レオノーレの名を呼ぶと恍惚となった。だがそこには何もない。静寂と暗黒だけが支配している。そんな中で彼はただ項垂れ、座り込んでいた。そうするしかなかった。
「レオノーレ」
またその名を呼んだ。
「この地獄に光を呼び込んでくれ。御前だけが私の希望、私の全てなのだ。そうしてくれれば私はもう他には何もいらない。喜んでここで死のう」
既に死を覚悟していた。もう諦めていた。彼はただそこで目に見えぬものを見ていた。希望だけを。
その奥に足音が向かっていた。それは二組あった。
「気をつけろよ」
「はい」
それは初老の男と若い男のようなものの二つの声であった。
「ここは滑るからな」
「わかりました。しかし凄い寒さですね」
「地下の奥深くだ。それにここには他に誰もいないからな」
「そうなのですか」
「あの囚人以外は。鼠さえいやしない」
初老の男の声はそう語っていた。冷えきった暗闇の中に声だけが聞こえてくる。灯りが奥の方に向かう。するとそこに二つの影が映っていた。一人はその手につるはしを二つ持っていた。もう一人はスコップを二つ持っていた。
「そろそろだぞ」
「はい」
頑丈な鉄格子が見えてきた。そしてその奥に彼がいた。うずくまっていた。
「あれだ」
「死んでいるのですか?」
フィデリオはその囚人がうずくまり、動かないのを見てそう言った。だがロッコはそれには首を横に振った。
「いや、生きている」
「生きていますか」
「おそらく眠っているだけだ。死んではいない」
「そうですか」
彼はそれを聞いて安堵したような言葉を出した。そして囚人を見た。
「遂にここまで」
「時間がない。すぐにはじめるぞ」
ロッコはそう言って彼につるはしを一本手渡した。
「そこがいい。じゃやるか」
水溜りを指し示した。だがフィデリオはその言葉をよそに囚人の方を見ていた。
「おい」
「あ、はい」
声をかけられ我に返った。
「どうしたんだ、あまり時間はないのだぞ」
「すいません、誰なのか気になりまして」
「あの囚人が誰なのかはわし等には関係ないことだ。気持ちはわかるがな」
「はい」
(だが私にとっては違う)
心の中でそう呟いたがそれは口には出さなかった。
「もう少しで所長が来られる。それまでに掘っておかなくてはならないからな」
「かなりの深さですよね」
「まあな。人を埋めるのだからな」
ロッコはそれに答えた。
「かなり掘るぞ。急がなくてはならん」
「わかりました。それでは」
「うむ」
少し掘ると石が出て来た。
「これをどけてな」
「ええ」
石をどけた。
「さて、また掘るぞ」
「わかりました」
二人はつるはしで掘り続けた。ある程度掘ったところでロッコは言った。
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