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フィデリオ

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第一幕その五


第一幕その五

「悪辣な者、何処へ行くつもりか」
 立ち去ったピツァロを見据えていた。
「荒々しく猛りながら何処へ行くか。御前の心には怒りと憎しみしかないというのか」
 だが当のピツァロはいない。彼はそれでも言った。
「しかし私の心は違う。暗雲の前の明るい虹が照らしている。それが私を勇気付けてくれる。あの人を助ける為に」
 そして決意した。ピツァロのそれとは全く違う決意であった。
「来たれ、希望よ。苦しむ者の最後の星となれ、それが私を導いてくれる」
 言葉を続ける。
「私は希望に従う。そしてあの人を救う。希望がある限り私は諦めはしない。そして必ずや目的を果たす」
「おい、フィデリオ」
 語り終えたところでロッコが戻ってきて彼に声をかけてきた。
「何か」
「御前さんも来てくれないか」
「墓掘りにですか?」
「ああ」
 それを聞いた時心の中で会心の笑みを浮かべた。
「宜しいのですか?」
「ああ」
 彼はそれを認めた。
「有り難うございます。ところで一つお願いがあるのですが」
「何だ?」
「囚人達のことです」
 彼は言った。
「彼等にお慈悲を与えてあげてはどうでしょうか」
「?美味い食事か?」
「そうですね。日の光を」
「獄長の許可なしでか?」
「事後承諾ということで宜しいでしょうか」
「よいことだがお許しになられるかな」
 ロッコは首を傾げた。
「責任は私が取りますから。ですからお願いします」
「そこまで言うのなら。では頼むぞ」
「はい」
「わしは獄長にお願いしてくる。ではな」
 ロッコはピツァロのところに向かった。こうして囚人達は狭く、暗い監獄から日の光が照らす緑の庭に出ることができた。彼等はその眩しい光を見上げて喜びの声をあげた。
「本当に久し振りだ、日の光を見られるなんて」
「ああ、全くだ」
 彼等は口々に言う。
「新鮮な空気に緑の世界。前に見たのは何時だったか」
「もうそんなことすら覚えてはいない。それだけ昔だったな」
「監獄は墓場だ。だがここは違う」
「自由だ。そして命がある。それに触れられることの何という幸せよ」
 身体全体で喜びを噛み締めていた。フィデリオはそんな彼等を見守りながら何かを探していた。
(いないのか、ここには)
 何を探しているのであろうか。はたまた誰かか。彼はそれを囚人達の中から必死に探そうとしていた。しかしそれは中々見つからないようであった。
「おい、フィデリオ」
 そんな彼にロッコが声をかけてきた。
「来られたのですか」
「うむ。上手くいったよ。獄長は快諾して下さった。いいことだと仰ってな」
「それは何よりです」
 彼は笑顔を作ってそれに応えた。
「そして御前さんにもいい知らせだよ」
「何でしょうか」
「今日からずっとわしの仕事を手伝ってくれ。牢獄にも入っていい」
「本当ですか!?」
 それを聞いて喜びの声をあげた。
「うむ。その奥にいる男だがな」
「はい」 
 話を聞くその顔が真剣なものになった。
「与えられる食事は次第に減らされている」
「そうなのですか」
「そしてな、殺されることになった」
「何と!」
 さっきピツァロが話していたことだ。彼はそれを聞いて愕然とした。
「後一時間程もすればな。こっそりと殺されるのだ」
「死刑は朝の筈ですが」
 この時代の欧州においても死刑は朝早く行われるのが普通であった。そういうしきたりとでも言おうか。ちなみにこの時代人の血は滋養の効果があると言われていた。その為フランスの貴族達は朝まで遊んだ後で処刑場に向かったりもしていた。そこで死刑囚の血を飲んでいたのである。着飾った、目の下にクマを作った紳士淑女達が先を争って美味そうに人の血を飲む姿はさながら吸血鬼のようだったという。
「予定は変わるものだ。急に変わったのだ」
「どうしてですか?」
「所長の御考えだ」
「そうですか」
 それを聞いてやはり、と思った。
「だからですか」
(ではやはりピツァロ自身が)
 彼は話をしながらそう考えていた。
(私は自分の愛する人の墓を掘らなければならないのか?何という恐ろしいことだ。それだけはさせない)
「だからあの男に食べ物をやるのは許されないのだ」
「わかりました」
「ではすぐに来てくれるな。そろそろ行くか」
「はい」
「墓掘りにはコツがあってな」
 彼はそう言った。
 
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