売られた花嫁
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第二幕その五
第二幕その五
「私は嘘は申しません」
「わかりました」
今度はイェニークがニヤリと笑った。
「それではそこをとりわけ覚えておいて下さいね」
「はい」
ケツァルは得意満面でそれに頷く。
「喜んで」
「わかりました。それでは僕もそれに誓いましょう」
「何と誓われるのですか?」
「マジェンカはミーハの息子以外の誰の妻にもならない、とね。これを誓いましょう」
「わかりました」
二人は互いにニヤリと笑ってそう言い合った。だがその笑いはよく見るとそれぞれ全く違うものであった。それに気付いていたのはやはりイェニークだけであった。
「これで満足でしょうか」
「まだあります」
「何でしょうか」
それを聞いたケツァルの顔が急に不機嫌なものになる。だがイェニークは言った。
「ミーハの息子とマジェンカが婚礼をあげそれを神が承認されたならば」
「はい」
「ミーハの父親は棄権しなければならない。宜しいですね」
「何だ、そんなことですか」
彼はそれを聞いて安心して笑顔になった。また金でも取られるのかと内心警戒していたからである。
「それならいいですよ。それでは」
契約書にそう書いた。
「あとその棄権はクルシナからの借金について。それもいいですね」
「ええ」
それも書いた。ケツァルはそれをイェニークに見せてまた問うた。
「これで宜しいですね」
「確かに」
イェニークは遂にそれを認めた。
「僕は三〇〇グルデンを手に入れた。これでいいですね」
「はい。私も。それではイェニークさん」
「はい」
「ご機嫌よう。新しい恋を見つけられるように」
「わかりました。ではこれで」
「はい」
ケツァルは帽子をとって彼に一礼した後で酒場を後にした。後にはイェニーク一人が残っていた。彼は何食わぬ顔でまずはビールをまた注文した。
「どれにしますか?」
「黒を」
彼はにこりと笑ってそう答えた。
「今は黒がいい。何か腹黒い気持ちになれるから」
「おやおや」
おかみさんはそれを聞いて思わず笑ってしまった。
「また変なことを言うね。一体どうしたんだい?」
「ははは、洒落さ」
イェニークは笑ってそう返した。
「けれど黒が飲みたいのは本当だよ。たっぷりとね」
「あいよ」
「あとはソーセージをね。茹でたやつを」
彼の好物である。何かいいことがあった時はいつもこれを食べるのである。そう、いいことがあった時には。黒ビールも同じであった。
「さてと」
彼は黒ビールとソーセージを前にして一人意を決した顔になった。
「あのおじさんはとりあえずはこれでいいな」
木のフォークを手にし、一本のソーセージにブスリと突き刺す。肉汁がその中から溢れ出てきた。
それを口に入れる。腸を噛み破ると口の中に肉の旨味が広がっていく。そしてそこには玉葱のものもあった。この店のソーセージは中に玉葱も入れているのだ。
それを食べた後でビールを口にする。ソーセージの旨味とビールの苦味が口の中で混ざり合った。
「問題は皆をどうやって信じさせるかだな」
彼はここでひとまずフォークを置いた。
「皆僕をマジェンカを売ったと思っているな。恋人を売った卑しい奴だと」
ソーセージから湯気が出ている。それを見るとまた食べたくなった。
またフォークを手にとりそれを食べる。そしてまたビールを飲む。飲みながら考える。酒が頭の回転を助けてくれていた。急に頭の中が回りはじめる。
「マジェンカを売ったと思われるのはしゃくだけれど」
実はそれは彼にとっても本意ではなかったのである。
「それをどうするか、だな。さて」
ソーセージとビールを味わいながら考える。
「お金と恋なら恋の方がずっと大事に決まっている」
その信念は変わらない。
「お金なんて幾らでも手に入る。だけれど恋はそうはいかないんだ」
恋は人によっては決して見つけることができないものである。手に入れられない者すらいる。偶然手に入る場合もあればどうやっても手に入れられない場合もある。恋の神というのは非常に気紛れな存在でありその心は移ろいやすい。イェニークにもそれはわかっていた。
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