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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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投刃と少女
  とあるβテスター、解禁する

女の子にここまでボコボコ殴られたのは、生まれて初めてかもしれない。
現実世界で母親に引っ叩かれたことがないわけじゃないけど、それは正拳突きじゃなくて平手打ちだったし、今さっきのような連続攻撃というわけでもない。
ようやく泣き止んだシェイリに頼み、マウントポジションを解除してもらうと、彼女は頬を少し紅潮させながら『ご、ごめんね、痛かったよね?』と謝ってきた。
痛かったというか、これがゲーム内じゃなかったら顔の形が変わっているところだったよ……。

───まあ、自業自得なんだけどさ。

SAOには痛み自体はないけれど、彼女の拳は確かに痛かった───心が。
泣かせてしまったこともそうだけど、僕は一人でパニック状態に陥って、もう少しで死ぬところだった。
あの時、シェイリとキリトが助けてくれなければ。僕は今頃真っ二つにされて、この子を置き去りにするところだったんだから。

「キリトも、さっきはありがとう。助かったよ」
「……、いや、俺は別に……」

───ん?

助けてもらったお礼を言うと、キリトの様子がおかしいことに気付いた。
何だかはっきりしないというか、余所余所しいというか───って、ああ、そうか。

「黙ってて、ごめん」
「………」
キリトの態度がおかしい理由は、僕が《投刃》と呼ばれる《仲間殺し》だからだろう。
さっきのキバオウの態度から察するに、アルゴの言っていた『アニールブレード+6』の持ち主は……十中八九、キリトで間違いない。
彼が件の元βテスターだとしたら。《投刃》が昔何をしたのか、知らないわけではないだろうから。キリトが僕を信用できなくなるのは当たり前だ。
だけど、それでも───

「キリトが僕を信用できなくなったなら、それは仕方ないよ。でも、ごめん。せめて次の層に着くまでは、このままパーティメンバーでいさせてくれないかな?」
それでも今は、無事に第2層に到達することが最優先だ。
キリトが僕を……《投刃のユノ》を信用できないと判断したなら、それはそれで構わない。
でも、せめて今だけは。このボス戦が無事に終わるのを、この目で見届けるまでは。
それまでは、このパーティの一員でいさせてほしい。

「……違う。違うんだ、ユノ。俺は───」
そう思い、僕が問いかけると。
キリトは何かを言おうとして、ポツリポツリと言葉を漏らし始めた。

「グルルラアアアアアアアアアアッ!!」

……だけど、次の瞬間。
コボルド王が突如として上げた、今までとは比べ物にならない声量の雄叫びに、キリトの声は掻き消されてしまった。
何事かと思い、ディアベルらC隊に包囲されているはずの、亜人の王へと目を向ける。

「ウグルゥオオオオオオオオ───!!」
一際猛々しい雄叫びを上げたコボルド王は、手にした湾刀《タルワール》を高々と掲げ、目の前の敵───C隊のリーダーである騎士へと向けて、何らかのソードスキルを発動させようとしているところだった。
対するは、右手に長剣、左手にカイトシールドを構えた青髪の騎士。
咆哮するコボルド王の剣幕には鬼気迫るものがあり、並大抵のプレイヤーであれば、そのプレッシャーに気圧されてしまうことだろう。

───でも、これなら。

これならいけるはず、と。僕は心の中で呟いた。
ボスの使用するスキルについては、会議の場で事前に対策済みだ。見たところ、使用武器も湾刀から変更されている様子はない。
相手がディアベル───恐らくは、キリトに対する妨害工作を指示した元βテスター───なら、ボスが使う曲刀スキルの対処法は頭に入っているはずだ。
実際、彼は敵の咆哮に怯んだ様子を微塵も見せず、落ち着いた動作で初撃を捌こうとしている。あの様子なら、多少の攻撃で崩される心配はないだろう。

裏でキリトに対する妨害工作を仕組んでいたのは……まあ、ちょっと見る目が変わらなかったわけじゃないけれど、それを言うなら僕だって元オレンジなわけだし。
リーダーである彼がLAボーナスを獲得し、戦力を大幅に増強することができたなら。その時はきっと、彼に付き従うプレイヤー達の士気も大いに向上するはずだ。
もしかしたら、ディアベルの狙いはそこにあったのかもしれない。妨害工作を行ったのは少しやり過ぎな気もするけど、それだけ彼も本気だったということだろう。
まあ、この際。誰も死なずにボスを倒すことができるなら、LAがどうとか、そんな小さなことに拘るつもりもない。

「あ……ああ………!」
と、僕が悠長にそんなことを考えていると。
僕の近くで彼らの戦いを見ていたキリトが、引き攣ったような声を出した。
声を出したいのに出せないといったような……まるで何かを恐れているかのような、そんな表情で。

「キリト……?」
「──ッ!!だめだ、下がれ!!全力で後ろに飛べぇぇぇぇッ!!」
怪訝に思った僕が名前を呼ぶと、それが引き金となったかのように、彼は突然大声で叫び、ディアベル達に制止を求めた。
その視線の先には。血のような真紅のライトエフェクトを纏い、今まさにソードスキルを放とうとしている、ボスの湾刀……。

───っ!?まさか、使用スキルが違う!?

血の気が引いたような顔で叫ぶキリトの絶叫を聞いて、ハッとした僕は、亜人の王が持つ湾刀へと目を向けた。
アルゴの情報では、ボスが後半戦で使用するのは曲刀カテゴリの『タルワール』だったはず。
現に。コボルド王が右手に持った武器には、曲刀の特徴ともいえる緩く反った刃が煌いている。
刀身はプレイヤーが使うものより少し細いように見えるけど、βテストでは曲刀以外にあんな武器はなかったはず───

───いや、違う……!

僕がβテストで攻略に参加していたのは、第9層のフロアボス戦が最後だ。
それ以降は……《投刃》と呼ばれるようになってからは、各地を転々と逃げ回っていただけで。だから、βの最終層である第10層には、結局一度も足を踏み入れたことはなくて。
もしキリトが叫んだ理由が、僕や……恐らくディアベルですらも知らない、第10層以降の敵にしかない“何か”だったとしたら。
コボルド王が発動させようとしているのが、曲刀スキルではなく、一部の人間しか知らない“敵専用スキル”なのだとしたら───!!

───ま、ずい……!

刹那。
コボルド王は巨体であることを感じさせない動きで軽々と跳躍し、空中で身体をぎりりと捻り、地を揺るがすような轟音と共に落下した。
血柱のようなライトエフェクトが生まれ、同時に発生した衝撃波が、亜人の王を包囲していた六人へと襲い掛かる。

「ぐあああああっ!?」
その“見たこともない”ソードスキルによって、ディアベル含むC隊メンバー全員が床へと倒れ伏した。
驚くべきはその威力だ。範囲攻撃であるにも関わらず、ほぼMAXだったはずの六人のHPが、一撃で注意域《イエローゾーン》まで減少してしまった。
しかも、技の効果はそれだけに留まらず。
倒れ伏した六人の頭上を、回転するおぼろな黄色い光───一時的行動不能《スタン》状態のエフェクトが取り巻き、誰一人として体勢を立て直すことができない。

「ウグルオオオオッ!!」
あまつさえ、ボスの攻撃の手は止まることがなかった。
彼らが動けるようになるより早く、硬直状態から回復したコボルド王が、下からすくい上げるような斬撃で、正面にいたディアベルを追撃して───

「──ッ!シェイリっ!!」
「!うん!」
予想外の事態により、誰もが動きを止めていた中。
昨日感じた“嫌な予感”が見事的中してしまったことに、舌打ち一つ。
パートナーたる少女の名を叫びながら、ディアベル達の───ボスのいる方向へと向かって駆け出した。
彼女も察してくれたのだろう、一瞬遅れて僕と併走し始める。

そうしている間にも、コボルド王は狼にも似た口で獰猛に笑い、空中に浮いたディアベルに止めを刺すべく、武器に赤いライトエフェクトを纏わせている。
ディアベルのHPゲージは、既にレッドゾーン《危険域》に陥る一歩手前だ。あと一撃でもクリティルヒットを貰えば、瞬く間にゼロになってしまうだろう。
その瞬間。彼のアバターは消滅し、同時にナーヴギアに脳を焼き切られ……ディアベルという人間は、この世界から消滅する。

パーティの指導者を失ってしまえば、その後に待っているのは全滅だけだ。
βテスト出身の僕ですら、あのスキルが何なのかわからなかった。初見の技を使うボスモンスター相手に、残ったプレイヤー達だけで対処できるはずがない。
唯一例外を挙げるなら、青ざめた顔でそれを見ていた灰色コートの剣士───キリトには心当たりがあるようだった。
だけどこの土壇場で、彼一人でこの大人数を仕切るのは難しい。

それに、例えこの後、この場を乗り切ることができたとしても。ディアベルのようなリーダーの代わりは、そう簡単に見つかるものじゃない。
新規プレイヤーも元βテスターも関係なく、協力して戦っていくという体制を築くためには。自ら集団の先頭に立つ人間が、必ず必要となってくる。
だからこそ、ここで彼を───ディアベルを失うことだけは、阻止しなければならない。

───間に、合えぇぇぇッ!!

それまで使っていた粗末な短剣を放り出し、メニューウィンドウから投剣スキルのショートカットアイコンを選択する。
次いで、腰のホルスターから投擲用ナイフを“四本同時に”引き抜く。
あの“はじまりの日”から一ヵ月。人前では決して使わずに、隠れてスキル熟練度を上げ続けた、僕が《投刃のユノ》であることの証。

ここで以前の戦闘スタイルを見せれば。僕が仲間殺しのオレンジだったということは、もう隠し通すことができない。
部隊はほぼ確実に追放されるだろうし、キバオウなんかはこれ幸いと、『そいつが変な気ぃ起こす前に殺しとくべきや!』とか言い出すかもしれない。

だけど、それでいい。言いたい人には言わせておけばいい。
目の前でやられそうになっている相手を見捨てて、本当の意味での《仲間殺し》になるくらいなら。
《投刃》だろうが何だろうが、僕は僕としてのやり方で、この世界で戦い抜いてやる───!! 
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