失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第十二話「パートナー」
グォ……ルゥゥゥ……!
全身を漆黒に染めた獣は身の毛もよだつような唸りを上げる。その身体に纏う炎はスカーレットのように気高く心暖まるそれでなく、狂気めいた闇の焔だった。
「どうやら、穏便にとはいかないようだな……」
こうなっては致し方ない。口でダメなら――、
「拳で語るまでだ。行くぞ、エスト」
「はい、リシャルト。私はリシャルトの剣、貴方の望むままに」
――冷徹なる鋼の女王、魔を滅する聖剣よ……今ここに我が剣となれ。
精霊魔装の展開式を紡ぐと同時にエストの身体が光の粒子となって消え、俺の手に片刃の剣が出現する。
白銀に輝く刀身を一振りし、切っ先を斜め下方に向けた。
狂乱した状態では消滅するのは時間の問題。なら、ある程度力を削ぎ、クレアの目を覚まして呼び掛けさせる。
「すまんな、スカーレット。今からお前を降す」
エストを下段に構えたまま走り出すと、闇色の魔獣も牙を剥き飛びかかってきた。
黒炎を纏った爪が凶刃となって襲いかかる。俺はさらに身を低くして爪の下を掻い潜り、弧を描くようにその腕を斬り裂いた。
グルァァァアア!
耳をつんざくような悲鳴を上げ、魔獣が空に逃げる。追撃しようと脚をたわめると、炎の壁が俺を取り巻いた。
「鬱陶しい……っ!」
夕凪流活殺術枝技――輪月。
剣を水平に構え身体を捻る。俺を中心に銀閃が輪を描き、周囲の炎を吹き飛ばした。
離れた場所に着地した魔獣は次々と炎弾を吐き出してくる。
「夕凪流活殺術枝技――閃断!」
剣を一振り二振りと虚空を薙ぎ、斬撃を飛ばす。斬撃は一文字の銀閃となって炎弾もろとも進路上の木々を断ち切った。
――多連瞬動。
高速で魔獣に迫り足元を薙ぐ。四肢を断たれる寸前に跳んで回避した魔獣の腹を後ろ回し蹴りで蹴り上げた。
「宙を移動する術は持たんだろう……閃断!」
程々に弱めた四条の斬撃が魔獣を襲った。身体中から血を飛び散らせながらも怨嗟の孕んだ目で俺を睨む。だが、
「残念だが、じゃれ合いはここまでだ。彼の者を縛れ、自由を奪え、苦痛を与えよ――〈縛鎖・縛円陣〉」
魔獣の周囲に五本の鎖が出現する。五メートルはあるそれらの先には刃渡り十五センチほどの短剣が括りつけられており、ジャラジャラと音を立てながら魔獣を雁字搦めにすると空間に短剣が突き刺さった。
低い唸り声を上げながら暴れるが、鎖はその堅牢さでもって魔獣を封殺している。これで一先ず横槍は入らないだろう。さて、肝心のクレアだが……。
見れば、目を見開き信じられないものを見るような顔で俺を凝視していた。
「クレア――」
「……でよ」
クレアのもとに近づくと関をきったように言葉を続けた。
「なんでよ! なんで負けるの!? あた、あたしは力を手に入れたはずなのに、もう誰にも負けないくらい強くなったのにっ!」
その場に座り込みイヤイヤと頭を振る彼女の前に立った俺は静かに口を開いた。
「なあ、クレア。君はなぜ力を求める?」
「強くなるためよ! 強くなってあたしを馬鹿にしてきた奴らを見返すんだから!」
「本当にそうか?」
膝をつきその顔を覗き込む。深紅の瞳は涙で濡れ、場違いながらも綺麗だなと思った。
「姉に会うために力をつけるんじゃなかったのか? 会って真実を知るために強くなるんじゃなかったのか?」
ハッと何かに気がついた反応を見せる彼女に、確かな手応えを感じた。
まだ間に合う、まだ堕ちきっていない。
「俺は君の炎を知っている。眩しく気高い炎の色を知っている。あの禍々しい炎が君の本来の炎なのか?」
「アタシは……」
「それに、君が手にする力というのはスカーレット(大切な家族)を苦しめるものなのか?」
「え……?」
呆然と俺を見上げるクレア。今もなお身を捩り、鎖の戒めから逃れようともがく魔獣を指差した。
「あれはスカーレットだ」
「……スカーレット?」
「ああ、お前の家族は消滅したわけではない。一時的に力を失い顕現できなかっただけだ。今は狂精霊に憑かれてあのような姿になっているが……」
それを聞いたクレアの目に、たちまち光が戻った。
「スカーレットが、生きてる!?」
「今は、な。このままでは力を消耗し消滅する」
「そんな……!」
ガクッと項垂れ、うちひしがれるクレア。だが、手がない訳ではない。
「救う手立てはある」
「――本当!?」
「だが、救うのは他でもない君自身だ」
「……どうすればいいの?」
クレアの左手に刻まれた黒い精霊刻印に目を向ける。
精霊刻印は精霊と契約者を繋ぐ糸だ。刻印を物理的に破壊すれば、精霊との契約は強制的に破棄される。だが、そのためには契約者本人の神威を使って破壊しなければならない。
そのことをクレアに伝えると、彼女は覚悟を秘めた目で頷いた。
「……いいわ。スカーレットがあんな風になったのはあたしの責任だもの」
その眼差しは俺のよく知る光――強い意志を宿した目だった。
――炎よ、我が手に舞い、踊れ!
クレアは右手に小さな火球を浮かべる。
「スカーレットが狂乱したのはあたしのせい。だから、あたしが取り戻す!」
そして、燃え盛る火球をおもむろに左手に押し付けた。
「ああぁあぁぁぁッ!!」
グォオオオオゥゥゥ――――!
苦悶の表情を浮かべるクレアに呼応して、魔獣――いや、スカーレットも苦痛の雄叫びを上げた。黒炎が迸り、荒れ狂う神威が轟風と化す。鎖がギシギシと軋んだ。
「ごめんね、スカーレット……あたしも、我慢、するから――」
顔面を蒼白にして額に脂汗を滲ませながら激痛に耐える。しかし、ついに許容範囲を越えたのか膝をついた。
その瞬間、スカーレットが戒めの鎖を打ち破り、雄叫びを上げながらクレアに飛びかかった。
「チィ!」
まさか、自力で脱出するとは! 予想外の事態に一寸反応が遅れた俺は慌ててクレアとの間に割って入り、その背を盾にした。
「ぐぅ……っ」
「リシャルト!」
焼けるような痛みを感じる。クレアが悲鳴を溢すが、今は付き合っている暇がない。
クレアが頑張って精霊契約を破壊してくれたお陰で、スカーレットと狂精霊との結び付きが弛んだのだ。スカーレットの身体から靄のように黒い炎が立ち上っている。
俺は地を蹴って反転すると同時に白銀に輝く剣を一閃させる。狙い違わず、スカーレットと狂精霊を分断することに成功した。
狂精霊は黒い球体となって虚空に留まる。
「……残滓すら残さん。消え失せろ」
――我が右手に宿るは破滅をもたらす光。今ここに終焉を告げる!
掲げた掌に魔方陣が展開されゆっくりと回転し始める。そして、何かを握り潰すように掌を握り締めた。
「集約せし壊滅の光」
刹那、魔方陣の中心から極太の光線が放たれ、狂精霊を呑み込んだ。空に向かって放ったため地上の被害は皆無だ。
光が消え去った後を青白い残光が煌めいている。狂精霊は文字通り塵すら残さず消滅した。
それを確認した俺は顔面を蒼白にして地面にへたりこんでいるクレアの元に駆け寄った。
額に張り付いた紅髪から汗が滴り落ち、地面をポタポタと濡らしている。
「あ……ぐ、う……」
喉の奥から絞り出すような呻き声が上がる。左手はひどい火傷となっており、白い肌をしているだけに爛れた痕が痛々しく写る。
手の甲に刻まれていた精霊刻印は跡形もなく消えていた。
本当によく……。
「よく、頑張ったな……」
クレアの左手に手を翳す。
「――凍結解放、〈女神の抱擁〉」
淡い緑色の光が左手を包む。三秒ほどで快癒し、いつもの綺麗な肌へと戻った。
「スカーレット……」
クレアは傷が癒えた途端に立ち上がり、よろけながらもスカーレットの元に歩み寄る。
子猫のように小さくなってしまったが、普段の愛しい姿に戻った火猫は身体を丸めて地面に倒れていた。
火猫を愛おしそうにソッと抱き上げる。
「ごめん、ごめんね……スカーレット……」
涙を溢しながらひたすら謝罪を口にするクレアに、スカーレットは小さく「ミ~」と鳴いた。
後ろで一人見守っていた俺は漸く一息を吐くことができた。
なにはともあれ、一段落ついたか……なんだか疲れたな。
一人黄昏ているとエストが一瞬だけ輝く。なんだか俺を元気つけるかのように思えて、少しだけ嬉しかった。
† † †
「その……ごめんなさい」
「ん?」
無事にスカーレットを取り戻したクレアは唐突に謝罪を口にした。〈次元跳躍〉で現実世界へ帰還した俺たちは現在、寮へと向かっているところだ。
丁度、俺を挟む形で両隣にクレアとエストが位置している。ちなみに本人の催促によりエストとは手をつないだ状態だ。
「リシャルトにも迷惑かけたわね、ごめん……背中の傷は?」
「まあ、誰しも道を踏み外すことはある。気にするな。傷はもう塞いである、さすがに後までは消せなかったが……」
恐らく一生消えないだろう。まあ傷があるからって俺は別に気にしないんだが、クレアは気にしそうだな。今の俺の魔術では完全再生は望めない。
「その、本当にごめん……」
「もう気にするな。俺は気にしない」
「うん……。でも、どうしてそこまでしてくれたの?」
クレアが真っ直ぐ俺の目を見て訊いてきた。
「……俺も昔、強さを求めていた頃があった。今も求めてはいるが、当時の俺は強さというのは単純な力だと思い込んでいた」
あの頃はただ、がむしゃらに己を鍛えていた。高みを追求することだけに一心していた。当時、それがどれだけ危ういことなのかを理解していなかった俺は一時期、心が折れそうになった事があったんだ。
「その時に俺の心を救ってくれた人が言ったんだ。『人の強さは心の強さ。力なき信念は戯言として終わり、信念無き力は暴力として終わる』と」
「人の強さは心の強さ……」
「それからだな。ただ高みを追求するだけでなく、なぜ追求するのか。追究して何を成そうとしたいのかを真剣に考え始めたのは」
「それで、答えは出たの?」
「半分半分かな。前者の答えは得たが、後者の答えは未だ探している状態だ」
っと、少し話が脱線したな。
「話を戻すが、なぜ俺が手を貸したのかというと、今の君が当時の俺に似ていたんだよ。それを思うとどうも他人事のような気がしなくてね」
立ち止まるとクレアも歩みを止めた。彼女の紅い瞳を真っ直ぐ見つめながら言葉を続ける。
「君の契約精霊になることは出来ない。だけど、君さえよければ俺のパートナーになってくれないか?」
クレアは大きな目を見開き、唇を震わせた。
「……いいの?」
「こちらからお願いしているんだ。是非、君のパートナーにしてほしい」
そういうと、彼女は涙を溢れさせながら何度も頷いた。
「うん、うん……! こちらこそお願いするわ!」
よかった、承諾してくれたか。ここで断られたらどうしようかと思ったぞ……。
「ねえ、リシャルト……ちょっと屈んで」
「うん? どうした?」
クレアに促され、腰を落とすと――、
――チュッ。
唇に一瞬、湿った感触がした。
「こ、これはお礼よ。かか、勘違いしないでよね」
言葉とは裏腹に顔を真っ赤にしてそっぽを向くクレアの横顔に、胸が少し高鳴ったのは内緒だ。俺も顔が赤いだろうな……。
夜風で熱を帯びた顔を涼めていると、恥ずかしいのかずんずんとクレアが先を行く。エスト連れた俺は遅れないようにその後を着いていくのだった。
† † †
「ところで、さっきから気になってたんだけど……その子、誰よ」
「おいおい、今更な発言だな。……こいつはエスト。俺の契約精霊だよ」
寮も見えてきた頃になって、突然クレアが訊いてきた。当の本人は小首を傾げているが。
「この子があの剣精霊!? どっからどう見ても人間じゃない!」
「いや、そうなんだが、それを俺に聞かれてもな」
ほれ、とエストを促す。
「はい、私はリシャルトの契約精霊。高位の精霊は人間形態を取ることも可能です」
「そ、そうなの?」
「はい」
「でも、あの剣精霊がこんな可愛い女の子になるなんて……。って、まさかリシャルト、この剣精霊に手を出してないでしょうね!?」
ガーっと牙を向いて威嚇するクレア。どこの野獣だ……。
「なんの話だ……俺が手を出すわけ――」
「私はリシャルトの契約精霊です。リシャルトの望むことが私の望むこと。どのような要望もお応えしますが」
おい! そんなことを言ったら誤解して――、
「ちょっとリシャルト、今のどういう意味よ! まさかアンタ……」
ああ、完全に誤解していらっしゃる。ここはやはり、
「三十六計、逃げるに如かず! いくぞエスト!」
エストの手を引いて戦略的撤退を図ることにしよう。
「あっ、待ちなさいリシャルト!」
その後、俺はクレアのスタミナが切れるまで鬼ごっこをさせられた。翌日、教室に訪れた彼女が筋肉痛に苛まされるのはまた別の話だ。
後書き
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