失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第八話「決闘」
「はぁ……。なぜ俺はこうまで好戦的なんだろうか……」
俺は今日、何度目かになるか分からない溜め息をついた。時刻は二十三時。決闘の時間まであと三時間ある。
今、俺はエリスが用意してくれた木造の小屋にいる。小屋の中は十畳ほどの広さになっており、バスタブ、トイレ、ダイニングキッチンまで完備。さらには吹き抜けの露天風呂まである。
ここに住むのだからもうとことん改良してしまえということで、魔改造した結果こうなった。
空間系の魔術で小屋の中の空間を拡張。トイレは空間を捻じ曲げて学院の下水管と繋げることで使用を可能にした。水は魔術で新鮮な水を生み出せるし、火も同様に自由に温度を調節できる。露天風呂も不可視の結界で外からは視認できないようにしているため、覗きの心配はなく、セクハラの心配もない。女学院だからな、入浴を見られたら大問題になる。
小屋は板を申し訳ない程度に釘で固定したもののため、小屋自体の強度を上げた。例え地震が起きても崩れることはないだろう。守護結界も張っているため精霊の攻撃も無効化し、結界の影響か害虫が侵入する恐れもない。
あれ? 下手な部屋より良くなったぞ?
見た目とのギャップも良い。外観はボロボロの小屋なのに、その実どの家よりも優れた耐久性を持ち、家の中は一流ホテル顔負けの構造となっている。秘密基地みたいな感じがして子供心が擽られる出来になった。
魔術様々だな……。
改めて『ゼウスの書』を送ってくれた爺さんに感謝の念を捧げた。
「さて、取りあえず〈五重封印〉で枷を付けたから、これで思いっきり戦えるだろう」
右手の手首には五本の線がリング状で刻まれている。これで封印状態も一目瞭然だ。
やることがなくなってしまった。決闘までの三時間なにをしようか。
「……そういえば、今まで一度もコイツを呼び出していないな」
左手の甲には交差する剣の紋様。まだ一度もエストを呼び出していなかったのを思い出した。
「そうだな、一度呼び出してみるか」
目を閉じて精霊刻印に意識を集中させる。精霊刻印と回路を繋げるイメージを脳内に投影しながら召喚式を唱えた。
「冷徹なる鋼の女王、魔を滅する聖剣よ――」
召喚式に反応し、二本の剣の紋様が淡く輝く。それと同時に、胸の奥から強大な封印精霊の存在を感じ取った。
「――今ここに鋼の剣となりて、我が手に力を!」
刹那、手の平に微細な光の粒子が集まり形を成す。
そして現れたのは、一振りの長剣だった。
「んん?」
長剣? 短剣じゃないのか? 確か、カミトが初めてエストを呼び出したときは小さな短剣のはず――。
「ああ、そうか」
原作ではカミトはレスティアとすでに契約を交わしており、彼女を諦めきれていなかったため、エストを受け入れることが出来ず不完全のままで召喚してしまったのだった。
対する俺は無論、レスティアと契約していないし、第一彼女と接点がないためエストを拒否することがない。……なら、なぜエストと精霊契約が交わせた? これも転生特典なのか??
「……よく分からんな。まあ、出来してしまったものは仕方がない。メリットはあれどデメリットはないんだし」
長剣を眼前に持ってくる。
「なにはともあれ、これからよろしく。俺の相棒よ」
返事をするかのように、淡く刀身が輝いた。それを見て、俺は笑みを浮かべるのだった。
† † †
ふと目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。
時刻は深夜の一時三十分。決闘まであと三十分か。神威供給をカットしていたため、エストも精霊魔装を解いており室内には俺一人だ。
「そろそろ出るか……」
身支度を済ませて外に出ると、すぐそばにクレアが腕を組んで突っ立っていた。
「遅いわよ。あまりレディーを待たせないでよね」
「それはすまなかったな」
ふんと鼻を鳴らすクレアに苦笑し、待ち合わせ場所である〈門〉を目指して歩く。
「そういえば――」
「なによ?」
「なぜ、そうまでして強い精霊を求める? 何が君を駆り立てるんだ?」
「……」
生憎、俺の風化した記憶では失踪した姉が関与していだけしか覚えていない。
スカーレットほどの精霊を使役するクレアが身の危険を呈してまで〈封印精霊〉に手を出そうとした。相応の理由があるはずだ。
「……そうね、隠しても仕方ないことだもの。話すわ」
クレアは制服の胸元から小さなペンダントを取り出した。
銀の鎖がついたペンダントの真ん中には深紅の精霊鉱石が嵌め込まれている。そこには炎の獅子の紋章が彫刻されていた。
「これは、エルステイン公爵家の紋章か」
クレアは無言で頷いた。
エルステイン公爵家はオルデシア帝国の建国以来、代々王室に仕えてきた大貴族だ。精霊使いの頂点に立つ五人の姫巫女の一人。五大精霊王に直接仕える〈精霊姫〉を輩出している名門中の名門。
そして、災禍の精霊媛を産み出した一族。
ルビア・エリステイン。四年前、火の精霊王に仕えていた彼女は突如、際殿から最強の炎精霊〈レーヴァテイン〉を強奪し、姿を消した。
精霊姫の突然の裏切りを知った火の精霊王は怒り狂い、エルステイン公爵家をはじめとしたオルデシア帝国の領地を悉く焼き払った。
帝国に莫大な被害をもたらしたにもかかわらず、精霊王の怒りは納まらない。それから約一年、帝国内ではいかなる方法を使っても火を一切灯すことができなくなった。
人 々はこの事件の原因、元凶である精霊姫を激しく呪い、憎悪を込めてこう呼んだ。
災禍の精霊姫、と。
「そうか、君は彼女の――」
「そう、妹よ。災禍の精霊姫、ルビア・エリステインの」
目を伏せたクレアは胸中の思いを語る。
「あたしは姉様に会いたい。会って本当のことを知りたいの」
そのために強くならなければならない。最強の精霊を手にしなければならない。
《精霊剣舞際》の優勝者に与えられる権利――望む〈願い〉を叶えるために。
「それに――」
それまでの悲壮な表情に変化が訪れた。頬がわずかに浮気し夢見る乙女のような顔で呟く。
「あたし、フローレン・アズベルトのようになりたいの」
「……なに?」
クレアは恥ずかしそうに俯いた。
「三年前、あたしは会場で彼女の剣舞を見ていたの。精霊魔術と体術だけで戦い、一度も契約精霊の姿を見せなかった。彼女の情報は一切分からず契約精霊も分からない、すべてが謎に包まれた『謎の精霊使い』。あたしも、あんなふうに気高くて、強い精霊使いになりたいと思った」
あたしの憧れなの、と言葉を続ける彼女を俺は複雑な心境で見つめた。
三年前、突如現れた謎の精霊使い。その剣舞は華麗にして強烈。
十二騎将候補の精霊使いさえ圧倒し、決勝戦では惜しくも敗れたとされている。
それが世間の解釈。だが、実際は――、
「見えたわ、あそこよ」
と、クレアが唐突に足を止める。彼女が指差した先には巨大な石の円環があった。地面がぼんやりと青白い光を放っている。
「ほう、〈門〉というのは〈精霊界の門〉だったか」
「そうよ。この世界と元素精霊界を繋ぐ門。これがこんな辺鄙な場所に学院を作った理由よ」
「なるほどな。それであの〈門〉はどこに座標指定されているんだ?」
「低位精霊しかいない安全なエリアに繋がっているわ。じゃなきゃ、学院が放っておくはずないでしょ?」
「確かに」
精霊語で開門のキーワードを唱えると、淡く発光していた地面はさらに強く輝いた。
「ほら、アンタも来なさい」
クレアに手を引かれ、光陣の上に乗った途端、視界が暗転した。
いつの間にか閉じていた目を開けると、目の前には異世界の風景が広がっていた。
ねじくれた木々が茂る深い闇の森の中、空には紅い満月が煌々と輝いている。
元素精霊界。精霊たちの住まう世界だ。
「ここなら誰の邪魔も入らないわ。それに負傷しても深刻な怪我にはならないから学院生同士の決闘でよく使われるのよ」
「確かにここなら決闘の場としては最適だな。多少のリスクは伴うが」
肉体的損傷はすべて精神的ダメージに還元されるが、逆を言えば場合によっては意識障害に陥り、二度と意識を取り戻さないことも考えられる。
「炎よ、照らせ」
クレアが精霊魔術で小さな火球を灯し、森の中にある細い道を照らした。
「行くわよ、リシャルト」
クレアが先導し、暗い森の中を歩き出す。
「勝算は?」
「それはアンタの実力次第よ。……正直、厳しいかも。あの二人はともかく、エリスは強いわ。曲がりなりにも騎士団長だもの」
「ほう」
クレア程の実力者がそうまで言うか。軽く返事を返したが、内心では驚いきだった。
「それにスカーレットも今朝の〈封印精霊〉との戦いで力が回復していない。リンスレットの実力は――癪だけどあたしと同等よ。それだけは認めてるけどね。でもチームワークは最悪なのよね」
「ふむ……意外と冷静な分析だな。君はもっと直情型かと思っていた」
「アンタあたしをどんな目で見ていたのよ」
「自分の心に素直ですぐ鞭を振りまわ――失礼」
鞭を取り出したクレアを見て口を噤む。
しばらく歩くと森のひらいた場所に巨大な劇場の遺跡があった。神代の時代、元素精霊界と人間界がまだ一つだった頃の名残。
崩れかけた石の門が見えた。どうやらここが決闘の舞台のようだ。
「とりあえず、剣精霊使いのアンタが前衛ね。あたしとリンスレットが後衛で援護するわ」
「ふむ、まあ期待に添えるか分からんが善処しよう」
「頼むわよ、アンタが切り札なんだからね」
クレアは満足そうに頷いた。
「ところでアンタ、契約したあの剣精霊、ちゃんと使いこなせるんでしょうね」
「ん? ああ、まあ大丈夫だろう」
「本当に平気なの?」
「精霊魔装には成功した。あとは使い手である俺次第だ。なに、無様な戦いは見せないさ」
と、そこへ暗い木立の向こうから、リンスレットが顔を出した。その傍らにはメイドのキャロルがついている。
「遅いわよ、リンスレット」
「あら、レディの身支度には時間がかかるものですわ」
プラチナブロンドをかきあげて、なぜか誇らしげに胸を張った。豊かな双丘が持ち上がり自己主張をする。
「とこらで、なぜキャロルまでここに?」
「もちろん、お嬢様の応援ですわ」
俺が聞くと、キャロルはどこからか旗を取り出して「フレー、フレー、お嬢様!」と振り始めた。
態々、応援をするために危険な元素精霊界に赴くか。
キャロルの意外な豪胆さに感心していると、真上から凛とした少女の声がした。
「――そちらは揃ったようだな、レイブン教室」
崩れかかった壁の上に白銀の甲冑を身に付けたエリスが立っていた。
赤い月をバックに青い髪をなびかせた出で立ちは幻想的で、暫しの間言葉を失った。
エリスの傍らには例のように同じく甲冑姿の二人の騎士が。クレアからの話によると三つ編みの少女がレイシア、短髪がラッカというらしい。
「エリス・ファーレンガルト、いつからいたのよ!」
「ひょっとして、格好よく登場するタイミングを待ってましたの?」
「なっ……そ、そんなことないぞっ、私は今来たばかりだ!そんな三十分前から隠れて待っていたなんて、あるはずがないだろう!」
リンスレットのあからさまな挑発に目に見えて狼狽える。動揺して今にも落ちそうだ。
素直な奴だな。
エリスは俺たちを鋭く睨み付けると、腰の剣をを抜き放った。
「行くぞ、レイブン教室。夜が明けぬうちに終わらせてやる!」
劇場の舞台に次々と炎が灯る。その炎に照らされ、巨大な翼を広げた一羽の大鷲が夜空に姿を露した。
「契約精霊か」
「そうだ、リシャルト・ファルファー。紹介しよう、私の契約精霊――魔風精霊のシムルグだ」
大鷲――シムルグは甲高い鳴き声を上げて急降下した。
「避けろ!」
俺の声にクレアたちが散らばる。シムルグは一瞬前まで俺たちがいた場所にダイブした。轟音が轟き、大量の土砂が舞い上がる。落下地点から発生した強風が俺たちを襲いかかった。
地面を蹴り、背後に跳んで風に身を任せる。空中でクルッと一回転し、壁に足から着地した。そのまま壁を蹴り空高く跳躍した。
二人は無事のようだな。
眼下にはクレアたちがそれぞれ配置についていた。キャロルは……いつの間にか劇場の外へ逃げて旗を振っている。
吹き荒れる風が止んだ。今のうちに接近する!
――弦月飛脚。
足裏に一瞬だけ魔方陣を展開し、それを足場にさらに跳躍。
一気にシムルグへ迫った。
「まだよ、リシャルト!」
「むっ!」
クレアが叫ぶと同時にシムルグの咆哮が響き渡る。落下してあいた穴から膨大な質量を持った風の塊が、地面を抉りながら突貫してきた。
再度、弦月飛脚で真下に回避し地面に着々。素早く召喚式を唱えながら並列思考で同時に術式を構築する。
「リシャルト、後ろ!」
「ちぃっ」
――多連瞬動。
背後から接近していたシムルグが俺の背中を穿つ。だが、
「……っ、残像!?」
一瞬早く、俺はクレアの元に移動していた。シムルグが激突したのは高速移動で生じた俺の残像。
詠唱が終わり、俺の手に長剣が現れた。同時に構築し終えた術式を凍結保存する。
「あ、アンタって凄いのね……」
「誉め言葉として受け取っておこう」
クレアが呆けた顔でポカンと俺を見上げていた。
しかし強いな、エリスは。
五大元素精霊の中でも風は最速を誇る精霊。エリスは見事にそれを制御していた。
なるほど、騎士団長のことだけはある。
見渡す範囲ではもう一人のチームメイトの姿はない。気配を探ると、劇場の外壁にリンスレットの気配があった。狙撃主としての自覚はあるようだ。
再び夜空へ舞い上がったシムルグは再度、急降下してくる。
瞬動で回避するが、地面に激突したシムルグは無数の風の刃を放った。
「くっ、凍結解放――〈対魔障壁〉展開」
回避出来ないと悟り、刹那の間で思考。手を突き出して凍結保存した術式を呼び起こした。
掌を中心に対魔術障壁が半円状に広がる。風の刃は半透明の障壁を前に霧散した。
「精霊魔術か!」
驚くエリス。俺は剣を担いで脚を大きく前後に開いた低姿勢の構えを取った。
「さあ、俺たちのデビュー戦だ。いくぞ、相棒!」
エストに語りかけ疾駆する。
「援護するわ!」
地を這うように走ると後方から炎の斬撃が、再び襲い来る風の刃を迎撃する。
「団長の邪魔はさせない!」
三つ編みの騎士、レイシアがクレアに向かう。その手には透明の氷の剣。リンスレットと同じ氷精霊の使い手のようだ。
一瞬、クレアの元に向かうべきか迷うが、レイシアの精霊はリンスレットのフェンリルに比べて格が低く、さらには彼女自身が完璧に精霊を御しきれていない様を見て断念する。あの程度、クレアの敵ではない。
なら目下、自分が果たすべき役目は――。
「敵の頭を討つ!」
さらに体を沈め、一気に接近しようとした刹那、激しい爆砕音とともに目の前の地面が抉れた。
「むっ!?」
「はんっ、精霊魔装――〈刄岩の鎚〉、受けてみろよ!」
眼前に躍り出たのは黒髪の短髪の少女、ラッカ。その手には長い柄の大鎚が。
その華奢な腕のどこから出ているのか、ラッカは軽々と鎚を振るってみせた。
「おらっ!」
上段からの大振りの一撃。それと同時にエリスも右から迫り、横凪ぎに剣を振るった。
「フッ!」
鋭い呼気とともに鎚の柄の部分に交差するように突きを放ち、左前に踏み出して剣を斜めにする。真下を掻い潜り、受け流した鎚をそのままエリスの方に誘導した。
――ギィン!
「なに!?」
丁度、自分の獲物で団長の剣を防ぐ形になったラッカは驚きの声を上げるが、もう遅い。
素早く背後に回り込んで、その心臓を剣で貫いた。
「ぐっ……」
血は流れない――が、痛みは同じように感じる。
膨大な神威の塊である剣に貫かれたラッカは膝から崩れ落ちた。精霊魔装の〈破岩の鎚〉が光の粒子となって消えた。
「まずは一人」
「ラッカ! ……っ、貴様!」
激昂したエリスが斬りかかるが。
「くっ!?」
どこからともなく飛来してきた氷の矢がエリスを足止めした。
「ふっ、ナイスショット、ですわ!」
背後からの声に振り向くと、外壁の上でふふん、と得意気に髪をかきあげるリンスレットがいた。
「狙撃主が何故そんな目立つところにいる……」
「あら、わたくしがクレアより目立つ場所にいるのは当然ですわ!」
「あ、あのバカ犬……あんたは動き回って狙撃って言ったでしょうが!」
吼えるクレア。
「ふっ、高貴なるローレンフロスト家の者たるもの、ダンスパーティでは一番目立つ場所にいないと気がすみませんの」
「それでこそお嬢様ですわ!」
キャロルが嬉しそうに旗を振った。
「ふん、随分と余裕だな、レイブン教室!」
背後で突風が巻き起こった。振り替えると翼を広げたシムルグがリンスレットを狙っている。
「いい的ですわ!凍てつく氷牙よ、穿て――魔氷の矢弾!」
リンスレットが素早く氷の矢をつがえるが、シムルグは軽やかに回避して風の刃を放った。
「きゃあっ!」
「リンスレット!」
駆け寄ろうとするクレアの前にレイシアが立ち塞がった。
「お前の相手は私よ! よくもラッカを!」
注意がリンスレットに向かった一瞬の隙を狙い、素早く間合いを詰めて斬りかかる。間合いを潰されては鞭は使えない。徐々にクレアが推されはじめた。
「くっ――リシャルト! リンスレットを!」
「言われるまでもない!」
エリスは劇場の階段を登っていた。先に遠距離支援型のリンスレットを戦闘不能にするつもりなのだろう。
弦月飛脚で宙を蹴りながらエリスの足元目掛けて剣を投擲する。風を貫きながら豪速で飛来する剣をエリスは寸前のところで横に飛んで避わした。
――ゴォオオオオンッ!!
剣は轟音を轟かして劇場の壁に突き刺さった。あまりの衝撃で放射状にヒビが入り、パラパラと破片が零れる。
その威力にエリスの顔が引き攣った。
「なんという馬鹿げた威力だ……っ! やはり最大の障害はあの男か……」
エリスは魔風精霊を手元に呼び寄せた。壁に突き刺さった剣を引き抜いた俺は再び宙を蹴ってエリスの正面に着地。彼女との距離は僅か二十メートルだった。
「凶ツ風よ、怨敵の心臓を貫く魔槍となりて我が手に宿れ!」
展開式を唱えた途端に風が吹き荒れ、エリスの手に長大な槍が現れた。
柄には紋様が精緻に刻まれ、紅い月の光を浴びた穂先は風を纏いかすかな風鳴り音を立てている。
エリスは長槍をクルリと片手で回し穂先を俺に向けた。
「これが私の精霊魔装――〈風翼の槍〉だ」
「ふむ、精霊魔装を出したということは、ここからが本番と見ていいのかな?」
「ああ、正直侮っていた――いや、慢心していた。所詮はレイブン教室、とるに足らない相手だと。しかし、それは私の間違いだった。お前たちは強い。特にリシャルト・ファルファー、お前の戦闘能力は異常だ。この私すら越える力を持ち、精霊魔術にいたっては属性すら分からない」
エリスは腰を落とし槍を中段で構える。
「だが、もう慢心はしない。お前が――お前たちがいくら強くとも、勝つのは我らだ!」
凜とした顔で高らかに叫ぶ。その瞳には絶対に勝利するという強い意思が宿り、鮮烈な印象を受けた。
「……なるほど、ならこちらも相応の姿勢を見せねば失礼に当たるな」
彼女の実力は確かに俺を下回るだろう。だが、この目は知っている。この目をした者を俺は知っている。
諸国を旅していた時に出会った数々の強敵が皆、このような強い意思を宿した目をしていた。
俺の心が歓喜で震える。新たな強者と出会えたことに感謝の念が耐えない。
俺は剣を地面に突き刺し、踵を揃えて胸に手を当てた。
「エリス・ファーレンガルト」
「な、なんだ?」
急に雰囲気が変わり困惑する。
「まずは詫びよう。すまなかった。君と同じく俺も慢心していた。所詮は学院生、敵ですらない相手だと心のどこかで思っていた。
撤回する。君は敵、俺の強敵だ。君のような強者に合間みれたことを嬉しく思う」
そう言って頭を下げた俺は再び地面に突き刺さった剣を手にした。
「故あって万全の状態ではないが、今の俺の本気をお見せしよう。気を張れ。一瞬でも気が抜ければ負けるぞ」
夕凪流活殺術――狼の構え。剣を担ぎ腰を落とした前傾姿勢となる。
「いくそ、エリス・ファーレンガルト!」
地面を踏み抜き一瞬にして彼我の距離を零にした。突然、間合いに入られたエリスは目を見開いた。
「夕凪流活殺術枝技――一閃二殺」
横凪ぎの一閃。音速を軽く越えるその斬撃はすべての音を置き去りにしてエリスの胴を狙う。
第六感が働いたのか、エリスは間一髪後ろに飛び退さる。だが、
「夕凪流活殺術枝技――」
「なっ……!?」
既に多連瞬動で背後に回り込んでいた俺はその無防備な背中に狙いを定めていた。
「――断・一刀」
上段からの振り下ろし。膨大な神威を背中に叩きつけた。
「ぐぁ!」
エリスが小さく悲鳴を零して倒れ伏す。しかし、今の一撃でリタイアしないとは流石だな。
「団長!」
「あんたの相手はこのあたしでしょ」
エリスの元に向かおうとしたレイシアの前にクレアが立ち塞がった。
「くっ、邪魔をするな!」
「あら、このわたくしを忘れてもらっては困りますわね」
さらにその手に氷の大弓を携えたリンスレットも並び立った。
「下等のレイブン教室風情が!」
「その下等なレイブン教室に負けるのよ! ――舞え、破滅呼ぶ紅蓮の炎よ! 〈炎王の息吹〉!」
「失礼な! わたくしはどこかの残念胸とは違ってパーフェクトでエレガントですわ! 凍てつく氷牙よ、穿て――〈魔氷の矢弾〉!」
クレアが炎属性の精霊魔術を唱え、リンスレットが氷の矢弾を放った。
放たれた獄炎と氷牙は真っ直ぐに標的に向かい――、空中で互いに衝突した。
「……え?」
あまりの出来事に思わず固まるレイシア。
「ちょっと、リンスレット! あんたなに邪魔してんのよ! それにまた残念胸って言ったわね!」
「な、なんですのっ、あなたこそわたくしの邪魔をしないでくださる? 残念胸は本当のことですわ」
唖然とする敵を置き去りにして口喧嘩を始める二人。それを隙とみたレイシアが音もなくリンスレットの背後に近寄った。
「――!? リンスレット!」
クレアの声に振り替えるが、既にレイシアは剣を振り上げていた。
「チィ!」
俺は手にしていた剣を投擲して、レイシアの胸を貫いた。
声もなく崩れ落ちる彼女の元に瞬動で駆け寄って剣を引き抜き、茫然と立ち尽くすクレアたちに向き直った。
「君たちは馬鹿か! 戦闘中に仲間割れをするなど自殺行為だぞ!」
「ごめん……」
「ですわ……」
「まったく」
俺の背後でエリスが立ち上がった。彼女の肩にはシムルグが止まり、心配そうに主の顔を覗いている。
「ここまでにしよう。興が削がれた」
「……っ、私はまだ!」
「それに――」
まだ戦える、そう語りかけるエリスを尻目に俺はソレに目を向けた。
「どうやら客が来たようだ」
「なに?」
訝しげに首をかしげ、漸く彼女も気がついたようだ。
「なんだ、この気配は……?」
遅れてクレアたちもただらなない空気を察する。
「なに?」
「なんですの?」
突然、雷鳴のような音が轟いた。
そして――空の裂け目からソレが現れた。
後書き
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