堕ちた英雄
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第五章
「とにかくうちはいらないよ」
「いらない・・・・・・」
「邪魔だから帰ってね」
今度の言葉はこうだった。
「さっさとね」
「そんな・・・・・・」
「自分の不始末は自分でつけてね」
言葉には続きがあった。
「少なくともこっちはあの時契約するつもりだったんだから」
「・・・・・・・・・」
こうして彼は門前払いとなった。後には皆の冷たい視線があった。それを背中に浴びつつ一人肩を落として出て行く。誰も同情しなかった。
その彼が契約を結べたのは元のチームと同じリーグにあるチームだった。だがそのチームはあまりにも不人気であり親会社の評判も極めて悪かった。裏であくどいことをしているともっぱらの噂でチームの雰囲気も監督は暗愚で保身ばかり考え責任を選手になすりつけ采配は酷いものだった。そして選手達も練習でも士気はなく選手同士で反目ばかりしていた。球場ではアンチの野次ばかりがあり七億を出したあのチームよりも遥かに酷いものだった。
「へえ、あいつ今度はあそこか」
「あのチームに相応しいな」
「全くだぜ」
野球ファンはそのチームに入ることになったゲーリッグをさらに嘲笑した。
「金に目が眩んだ奴にはな」
「丁度いいチームだよ」
ネットでも何処でもこう言われ書かれる。キャンプからオープン戦でも彼は叩かれた。記者達はもう誰も寄り付かずチーム共々叩かれるだけだった。いるのはアンチだけだった。
「故障しろ故障!」
「再起不能になれ!」
「離婚おめでとう!」
プライベートのことまで言われた。
「一人身になった気分はどうだ!」
「奥さんにたっぷり慰謝料払えよ!」
「その七億でな!」
最早言い返す気力もなかった。彼はいつも俯き一人で練習をした。グラウンドの隅で有り得ない程悪いと言われているデザインのユニフォームを着て素振りやランニングをするだけだった。表情も暗くなり動きも悪くなった。その彼にさらに罵倒や冷たい視線が浴びせられていた。
離婚したのは生活が荒んだからだった。酒に溺れそれで妻子に愛想を尽かされた。彼は一人になると余計に荒れた。最早救いはなかった。
そのうえでペナントがはじまるがこんなチームが強い筈がない。五年連続最下位だったがこの年も開幕から連敗続きだった。そして十連敗して自分は四三振だったある日のことだった。
「駄目だ、もう」
彼は試合が終わるとすぐにベンチに座り込んだ。そのうえで沈み込み頭を抱え込んだ。その姿もしっかりと新聞に載りネットに広まった。
この姿をアンチ達はすぐに所謂アスキーアートにした。それは忽ちのうちにネット全体に広まった。何処までも叩かれ続ける彼だった。
「何故皆僕をここまで叩くんだ?」
遂にたまりかねてある日呟いた。
「誰も応援してくれないし何かあれば悪口ばかりだ。どうしてなんだ」
「それは決まってるさ」
飲み屋で焼き鳥でビールに溺れつつ言ったその時のことである。カウンターにいるある客が彼に言うのだった。見ればゲーリッグの知らないごく普通の中年のサラリーマンだ。
「それはね」
「決まってるって?」
「あんたは金であのチームに入ったよな」
「それは」
「それでだよ」
彼の方は見ない。冷たい声で言うだけだった。
「それで皆あんたを見捨てたんだ」
「見捨てた?僕を」
「そうさ」
サラリーマンはさらに言うのだった。
「あんたをな」
「けれど僕は」
「あんたは心があった」
「心が!?」
「あの時はな。心があった」
ビールをここで一杯飲んでからの言葉だった。
「野球に対してはっきりとした心がな」
「僕にはあった」
「そうさ。けれどあんたはそれを捨てた」
またしても冷たい言葉である。
「金に目が眩んでな」
「・・・・・・・・・」
「だから皆あんたを見捨てた」
あまりにも厳しい現実を彼に告げる。
「それでな。見捨てたんだよ」
「そんな。それで皆僕を」
「あんたは堕ちた」
彼はまた言った。
「完全にな。もう誰からも慕われないし尊敬もされないさ」
「僕はもう・・・・・・」
「さあ、どっかに行ってくれ」
このサラリーマンもまた彼に辛かった。
「あんたの隣にいたんじゃ美味い酒が飲めないからな」
「・・・・・・・・・」
「あんた次からは来ないでくれよ」
カウンターの親父まで言う。この店は彼の馴染みの店で親父とはいつも楽しく談笑していた。しかしその親父までもがこう言ってきたのだ。
「迷惑だからな」
「迷惑、僕が」
「そうさ、迷惑だ」
見れば親父は嫌悪感に満ちた顔をしている。その顔で彼に言うのだ。
「迷惑なんだよ。次から来るなよ」
「僕は。もう」
彼は遂にわかった。金で全てを失ったのだと。今ここでようやくわかったのだ。
彼はこのシーズンで引退した。そして一人寂しくアメリカに帰りそのうえで故郷でひっそりと暮らした。ホームランバッターのゲーリッグは完全にいなくなった。もう英雄は何処にもいなかった。
堕ちた英雄 完
2009・2・18
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