アルジェのイタリア女
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第二幕その六
第二幕その六
「奮発しますね」
「ずっと食べたかったからな」
「じゃあそれはパッパタチの時に」
「ははは、そうじゃな」
「イタリアでのパッパタチで」
「うむ」
三人は笑顔で頷き合って部屋を後にする。そして最後の大芝居に入るのであった。
パッパタチの準備は宮殿をあげて進められていた。ムスタファはもう夢を見ているような顔であった。
「パッパタチでな」
「はい」
ハーリーが受け答えを受け持っていた。
「わしは遂に思い人を手に入れるのじゃ」
「左様ですか」
応えながらふと呟く。
「だったら素直になられればいいのに」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
「でじゃ、妃はどうしておる?」
「御后様ですか」
ハーリーはそれを聞いてやはりと思ったが勿論これは口には出さない。
「そうじゃ、あれにも来るように言っておるが」
「ズルマと一緒に準備に取り掛かっておられましたよ」
「そうか、それは何より」
それを聞いて満足そうに笑う。
「少しは優しくしておかねばな。わしは寛大な男じゃからな」
「お流石でございます」
ここでも本心は隠した。
「では行くとしよう」
「宴の場に」
「そうじゃ。美味い酒と料理に歌と踊り、そして美女が待っておるぞ」
ムスタファは意気揚々とイザベッラ達が用意するそのパッパタチの宴に向かう。もうそこでは夢の様な御馳走と美酒が用意され美女達がひしめいていた。歌ももうはじまっていた。
「これはムスタファ様」
これまで異常に着飾ったイザベッラ達がムスタファを出迎える。ここで彼等はふとハーリーと目配せをしたがそれはムスタファには気付かれなかった。
「ようこそパッパタチへ」
「うむ、真に楽しそうじゃな」
「楽しいのはこれからです」
タッデオがにこりと笑って述べた。
「これからか」
「はい、宴はまだはじまったばかり」
「ですからまずは入会の儀式を」
リンドーロが言った。
「それはどんなものじゃ?」
「はい、それはまず私の言葉に続いて下さい」
タッデオがすすすと前に出て来て述べた。
「そなたのか」
「はい、宜しいでしょうか」
「うむ」
「ではまずは」
タッデオはわざとにこやかな顔に笑い転げそうになる愉快さを隠して言いはじめた。ムスタファは彼に顔を向けてそれに続こうとしていた。
「見ても見ぬふり」
「見ても見ぬふり」
ムスタファは復唱する。
「聞いても聞かぬふり」
「聞いても聞かぬふり」
「そして」
「そして」
「食べて楽しみ」
「食べて楽しみ」
言葉を繰り返す。
「喋ることを捨て」
「喋ることを捨て」
「ここに私は宣言するものである」
タッデオは急に格式ばり、姿勢を正して述べた。
「ここに私は宣言するものである」
ムスタファもそれを繰り返す。
「必要ならば何でも誓う」
「必要ならば何でも誓う」
そしてまた復唱に入った。
「余計なことを喋らず」
「余計なことを喋らず」
「掟に従って宣誓する」
「掟に従って宣誓する」
「パッパタチ=ムスタファ」
「パッパタチ=ムスタファ」
「これでいいです」
にこりと笑って伝える。
「これでわしもパッパタチの一員か」
「そうです、ここでは飲んで楽しむだけです。何も喋ってはなりません」
「今誓った通りじゃな」
「そうです、食べて飲み」
「だがその前にじゃ」
「何か」
「酒を飲むのじゃろう?」
そこを怪訝な顔で問う。
「はい、上等のワインを」
「今から一言だけ。喋るのを許してくれ」
「何でしょうか」
「すぐ済む」
彼はタッデオに言う。
「ならばよいな」
「はい、ではどうぞ」
「済まぬな。では」
ムスタファは喋ることを許されると頭を垂れてこう述べた。
「アッラーよ許し給え」
酒を飲むからである。ムスリムは本来ならば酒を飲んではならない。だが飲む場合にはこうしてアッラーに許しを乞うてから飲むのである。信仰心の深い彼はそれを守ったのである。
「それで宜しいでしょうか」
ムスタファは無言で頷いた。それが証であった。
「では早速」
「このワインを」
「この羊肉を」
「オレンジを」
山の様な美酒と御馳走をムスタファの前に次々と持って来る。タッデオだけでなくイザベッラやリンドーロ、他の奴隷達もどんどん持って来る。そんな御馳走責めにムスタファは戸惑いながらもそれを受けた。美酒に美食、歌に踊りに溺れていく。その中で彼はエルヴィーラのことを思っていた。
「むむむ、エルヴィーラ」
酩酊した状態で呟いていた。
「後はそなただけがいればよい」
「御妃様がですか?」
「左様、左様」
イザベッラの問いにも前後不覚になっているので答えているのかどうかさえわからない。だが言ったことは確かである。
「わしはあれさえおればいいのじゃ」
「そこの言葉、まことですね」
「わしは嘘は言わん」
こうも言った。
「ずっとエルヴィーラと一緒にいたいのじゃ。他の女なぞ何の興味もない」
「けれどどうして意地悪をされるのですか?」
今度はリンドーロがムスタファに尋ねた。
「御后様を悲しませて」
「それはあれじゃ」
まだ飲み食いを続けながら応える。
「何となくな、意地悪をしてみたくなるのじゃ」
「何となくって」
「まんま子供じゃないですか」
「子供っぽくてもいいのじゃ」
彼はリンドーロ達に返した。
「あれさえ側にいてくれたらな」
「他には誰もいらないと」
「うむ」
酔ってはいたがその言葉は本心からであった。
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