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ボリス=ゴドゥノフ

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第二幕その六


第二幕その六

「黒い髪と髭で」
「黒い髪と髭」
 役人はそれを聞いてワルアラームへ目を向けた。
「そして」
「はい。太鼓腹で」
「太鼓腹か」
「ど、どうしたんですかお役人様」
 ワルアラームは役人の目の色が変わったのを感じていた。
「そんな目で見て」
「いや。読むのを続けろ」
「赤い鼻で」
「間違いないな」
「ああ」
 同僚もそれに頷く。
「御前だな、その異端者は」
「め、滅相もない」
 ワルアラームは慌てて首を横に振る。
「わしは確かに酒も女も好きですが異端者ではありませんや」
「そうですよ、それはわしも保障します」
「フン、そんなものあてになるか」
 仲間を庇うミサイールの言葉にも納得しない。
「ちゃんと書いてあるではないか。神妙にいたせ」
「確かにわし等はモスクワから来ましたが」
「ほれ見ろ」
「御聞き下され。ではどうしたら納得できますか」
「では御前が手配書を読んでみろ」
 役人はワルアラームがあまりにも抵抗するのでこう言った。
「それで読んで、そうでなかったら許してやろう」
「本当ですね?」
「金も無い者には嘘はつかぬ。さあ、読め」
「わかりました、それでは」
 ワルアラームはそれに従いグリゴーリィの手から手配書を取った。そして読みはじめた。
「綴りを辿りながらなら何とか読める」
「こんなことならもっと真面目に勉強しとくんだったな」
「ああ」
 ミサイールに相槌を打ちながら読みはじめた。
「首が懸かってるからな。絶対に読んでやるぞ」
「やってみせよ」
「はい。まず歳は」
(まずいな)
 グリゴーリィはワルアラームが読みはじめたのを見て内心舌打ちした。
(かろうじて読めるか。このままでは)
 密かにおかみが言った宿屋の左手の入口に位置した。
「中背で?だな」
「何か危なっかしいな」
 役人はワルアラームの読み方があまりにもたどたどしいので思わず呟いた。
「大丈夫なのか」
「だから必死に読んでるんですよ」
 彼は額から汗を流しながら答えた。とにかく必死なのがわかる。
「髪は赤茶色」
「これで御前さんではないのはわかったな」
「そら御覧なさい、わしがそんな悪人に見えますか?」
「如何にも戒律は破ってそうだがな。違うか」
「まあそれは置いておいて」
 その通りであるからこそ誤魔化した。誤魔化した後でまた読みはじめる。
「鼻の上に・・・・・・」
「鼻の上に」
「ええと・・・・・・」
 ワルアラームはここで詰まってしまった。
「これは何て読むんだ?」
「ん!?」
 それを見てミサイールが覗き込んできた。
「ここか?」
 そして彼はワルアラームが首を捻っている部分を指差した。
「ああ、そこだ。何て読むんだ?」
「そこはイボだろ」
「ああ、イボか。悪いな」
「いやいや」
「そうか、イボか」
 役人はそれを聞いて頷いた。
「それでは分かり易いな」
「そうですね、これ程になく」
(不味い)
 グリゴーリィにはそれが自分のことであるとわかった。もう悠長なことは言っていられない。すっと姿を消した。宿屋の左手へとその身を消してしまった。
 だがここにいる者達はまだそれには気付いていない。ワルアラームが読むのをまだ聞いていた。
「そして額にも一つ」
「額にもか」
「はい、そうなんです。ん!?」
 ここで彼はあることに気付いた。
「どうした」
「いえ、それでですね」
 気になりさらに読み続けていく。
「次に書いているのは」
「次は」
「一方の手が」
「今度は手か」
「はい、もう一方より短い。以上で終わりです」
「そうか・・・・・・待て」
 役人もここで気付いた。
「おい、それは」
「はい、今ここにいる」
「若い僧侶ではないか!ちょっと来い!」
 役人はグリゴーリィを呼んだ。
「この異端者が!縛り首にしてくれる!」
「そうだ、捕まえろ!」
 ワルアラーム達も叫んだ。
「異端者だ!異端者が逃げたぞ!」
「すぐに追え!そして処刑しろ!」
 彼等は口々に叫ぶ。だがもうグリゴーリィの姿は何処かへと消え去ってしまっていた。彼の姿はもうロシアにはなかった。そしてロシアの、同時に彼の運命もまた暗転がはじまった。
 
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