ラ=ボエーム
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一幕その七
第一幕その七
「あっ」
「見つかったのですか?」
少女が問う。だがロドルフォは答えようとするところでふと考えた。
(待てよ)
いささか卑怯であるがここであることを思いついたのだ。
「えっ、いえ」
それは確かに鍵であった。形でわかった。だが彼は嘘をついた。
「違いました。気のせいでした」
「そうでしたか」
こっそりとその鍵を自分の上着のポケットに入れた。そして探しながら少しずつ少女に近付く。
手が触れた。それは最初は微かに触れ合っただけだった。だがロドルフォはすぐにその手を握った。
「えっ」
少女は驚きの声をあげる。ロドルフォはそんな彼女に対して優しい声で語りかけた。
「何という冷たい手なのでしょう」
そして少女の顔を見据えていた。暗がりの中であったが目が慣れてきていた。その美しい顔が見えていた。
「僕に暖めさせてくれませんか?」
「けれど鍵が」
「この暗がりです。そう簡単には見つかりはしませんよ」
後で鍵は返すつもりである。
「けれどそれよりは」
少女を導きながら立ち上がり窓の方へ顔を向ける。
「御覧下さい。今夜は月夜です。私達の側に月があります」
少女は離れようとした。だがロドルフォの手は掴んだままであった。
「待って下さい」
「ですが」
「少しでいいのです。僕のことを話させて頂いて宜しいでしょうか」
「貴方のことを?」
「はい」
ロドルフォは頷いた。
「僕のことを。宜しいでしょうか」
月の光が窓から入って来ている。その白く優しい光が彼の顔の右半分を照らしていた。優しげで整った顔立ちであった。その顔を見て少女も頷いた。
「はい・・・・・・」
こくりと頷いた。
「お願いします」
「わかりました。それでは」
ロドルフォはそれを聞いてゆっくりと口を開きはじめたのであった。
「僕は詩人なのです」
彼は語った。
「詩を書き、そしてそれで生きています。貧しいですが豊かです」
「豊かなのですか?」
「そうです。その貧しい生活の中で僕は愛の詩と歌を惜しみなく、王侯の様に費やしているのです。この上なく豊かな日々を送っています」
「幸せなのですね」
「ええ、幸せです。夢と空想、そして空に描く城が僕の心を満たしてくれています。これを幸せと言わずして何と言いましょう。ですが同時に僕には二人の泥棒がいます」
「泥棒が二人も」
ロドルフォの言葉に心を向けた。
「悪い奴等です。僕の豊かな宝石箱から全てを盗んでいきます。美しい目をいう二人の泥棒が。そして今も」
「何を盗んだのでしょう」
「僕の夢、いつも見る美しい夢を。貴女と一緒に入って来て盗んで行きました。けれどそれは少しも悲しくはありません」
「どうしてですか?」
「もうその宝石箱は楽しい希望の住処になったからです。貴女によって」
「私によって」
「そして今度は僕が尋ねさせてもらいます」
ロドルフォは言った。
「はい」
「貴女は。一体誰なのでしょうか。宜しければお話下さい」
「私は」
少女はそれを受けてゆっくりと口を開きはじめた。
「私はミミと申します」
「ミミ」
「はい。皆そう呼んでくれます。私の名前はルチアというのですが皆親しみを込めてミミと呼んで下さるのです」
「可愛らしいあだ名だ」
「私は絹や麻に刺繍をして暮らしています。心穏やかに幸せに、布に百合や薔薇を入れるのが仕事になっています」
「素晴らしい仕事だ」
「はい」
これがお針子という仕事であった。当時若い女性が就いていた仕事の一つである。だがこれだけではなく時としてその身体を男に任せて糧を得る場合もあった。これは当時のフランスでは特に悪いことではなかった。パトロンという存在があり、金を持った男に囲われるのはフランスの女としては普通のことだと考えられていたのである。女優もそうした風潮があった。また男であっても芸術家もそうした中にあった。思想家であるルソーも金持ちの貴族夫人をパトロンに持っていたのである。
「私を喜ばせるものがあるのです」
「それは」
「甘い魔力です」
彼女は言った。
「愛や青春について語ってくれるもの、そして夢や空想について語ってくれるものです。つまり詩という名前を持っているものなのです。おわかりでしょうか」
「はい」
その言葉はロドルフォを喜ばせた。
ページ上へ戻る