ラ=ボエーム
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第二幕その七
第二幕その七
「参った」
「参ったっておい」
「どうしたんだ」
「ない」
使ってしまったものはないのである。
「全くない。どうしたんだ」
「おい、あれだけあったのにか」
「何処に消えてしまったんだ」
コルリーネとショナールはそれを聞いてまた驚いた。
「わからない。お金は自然に消えるものなのか」
その事実に今更ながら気付いた。
「こんなことが。あるなんて」
「僕は持っていない」
「ルーン文字の魔法でかい」
「ああ。ロドルフォ、君は?」
「僕もだ」
彼はボンネットにしてしまっていた。
「何もない。どうしよう」
「一体どうしたの?」
そんな彼等にムゼッタが声をかけてきた。
「ムゼッタ」
「急に怯えた顔になって。どうしたのよ」
「いや、ちょっとね」
「お金が」
三人は青い顔のまま答えた。その遠くからラッパの音が聞こえてくる。
「おお、軍隊の帰営か」
市民達はそれを聞いて声をあげた。
「今日は遅かったな」
「クリスマスだからね」
彼等はそう言いながら道を開ける。そこにみらびやかな軍服を着た兵士達が行進してきた。
「兵隊さん格好いいなあ」
「僕も大きくなったら兵隊さんになるんだ」
子供達もそんな兵士達を見て言う。
「銃を持って」
「お髭を生やして」
行進の真似をする。
「悪い敵をやっつけるんだ」
「そしてフランスを守るんだ」
「それじゃあ強くなってね」
母親達はそんな彼等に対して言う。
「そしてフランスを守るんだよ」
「うん」
「どんな奴等でもやっつけてやるよ」
そう言いながら彼等の弟達は後にプロイセンに敗れる。まだ意気軒昂な彼等はそのことを知らない。華やかなフランスが武骨なプロイセンに敗れるということを。
「私に任せて」
ムゼッタは三人に対して言った。
「まとめて払ってあげるから」
「いいのかい?」
マルチェッロが彼女に尋ねる。
「かなりの額だけれど」
「私が支払うわけじゃないから」
気軽なものであった。
「君が支払わないって」
「じゃあどうやって」
「まあ見ていて」
だが彼女はあっけらかんとしている。四人の心配する声も気兼ねしてはいない。
「ねえボーイさん」
声に色気をこれでもかという程含んでボーイを呼ぶ。
「はい」
「お勘定お願いするわ」
そう言ってロドルフォ達のものとムゼッタのものを同時に手渡す。
「お願いね」
「はい」
「一緒に来ている顧問官さんが払うから」
「わかりました」
「彼に全部押し付けるのか」
「ええ」
ムゼッタはマルチェッロに悪戯っぽく微笑んで答えた。
「その通りよ」
「やれやれ、悪い女だ」
「その悪い女と付き合ってるのは誰かしら」
「それはまあそうだけれど」
「さあ、来たぞ」
「戻って来たか?」
ロドルフォ達はその声に顔を向ける。だがやって来たのは顧問官ではなく兵士達であった。店の前までやって来たのである。
「なあ」
ここでショナールが一同に提案した。
「まあ勘定はここに置いておくといい」
「後は顧問官殿のおごりか」
「そうさ。そして僕達はこの間に逃げよう」
「うん」
「兵隊さんにでも紛れてね」
「兵隊さん達にか」
見れば堂々と行進している。
「何、兵隊さんの仕事は僕達を守ってくれることさ」
「暴徒や叛徒からね」
「僕達がそうでないということの保証が必要だけれどね」
昔から、そう革命の頃からフランスの軍隊は市民に対して銃口を向けているのだ。もっぱら暴徒化した場合だが革命の際に恐るべき政治手腕を発揮したナポレオンの警察相フーシェは叛乱を起こした街の鎮圧に人口の一割を処刑すると定め、それを躊躇無く実行に移した。この時彼がジャコバン派にいた為の行動であったがこうしたことも度々あった。ナポレオンにしろ反乱鎮圧に暴徒化したとみなされる一般市民に大砲を放っている。これより十年前にも革命があったがその時も同じであった。どちらにしろフランス軍は一般市民にも銃を向けることがある軍なのである。もっともこれは大抵の国においても同じであるが。アメリカにしろウイスキー一揆で大々的に兵を送っている。また一揆や革命では実際に暴徒が暴れるものである。治安維持の為には必要な場合もあるのである。
「とにかく人垣もあるし」
「そこに紛れ込むか」
「ムゼッタ、君も来るんだろう?」
「ええ」
彼女はマルチェッロの言葉に頷いた。
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