| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

アラベラ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一幕その六


第一幕その六

「あの馬を」
「馬?」
「そうよ、ロシアの馬よ。貴女はあの馬に引かれて宴に向かうのよ」
「どんな馬かしら」
 ズデンカは窓に歩いてきた。アラベラはそれを見て微笑んでいる。
「ほら、あれよ。あの・・・・・・」
 ズデンカに馬を見せようとする。だがここでアラベラはアッと声をあげた。
「どうしたの、姉さん」
「嘘・・・・・・」
 姉は我を失っていた。普段の落ち着いた様子はなかった。
「そんな顔して」
「あの人がいたのよ」
「あの人?」
「そうよ。さっき話したでしょ。あの人よ」
「ああ、外套を着た人ね。その人がどうしたの?」
「今下にいるのよ」
「本当!?」
 ズデンカはそれを聞いて窓の下を覗き込んだ。確かにそこには誰かがいた。見れば外套に帽子を身に着けている。その為顔はよくわからなかった。
「あの帽子と外套を身に着けた人なの?」
「ええ」
 アラベラはそれに頷いた。
「間違いないわ、ほら見て」
 アラベラはその男を指差してズデンカに対して言う。
「上を見上げてらっしゃるわ。きっと私のことを探しておられるのよ。あの大きな瞳で」
「そうかしら」
 だがズデンカはそれには懐疑的であった。
「私にはそうは見えないけれど」
 そう言って姉を嗜めた。
「姉さん、少し落ち着いた方がいいわ。あの人は誰も探していないわよ」
「そうかしら」
「ええ。ほら見て」
 そしてそ男を指差した。
「通り過ぎて行くみたいよ。やっぱり姉さんの考え過ぎよ」
「そうなの」
 アラベラはそれを聞いて残念そうに溜息をついた。
「けれどまさか」
「姉さん」
 ズデンカはそんな姉に対して忠告しようとした。だがここで二人の両親が姿を現わした。
「二人共」
「はい」
 二人はそれを受けて顔を向けた。
「ちょっと大事なお話があるの。悪いけれど席を外して」
「わかりました」
 何の話をするのかは大体わかっている。二人はそれに従った。
「じゃあズデンカ、準備に取り掛かりましょう」
「ええ」
 そして二人はそれぞれの部屋に入った。両親は後から出て来た占い師を送ると席に着いた。ヴェルトナーはその前に書斎の机の前に向かった。
「やれやれ。相変わらず請求書の山だよ」
 彼は溜息をつかずにいられなかった。
「他には何もないな」
「連隊の御友達にお出しになった手紙は?」
「残念だが」
 ヴェルトナーは妻に対して首を横に振って答えた。
「何もないな。マンドリーカにも送ったが」
「マンドリーカ?何方ですか?」
「ああ。凄い大金持ちでな。ある女性の為にヴェローナの街路に三千シェッフェルの塩を撒かせる程のな。その女性が八月なのに橇に乗りたいと言ったので」
「それは凄いですわね」
「そう思うだろう。だから私はアラベラの写真を一枚彼の手紙に入れておいた。白鳥の羽飾りのついた青い舞踏服のものをだ。それであの娘を気に入ってくれるようにな」
「ではアラベラは老人と結ばれるのですか!?」
 アデライーデはそれを聞いて暗い顔で問うた。
「そうなるな」
 ヴェルトナーも暗い顔で返した。
「だが他に解決する道はないんだ」
「他に、ですか」
「ああ、ウィーンに留まる為にはな」
「何てこと。そこまでしてこの街にいたくはないわ」
 彼女は嘆いた。目を閉じ首を横に振る。
「ではどうする?」
「ここを出ましょう、そしてヤドウィの伯母さんのことろへ行きましょう」
「以前言っていたようにか」
「ええ。そして貴方はそこで家の管理人になって私は伯母さんのお手伝いに」
「伯爵夫人ともあろう者が」
「けれどそうするしかないわ、こうなっては」
「アラベラとズデンカはどうなるんだ?」
「ズデンカはずっと男の子のまま。仕方ないでしょう」
「そうか。気の毒だな」
「私だってそう思うわ。けれどそれしかないでしょう」
「ああ。認めたくはないが」
 彼は苦虫を噛み潰した顔で頷いた。
「アラベラは?」
 そしてその顔のままアラベラのことを問うた。
「さっきの占いでは悪い結果ではないが」
「ええ。けれどもう私達には何もないのよ。本当に何もないのよ」
「エメラルドのブローチもあの占い師に渡してしまった」
「そうよ。あれが最後だったわ。これで本当に全てがなくなったわ」
「そうだな。全てが終わったか。諦めるしかない」
 二人は苦渋に満ちた顔で同じく苦渋に満ちた声を吐き出した。
「だが今は落ち着こう。酒にしよう」
「はい」
 二人は顔を上げた。そしてヴェルトナーがベルを鳴らした。
「何でしょうか」
 すぐに立派な制服を来たボーイが姿を現わした。
「コニャックをくれ。いつものを」
「申し訳ありませんが」
 ボーイはそれに対して畏まって答えた。
「お客様には何も差し上げてはならないことになっております。現金ならば別ですが」
「そうか」
 わかっていた。支払いが滞っているからだ。ヴェルトナーはそれを聞いて再び苦渋の顔に戻った。
「じゃあいい。用はない」
「わかりました」
 ボーイは頭を下げて部屋を後にした。二人は閉じられた扉を見て溜息をついた。
「本当に終わったな、もう何もかも手詰まりだ」
「ええ。やっぱりこの街を去るしかないわね」
「ああ」
 その時だった。先程のボーイがまた入って来た。
「お客様」
「何だ!?呼んでないぞ」
「お客様が来られていますが」
「わし等ではなくてか」
「はい。男の方です」
「いないと言ってくれ。請求書ならあそこに置いてくれ」
 そう言いながら書斎の机を指差す。かなり投げやりな様子だ。
「いえ、請求書ではありません」
「?では何だ」
「こちらです」
 彼は手に持っていた書類をヴェルトナーに手渡した。
「名刺か。またえらくいい紙を使っているな」
 彼はその名刺を手にしながら呟いた。
「何と・・・・・・」
 そしてその名刺にある名を見て思わず声をあげた。
「貴方、どうしたの!?」
 アデライーデは夫のその唯ならぬ様子を見て気になって尋ねた。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧