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アラベラ

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第一幕その二


第一幕その二

「けれどやっぱり」
「言わないでくれ」
 ヴェルトナーは妻に申し訳なさそうに言った。
「わしの甲斐性がないばかりに」
「ですが御安心を」
 占い師はまた二人を宥めた。
「一人の軍人が現れます」
 そう言って戦車のカードを見せた。
「軍人が」
「はい」
「それでは何もなりません」
 アデライーデはそれを聞いて絶望しきった顔で首を横に振った。
「軍人が一体何の役に立ちましょう」
「軍人」 
 部屋の隅に行き書類の整理をしていたズデンコがそれを聞いて呟いた。
「マッテオのことかしら」
 だがそれは二人には聞こえなかった。
「軍人はお金を持ってはいませんもの」
「わしもそうだったしな」
 二人は溜息混じりにそう呟いた。
「そう思われるのは早いですぞ」
 だが占い師はここでも二人を宥めた。
「それは彼の本質ではありません」
「違うのですか」
「はい。別の方角から他の者が来ています。それが花婿です」
 そして皇帝のカードを見せた。
「皇帝」
「はい。その花婿は貴方達にとってまさしく皇帝そのものとなりましょう」
「本当ですか」
「カードはそう示しています。ただしそれは遠くからやって来ます」
 運命の輪のカードを見せた。
「遠くからですか」
 ヴェルトナーが問うた。
「はい」
 占い師はそれに答えた。
「そこには大きな森が見えます」
 隠者のカードが出て来た。
「森」
「それはエレメール伯爵かしら」
 ウィーンでも名の知れた貴族である。裕福でかなりの領地を持っている。その中には見事な森もある。
「そこまではわかりませんが」
 占い師はそれには言葉を濁した。
「少なくとも素晴らしい方であるのは事実です」
 太陽のカードが出された。
「それはいい」
「素晴らしいわ」
 二人はそれを聞いて顔を明るくさせた。
「しかし」
 だが占い師はここで顔を暗くさせた。
「ただ一つ不吉な予感が」
 吊るし人のカードが出て来た。
「幸福の前に一波乱ありそうですね」
「嫌ですわ」
「しかし御安心下さい。このカードは実はそれ程不吉なものではありません」
「そうなのですか」
 二人はタロットにはそれ程詳しくはないのである。
「ところで」
 占い師はまた尋ねてきた。
「御二人の娘さんのことですが」
「はい」
 見れば占い師は女帝のカードを取り出してきた。
「御一人なのでしょうか」
「え、ええ」
 二人はその質問にギョッとしながらもそう答えた。
「そうなのですか」
 占い師はその答えに首を傾げていた。
「実はカードが伝えているのですが」
「はい」
「もう一人の娘さんに危険が訪れようとしています」
 そこでもうう一枚女性を現わすカードが出て来た。女教皇のカードである。それはさかさまになっていた。
「タロットは少し違いまして」
「はい」
 彼女はここでカードの説明をした。
「カードが逆になっているとその示す意味も違ってくるのです」
「といいますと」
「これは不幸を示しているのです。もう一人の娘さんの」
「不幸を」
「けれど不思議ですね。こちらの方も最後には幸福になります」
「私のことなのかしら」
 ズデンコはそれを聞いて何故か心配していた。
「それとも姉さんの」
「ねえお母さん」
 気になったので母に話しかけようとした。だがアデライーデはそれを拒絶した。
「御免なさい、ズデンコ。今は静かにしていて」
「はい」
 母にこう言われると仕方がなかった。彼女は下がることにした。
「あの子は?」
「あの実は」
 アデライーデが占い師に対して説明をした。
「実はあの子は女の子なのです。このウィーンで二人の女の子を身分に相応しいように育てることは私達にはできませんので」
 貧乏貴族の悲しさであった。
「けれどあの娘は悪いことはしませんわ」
「そうですか」
「はい。他の誰よりも姉を愛しておりますもの」
「姉だけだといいのですが」
「それは?」
 アデライーデだけでなくヴェルトナーもその言葉に顔を上げた。
「いえ、人の心は複雑なものですから」
 占い師はカードを手にすることなく二人に対して語った。
「愛する人は一人とは限らないですよ」
「といいましても」
「あの娘はまだ幼い。とてもそこまでは」
「女の子とは何時の間にか成長するものですが」
 占い師はその豊富な人生経験からそう語った。
「ですがそれは関係のない話ですね。置いておきましょう」
「はい」
 こうしてこの話は中断された。そして占い師は占いを続けた。
「この波乱は大変なもののようですね。そしてとても嫌なもののようです」
 ここで塔のカードを出してきた。
「恐ろしいことが起こるようです」」
「そんな」
「けれど御安心下さい。最後には幸福が訪れるのは間違いないです」
 最後のカードを出してきた。それは恋人のカードであった。
「全ては幸せに収まります。神は貴方達に幸福をもたらすでしょう」
「本当でしょうか」
「カードはそれを伝えております」
「あの」
 ここでアデライーデが身を乗り出してきた。
「よろしければこれを」
 そしてエメラルドのブローチを差し出した。
「これでもっと詳しく占って頂けるでしょうか」
「タロットは続けて同じことについて占いは出来ないのですが」
 彼女はそう言って断ろうとした。幾ら何でもそのような高価なものを貰うのは気が引けたからだ。
「ではそれ以外の占いで。おできになるのでしょう?」
「ええ、まあ」
 彼女は二人の押しに押されそれに頷いた。
「ではお願いします、すぐに」
「わかりました」
「ではあちらに」
 こうしてまた占うことが決まった。三人は別の部屋に移っていった。
「まだ占うのね」
 ズデンコはそれを横目に見ながら呟いた。
「お父さんもお母さんも不安で仕方ないので、本当に」
 それは痛い程よくわかる。彼女もそれで心を痛めているのだ。
「この街から離れたくない。あの人と離れ離れになるなんて」
 彼女もまた何か事情があるようであった。
 そこでまた扉を叩く音がした。
「また請求書かしら」
 彼女は溜息をつきつつ扉に向かった。
「あの、今は」
 帰ってもらうように応対しようとした。だがそこにいたのは借金取りではなかった。
「ズデンコ」
 そこにはオーストリアの軍服に身を包んだ若い男であった。長身でたくましい身体をしており、見事な金髪を後ろに撫で付けている。彫の深い顔に青い瞳が映える。見事な美男子であった。
「マッテオ」
 ズデンコは彼を見て一瞬顔を明るくさせた。だがそれはあくまで一瞬のことであった。
「アラベラはいるかい」
 彼は別の名を口にしたからだ。
「ううん」
 彼女はそれに対して首を横に振った。
「姉さんならリングシュトラーセよ」
「リングシュトラーセか」
「ええ、女性の友達の方とお散歩しに」
「女の人とか。ならいいんだ」
 彼はそれを聞いて少し安心したようであった。
「僕について何か言っていなかったかい?」
「いいえ」
「そうか」
 ズデンコが首を横に振ったのを見て悲しそうに応えた。
 
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