銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第二十六話 嵐近付く
帝国暦 489年 6月12日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) アウグスト・ザムエル・ワーレン
「ワーレン提督は何時出立するのだ」
「明後日の早朝だ。そちらはどうなのだ、ロイエンタール提督。もう少しかかるのだろう」
俺の問いかけにロイエンタールはミッターマイヤーと視線を交わした後“卿の出立の翌々日だ”と答えた。まあ俺は半個艦隊だがこの二人は一個艦隊を率いる、その程度の準備は要るだろう。
席にはロイエンタール、ミッターマイヤーの他にメックリンガー、アイゼナッハ、ルッツ、ファーレンハイト、ビッテンフェルト、ミュラーが居る。出撃前ともなれば場が華やぐものだがどうにも気勢が上がらない。皆、何処となく沈みがちな表情でグラスを口に運んでいる。
ミュラーが溜息を吐いている、これで三回目だ。原因は想像が付くが見兼ねて声をかけた、俺も結構人が好い……。
「どうかしたのか、ミュラー提督」
「いえ、……」
浮かない表情でまた溜息を吐く。
「遠慮はいらん、黒姫の頭領の事だろう。言ってしまえよ」
皆を見た、特に反対する人間はいない。何処かでガス抜きではないが話をした方が良いだろう。
「何と言うか、エーリッヒが士官学校であんな事を考えていたのかと思うと……」
ミュラーの答えに幾つかの溜息が聞こえた。俺達とは何処か違う、皆そう思っているのだろう。敗北感というより畏怖を感じざるを得ない。我々とは違う、何か別な存在……。
「戦争も出来れば諜報も出来る、そのどちらも俺達より上だ。なんとも情けない話だ……」
「内政でも活躍してるさ。共に語るに足らずか……。フェルナー長官の言う通りだ、言い得て妙だな……」
ルッツ、ファーレンハイトの言葉に皆がまた溜息を吐く。苦い現実だ、だが嫌でも受け入れざるを得ないだろう……。
「アントンによると情報量からして相手にならないそうです」
「情報量?」
メックリンガー提督がミュラーを見ながら不思議そうな表情で呟いた。
「ええ、エーリッヒは士官候補生時代から色々と調べていました。十年前から知識、情報を蓄積している。それに比べて旧治安維持局は反政府分子の摘発が主体でフェザーンや地球教の事など殆ど何の資料も無いそうです。内乱終結によって政治犯も釈放されましたし今では治安維持局時代の資料など何の価値も無いと言っても良い物だとか」
また彼方此方で溜息が聞こえる。俺自身溜息を吐きたい気分だ。帝国は一体どうなっているのだ?
「エーリッヒに警告を受けて二ヵ月程前から調査チームを作ってフェザーンを調べ始めたそうですが……、時間が足らないと言ってました。地球教との繋がりはもちろんですが、フェザーンが帝国と反乱軍を共倒れさせようとしている事も調査チームは分からなかったそうです。情報を蓄積し様々な角度から分析しなければ考察できない。十年遅れている、そう言って嘆いてましたよ……」
ミュラーが溜息交じりに言葉を吐く。
「黒姫は十年間、それをやってきたという事か……、士官候補生と言えば奴はまだ十代の前半だろう」
「十年やってもそこに辿り着くかな、フェザーンと地球教が繋がっていると……。化け物だな」
ロイエンタール、ミッターマイヤーが信じられないと言うように首を振っている。
「嘆きたいのはこちらも同じだ。今日は用兵家としても向こうの方が上だと思い知らされたよ。政戦両略で優位に立ち反乱軍を動けなくする事でヤン・ウェンリーを無害化するか……。戦わずして勝つ、最上の勝ち方だな、見事なものだ。彼の頭の中では宇宙はもう統一されているのだろう……」
メックリンガー提督がグラスを一口呷った。苦そうな表情をしている。
「黒姫は一体フェザーンに何をしに行ったと思う? 自由裁量権を得て何をするつもりかな」
ビッテンフェルトの言葉に皆が視線を交わした。
「考えられる事はルビンスキーの身柄の確保だな……」
「それと航路情報か……」
ロイエンタール、ミッターマイヤーの言葉に皆が頷いている。唯一人ビッテンフェルトだけが首を傾げた。
「上手く行くと思うか?」
「……」
「それにそれだけかな?」
「……」
皆、顔を見合わせたが誰も口を開かなかった……。
帝国暦 489年 6月26日 オーディン 国家安全保障庁 ギュンター・キスリング
ローエングラム元帥府から戻ってきたアントンは疲れた精彩の無い表情をしていた。
「どうだった、ローエングラム公は」
「当然だが激怒していたさ。エーリッヒの警告を無駄にしたんだからな。面目丸つぶれ、そんなところだ」
「そうか」
思わず溜息が出た。アントンも釣られたように溜息を吐いている。国家安全保障庁のトップ二人が溜息を吐いているのだ、状況は良くない。
「唯一の救いは怒られたのが俺だけじゃないって事だな」
「オーベルシュタイン中将か」
「ああ、最近では妙に中将に親近感が湧くよ。出来の悪い生徒ってのは先生に一緒に怒られて仲が良くなるらしい」
今度は自嘲が入っている。もっともここ半月、我々にとって良いニュースなど一件も無かった、憲兵隊にもだ。アントンの気持ちが分からないでもない。
地球討伐に向かったワーレン提督が旗艦サラマンドルで暴漢に襲われた。どうやら相手は兵士に化けた地球教徒だったらしい。ワーレン提督は左腕をナイフで刺されたがナイフからは毒が検出されたため止むを得ず左腕を切断、今現在ワーレン提督は昏睡状態にあると艦隊からローエングラム公に報告が有った。それを受けてローエングラム公は配下の艦隊全てに警告を出している。フェザーン侵攻中のロイエンタール、ミッターマイヤー艦隊、イゼルローン要塞のケスラー提督にも警告は出された……。
「エーリッヒの言う通りになったな、アントン」
「まさかワーレン提督が襲われるとは……」
アントンが顔を歪めている。テロが有るとは想定していただろうがワーレン提督を直接狙ってくるとは思わなかったのだろう。だが考えてみれば討伐艦隊の頂点を狙う、これほど効果的なことは無い。ローエングラム公でさえ標的にしたのだ。
「命に別条が無い事が救いだ……」
「ああ、そうだな」
ローエングラム公も引き返せ、代わりの艦隊を送る、或いは指揮官を送るとは言わなかった。ここでそんな事をしたらテロが有効であることを証明してしまう。ワーレン艦隊の司令部にとっては些か厳しいかもしれんがここは踏ん張ってもらうしかない。
「アントン、一般人がワーレン艦隊の旗艦に乗っている、本来有り得ない事だ。誰かが手引きした、或いは便宜を図ったのは間違いない」
俺の言葉にアントンがまた顔を歪めた、しかし続けなければならない。
「しかもワーレン提督は地球討伐の命を受けて翌々日にはオーディンを発っている。それほど時間が有ったわけじゃない。連中、軍にもかなり浸透している可能性が有る……」
益々表情が歪む。
「そうだな、ギュンター。卿の言う通りだ、ローエングラム公もそれを心配していた」
「そうか」
「その件については憲兵隊が担当する事になった。俺達は要人の家族の警護、それと地下に潜ったであろう地球教徒の焙り出しだ」
アントンが溜息交じりに言った。なるほど、楽な仕事じゃない。
「先ずはボルテックを絞り上げるか……」
「そうしよう……」
また溜息が出た……。
帝国暦 489年 7月 4日 フェザーン ルドルフ・イェーリング
『我々の動きは気付かれていますか?』
「いえ、まだ気付かれていません。フェザーン人は皆、帝国軍の動きに気を取られているようです」
『なるほど、それはそれは……。それでフェザーンの状況は?』
「多少混乱しています。自治領主府はフェザーンと地球教は何の関係もない、今回の一件はフェザーンを不当に陥れようとする帝国の言いがかりだと主張しています」
『……』
スクリーンに映る親っさんは微かに笑みを浮かべている、スウィトナー所長もだ。二人とも機嫌は良さそうだけど、傍で聞いている俺の方は緊張しっぱなしだ。
「多くの住民がそれを信じている、或いは信じたがっていますがその一方で帝国軍が現実にこちらに侵攻してきています。順当に行けば今月末にはフェザーンに到着する、それに同盟がこの件に関与しないと発表しましたので本当に大丈夫なのかと怯えている人間も居ます。まあ最終的には金でかたが付くのではないか、皆そう思っているようですが」
スウィトナー所長の答えに親っさんが微かに頷いた。
『フェザーン人の悪い癖です。何でも金でかたが付くと思っている、或いは付けようとする』
「そうですな」
確かにそうなんだな、フェザーン人ってのは商人のせいかもしれないが金の力を信じすぎだよ。ローエングラム公暗殺未遂事件だぜ、帝国は二個艦隊動かすんだ、フェザーンもそれなりの覚悟が要ると思うんだがな。
「現時点でフェザーンからは輸送船、交易船の出向を控えています。拿捕、撃沈されては敵わないという事でしょうが、自分達が船を出さなければ帝国に大きな打撃を与える事が出来る。そういう思いも有るようです」
『なるほど……』
「こちらの動きに気付いていないのはそれも有ると思います」
なんというか、全部フェザーンにとっては裏目に出てるんだな。危険だけど船を出した方が情勢が探れるんだ。それをしないばかりに親っさんの動きさえ掴めていない。
『ところでルビンスキー自治領主、ケッセルリンク補佐官の動きはどうです?』
「今のところは特に目立ったものは有りません。周囲を落ち着かせようとしています」
『逃亡は未だしませんか……』
「はい」
親っさんがまた頷いた。
『長老委員会の動きは』
「特に何もありません。落ち着いています」
『ルビンスキー解任の動きは無い?』
「当初はそういう動きが僅かですが有ったようです。しかし今は……」
スウィトナー所長が首を横に振ると親っさんが“有りませんか”と後を続けた。
『自由惑星同盟の弁務官事務所は如何です』
スウィトナー所長が苦笑を浮かべた。
「一番落ち着いていると言って良いでしょう。ヘンスロー弁務官は相変わらず女の所に入り浸りですし他の人間も余り気にする事も無く通常業務に励んでいます。どうやら大したことにはならない、そう見ているようです。或いは諦めているのか……」
『ルビンスキーに丸め込まれたのかもしれませんね、大したことにはならないと……。全く何を考えているのか、同盟はどうにもならない……』
親っさんが溜息を吐いている。まあ、その通りだな。所長が苦笑するのも分かるし、親っさんが溜息を吐くのも分かる。確かに何を考えているのか俺にもさっぱり分からない。
『我々がそちらに到着すれば大騒ぎになるでしょう。その時は安全は保障する、帝国軍が来る前に同盟に帰還させると言って彼らの保護を申し出てください。下手に混乱させるととんでもない事をしかねませんから』
「了解しました」
『その後は』
「分かっています」
親っさんとスウィトナー所長が頷き合っている。五十歳を超えた虎髭の所長と二十代前半の親っさん、どう見ても不釣合いだけどその二人が謎めいた会話をして頷き合っている。うん、何か危険な香りがするな。大物悪党同士の秘めた会話、そんな感じだ。
『“テオドラ”は如何しています』
「特に動きは有りません、……こちらから接触しますか?」
所長の問いかけに親っさんが笑みを浮かべて首を横に振った。
『その必要は有りません。時が至れば向こうから接触してくるでしょう、それまで待ちます』
「承知しました」
また二人が頷き合っている、怖いわ、ホント怖いぜ。
『何か懸念事項が有りますか?』
「今のところは……」
『そうですか、ではこれからも抜かりなくお願いします』
「はっ」
通信が切れスクリーンが暗くなった。それと同時にスウィトナー所長がフーッと息を吐いた。
「いやあ、緊張するわ」
そう言うと所長は大きな声で笑い声を上げた。
「そんな風には見えませんけど」
嘘じゃない、髭面で大男のスウィトナー所長が笑うと豪快な感じがする。何処かワーグナーの頭領に似てるよな。昔は船団長もやったって聞いてるけど確かに艦橋で仁王立ちしたら似合いそうなオッサンだ。親っさんとの会話でも緊張してるなんて欠片も感じさせなかった。
「おいおい、相手は親っさんだぞ、緊張しねえ訳がねえだろう。へまをするんじゃねえって釘も刺されてるんだぜ? お前だってカチカチじゃねえか」
「そりゃあ、まあ、俺はそうですけど」
スウィトナー所長がまた大声で笑った。
「それにな、イェーリング。後十日もすれば親っさんが来る。フェザーンの、宇宙の歴史が変わる、いや、俺達が変えるんだ。嫌でも緊張するだろうが」
そう言うとスウィトナー所長はバシバシ俺の肩を叩いた。気持ちは分かるけど痛い……。
「相変わらず親っさんは考える事がでかいぜ、胸がわくわくする」
所長が身体をブルッと震わせた、武者震いって奴かな。
「上手く行くでしょうか?」
「さあ、どうかな。後十日、どう動くかで全てが決まる。なんとか上手く行って欲しいもんだぜ。イゼルローン要塞に続いて今度はこのフェザーンを黒姫一家が乗っ取るんだからな」
そう言うとスウィトナー所長は大声で笑いながらバシバシ俺の肩を叩いた。だから、痛いんですけど……。
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