剣の丘に花は咲く
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第六章 贖罪の炎赤石
第六話 学院に伸ばされる手
前書き
士郎たちの出番は……前の話で終わり?
「――で、あるからにして、これは――」
男の生徒や教師が戦争に出征したため、出席者の姿どころか授業自体さえ少なくなった今日この頃。久しぶりに行われた授業で教鞭をとっているのは……。
「コルベール先生」
禿頭の教師……コルベールだ。
男子生徒がいない教室の中、残った女生徒たちに対し授業を行うコルベールに対し、一人の女生徒が声を掛けた。
「何だねミス・ツェルプストー?」
コルベールに声を向けられ、燃えるような赤い色を持つ髪を揺らしながら立ち上がったのは、挑発的な肉体を持つ女生徒。キュルケは椅子から立ち上がると、教壇の上に立つコルベールに非難めいた目を向けながら、苛立った調子の声を上げた。
「戦争中だというのに、何故あなたはまだ授業を続けているのですか?」
「……何故と言われても……教師が授業をするのはおかしいですか?」
非難めいた視線と声を向けられているにもかかわらず、平然とした様子でキュルケの問いに答えたコルベールは、それだけ言うと背中を向け、何事もなかったように授業を再開しようとする……
「ええおかしいです」
が、それをキュルケは再度引き止めた。
背を向けかけた姿で止まったコルベールがゆっくりと振り返る。その顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。
「何処が……かね?」
「教師だけでなく生徒も戦争に向かっているというにもかかわらず、学院に引きこもって授業を行っているところです」
「先程もいいましたが、教師が授業をするのが――」
「怖いだけじゃないんですか?」
鋭い刃のような声がコルベールの言葉を止める。
コルベールの笑みが……一瞬歪んだ。それは図星を突かれたからか? それとも……。
「……そうですね。その通りでしょう。わたしは戦が怖く、臆病者です」
「なっ……!」
「ですがそれの何が悪いんですか?」
「っ! あなたは……っ!」
自分のことを臆病者だと言い切り。そして、それについて全く恥じる様子が見えないことに、キュルケは呆れを通り越し怒りを覚えた。
怒りを感じるままに何かを言おうとしたキュルケだったが、形になる前にそれは教室のドアが開く音によって遮られることになる。
「なっ、何ですかあなたたちは」
前触れもなくドアから入ってきた者たちは、身体に鎖帷子を身に付け、腰には長銃と拳銃をさしている。そして全員が女性であった。先頭を歩くその集団の長と思われる女性は声を掛けてきたコルベールを無視し、そのまま教壇に上がると、教室にいる女生徒たちに向かって声を上げた。
「我らは女王陛下の銃士隊だ。陛下の命により、お前たちを戦えるようにするためここに来た。早速だがこれより軍事教練を行う。直ぐに正装し中庭に整列しろ」
「っ! 馬鹿な! 何を言っている! ふざけるのもいい加減にしろ! お前たちは男子生徒だけでなく女生徒も戦場に送りつけるつもりかっ!!」
銃士隊の隊長……アニエスの言葉に誰よりも早く反応し、反対したのは、理不尽な命令を受けた女生徒ではなくコルベールだった。女生徒たちが未だ何が起こっているのか分からず混乱する中、コルベールはアニエスに詰め寄っていく。
「いいですか! まだわたしの授業は終わっていないのです! あなたが陛下の命令でここに教練をしに来たのはいいですが、わたしの授業を勝手に終わらせるようなことは許しません! 戦争ごっこがしたいのならせめて授業が終わってからにしてください!!」
「……戦争ごっこだと」
「ひっ!」
指を突きつけながら迫って来るコルベールを、アニエスは剣を突きつけることで止めた。
「我々の教練を戦争ごっこと……我々がメイジではないからと思って舐めるのならば、それ相応の覚悟をしてもらうぞ」
「そ、そんな、わたしは別に……」
凄みのあるアニエスの声と喉元に突きつけられた刃の感触に、コルベールの声を尻すぼみに消えていく。冷や汗を流し、ブルブルと震え出すコルベール。その様子にフンッと鼻を鳴らしたアニエスの顔が不快気に歪む。臭ったのだ。コルベールの身体から……マントから。アニエスが大ッ嫌いな臭いが……。
「お前……『炎』の使い手だな。ものが焼ける臭いがする……。いいか、わたしはメイジが嫌いだが、その中でも特に『炎』の使い手が一番嫌いだ」
喉元に突きつけていた剣先が更に押し込まれ、肉が内側に押し込まれる。冷たい刃の感触と喉を抑えられる苦しみに顔を歪めさせるコルベールの身体から、更に冷や汗が溢れ出し、震えも激しくなっていく。
「今後わたしたちの邪魔をするようなことがあれば……」
ゆっくりと剣を引いたアニエスが鞘に剣を収める。その間もアニエスの目はコルベールを捉えて離さない。燃えたぎるような憎悪に染まった目がコルベールを見つめる。
「ただではすまないと思え」
「……ひ……ぃ……」
剣が鞘に収まると同時に、腰を抜かしたかのように床に尻もちをつくコルベールに不快気な視線を向けたアニエスは銃士隊員を連れ歩き出した。その後を、椅子から立ち上がった女生徒たちがついて行く。教室から出る際、女生徒たちは教壇の近くで腰を下ろすコルベールにそれぞれ軽蔑の視線を向けた後歩きり。あっと言う間に女生徒たちは全員教室からいなくなった。
「……君と……わたしのどこが似ているんですか……シロウくん」
コルベールを除き誰もいなくなった教室の中。コルベールは床に座ったままの状態でポツリと小さく呟いた。
未だ月が空の上に輝く時間。銃士隊が宿舎として利用している火の塔の前に、二人の銃士の姿があった。二人の銃士は、駐屯地である火の塔の警戒のために立つ歩哨だった。手にはマスケット銃を持ち。油断なく周囲への警戒を行っている。
太陽の姿は遠く。闇は未だ深い。
周りに響く音といえば風が草木を揺らす音だけ……。
そんな静かな空間に……不自然な音が響き。
「っ……」
「……ん」
風が草を揺らす音とは違う。ほんの僅かな違いに敏感に反応した年長の銃士が部下に視線を送ると、部下は顎を引き頷き、銃に球を込め始めた。球を込める間、もう一人が腰から剣を抜き隙を生まないようにしている。そうやって互いに銃に球を込め終えると、二人は音が聞こえた方角に銃を向けた。
「……」
「……」
二人は声を上げることなく、手指の合図だけで音が聞こえた方角に向かって動き出そうとし、
「っ……か……ぁ……っっ?!」
「っぁ! っっ?!」
前のめりに倒れた。
受身を取ることなく地面に転がった銃士二人は、死の間際の虫のようにピクピクと痙攣している。喉に向かって伸ばされた手が、届く前に力なく地面に落ち……粘ついた赤い液体の中に沈む。
手を浸す赤い水は時と共に大きく広がっていく。その水源は、倒れ動かなくなった二人の銃士の喉元。
倒れ動かなくなった二人の銃士の喉元は、鋭い刃物で切り裂かれたようにパックリと割れ、そこから赤い血が流れて出ている。
手だけでなく全身が赤く濡れ始めた二人の女の体は、空に昇る月の光が照らしていたが。それを遮る影が唐突に現れた。
「……それなりに鍛えられてはいるな」
「ですな。……しかし、もったいないですな。見れば若い女じゃないですか。生かしておけば色々楽しめたと思いますが?」
「ふんっ……興味ない。それより――」
闇の中から現れたメンヌヴィルとその部下たちは、風の魔法で喉を切り裂かれ殺された銃士を囲むようにして立つ。銃士の一人の髪を掴んで持ち上げ顔を確認した男が勿体なさそうに呟くが、メンヌヴィルはそれを鼻で笑うと、顎で隣に立つ部下を促す。
「目標は三つですね。本棟と寮塔。そしてここのようです」
促された部下が懐から地図を取り出すと。それを、明かりが漏れないよう布で覆われた魔法の光で、また別の男が照らし出す。
「駐屯してる奴らは銃を持っているようですが」
「それがどうした? オレたちメイジにとって、銃などものの数ではない」
地面に転がったマスケット銃を蹴りながら、男の一人が声を掛けてくるが、メンヌヴィルは顔を向けることなくそれを一蹴する。
「オレは寮塔をやる。ジャン、ルードウィヒ、ジェルマンはついて来い。ジョヴァンニは四人選んで本塔に行け。残りはセレスタンについて行け」
メンヌヴィルが命令を下すと、男たちは無言で頷き、三つに別れ走り出した。
「…………」
妙な気配を敏感に感じ取り目を覚ましたタバサは、飛び起きることなく、ゆっくりとした動作でベッドから起き上がった。すぐそばに置いてある自分の杖を掴むと、ベッドから降り立ち、素早く着替える。
妙な気配は中庭から感じる。タバサは気配の正体を確かめるかと考えるが、直ぐにそれを否定すると、部屋から出る。行き先は下の階。数少ない友人であるキュルケの部屋。キュルケの部屋の前に着くと、素早くノックをする。暫らくすると、ドアの鍵が開く音と共にドアが開き、ネグリジェのみ身に付けたキュルケが出て来た。ふらふらと身体を小さく揺らしながら立つキュルケは、寝ぼけ眼をタバサに向ける。
「……どうかしたのこんな時間に……っあ………ふ……日が昇ってからじゃ駄目なの?」
「緊急」
「? 何が」
「妙な気配」
「気配?」
瞼が重そうにしていたキュルケだったが、いつにないタバサの様子と言葉に異常を感じると、急速に意識をハッキリとさせていく。キュルケが完全に目を覚ましたのを感じると、タバサは視線を中庭の方に向ける。それを追うようにキュルケも中庭に視線を向けると、サラマンダーが同じように中庭の方角に顔を向け、低い唸り声を上げていた。
「友好的ではないようね」
ふんっ、と一つ鼻を鳴らしたキュルケは、部屋の中に戻ると素早く着替え始めた。服を着込み終え、杖を手に取ると、下から扉が破壊される音が寮内に響きわたった。
階下から聞こえた破壊音に驚く様子を見せることなくキュルケはタバサに振り向く。
「迎え撃つ? それとも――」
「引く」
「了解」
戦いの経験がタバサに劣ると理解しているキュルケは、タバサの指示に素直に頷くと、窓のドアを開け飛び降りた。地面に降りると、直ぐに二人は茂みに姿を隠す。周りの様子を確認すると、二人は寮に背中を向けると駆け出した。
寮から響き始めた、少女たちの甲高い悲鳴を背中に受けながら。
「……アルビオンの手の者か」
「アニエスさま無事ですか!」
血の滴る剣を片手に、アニエスは赤く染まった身体を床に投げ出した男の横に立っていると、後ろから声を掛けられた。
「無事だ。こちらには二人きたが、そちらは」
「こちらも二人です。片付けましたが、一人負傷しました」
同じように血で濡れた剣を持って声を掛けてきたのは部下の一人だった。上半身を濡らす赤いものは、返り血だろう。
「負傷の程度は」
「アンヌが魔法を避けた際に足を捻った程度です」
アニエスは倒れ伏す男から目を離さず部下の報告を聞く。
「二分で完全武装」
「ハッ!」
指示を受け、部下が部屋に戻る。死体から視線を外すとアニエスも着替え始めた。
襲撃してきた男は二人ともメイジで、隣の部下の部屋を襲撃した男たちもメイジ。どうやらメイジだけで構成された部隊のようだ。身なりからして正規兵というわけではないだろう。
「……傭兵か? ……厄介だな」
メイジの傭兵部隊。戦い慣れたメイジの集団。
学院に残っているのは、殆どが女子生徒。
「……状況は最悪だ」
メンヌヴィルたちによる襲撃により捕られえられた女子生徒たちは、着の身着のまま食堂に連れてこられた。九十人近い女生徒は、不安に身を震わせながら涙を流しているが、怪我一つ負っているものはいない。幸か不幸か襲撃を受けた際、女生徒たちは怯えて抵抗することがなかったため怪我を負うことはなかった。
食堂に集められた者たちは女生徒だけではない。学院に残った教師の姿もあり、その中には学院長であるオスマン氏の姿もあった。床に座り込む捕虜となった彼女たちの手には、後ろ手にロープにより縛られている。魔法により一人でに動くロープにより縛られる際も、女生徒たちは抵抗らしい抵抗は見せなかった。
俯いて震えるだけの捕虜たちに向かって、メンヌヴィルは優しく聞こえる声で呟き、
「今まで通り大人しくして頂ければ、怪我一つ負うことはありません……が」
腰から抜いた杖を突きつけ、
「オレを苛立たせる行動を取れば……焼き殺す」
粘ついた笑みを浮かべた。
メンヌヴィルが浮かべた笑みは、蛇が笑ったかのような笑みで。見るものに怖気と不安を感じさせるものだった。
メンヌヴィルの言葉か浮かべた笑みのどちらが理由かは分からないが、泣き出していた幾人かの女生徒たちが泣き止み。食堂が静まり返る。
呼吸する音しか聞こえなくなった食堂を見回したメンヌヴィルは、満足そうに頷く。
捕虜となった女生徒たちがますます怯えるなか、
「あ~……ちょっといいかね?」
何処か緊張感がない声が響いた。
「……なんだね」
突然声を掛けられたメンヌヴィルは、何処か楽しそうな表情を声をかけてきた老人――オスマン氏に顔を向けた。
「いやなに。女性に乱暴するのだけは勘弁してくれんかね。君たちはアルビオンの手のものじゃろ。どうせ交渉のカードとするためここを襲ったのじゃろうが、交渉にはわし一人居れば十分お釣りがくるじゃろう。君たちだけじゃこれだけの生徒を見るのも大変じゃろうし、せめて生徒だけは開放してくれんかね?」
「ハッ! 馬鹿を言うな」
穏やかな口調でオスマン氏が説得しようとするが、それをメンヌヴィルは鼻で笑い一蹴する。
「軽く脅しただけで黙り込む奴らの監視などに、どれだけ手が掛かるというのだ。それにな――」
オスマン氏に歩み寄りジトリと睨み付ける。
メンヌヴィルに睨まれ、オスマン氏はまるで巨大な蛇に全身を巻きつかれたような気がした。
「貴様一人に、国を動かせると思うのか?」
「っむ……」
「くくっ……」
歯を噛み締め俯くオスマン氏を見下ろし、喉の奥で小さく笑ったメンヌヴィルは、顔を上げ食堂を見渡す。
「じじぃ、ここにいる奴らで全員か?」
メンヌヴィルに声を掛けれたオスマン氏は、ゆっくりと顔を上げると食堂を見渡す。
「……ん?」
捕虜となった生徒たちの姿を見続けていたオスマン氏は気付いた。
「どうした?」
食堂に連れてこられた者たちの中に、自分が頼りにする者たちの姿がないことに。
「どうしたと聴いている」
「……ふむ」
杖を突きつけながらにじり寄ってくるメンヌヴィルに、オスマン氏は深刻な表情を浮かべた顔を向けた。
オスマン氏の向けてくる深刻な視線に、メンヌヴィルの足が止まる。
「……どうした?」
メンヌヴィルの再三の問いかけに、オスマン氏が重々しく口を開いた。
「……生徒ってこれで全員かの?」
「聞いているのはオレだっ! 何を言っているんだ貴様はっ!?」
「いやのう。この学院って結構生徒数が多いんじゃよ。それだけいる生徒全員の顔を全員覚えているわけないじゃろ」
「ちっ……もういい! なら――」
オスマン氏に聞いても無駄だと理解したメンヌヴィルは、別の者から聞き出そうと顔を上げ、
「食堂にいる者たちに告げる! 我らは女王陛下の銃士隊だ!」
食堂の入口に向けた。
食堂をメンヌヴィルはぐるりと見渡す。本塔を攻めたジュヴァンニはいるが、火の塔に向かったセレスタンは未だに戻っていない。
「……ふんっ……どうやらセレスタンは失敗したようだな」
「そのようですね。で、どうしますか?」
「決まっている」
火の塔に向かった仲間が戻らず、代わりに敵が現れたということは、仲間がやられたということだ。にも関わらず、傭兵たちの顔色は全く変わらない。
傭兵の一人に声を掛けられたメンヌヴィルは、一度肩を竦めて見せると、食堂の外にいる相手と交渉するため入口に向かって歩き出した。
朝日が未だ姿を見せない中、塔の外周をめぐる階段の踊り場にアニエスたち身を隠していた。視線の先には、襲撃犯が人質となった女生徒たちとともに立て篭もっている食堂がある。
食堂に向かって何度か声を上げたが、襲撃犯からの返事はない。
アニエスがもう一度声を上げよう口を開こうとするが、その前に食堂の入口が開いた。食堂から現れたのは、服の上からでも鍛え抜かれた肉体を感じさせる体躯の持ち主のメイジだった。空に浮かぶ月明かりでは光量が足りず、どんな表情が浮かんでいるかはわからない。
反射的に現れたメイジに向かって銃の引き金を引こうとした銃士を、アニエスは制した。
「賊ども! 貴様たちは既に囲まれている! 大人しく人質を解放すれば命の保証はしよう! だが! このまま立てこもり続けた場合は、命はないと思え!!」
アニエスの言葉に、今度は直ぐに返事が帰ってきた。
「ハハハハハハハハハッ!! い、命の保証っ!? じゅ、銃士ごときがオレたちを殺せると思ってやがる!?」
笑い声混じりでだが。
「既にお前たちの仲間を四人殺している! それでも笑えるのか!」
「おお怖い怖い……まあそんなことはどうでもいい。オレたちの要求は簡単だ。まずはお前たちの女王様であるアンリエッタを呼んでもらおうか」
激昂するアニエスに向け、メンヌヴィルは手をひらひらと振る。ふざけた態度をとるメンヌヴィルだが、アニエスはそれに注意を払うことは出来なかった。
「陛下を呼べだと……っ!」
「そうそう。オレたちの要求はただ一つ。アルビオンから兵を引いてもらうだけの簡単な話だ」
メンヌヴィルの言葉に、自分の予想が当たったことを知り、この最悪の状況をどうするかに集中していたからだ。人質程度で軍の行動が変わる訳は普通なら考えられないことだが、人質となっている者たちは、全てが貴族の子女。それが九十人もいるのだ。十分撤退の可能性がある。
この状況を防げなかった自分への余りにも大きな不甲斐なさに、アニエスは噛み砕かんばかりに歯を噛み締めていた。
返事が来ないことに苛立ったのか、先ほどよりも荒れた口調でメンヌヴィルが声を上げてくる。
「返事はどうした! いいか、オレは気が長い方ではない! 無駄に時間を掛ければ人質の安全を保証せんからな! それとここに呼んでいいのはアンリエッタか枢機卿だけだ! それ以外を呼んだ場合は、人質を殺す! いいか! 分かったな!」
「……っっ!!」
メンヌヴィルの言葉に、歯を噛み締める力が更に強まる。
これで増援を呼べなくなった。元から人質がいる中どれだけ応援を呼んだとしても意味がないと分かってはいたが。それでも選択肢が一つなくなるのは痛い。
「返事はどうした! 聞こえないのか!」
「ちっ」
何処か楽しげに聞こえるメンヌヴィルの声に、下品な舌打ちを一つする。
「五分待つ! だが! 一分超えるごとに一人殺す! いいか! 一分につき一人殺すからな!」
「……っ」
次に聞こえたメンヌヴィルの言葉に、反射的に立ち上がりかけたアニエスを止めたのは、
「これは……一体……」
「っ……貴様は」
後ろから掛けられた、呆然としたコルベールの声だった。
呆けたように立ち尽くすコルベールが、ゆらゆらと定まらない視線をアルヴィースの食堂を向けていた。
「貴様は一体何をやっているっ!」
「えっ? あ……ちょっ」
状況が理解できていないのか、未だ動かないコルベールの腕を掴み、アニエスは自分が隠れる壁の陰に引き込んだ。
「貴様は捕まらなかったようだな」
「え? 捕まる? っそ、そうです! 一体何が起き――っぐ!」
「五月蝿い黙れ……っ!」
「っっ!!」
「……ふん!」
壁の陰に引き込まれたコルベールが、自分の腕を掴むアニエスに向かって状況の説明を求めようとする。しかし、アニエスは顔を近づけ矢継ぎ早に言葉を発するコルベールの口を片手で塞ぐと、殺気を込めた視線を叩き込んだ。
睨みつけられ息を飲み黙り込んだコルベールの様子に、アニエスは鼻を鳴らし顔を背けた。
「……見ればわかるだろ。学院の生徒がアルビオンの手のものに捕まった」
「そ……んな……まさか」
「見れば分かるだろ」
「っ……確かに……その、ようですね」
壁の影から小さく顔を出し食堂を覗いたコルベールが、顔を青くしながら呟く。
「邪魔だ。貴様は下がっていろ」
先程のように立ち尽くすコルベールの服を掴むと後ろに引き込む。
無駄な時間を使ったと更に機嫌が悪くなったアニエスの背中に、声を掛けるものがいた。
「ねえ隊長さん」
唐突に声を掛けられたアニエスが、勢い良く振り返ると、視線の先にはキュルケとタバサの姿があった。アニエスに顔を向けられたキュルケが、ニヤリと不敵な笑みを向ける。
「学院の生徒か……良く無事だったな」
「ま、ね。敏感な子がいてね」
チラリと隣に立つタバサを目を向けながら、キュルケは肩を竦めて見せる。
「それよりあたしたちに計画があるんだけど……乗らない?」
「計画?」
不敵な笑みを浮かべるキュルケと、黙り込み視線だけをこちらに向けてくるタバサを見回す。アニエスは、数秒目を閉じ考え込むと、目を開き頷いてみせた。
「まずは計画の内容を話せ。乗るかどうかはそれを聞いてからだ」
「なかなか話が分かるじゃない」
返ってきた答えに満足そうに頷いたキュルケは、アニエスに近づき自分たちの計画の説明を始めた。
キュルケの説明を聞き終えると、アニエスは顔を上げ集まっていた銃士隊を見回し口を開く。
「皆聞いたな。時間がない。これでいくぞ」
「「「「ハッ」」」」
短く了承の意を示した部下たちに指示しようとしたアニエスだが、それを止める者がいた。
「危険だ。相手は戦闘のプロである傭兵だぞ。その程度の作戦など通用するはずがないっ」
「手をこまねいてる時間はないのよ。残っている時間は後三分。それを過ぎれば一人ずつ生徒が殺されるのよ……それでいいとあなたは言うんですか?」
「それは……」
軽蔑の色を隠さず言い放つキュルケに、コルベールは顔を俯かせながら小さくなっていく。
黙り込んでしまったコルベールを無視し、アニエスたちは作戦を確かめ合い始めた。
そんな中、新たな声が放り込まれる。
「わたしもミスタ・コルベールに賛成ですわ」
「っ!?」
唐突に掛けられた声に、壁の陰に隠れていた全員の視線が声が聞こえた方向に向けられる。手に持つそれぞれの武器の先も視線に合わせていた。
「誰だっ!」
アニエスの誰何の声に従うように、闇の奥から一つの影が現れた。
「っ! あなたは――」
「作戦の内容は聞こえました。確かに有効な手です。しかしそれは並の傭兵が相手ならばです」
影から出て来た影は、長い緑色の髪を夜風に靡かせながらアニエスたちの前まで歩いていくと、鋭い視線を傭兵たちが立てこもる食堂に向けた。
「『白炎』のメンヌヴィル相手では、まず間違いなく失敗します」
「っ!!?」
「ミス・ロングビル。あなたも無事だったんですね。って、それより何ですかその『白炎』のメンヌヴィルって?」
影の中から現れたロングビルに気を取られ、誰もがロングビルが口にした言葉に意識を向けたものはいなかった。ただ一人。声の出ない驚愕の声を上げた男を除き。
声の招待がロングビルだと分かり、安堵の表情を浮かべたキュルケが、ロングビルが口にした言葉に首を傾げた。
「伝説のメイジの傭兵です」
キュルケの問いに端的に答えながらもロングビルは歩みを止めない。
「お前は確か……学院長の秘書だったな。無事だったのか」
声を掛けてきたアニエスを無視しながら前を通り過ぎると、ロングビルは座り込むコルベールの前で立ち止まった。
「……み、ミス・ロングビル?」
目の前で立ち止まったロングビルに、訝しげな声を上げながらコルベールが顔を上げると、
「っ!!」
襟を掴まれ強制的に立ち上がらせられ、
「何やってんだいあんたはっ!!?」
「っぐはっ??!」
頬に勢い良く手を叩きつけられた。
その威力は凄ましく、コルベールは吹き飛び壁に身体が叩きつけられる。
壁の上をズルズルと滑り落ち始めたコルベールの襟首を掴み、その場に縫い止めたロングビルは、何が起きたか理解出来ず目を白黒させるコルベールにキスするかのように顔を近づけた。
「シロウに学院を頼まれたあんたが、こんなところで座り込んでんじゃないよ!」
「な! え? あの?」
吐息が掛かる程の距離で怒鳴りつけられ混乱するコルベールを、更に壁に押し付けながらロングビルは叫ぶ。
「さっきから見てたけど一体なんだいあんたは! 自分は何にも考えず行動せずただ人が立てた作戦に文句を言うだけ!? 文句を言うだけなら子供でも出来るんだよ!」
「っ!?」
「失敗すると思うんなら、解決策を考えな! 解決策が思い浮かばないんなら、失敗しないよう自分も参加しな!!」
「そ、そんな無茶な」
「無茶でもやるんだよ!」
前触れもなく始まった嵐のような言い争い(しかし一方的な)に、アニエスたちが呆然とする中、険しい顔でコルベールを睨みつけていたロングビルの表情が不意に柔らいだ。
「……安心しな、何も一人でやれとは言わないよ。あたしも手伝ってやるさ」
「……ミス」
ロングビルがコルベールから離れる。ロングビルという支えを失くしたコルベールが、ズルズルと壁を滑り落ちていく。だが、コルベールは座り込むギリギリで足を踏ん張り立ち続けた。
生まれたての子鹿のように震える足で立つコルベールを横目にしながら満足気に頷いてみせたロングビルに、アニエスが何処か引いたような口調で声を掛ける。
「……あ~……その、ミス・ロングビル?」
「あら? 何ですかミス・アニエス」
「……アニエスでいい。それより先程の『白炎のメンヌヴィル』とは?」
「凄腕の傭兵ですよ。……桁違いの実力と頭の切れの持ち主であり、相手が女子供であろうと顔色一つ焼き殺すような残虐な男」
「それが奴らの頭か」
ロングビルの説明にアニエスは顔を顰める。ロングビルの話を聞いて、作戦の実行に躊躇いが出来てしまった。しかし、再度作戦を考える時間はもうない。どうすればいいのだと、再度頭を抱えそうになる。
「時間がもうありませんし、仕方ありませんね。アニエスたちはキュルケが考えた作戦を実行してください」
「は? しかしあなた今、作戦は失敗すると」
「メンヌヴィルがいれば、ですよ。メンヌヴィルはわたしたちが相手します。あなたたちは残りをお願いします」
訝しげな目を向けるアニエスに、ロングビルは手をひらひらと振りながら笑ってみせる。
「わたしたち?」
「そう、わたしと――」
「は?」
ロングビルがゆっくりと視線を移動させるのに合わせ、アニエスの視線も動き、
「え?」
壁に背を付け呆然と自分の顔を指差すコルベールと視線が合う。
「ミスタ・コルベールで」
後書き
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