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道化師

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第一幕その六


第一幕その六

「無駄なことよ、そんなのじゃ」
「言わないというのか」
「ええ、そんなおもちゃで!?フン、馬鹿にしないで欲しいわね」
「おもちゃかどうかはすぐにわかるさ」
「なら見せて欲しいわね」
「このっ!」
 その言葉に激昂した。ナイフを振りかざす。
「待って下さい、座長!」
 そこにペッペが来た。慌てて二人の間に入る。
「何やってるんですか、一体!」
「そこをどけ、ペッペ!」
 それでもカニオは行こうとする。
「俺はこいつに用があるんだ!」
「とにかく落ち着いて下さい」
 彼は激昂するカニオを必死に宥めていた。
「落ち着いて下さい、ねっ」
「しかし」
「とにかく」
 カニオの手を取る。そしてナイフを外す。
「気を鎮めて下さい。いいですね」
「・・・・・・わかった」
 カニオもようやくそれに頷いた。一応は落ち着きを取り戻す。
「ネッダも」
 ペッペは今度はネッダに顔を向けた。
「そんなに挑発的にならないで」
「あたしは別にそんなふうにはしていないわよ」
「まだ言うのか」
「座長」
 今度はトニオも間に入った。
「まあ落ち着いて」
「・・・・・・わかったよ」
 トニオにも言われてまた落ち着いた。
「そうです。落ち着いてね」
「それだけでいいんだな」
「そうですよ。誰だって頭に来る時はありますけれど」
「・・・・・・・・・」
 カニオはペッペの言葉を黙って聞いていた。落ち着きはかなり戻ってきていた。
「ネッダ、さあ行くんだ」
「何処に!?」
「何処にってもうすぐ芝居じゃないか」
 ペッペは彼女にこう言った。
「着替えに行くんだ。いいね」
「それでいいのね」
「ああ。さあ早く」
「わかったわ」
 ネッダはそれに従ってその場をそそくさと離れた。こうしてとりあえずの難は逃れた。
「さてと」
 ペッペはあらためてカニオに顔を向けた。そして言った。
「座長も」
「俺か?」
「はい。そろそろ着替えましょう。時間ですし」
「もうそんな時間か」
「ええ」
 夏なのでまだ日は高い。しかし教会を見下ろせばそこから人がぞろぞろと出て来ていた。
「ですから。ね」
「わかったよ」
 憮然としながらもそれに返す。
「じゃあ用意をはじめるか」
「そうそう」
 ペッペは内心ほっとしていた。とりあえずの危機は去ったからだ。
 だがここで彼は勘違いをしていた。それはとりあえずの危機であり危機は完全に去ったのではなかったのだ。またカニオは完全に落ち着いたと思っていた。だが彼の心はくすぶっていた。彼は二つのことに勘違いをしていた。これが大きな惨事にとなることにも気付いていなかった。
「じゃあ俺達もそろそろ」
「着替えるのか?」
「だから時間だって」
 トニオにも言った。
「だからな、行くぞ」
「わかったよ。おっと」
 トニオはここで忘れ物に気付いたふりをした。そっとカニオと擦れ違う。
「これを持って行かないとな」
「何だい、それ」
「俺のおまじないさ」
 それは一本の折れた釘だった。
「いつも芝居の時はポケットの中に入れてるんだ」
「釘をかい?」
「気付かなかったのか?今まで」
「今はじめて知ったよ。御前がそんなもの持ってたなんて」
「気付かなかったのか」
 だがこれは当然であった。何故なら今適当に思いついたことだったからだ。
 釘を拾う。拾いざまに側にいるカニオに囁いた。これが本来の目的である。
「明日の朝逃げるつもりらしいですよ」
「!?」
 カニオはその言葉を聞いて目を凍らせた。
「多分相手の男は芝居に来ますから。その時注意していればいいです」
 トニオはまた囁いた。
「上手くやるには今は知らんふりをすることですぜ」
 最後にこう囁いた。それで彼は離れた。
「もう拾ったか?」
「ああ、今な」
 芝居は続けていた。
「じゃあ座長」
 ペッペはトニオが側に来るとまたカニオに声をかけた。
「俺達は向こうで着替えますんで。それじゃ」
「ああ」
 カニオは呆然とした声で返した。そしてペッペ達が去ると彼もまた着替えの為にテントの中に一室に入った。
 そこには衣装箱と木のテーブル、そして椅子が置かれていた。木の古いテーブルの上には小さな鏡があった。化粧用であるのは言うまでもない。
 その鏡を覗き込みながら着替える。一言も漏らさずに表情も硬い。道化師の服を着たが笑ってはいなかった。
 着替え終えると今度はテーブルに着いた。そして鏡を見ながら化粧をはじめた。
 徐々にカニオから道化師になっていく。しかし彼は不意に道化師になった自分を見て声を漏らした。
「こんな時でも芝居か」
 苦渋に満ちた声で呟く。
「こんな時でも。俺は芝居をしなくちゃならないのか」
 次第に感情が昂ぶってきた。
「糞ッ!」
 そしてテーブルを叩いた。
「何を言っていいのか、何をしていいのか、全くわかっていないというのに。俺は芝居をしなくちゃならんのか!」
 激昂して叫ぶ。
「これでも俺は人間なのか!?いや、違う!」
 鏡に映る自分自身に対して言う。
「御前は、俺は道化師なんだ!衣装を着けて化粧をして人を笑わせる。俺は、御前は道化師なんだ!」
 何時しか泣き叫んでいた。
「アルレッキーノがコロンビーナを奪っても」
 舞台での役の名前である。彼は道化師の役なのは言うまでもない。
「俺は、御前は笑うんだ。それで御客様は大喜びさ!それでいいんだ!」
 だが。彼はカニオなのだ。道化師はそれでよくてもカニオはどうなるのか。
「苦悩を涙と滑稽に変えて、すすり泣きも悲しみもしかめっ面に変えて。笑うんだよ、道化師は!」
 カニオであるのか道化師であるのか。それすらもわからなくなっていた。
「笑えよ道化師!御前の愛の終焉に!笑うんだよ、俺の心を苦しめる悩みと絶望に!笑えばいいだろ、道化師よ!」
 鏡に映る道化師は泣いていた。テーブルを叩いて泣いていた。
「糞っ!」
 また叫んだ。鏡を拳で叩き割った。
 そこに映るカニオ、いや道化師は泣いていた。壊れた鏡に散り散りになった彼が映っていた。
 その全ての鏡で泣いていた。人を笑わせる筈の道化師が泣いていた。何をしていいのか、何を笑えばいいのかわからずに。
 
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