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ホフマン物語

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第四幕その九


第四幕その九

「カードの勝負は」
「ええ」
 ホフマンは誇らしげにそれに応える。
「御苦労様でした」
「ではよいお年を」
 最後にこう言い残して去った。だが彼は会場を去る時に誰にも知られない様に呟いた。
「だが最後に勝つのはわしだ」
 あの悪魔の様な笑みを浮かべて。そして懐から何か黒いものを取り出した。
 だがそれにはやはり誰も気付きはしない。彼は一人その場を後にするのであった。
「これで終わりだな」
「とりあえずはな」
 ニクラウスはダペルトゥットが消えたのを確認してホッとするホフマンに対してこう言った。
「とりあえずって」
「日本の諺だったかな。勝って兜の尾を締めよ」
「どういう意味だい、それは」
「最後まで油断するなってことさ。最後が肝心だからね」
「最後ってもう終わったじゃないか」
 友に対して問うた。
「そう思うんだな、君は」
「ああ。それじゃあジュリエッタのところに行こう。彼女は何処かな」
「彼女なら外のゴンドラ乗り場で待っているよ」
「丁度いいな、それは」
 ホフマンはそれを聞いてにこりと笑った。
「一緒に新年も祝える。船の上で洒落込んでね」
「気楽だな、君は」
「もう彼女の心を手に入れたんだ、何も心配することはないしね」
「君の心は戻ったが彼女の心は戻ってはいないよ、まだね」
「もうこの手にあるのにかい?」
 そう言いながらあのガラスの像をニクラウスに見せる。
「それじゃあバッカロールの用意してしておこう」
 舟歌のことである。このヴェネツィアの名物の一つともなっている。この街の舟乗り達はバッカロールを口ずさみながら働く。それがこの街の風景であった。
「レクイエムにならなければいいけれど」
「いい加減にしないか、さっきから辛気臭いことばかり言って」
 友のそうした言葉に腹に据えかねてきた。
「嫌なら帰ってくれ。僕とジュリエッタだけで新年と心が戻ったことを祝うから」
「いや、僕も連れて行ってもらうよ」
 だがニクラウスはそれを断った。
「新年は祝いたいからね」
「じゃあいいけれどもうそんなこと言わないでくれよ」
「ああ、わかったよ」
「それじゃあ行こう。皆さんこれで」
 別れの挨拶になる。
「それでは」
「よいお年を」
「それではホフマンさん」
 一同を代表してシュレーミルが声をかけてきた。
「また御会いしましょう」
「はい」
 こうして彼等は別れた。会場を後にしたホフマンとニクラウスはそのままゴンドラ乗り場に向かった。そこにはもうジュリエッタが待っていた。
「来てくれたのね」
「うん」
 ホフマンは彼女に笑みを向けて答えた。
「僕が来たってことはどういうことかわかるね」
「ええ」
 ジュリエッタはその言葉に頷いた。
「貴方の心が戻ったのね」
「そして貴女の心も。ほら」
 そう言って胸からあの像を取り出してきた。
「ホフマン、今は出すな」
 だがそれはニクラウスが制止した。
「どうしてだい?」
「危ないだろう。何かあったらどうするんだ」
「何かって。何が起こるんだよ」
 ホフマンはムッとした顔で友に問うた。
「今更何も起こる筈がないじゃないか」
「いいのか、後悔しないんだな」
「後悔って。彼女にこれを渡さない方がずっと後悔するよ」
「わかった。本当にそれでいいのか」
「ああ」
 彼は言った。
「何があっても後悔はしないよ、絶対に」
「じゃあ出すといい」
 ニクラウスは見放した様に言った。
「何があっても知らないからな。だが僕はそれでもここにいるからな」
「また変なことを言うな。まあいいさ」
 気を取り直してジュリエッタに顔を向けて言う。
「ジュリエッタ」
「はい」
「受け取って。これで君は自由だ」
「自由」
「そうさ。もうあんな無気味な男に従うことはないんだ」
 彼は優しい声でこう言った。
「これからは。自由に生きられるんだ」
「自由に」
「僕と一緒にね。来てくれるかい?」
「ええ」
 彼女はこくり、と頷いた。
「喜んで」
「よかった。それじゃあこれを渡すね」
「はい」 
 ジュリエッタは自分の心を受け取ろうとする。だがその時であった。
 突如として二人の間に何かが飛んで来た。それは一羽の烏であった。
「烏!?」
「それもこんな真夜中に」
 真夜中であろうと烏はやって来た。そして一直線にホフマンの手に向かう。狙っているのは彼ではなかった。彼が手に持っているものであった。
「あっ!」
 ホフマンは叫んだ。だがそれは遅かった。烏はガラスの像を嘴で突いた。そしてそれを粉々に砕いてしまった。
 砕けたガラスがホフマン達の足下に散らばる。それはもう原型なぞ留めてはおらず完全に破片となってしまっていた。その破片がそれぞれ光を照らしていた。夜のヴェネツィアを照らす様々な色の光を。砕けたガラスはそれでホフマン達に何かを語ろうとしているかの様であった。
「そんな・・・・・・」
 ホフマンはその砕けたガラスを見下ろして呆然としていた。
「何でこんなことに」
「ホフマン・・・・・・」
 横からジュリエッタの声が聞こえてきた。それは話す側から急激に弱ろうとしていた。
「結局、これが私の運命なのね」
「ジュリエッタ」
 見れば顔が青く、そして蒼白になろうとしている。弱々しくなっていく顔からは生気がなくなってきていた。
「結局、娼婦は何処までいっても娼婦なのよ」
 弱々しく微笑む。そして前に倒れていく。ホフマンはそれを受け止めた。
「心なんて。必要なかったのね、私には」
「そんなことはないよ」
 ホフマンはそんな彼女を必死に元気付けようとする。だが冷たくなっていく彼女の身体がそれは無駄なことだと教えていた。
「そんなことは・・・・・・」
 言っても空しく聞こえるだけであった。自分でもうわかっていた。だが言わずにはおれなかったのだ。
「有り難う、ホフマン」
 ジュリエッタは生気のない顔で彼に礼を述べた。
「最後にいい夢を見せてもらったわ」
「そんな・・・・・・」
「けれど。これでお別れね。心が砕けてしまったから」
「嫌だ、そんなのは嫌だ」
 ホフマンは必死になってそれを拒もうとする。
「僕はもう。僕だけ生きているのは嫌だ」
「貴方は一人じゃないわ」
「えっ!?」
「それも。何時かわかるから。私も一人じゃないし」
「それは一体」
「人は皆様々なものを持っているということだよ」
 ニクラウスがここで彼にこう述べた。
「色々なものを」
「そうさ。君が今まで会ってきた人達もね」
「あの人達が」
「そうだよ。それがわかった時君は」
「僕は」
ホフマンは友の声に応える。
「何かになれるだろうね」
「なれなくてもいい、今は」
 だがホフマンはそれを拒んだ。
「今は。ジュリエッタと永遠にいたいんだ」
「御免なさい」
 だがジュリエッタはそれをできないと言った。
「私はもう」
「そんなのは認めないよ」
「ホフマン、気持ちはわかるけれど」
 ニクラウスは彼の肩に手を置いた。そして言う。
「もう彼女は」
「そんな・・・・・・」
「さようなら」
 彼女は遂に別れの言葉を口にした。
「また・・・・・・何時か」
「何時かなんて・・・・・・」
 ホフマンは最後までそれを拒もうとした。
「僕は・・・・・・認めたくはない」
 ジュリエッタは静かに目を閉じた。そしてホフマンの腕の中で倒れた。それで終わりであった。
「ジュリエッタ!君まで!」
「これもまた彼の運命なんだ」
 ニクラウスはそれを見て沈痛な声を述べた。
「それから何を手に入れるか。それが問題だ」
 ホフマンはジュリエッタの冷たくなった身体を抱きながらその年の最後の時を過ごした。彼とニクラウスがいる運河はもう夜の闇に包まれていた。その中を無気味な哄笑が響き渡っていた。それが誰のものであるか、地の底から響く様な声が全てを物語っていた。
 
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