ホフマン物語
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第一幕その二
第一幕その二
「じゃあやってみたら」
「それでどうにかしたいのならね」
「わかりました。それでは」
ミューズは彼等の勧めに従い腕をさっと動かした。すると彼の影が動き出した。そしてそれは一人の青年となった。姿形が全く同じの一人の青年となったのであった。洒落た服装をしている。
「ニクラウス」
ミューズは青年となった影に声をかけた。
「わかっているわね」
「勿論」
ニクラウスと名付けられた影はそれに頷いた。
「では彼のことは僕に任せてくれ」
「お願いするわね、いつものように」
「うん」
ニクラウスは頷いた。
「それでは私はこれで一先姿を消すわ。そろそろここにも人間達がやって来る頃だから」
「そして彼も」
「そう。だからこそ姿を消さないと。後はお願いね」
「わかったよ。僕は君だし」
「私は貴女なのだから」
こう言い残すとミューズは消えた。そして精霊達も消えていた。後にはニクラウスだけとなっていた。
「さて、と」
辺りを見回したところで扉が開く音がした。
「まずは消えるとするか。彼の側に行こう」
人の気配を察するとすうっと姿を消した。酒場の床の下に潜るように消えていってしまった。こうして精霊達はまずはその姿を消してしまった。後は人間達の時間となった。
扉が開いた。そしてそこから一人の男が入ってきた。
「何だ、まだ誰もいないな」
低く、地の底から響くような声でこう呟いた。黒いタキシードにクロスハットを身に纏った立派な身なりの男であった。
身なりこそはいいが顔は異相であると言えた。眼は細く吊り上がっている。その黒い眼光も鋭い。知的な光も漂わせてはいるがそれは奸智と呼べるものであった。まるで悪魔の目に近かった。
シルクハットを脱ぐとそこからは後ろに撫で付けた髪が姿を現わした。黒く光るその髪はまるで鉄の様に見えた。
顔立ちもやや細長く、引き締まっていた。四十代後半であると思われるが筋肉質に引き締まっており、また険が深いものであった。唇は薄く小さい。背は高いがその身体も細く鞭の様である。それでいて引き締まったものであった。贅肉などはなさそうである。
「全く。時間通りに来たというのに。けしからん奴だ」
懐から懐中時計を取り出してそれを身ながら呟く。そこでまた扉が開いた。
「あっ、もうおられたのですか」
小柄で太った男が入って来た。茶色の髪に赤ら顔をしている。特に鼻は真っ赤であった。まるで酒を飲んでいるようであった。
「もうではないぞ」
タキシードの男は彼を見て不満そうに言った。
「上院議員を待たせるとはどういうことかね」
「申し訳ありません」
「このリンドルフ、時間には五月蝿いのだ。何故なら時間はわしにはどうすることもできないのだからな」
「はあ」
「人にはおよずと限界がある。人ではない者もな」
思わせぶりにこう言う。
「だができることはする。君もそうしたまえ」
「わかりました」
「では早速言うが君のできることは」
「何でしょうか」
「何でしょうかではない」
このタキシードの男リンドルフはそれを聞いてまた低い声を出した。何処か人のものではないような声であった。
「君はステッラの召使だったな」
「はい」
「だからこそ君をここに呼んだのだが。今一つわかってはいないようだな」
「滅相もありません」
赤鼻の男は首を横に振ってそれを否定した。
「そんなことはとても」
「では君の名を聞いておこう」
「はあ」
「これからの為にね。では言ってくれ」
「アンドレと申します」
男は名乗った。
「アンドレというのかね」
「はい」
「よし、覚えた。ではアンドレ君」
「はい」
アンドレは頷いた。
「ステッラはミラノからここに来た。その理由を聞きたい」
リンドルフをアンドレの目を見据えながら問うた。黒い目が無気味に光る。
「どうしてこのベルリンに来たのか。答えてくれたまえ」
「仕事でです」
アンドレはリンドルフと目が合ったまま答えた。
「奥様は歌手ですから。仕事であちこち飛び回っておられて」
「まるで雉鳩の様にか」
「はい」
「人形の様に華麗な姿で」
「はい」
「娼婦の様に美貌をふりまきながら。そうだね」
「仰る通りです」
「わかった。ではそれだけかね」
「といいますと」
「他にもあるのではないのかね。このベルリンに来た理由は」
ここでリンドルフの目の色が一瞬変わった。琥珀からルビーになったのだ。
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