レンズ越しのセイレーン
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Mission
Mission7 ディケ
(4) ハ・ミル村 ②
前書き
ねえ 希望を見せるほうが 心にとっては残酷な時もあるのよ?
女性陣がおしゃべりしながら去っていったところで、ルドガーの顔を、ローエンが屈んで覗き込んだ。そーっと顔を上げる。すぐ前に好々爺然とした笑顔。
「…………なんか、わり。気、遣わせて」
「何の。若い方の悩みにジジイがどこまで力になれるか分かりませんが」
「俺、そんな分かりやすい顔してた?」
「いいえ。たまたま私が気づけたというだけですから」
ローエンが立って差し出した掌。ルドガーは苦笑し、乾いた音をさせてそれを握り返し、立ち上がった。
――男二人で崖際の柵に並ぶ。ルドガーは木柵にもたれ、ローエンにというより、独白のようにずっと考えていたことを語り始めた。
「俺、5歳の時に母親亡くなっててさ。それで兄さんに引き取られたんだ。その時まで兄弟がいることも知らなかった。兄弟っていう割に似てるとこも全然ないし、最初兄さんは俺に見向きもしなかったから、本当は赤の他人じゃないのかって何度も疑ったよ。2年ぐらいはお互いどうしていいか分からない感じだったな。ぎこちないっていうか、空気が冷えきってた。あの頃何でか兄さん、めちゃくちゃ荒れてて怖かったし」
「温厚そうなユリウスさんにも若さゆえの暴走の時期があったのですねぇ」
「そんな可愛いもんじゃなかった気がするけど……でも、いつからだったかな。とにかく何かあって打ち解けて、家族っぽくなってきたんだよ」
「何かきっかけとなるようなことがあったのですか?」
「んーー……よく覚えてない。ただそれからユリウスがベタベタに甘くなったってのは覚えてる。いきなり豹変で子供心にも怖かったんだけど、現状、甘えられるのもユリウスだけだったし。深く考えんのやめた」
ルドガーは足元に咲く野花を茎ごとちぎって、手の中でくるくる回す。
「いつからかな。ほら、参観日とかイベントとか、あと日常的なとこでいうと、外で遊んでる時とか。普通は親が来るもんだろ? でも我が家はユリウス一人。それがすっげえ恥ずかしくなった。親がいないの知られるから。天涯孤独の子とか、親がいても不仲な子とか、いたかもしれないけど、そん時の俺はとにかく自分の家庭環境が一番恥ずかしいんだと思った。だからユリウスに言ったんだ。ユリウスは有名で目立つからとか理由つけて、一緒にいたくないって。実際、俺に近づく女子って9割9分ユリウス目当てだったし。俺自身、『あの』ユリウスの弟って目で見られるの、たまんなかったんだ」
白い花を咢ごとぷつ、とちぎって捨てる。花がなくなって茎だけが手の中に残る。
「一度そういう態度とったら、気持ちまでどんどん離れていった。過保護なとこも小うるさいとこも鬱陶しくて。ユリウスが悪いことしたわけじゃないのに、気づくとユリウスが大嫌いになってた」
茎をぷつ、ぷつ、とちぎっていく。短くしていく。
「でもユリウスは俺には二人きりの兄弟だから。あの人以外に俺に頼れる身内なんていないから。出来た弟のフリをしてきた。手に負えない奴だと思われて捨てられないように。憎らしかったくせに、誰よりも俺が、兄さんから離れるのを怖がってた」
ぷちん。茎がもうちぎれないほど短くなった。
「俺はずっと、兄さんから逃げたかった。ひとりに、なりたかったんだ」
ルドガーは5ミリと残っていない茎を崖下に無造作に放り捨てた。
「なのにユリウスはいつまでも俺を縛りつけようとするから。だから――」
「だから剣を向けてでもユリウスさんから逃げ出した、ということですか」
素直に肯く。あの時のルドガーは、ユリウスの掌から逃れたい一心だった。
「ですが最初はユリウスさんと同じ職を志されたと聞きましたが」
「どこに行っても身内だってバレたら比べられるって分かってたから。人生経験上。どうせなら同じエージェントになったほうが、比べられるにしてもマシかなって。肩書きが同じならコンプレックスもなくなる気がして」
「ずいぶんと消極的な動機だったのですねえ」
「本当にな」
「実際にお兄さんと離れてみていかがです?」
「清々した」
予想より抵抗なくその感想は口にできた。
「張り合いはないけど。あー自由だなーって感じ。同居人はいるけど、四六時中一緒ってわけでもないから、すごく息苦しいってほどじゃない。でも」
ルドガーは体を返して木柵にもたれ、俯いた。ずっと太陽を向いていたから、自分の影を見るだけで眼がチカチカした。
「1日ってこんなに短くて、あっというまに終わるものだったっけ、って、最近、よく思うように、なった」
分史破壊任務の日も、クエストに出かけた日も、休みの日も、エルやミラと外出した日も。ルドガーの中ではどれもイコールでフラット。
列車テロに遭ったあの日からずっと、日付や時刻の感覚がなくなっている。
昨日は今日の、今日は明日のキャッチ&リリース。
「ユリウスがいなくなったから? それともエルたちが来たから? エージェントになったから? なあローエン、俺、おかしくなったのかな。時間がすごく早く過ぎるんだ。時間が過ぎてくのがすごく怖いんだ」
「ルドガーさん――」
「俺、どっかおかしいんじゃないのかな? 俺がした何かが間違ったから、俺、今こんなんになってんじゃないのかな。俺がしてきたこと……って、なん、だったんだ。俺、馬鹿なことしてきてたのかな? 俺が気づかないだけで、みんな俺のこと笑ってたのかな?」
「ルドガーさん」
いつのまにかローエンが正面に立ち、硬く硬く握りしめていたルドガーの両手を持ち上げた。不思議だ。ローエンの手の感触を感じない。――痺れて、いる。
「そんなことは決してありません。もし笑う輩がいたとしたら、ラ・シュガル軍仕込みの拳で殴ってやります。皆さんも同じ気持ちですよ」
「でも……みんなは俺と違って、世界のこと考えてて、目標も理想も世界のためで……俺なんか、結局はユリウスとのことで、わやくちゃになってるだけなのに」
「構いませんとも。ルドガーさんのたった一人のお兄さんなんですから、存分に悩んで答えを出さないと後悔します。世界のことはしばらく、我々がルドガーさんの分も悩んでおきますから」
ルドガーはローエンから目を逸らした。イエスでもノーでもウソになってしまうから、口を噤むしかなかった。
「人には誰しもリズムというものがあります。ルドガーさんにはルドガーさんのリズム、ユリウスさんにはユリウスさんのリズム。そのリズムは一人一人異なっていて、例え血の繋がった兄弟でも重なることはありません。無理に重ねようとすれば不協和音となってお互いを苦しめるだけです。ルドガーさんはすでにお分かりですね?」
「うん……」
「ルドガーさんは、ユリウスさんをすぐそばに感じられなくなって、ご自身のリズムを確立する前に、エルさんやユティさん、ミラさんといったたくさんの人が一斉に入って来て、今は混乱している状態なのだと思います」
「でも、あれから何ヶ月も経ってるのに」
「心の混乱は簡単に治るものではありません。お兄さんから離れようとするルドガーさんの行動は決して間違ったものではないのです。そこは自信を持っていいのですよ。罪悪感を覚える必要もありません。巣立ちへの希求は人類共通の本能です」
「本能――」
もはや返せる「でも」もなく、ルドガーは俯くしかなかった。
「……超えたいとか、認められたいとか、そんなお綺麗なもんじゃないんだ。俺、ずっと兄さんが大嫌いだった。兄さんを見返してやりたかった。兄さんを打ちのめしてやりたかった。そんなドロドロした汚い気持ちななんだよ。ガキの時からずっとだぜ?」
暗い情念を合法的にぶちまけられるチャンスは、奇しくも兄と同じ「エージェント」という形で巡ってきた。
「いいのですとも。どこがおかしいものですか。ルドガーさんはお若い頃から独立心旺盛だったのですね。今日まで誰にも相談できずに、辛かったですね」
「あ……」
とてもありふれた言葉なのに、何故かローエンの言葉はことん、と胸に落ちてきた。
熱いものが勝手に目尻までせり上がってきた。ルドガーは慌ててローエンの手をほどき、ぐしぐしと目元を拭った。
「もしまたユリウスさんと会って、今のような気持ちになられたら、どんな形でもよろしいので、そのサインをください。前はあなたに任せきりでしたが、今度こそ私も力になるとお約束します」
ローエンは恭しく左胸に手を当て、にっこりと笑った。彼になら不安を曝け出しても怖くないかもしれない、そう想わせてくれる、頼もしい笑顔だった。
後書き
お読みいただいてありがとうございます。木崎です。
ちょっとした心の病一歩手前どころか片足突っ込んだ感じになってしまったルドガー君。社会人一年目に世界の命運はちと重すぎると思うんだ……。ルドガーはストーリー上無口設定ですが、ひょっとしてそれもルドガーが心療内科的症状を発症しているからではと思えてならない今日この頃です。
なのでローエンを投入しました。ローエンの人柄なら若い人の悩みには全力で応えてくれそうな気がしました。そしてガイアスやアルヴィンみたくズバッと言わず、オブラートにくるんでくれて、ルドガーもこれ以上のダメージを負わずにすむんじゃないかなと。
心が痛がっている時は、風が吹いただけでも傷ついてしまうから、閉ざしてしまっていいですよ。
私が尊敬する少女漫画家さんの作中の台詞です。今の私の心の支えでもあります。
閑話。
作者がこういう「情念の吐露」のシーンで心掛けているのは、地の文に心情表現をなるべく入れないことです。だって「 」の中ですでに心情表現があるんですから、地の文までそれにしたら読むほうも混乱しますし。代わりに心情を象徴する行動をさせています。今回は「花をちぎって捨てる」がそれです。ちぎるごとに本心を曝け出し、茎を捨てたところを「言い切った」場面に引っかけました。
……うっとうしくてすみません。一度やってみたかったんです。自分の文章のこだわり語り。
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