失われし記憶、追憶の日々【ロザリオとバンパイア編】
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原作開始【第一巻相当】
第十四話「決意」
荷造りを済ませた俺はバッグを背負いバス停へと向かっていた。その足取りは妙に重く、鉛を引きずっているかのようだった。
「そこにいるのは月音か?」
背後から聞こえた声に一瞬、背筋が強張る。振り返って見ると、そこには制服姿のモカさんが立っていた。
「どうしたんだ、そんな大荷物を抱えて」
バッグを背負う俺を見て、怪訝そうに眉を顰める。
「――モカさん……俺、おれ……どうしよう、俺この学校やっぱ怖いよ……人間の学校に行きたいよぉ」
モカさんの顔を見た途端に涙腺が緩み、恥も外聞もなく泣き出してしまった。
「人間の俺がこんなところで生活するなんて、無理だよ~」
「人間だと?」
「あっ!」
思わず口に手を当てるが、もう遅い。モカさんは目を見開き、信じられないといった顔で俺を凝視していた。
「……人間なんだよ、俺。何かの間違いでこの学校に入学しちゃったけど、モカさんたちとは違うんだ」
「馬鹿な、この学校は結界に覆われているのだぞ。人間がここに来れる筈が……」
「……モカさん、俺が人間って分かった途端、そんな顔をするんだ……。やっぱりここは俺が居ていい場所じゃない」
驚愕の表情でこちらを見るモカさんに胸を痛めた俺は踵を返した。これでもう思い残すことは何もない、と。
「待て月音! 私は――」
「うるさい! もう俺に構わないでよ! いつも俺の血を狙うバンパイアの友達なんて御免だ!」
勢いに任せて思わず口にしてしまった言葉。前言を撤回できず、俺はそのまま走り出してしまった。
† † †
「待て、月音っ!」
走り去って行く月音を追いかける。しかし、学校から少し離れた海岸沿いは霧が出ているため、ものの数分で見失ってしまった。
「月音……」
月音が人間だったという事実。もしそれが本当なら、彼が受けていたプレッシャーは相当なものだろう。何せ自分以外は皆、妖であり人間は月音一人。唯一の例外は教室の須藤という男だけ。
正体が知られるかもしれないというプレッシャーと、知られたら無事では済まされないというプレッシャー。昨日から思い悩んだはずだ。
――なんの相談も乗ってやれなかったな……。
いや、そもそも相談なんて出来るはずがない。月音にとってバンパイアである私はただの化け物だ。
「しかし、だからといってこのまま手をこまねくわけにはいかない。明日、もう一度話し掛けてみよう」
明日、改めて月音と話し合おうと決めた私は寮へと戻る。その時、見覚えのある男が私の眼の前に立ち塞がった。
「よう。どうしたんだい、こんなところで一人でよ」
髪を染めて口と耳にピアスを付けた男。確か、小宮砕蔵といったか。
とるに足りない男だと判断した私は小宮の横を素通りするが、背後から肩を掴まれた。
「待てよ! ちょっと付き合ってくんねぇかな、モカよぉ」
「……気安く私に触れるな」
肩に置かれた手を払い止めていた足を動かす。刹那、背後から感じられた気配から反射的に跳び退いた。
寸前まで経っていた場所を剛腕が穿つ。地面を割って小さなクレータが出来た。
「貴様、なんのつもりだ」
「ククク……俺はマジだぜ? マジでお前が欲しいんだよ。お前のその美しさは今まで襲ってきた人間どもの比じゃねえ! あの月音とかいうモヤシには勿体ねえよ!」
クツクツと嗤う小宮を睨む。制服がはち切れんばかりに小宮の身体が膨らんだ。変化を解き始めているのだろう。
「あっといけねぇ、興奮して身体が疼いてきやがった。こうなっちまうともう人間の姿でいられなくなっちまうんだよ」
「月音を狙うのは何故だ」
「んなの決まってんだろ。お前が欲しいからだよ! お前みたいな極上の女の側にあんな糞がいると無性にムカつく。だから教えてやってんだよ。お前みたいなクズはモカに近づくべきじゃないってな。クズはクズがお似合いだとよ!」
「ゲスが……。私は誰と居ようと私の勝手だ。あいつは私の友だ、奴に手出しをすることは許さん」
「はっははは! モカは冗談が上手いな! あんなクズのゴミが友達!? 笑える話だぜ!」
腹を抱えて笑う小宮にスッと意識が研ぎ澄まされる。溢れ出る殺気に目の前の男は気が付かない。
「はははは! ちょっとばかし校則違反だけど楽しもうぜ、モカよぉ!」
「ふん……。私の友を侮辱した罪を思い知れ」
目の前の筋肉バカの顔面に蹴りを叩き込もうと右足に『力』を注いだ時だった。
「モカさん!」
ここにいる筈がない男の声が聞こえたのは。
† † †
バスに乗ろうとした俺はふと荷物が足りないことに気がついた。
「あっ、カバン寮に置いてきちゃった」
取りに帰ろうと道を逆走していると、右手側からモカさんの声が聞こえてきた。なにやら激昂している声音。気になるがモカさんの前から逃げ出した身としては彼女の前に姿を見せるのは抵抗があるため、そっと物陰から窺うことにした。
木の影から顔を覗かせる。視線の先には銀髪の美少女であるモカさん。そして、あの小宮がいた。
モカさんは顔をしかめて傍目からでも機嫌を損ねていると分かる。対して小宮は例のニヤニヤとした笑みを浮かべてモカさんを眺めていた。
「月音を狙うのは何故だ」
「んなの決まってんだろ。お前が欲しいからだよ! お前みたいな極上の女の側にあんな糞がいると無性にムカつく。だから教えてやってんだよ。お前みたいなクズはモカに近づくべきじゃないってな。クズはクズがお似合いだとよ!」
「ゲスが……。私は誰と居ようと私の勝手だ。あいつは私の友だ、奴に手出しをすることは許さん」
――……!
衝撃的だった。まさかモカさんが俺を友達だと思ってくれていたなんて露にも知らなかった。
人間だからモカさんたち妖とは違うんだと一方的に壁を作り逃げ出したのに、彼女はそんな俺を蔑視することなく友達だと言ってくれる。
――情けなかった、自分が。
――逃げ出した自分が恥ずかしい。
それを自覚した時、どうしようもない激情が俺の胸中を荒れ狂った。
「はははは! ちょっとばかし校則違反だけど楽しもうぜ、モカよぉ!」
「ふん……。私の友を侮辱した罪を思い知れ」
言い寄る小宮。その身体が膨張して分厚い筋肉が浮き彫りになる。これが妖怪……!
正直、恐いという気持ちはある。当然だ、こっちはただの人間で学生なのだから。
けれど、ここで逃げたらきっと後悔する。先生が言っていた『悔いのない選択』という言葉が脳裏に浮かんだ。
――モカさんを助けなきゃ!
その一心で、俺は物陰から飛び出した。
「モカさん!」
「月音!?」
驚愕の表情で振り向くモカさん。苦虫を噛み潰した顔で小宮が睨んだ。
「またテメェか、クソ虫……モカには近づくなと忠告したはずだぞ!」
「も、もも、モカさんが、い、嫌がっているだろ……! モカさんから、は、離れろ……!」
震える足を叱咤してキッと小宮を睨む。
「あん? 離れろだぁ? テメェ……誰に向かって口きいてやがる! そんなに死にてぇなら、今すぐ殺してやるよ!」
振るわれる拳。到底避けられるスピードではないが、目を瞑るのは嫌だった俺は閉じそうになる目を意地でもこじ開けた。
「……私を無視するとは余裕だな、小宮」
眼前で踊る銀髪。いつの間にか眼前に移動していたモカさんは、その小さな手で倍以上はある小宮の拳を片手で止めていた。
「なっ……、俺の拳を受け止めただと!?」
目を見開く小宮にモカさんが鼻で笑う。
「フン、貴様が弱すぎるだけだ。それより――誰の許しを得て私の名を口にする」
モカさんから何とも言えない圧力が放たれる。空間がピリピリと震えた。
「な、なんだコイツ……! なんなんだこの妖気は!」
吃驚する小宮が一歩二歩とよろめく様に後退した。それを見たモカさんが冷笑を浮かべる。
「どうした、はぐれの。私が欲しいのだろ? その自慢の力で奪ってみるがいい」
「う……うぉおおおおおお!!」
小宮の右腕がさらに膨張した。渾身の力を込めて振り下ろされる平手をモカさんは難なく受け止める。
「ば、馬鹿な……、なんでビクともしねぇんだ……っ!」
「この程度の力で私が欲しいと豪語し、月音に手出しをするか。身の程を知れ」
「うおっ」
モカさんが手を引くと小宮の上体が泳ぐ。間髪入れずに左の回し蹴りが小宮の頬に突き刺さった。
「ぐぁああああ!」
地面と水平に空中を滑走する小宮は進路上の木々を薙ぎ倒し吹き飛んでいく。墓石をその身で細かな破片に変え、轟音を響かせて地に伏せた。
「すごい……」
あの巨体をまるで紙のように吹き飛ばしたモカさん。その圧倒的強さに開いた口が塞がらなかった。これがバンパイアの力なのか!
「フン」
気絶する小宮を一瞥したモカさんが俺に向き直った。
「……モカさんゴメン。俺、モカさんに酷いこと言って……」
赦してもらえるか分からないけど、俺は深く頭を下げた。
「あんなことを言ってむしが良すぎるかもしれないけど、気が付いたんだ。俺、弱くてなんの取り柄も無い人間だけど……、人間とか妖なんて関係なく、モカさんと友達になりたい。たとえバンパイアでもモカさんと友達でいたいんだ」
「……」
黙って俺を見下ろしていた萌香さんが踵を返した。やっぱり、許してくれないのかな……。
ポツンとその場に突っ立っていると、前を歩くモカさんから声が。
「何をしている、帰るぞ月音」
「えっ、あ……うん!」
慌ててモカさんの背中を追いかけた。
「それで、許してくれるのかな……」
「……そのくらい察しろ、馬鹿者」
前を向く萌香さんの耳は少しだけ朱色に染まっていた。
† † †
「……どうやら、事も無く収まったようですね」
「だな。まあ、あの萌香に友達が一人増えたんだ。兄としても教師としても祝福しよう」
仲睦まじく歩いて去っていく二人を木の上から見届ける俺に、定位置となった肩に乗ったハクが首を傾げた。
「あの青野という人間が渡した封書を今も持っているようですけれど、千夜はこうなることが分かっていたのですか?」
「それは邪推というものだ。ただなんとなく、彼がこのまま去るとは思えなくてな。一応、これは受理せずに取っておいたんだよ」
懐から取り出したのは一通の封書。彼が俺に渡してきた退学届だ。あの後、受理せずに預かっていたのだ。本人にも「預かっておく」と言明したから嘘ではない。
「それで、彼はどうするのですか?」
ハクの視線の先には気絶から目を覚ました小宮が頭を振っていた。
「さて、それを今から決めるのさ」
木から飛び降り小宮の側に着地する。突然現れた俺たちに小宮が目を剥いた。
「こんばんは」
「て、テメェ……何しに来やがった」
「何しに来た、か。それは君が一番よく理解しているのではないかな? この学校にはやんちゃな生徒が多くてな、今回のような騒動が頻繁に起こるんだ。教師としてはそれを見過ごせなくてね。そんな生徒たちをしょっぴくのが、先生なのだよ」
「に、人間風情が、俺に指図するんじゃねぇ……」
立ち上がった小宮が威嚇してくるが、そよ風にも劣る威圧を受け流して近寄る。
「生徒に指図するのが教師だ。間違った道を進む者を正すのも聖職者の役目。子供を叱るのも大人の仕事だ。そこに種族など関係ないよ」
俺が袖を捲ると、ハクが肩から飛び降りる。
「さて、では君のような困った生徒は指導しないとな。もう二度と弱い者イジメをしないようにしっかりと」
押し殺していた怒気に気が付いたのか、目に見えて小宮の顔色が変わった。
「なっ、まっ――」
「それと、一言君に言いたいことがある」
後ずさり背を向けて逃げようとする小宮の頭を掴む。ひぃっ、と息を呑む声が聞こえた。
「貴様……なに俺の可愛い妹に言い寄ってるんだっ! みっちり教育指導してやるから覚悟しろッ!」
掴んだ頭をそのまま地面に叩きつける。
一夜に掛けて、男の叫び声は途切れることはなかった。
後書き
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