戦国異伝
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第百十二話 東西から見た信長その七
そして今も自ら酒を注ぎ込み飲む。それから言うのだった。
「武士、しかも僧籍にある者が贅沢なぞするものではありません」
「だからですか」
「それはよいと」
「そもそも私は贅沢に興味はありません」
謙信はこうも言う。
「酒を飲めればいいのです」
「その酒ですか」
「それが飲めれば」
「酒はあらゆるものを癒してくれます」
僧籍にある為本来は般若湯と呼ぶべきだが謙信は今では酒とありのまま呼びそのまま飲み続けている。
肴は梅干だ、その梅も食べて言うのだった。
「そして梅、贅沢ではないですか」
「梅はもう結構作られていますが」
「少なくとも足軽共が食べられる程には」
「それで贅沢と言われましても」
「違うと思いますが」
「いえ、贅沢です」
しかし謙信は尚もこう言うのだった。
「梅一つ作るのにも手間隙がかかるのですから」
「だからですか」
「梅は贅沢なものですか」
「そう仰るのですか」
「その通りです。梅の他に塩ですが」
謙信はこれを肴にすることもある。そしてその塩についても言うのである。
「これもまた、です」
「手間がかかるからですか」
「贅沢でございますか」
「そうです」
まさにその通りだというのだ。
「塩もまた贅沢です」
「では何でも贅沢では」
「殿のお言葉はそう思えるものですが」
「その通りです」
実際にそうだと答える謙信だった。88
「人手がかかるとそれだけで贅沢になります。ですから華美は慎みあらゆることに感謝したいものです」
「ううむ、殿は何と素晴らしい」
「そう思われていて実行されていますから」
「そこがお見事です」
「口だけではありませんから」
「口ではどうとも言えます」
実際にこうも言う謙信だった。
「ですから私は口だけ、巧言令色は否定します」
「令色もですか」
「それもまた」
「そうです。少なしかな仁です」
論語の言葉だった。謙信はそれを引用したのだ。
「一つの行動は千の言葉よりも重みがあります」
「遥かにですか」
「そうなのですね」
「甲斐の虎は不言実行です」
ここで謙信の最大の強敵の名前が出た。
「言うよりもまず動きます」
「そしてその心を見せる」
「それが甲斐の虎ですな」
「幕府の威光に従わないことが残念でありません」
謙信は飲みながら溜息もついた。
「あの者は」
「確かに。あれだけの資質を持ちながら幕府の為に働かぬ」
『残念なことであります」
「その通りです。しかし甲斐の虎は幕府を潰しはしません」
確かに幕府の威光い従わない、謙信はそう思っているがそうした人物ではあるがそれでも幕府を潰すことはないというのだ。
それは何故かということも謙信は今話すのだった。
「武田家は甲斐源氏ですね」
「はい、その嫡流です」
「その歴史は古いです」
それだけに名門として知られている。信玄にはその誇りもあるのだ。
「そして甲斐の主語でもあります」
「幕府の威光には従わずとも」
「その意識は強いのですね」
「そうです。甲斐の虎の後ろにあるのは幕府です」
信玄がないがしろにしている筈のそれだというのだ。
「それを彼もわかっているが故に幕府を潰せないのです」
『幕府に従わずとも」
「それでもですか」
「都に上洛したとしても精々管領止まりです」
将軍を補佐するその役職になるのが限度だというのだ。確かに管領になれば幕府の一切、つまり天下を取り仕切れることになるがだ。
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