蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第52話 共工
前書き
第52話を更新します。
『蒼き夢の果てに』第53話は、見直して不都合がなければ3月8日のお昼に。
『ヴァレンタインから一週間』第10話も、3月8日の夜には上げたいと思っています。
それ以後は、出来る事なら週一では更新したいのですが……。
避水呪に因って水を退け、仄暗い水中に漂う空気の玉。
ゆらゆらと漂うように、ゆっくりと、しかし、確実に、深き水底へと沈んで行く……。
「探知は、多分、俺よりもタバサの方が得意やから、任せるな」
まったく先の見通す事の出来ない夜の水底。その先へと視線を向けたままの俺の依頼に、腕の中で小さく首肯く蒼き姫。
尚、タバサは自らが契約している妖精たちでは空気を作り出す事が出来ない為に、彼女は例によって俺の腕の中に。そして、湖の乙女は俺の傍らに存在しています。
ただ、古き血の一族の能力を発揮し始めたタバサですから、俺の連れている風に舞う乙女との契約は難しくても、もっと格の低い大気の精となら契約も可能かも知れませんが。
【それで、どれぐらい潜ったら、そのミーミルの井戸とやらに到着するんや?】
そして続ける様に、そう、湖の乙女に【念話】で問い掛ける俺。……なのですが、実際の話、水中での戦闘は俺やタバサにはかなり不利ですし、湖底に溜まっている水は間違いなくミーミルの水。
俺や、タバサがこの水に触れたら、間違いなく何らかの代償を差し出す事に因って、自らの望みを叶えて仕舞いますから、今回の任務も非常に危険な任務となる可能性は高いのですが……。
【湖底までの距離は二百メイル程】
湖の乙女が俺を見つめた後に、そう【伝えて】来た。尚、彼女は水の精霊に分類される存在なのは間違いないと思いますが、何故か、彼女も俺達と同じように、避水呪を唱えているような雰囲気が有りますね。
これは、そのミーミルの水と言う願望達成アイテムが、この湖の乙女にも効果が有る魔法のアイテムだと言う事なのでしょう。
そして、そのミーミルの井戸までの距離は二百メイル。つまり、大体、二百メートル程と言う事ですか。
それならば、
【そのミーミルの水は、どう言う形で望みを叶えるんや。強く心に願う事に因って望みが叶うのか、それとも、その水に触れる。もしくは飲む事に因って、その人間の心の中の望みを、何らかの代償を奪う事によって自動的に叶えて仕舞うタイプの魔法のアイテムか。
その願望達成アイテムは、どのタイプに分類されるんや?】
……と、引き続き質問を行う俺。それに、これも重要な質問でしょう。
強く願う事に因ってのみ、願いを叶えるタイプの魔法のアイテムならば、多分、今回の戦闘に関しては、大きな問題はないと思います。
しかし、もし、自らの心の奥深くに有る願いを自動的に叶えるタイプの願望達成アイテムの場合、非常に大きな問題が出て来るでしょうから。
【その者が水に触れる事に因り、その者の心の奥深くに存在する願いを、その者のもっとも大切にしているモノを代償として自動的に叶える】
そして、考え得る限り、最悪の答えを返して来る湖の乙女。
それに、その答えならば、深い湖の底に封じて、普通の人間には簡単に近付けないようにして有るのも首肯けると言うモノでしょう。
例えば、俗物的に金を要求する人間が居たとして、その人間の一番大切な物が自らの生命だった場合は、生命を代価として差し出す事に因って、金を得る事が出来る、と言う事に成ります。
もっとも、その程度の事ならば問題はないのですが、もし聖人の如き人間が真の世界平和を望み、その人間に取って大切な物が生きとし生ける物すべてだった場合は。
世界は本当の意味で、平和な争いの無い世界へと変貌するのでしょうね。
生存競争と言う争いさえ存在しない、ありとあらゆるモノが消え去った世界へと。
ただ、其処まで完璧に現実を歪められるかどうかは疑問ですが、それでも、そう言う結果に近付こうとする事件が発生する、と言う事。
其処まで考えを進めた後に、俺は自らの腕の中に存在する蒼い少女を感じ、そして、自らが失う可能性の有るモノに思考を巡らせようとする。しかし、次の瞬間には、矢張り、その行為の無意味さに軽く頭を振って思考を停止させた。
そう。そのような行為は無意味。まして、無意識下の自分が何をもっとも大切にしているかなど、判らないのですから。
それにしても……。
再び、視線を深き水底に向けながら、思考は別の世界を泳がせ続ける。
成るほど。誰が湖底にそんな危険な井戸を封じたのかは判りませんが、それでもその行為は理解出来ましたし、更に、俺やタバサ。そして、現在、俺達と同じように避水呪を展開中の湖の乙女も、そのミーミルの水に直接、触れる事が出来ない事は良く理解出来ました。
おそらく、思考能力を持つすべての存在に取って、この湖の底に蟠って居るミーミルの水と言う存在は、非常に危険な魔法のアイテムと成る事は間違いないでしょう。
そして、それは戦闘時に、常に避水呪を展開させる領域を意識に確保した上に、同時に空気を発生させ続け無ければならないと言う事と成りますか。
水中での戦闘を行う限りは……。
その瞬間。水中を、凄まじい高速で接近する何かを、俺の探知能力が捉える。
いや、むしろ遅いぐらいか。もっと早い段階で、敵の早期警戒網に引っ掛かる可能性も有ると思っていましたから。
俺が対処を行う、それよりも一瞬早く、
「木行を以て雷と為す、降れ」
彼女独特の韻を踏むように口訣が唱えられ、翻った両手が導きの印を結ぶ。
その一瞬の後、上空……。いや、水面から振り下ろされる雷公の腕。
そして、刹那の内に消滅させられる小型の竜の一群。
竜で有りながら、雷撃が通用すると言う事は、俺や、そして、アリアとは種類の違う竜。
いや、厳密に言うなら、龍族には属さない可能性も有りますか。
【化蛇。ニーズホックの眷属たち】
そう、【念話】で伝えて来ながら、口では何事か呪文を唱え、両手で……印を結ぶ湖の乙女。
その瞬間、後方から接近しつつ有った化蛇が、蒼き姫が放った雷と同じ攻撃に晒された。
化蛇の黒焦げに成る様が分厚い水の壁の向こう側に繰り広げられ、動かなくなった化蛇が遙か深き底にまで沈んで行く。
一瞬の内に両手近くの化蛇を消滅させた蒼き姫と湖の乙女。その攻撃に、容赦も、そして躊躇いさえも感じる事はない。
ただ、淡々と任務を遂行するように、自らに敵対する存在を誅し続ける。
しかし、仮にも、世界樹防衛用の竜。そんな少数ではない。
更に接近して来る大集団。
化蛇。この呼び方から推測すると、おそらく、龍と言うよりは、蛇の一種に分類される存在なのでしょう。
更に、数を増やし接近して来る化蛇の群れ。その姿を視認する為に、瞳に霊力を籠める俺。
空気の層に妨げられながらも、漂って来る腐った水の臭いが鼻を付く。これが、ヤツら、ニーズホックとその眷属たちの持つ生臭いと伝承上に残されている毒の発する臭気か。
俺の霊視が捉えたその姿は……。
……高速で泳ぎ来るその姿は、巨大な青い身体を持つ九頭蛇。九つの首に、それぞれ人間の顔を持つ、ギリシャ神話に登場するヒュドラーに良く似た姿形。
その刹那。蒼き姫が召喚した雷公の腕が、再び昏き水の壁と、倒すべき敵の姿を青白き明かりで照らし出す。
いや、俺は、こいつの別の名前を知って居る。それは……、
「相柳……」
古代中国の魔物。乱神にして水神の共工の配下。あらゆるモノを喰いつくし、この魔物が存在するだけで、その土地は沼沢地となる。
しかも、そいつが顕われた土地の地下から湧き出した水はすべて毒水と成り、あらゆる生物の生息する事の出来ない荒地と化す。
蒼き姫、そして、湖の乙女が倒した化蛇……。俺の知識では相柳と呼ばれる魔獣が倒される度に、ラグドリアン湖を、その体液で穢して行く……。
伝承通りの効果が有るのなら、このラグドリアン湖の水がしばらくの間は使用出来なくなる、危険な毒を撒き散らせながら……。
視界が更に悪く成り、最早、普通の人間のような視界に頼った戦闘は不可能。俺やタバサのように、相手の霊気を読む事に因って居場所を知る術が無ければ、戦う事は不可能な状態への移行。
蒼き姫と湖の乙女。ふたりの特徴的な呪が紡がれる度に、消えて行く悪しき気配たち。
そして、更に透明度を失って行く水。
この雰囲気ならば、例え相手が相柳だろうが、化蛇であろうが、タバサと湖の乙女の二人だけでも、この場は切り抜けて行けるはずです――――――。
ぞわり……。
二人だけでも十分切り抜けて行ける。そう考え始めた瞬間。何か、得体の知れない気配が水底にて動き始めた……。
そして、腐臭が更に強く成る。
水が巨大な質量を持つ何モノかが動く震動を伝え、
そいつは、精神を、簡単に砕きかねないほどの狂気を撒き散らせていた……。
「タバサ。これから顕われる奴は、今まで出会って来た奴の中でもトップ。おそらく、カジノの時に顕われたケモシ以上の奴に成るのは間違いない」
俺の腕の中で、タバサが首肯く。
肌の表面が粟立つような悪寒に似た何かを感じ、心の奥底から湧き上がって来る潜在的な恐怖心が、無暗矢鱈と絶叫を放とうとする。
いや、腕の中にタバサが居ず、傍らに湖の乙女が居なければ、間違いなく、正気を保っては居られないであろう。そう言う異常な気を発して居る存在に、俺達が近寄って行っている事を感じ始めて居たのだ。
【これから顕われるのは、元は神話上でニーズホッグと呼ばれた存在だった、そうやな】
俺は、出来るだけ平静を装いながら、湖の乙女に対して【念話】を送った。
ニーズホッグ。怒りに燃えてうずくまる者と言う意味の、北欧神話に登場する黒き蛇。世界樹の根本に多くの蛇たちと共に住むと言われている。
しかし、ここに顕われるのは、おそらくはそのニーズホッグではない。
先ほどこの場に顕われた蛇は、相柳。ならば、相柳を従える蛇と言うのは……。
まして、伝承上に残っている記録に因ると、奴が顕われる際は、必ず水害が発生している。
そう。ラグドリアン湖が異常増水している、現状のガリアのように……。
深き底より急速に浮上して来る巨大な黒い影。毒に濁った水に、紅き瞳が不気味に光る。
神話の中で千年以上に亘って登場し続け、古代の三皇五帝たちと争い続けた悪神。
【共工は俺の能力で地上に放り上げる】
俺は、全ての能力を上に向けながら、湖の乙女に対して【念話】を送る。
同時に、俺が維持し続けていた避水呪をタバサが引き継いだ。但し、それだけ。現在の彼女では、空気を供給し続ける事が出来ませんから。
そして、次の瞬間。俺の生来の能力で発現した不可視の腕が、何か巨大な質量を掴み上げる。必要なのはイメージ。丹田から頂点に突き抜ける霊力の流れ。
精神の腕で掴み上げ、空中に水と俺達ごと放り投げる。
その刹那、湖の乙女から、肯定を示す【念話】が届けられた。
これは、俺とタバサが共工の相手をしている間に、ミーミルの井戸を封じてくれ、と言う提案を彼女が了解してくれたと言う事。
それに、水中での戦い。それも、ミーミルの水の中での戦闘など俺達に取って、あまりにも不利な戦場ですから。
そして、その一瞬後、それまで感じていた下に向かうベクトルが、すべて逆転したのだった。
☆★☆★☆
時間にして、三十分も水中には居なかったはずですが……。
空中に放り出された瞬間、俺とタバサのみを生来の重力を操る技能を使用して、大地へと軟着陸を行う俺。
そして、それと同時に、周囲。俺の放り上げた巨大な質量の湖水によって洗い流された大地と、その眼前に広がる深き湖。そして、放り上げた異界の生命体の現状を確認する。
その時、世界は……。
風が、不自然に踊り始めていた。
二人の女神と、暗穹いっぱいに広がる煌めきに支配された夜が、何時の間にか闇と魔に支配された異世界。魔の夜へと浸食されていた。
呪を、霊力を、魔力を伴った風が吹き荒れ、穏やかだった湖に巨大な波を立てる。
風に、そして、俺の生来の能力に因って巻き上げられたラグドリアン湖の湖水が、土砂降りの雨の如く、地上を、湖面を激しく叩く。
そう、この風は魔風。水の邪神が巻き起こすに相応しい、水の気を伴い、異様な臭気を孕みし異世界因り吹き付ける風。
そして、闇よりもなお昏き闇を背に、揺蕩うように暗穹に浮かぶ異世界の生命体。
遙か地上を睥睨するかのように紅き瞳で見つめたソレと、その瞬間……目が、合った。
黒き巨大な身体。朱き長い髪の毛。そして……。
人間……。それも、女性の顔。
タバサが音もなく俺の腕から立ち上がった。
流れるような、舞うような仕草で……。
吹き付ける魔風を感じさせる事もなく、ごく自然な様子で軽やかにターンを行った瞬間、魔術師の証がふわりと広がり、蒼き髪の毛が闇に舞う。
そして、吐息のように紡がれた口訣が夜気を断つ。
同じく、力強く、活力に満ちた動きでタバサの動きと同調させる俺。
タバサの動きが計算と技巧の粋を極めた動きだとするのなら、俺の動きは瑞々しさ。放胆さから発する動き。
瞬間、巨大な……。美麗なと表現すべき水の邪神の顔が歪み、咆哮が遠き山に木霊した。
その刹那、黒き蛇神から放たれた複数の鞭の如き水流を、二人分の唱和から発生させた火焔が次々と撃ち落とす。
水が、蒼白き光輝を放つ炎の塊に激突する度に小規模の爆発を繰り返し、周囲を異様な熱気で包み込んだ。
そう、月下で舞うは演舞に非ず。炎を呼び寄せる炎舞。
黒き蛇神より放たれる水流が、月下に荒れ狂う湖面へと降り注いだ。
元々、炎系統に関しては得意としていない俺とタバサが呼び寄せる炎では、水の邪神の水流を完全に無効化する事が出来る訳はない。
これは、神を降ろす舞い。神を降ろし、魂を鼓舞する舞い。
俺の腕に、タバサの腕が重なる。
タバサが闇色のマントを翻し、俺の右足が大地を蹴る。
そう。昏い世界の中、精霊に護られし淡い光を発しながら同調した二人の動きが円環を刻み、
練り上げた二人分の霊力が螺旋を形成する。
それは、陣。足りない才能を神に奉納する舞いで補い、大地に陣を画く事によって強化された火焔呪。
炎と水流の交錯が起きる度に大量の水蒸気を生み出し、纏い付くような濃密な呪に染まりし大気が、更なる異界を引き寄せる。
そう。ここ……七月七日のラグドリアン湖は魔力が渦を為し、其処かしこで共工の支配する水の精霊が暴走状態と成り、無意味な騒霊現象や有り得ない雷撃。そして、真夏には考えられない氷が荒れ狂う異界と化していた。
紅き瞳に怒りに似た感情を浮かべ、俺達を睥睨する共工。その美貌に似つかわしくない。しかし、その姿には非常に相応しい、醜い怒りと暗き欲望の色が浮かぶ。
そして……。
そして、その一瞬後、蛇を思わせる喉が大きく盛り上がり――――――――。
「我、世界の理を知り、大地に砦を描く」
「毒を禁ずれば、即ち、害する事あたわず」
ふたつの口より発せられ、呪符と四本の腕により導き出された魔術回路……。古より伝えられし魔法陣が、俺と蒼き吸血姫の霊気に反応して強い輝きを発し、まるで、何もない空間に直接描かれた存在の如く俺達を取り囲むように宙に浮かび上がる。
伝承に継がれる共工がどのようなブレスを吐いたのか、定かではない。
但し推測は可能。何故ならば、彼の邪神の配下の相柳が吐くのが毒で有る以上……。
巨大な顎が口を開き……。
並びし牙の間。黒き喉の奥から、呪の籠りし吐息が……流れ出した。
その息の流れ行く所に存在するすべてのモノ……。樹木は枯れ、水は穢され、大地さえも、脆くも崩壊して行く。
そして、その腐食の吐息が……今、結界と衝突した。
俺が大地に描きし呪的な砦を、タバサが毒を禁ずる事に因って補強する。
最初の層が突破された刹那、次の層が立ち塞がり、それを、更にタバサが補強する。
そう。その形は球体。全てを柔らかく受け止め、後方に流す球形の結界術。
第三層、第四層までを易々と突破して、ようやく五番目の砦にて、その腐食の吐息の阻止に成功。
これは、湖の乙女より伝授された複合呪符。砦を大地に描く結界系の呪符を複数枚同時起動させる事に因って強化した結界術を、毒を無効化する呪符で更に強化し、共工の毒にも対抗し得る結界術と為したと言う事。
怒りに燃えた紅き瞳で俺とタバサを睨め付けた後、名状しがたい叫び声を上げる共工。
そして、再び放たれる、凍てつく冬の属性を持つ鞭。
いや、それは最早、鞭などと表現される数に非ず。天空を覆い尽くす氷で埋め尽くされた津波の如きそれが、大地を、そして、其処に立つ俺とタバサを押し潰し、押し流そうとして迫る!
「我は請う。我は霊樹の末裔なり」
その刹那、遙か上空より響く、若い女性の声。
「我は聖なる森の民なり」
そして、次の瞬間。俺と、タバサの周囲に撃ち立てられるヤドリギの矢。
大地ごと俺とタバサを叩き潰し、押し流そうとする水に対処する、大地に描かれた砦に、霊樹の加護を加える事により、結界に更に強化を施したのだ。
そう。強すぎる水の力を抑える為、樹木が根を張ってすべての土が流される事を阻む自然の摂理を呪的に利用した術。
全てを押し潰し、押し流そうとする巨大な津波と、霊樹により強化された霊的な砦の拮抗。
しかし、それも一瞬。その形を生かすかのような雰囲気で、全てを後ろへと受け流しながら、結界は未だ健在。
「御二人とも、無事ですか?」
魔風が吹き、巻き上げられた水が土砂降りの雨の如く叩き付ける空に浮かぶ影。闇色の魔女の帽子と、マントに身を包み、箒に腰掛けて浮かぶ姿は、絵本に登場する魔法使いそのもの。
霊樹の護り手モンモランシーが、風に煽られながらも俺の傍に着陸し、そう問い掛けて来た。
俺の顔を見た瞬間、金の魔女の精神に軽い違和感に似た何かを発したが、それ以上、何も問い掛けて来る事もなく……。
「今のトコロはな」
かなり気楽な雰囲気でそう答える俺。それに、確かに、今のトコロは共工の攻撃を捌いて行けているのも事実ですから。
しかし、相手に決定的な攻撃方法が無いように、コチラの方にも、共工に対して、有効な攻撃を与える術は有りません。
この場……水の勢いの強いこの場で、水の邪神で有る共工を倒すのは、ほぼ不可能。
先ず、戦場の雰囲気を、水行が支配する世界から、通常の空間に戻す必要が有りますから。
「タバサ、モンモランシー。五分で良いから、俺の代わりに結界を維持して貰えるか?」
俺の問い掛けに対して、首肯く蒼き吸血姫と、金の魔女。
刹那、共工の雰囲気が変わった。
俺達の見ている目の前で変わって行く共工。
その身に従えた数多の精霊たちはそのままに、人面蛇身の身体から、その容貌に相応しい女性の身体に変わって行ったのだ。
そして、その次の瞬間――――――――。
昏き闇の底で、蒼と青が交差した。
青玉の煌めきに包まれたその女性、かなり冷たい印象を与える冷徹な容貌を持つ美女。いや、冷たい印象と言う因りは、作り物そのモノと言うべきか。
人化が終わると同時に動き出した美女。その作り物めいた精緻な美貌を持つ共工が、精霊を纏いし刃で俺の描いた砦を無効化しようとした刹那、既に動き出していたタバサの魔法使いの杖に纏い付かせた精霊の刃がそれを阻む。
蒼と青の一瞬の交錯。
しかし、それは、圧倒的と言える青の圧力に、蒼が辛うじて受け流している。それに過ぎない状況。
「我は祈り願う」
炎と共に、大地に写し取られる召喚円。
但し、これは一般的な炎の精霊を呼び寄せる際の召喚円。
刹那。金の魔女が放てしヤドリギの矢が、タバサへと烈風の如き連続攻撃を為そうとした共工を撃つ!
「時の始まりよりすべてを生み、そして滅ぼす者……」
しかし! そう、しかし!
タバサへの追撃を試みようとした共工が一瞬の内に向きを変え、その右手にした長剣……いや、中国刀。所謂、柳葉刀を無造作に振るう!
その瞬間、水の邪神と、金の魔女の間に立ちはだかる水の壁。
金の魔女が放ちし五本のヤドリギの矢は、その水の壁に呑み込まれ、そして、いとも簡単に無効化されて仕舞った。
「輝く豊穣の女神。万物流転の源にして、闇を照らす最初の女性……」
俺の詠唱に応じて、召喚円に炎の気が集まり始める。
そう。俺の呼び掛けに応じて、炎の精霊が周辺一帯から集中して来たのだ。いや、それだけではない。月、そして、星の輝きさえも、その描き出された召喚円に集まり来る。
しかし、モンモランシーの援護に因り、一瞬の空白を得たタバサが、精霊を纏わせた魔法使いの杖を刺突の形で構える。
右半身を前に。そして、其処から力強く更に右足を踏み込み、前方へと一直線に右腕を突き出した!
その刹那、彼女の魔法使いの杖から蒼き風が巻き起こる。
無数の風の刃を副効果とし、共工を貫こうとして放たれた蒼い刺突。
真空の衝撃波が大地を斬り裂き、共工の胸の甲を目指し――――。
「崇拝される者、女神ブリギッドよ。我が召喚に応えよ」
しかし、右下方から跳ね上げられた銀光に因り刺突は払い除けられ、刺突が纏いし風の刃は、共工自身が纏う精霊の護りに因って弾かれて仕舞う。
「大いなる原初の力を持って、すべての混沌を無に帰す為に」
紅蓮の炎が踊り、精霊たちが舞う。それは、世界。時空連続体すらも揺さぶる強大な霊力と成り、
そして、俺が描き出した召喚円が光輝に包まれ……。
次の瞬間。俺を中心とした世界が、紅蓮の炎に包まれた。
俺の服を、髪を、肌を、いや、身体すべてを炎が煽り、嘗め尽くす。
金属さえも溶かすほどの高温で有りながらも、しかし、その中心に立つ召喚者である俺を害する事が一切ない紅蓮の炎。魔性の物を滅する聖なる炎が召喚されたのだ。
それは現実には有り得ない事実を伴い、水に支配された世界に、ゆっくりと花弁を開く紅き大輪の花の如く広がって行く。
その際に発せられる……、世界が上書きされるとてつもない違和感。歪んで仕舞った世界が、再び、通常の理の支配する世界へと復帰する際の眩暈にも似た異常な感覚が俺を、そして、おそらく世界自体を包み込む。
そして……。
そして、世界は異常な水に支配されし空間から、炎の支配する空間が、少しずつ勢力を盛り返して行く事が理解出来る。
刹那、動き出す、セーラー服姿の少女。
そう、何時の間に顕われたので有ろうか、紅蓮の炎に包まれた俺の傍らに立って居た一人の少女が走り出し……。
彼女の右手に握られた炎を纏いし一刀が、今まさに、蒼き姫に対して振り下ろされようとした水の邪神の氷刃を――――――――
弾き上げた。
非常に高い金属同士がぶつかり合う音を発し、再び距離を取る水の邪神と、蒼き吸血姫を護った炎の女神。
少女の、艶めくようなぬばたまの黒髪が自ら巻き起こす熱風に舞い、紅の火の粉を舞い散らせる。蒼と紅、ふたつの月を背にした、その立ち姿は……。
力強いと同時に、……ひどく、優美な存在で有った。
そう。炎の少女を中心とした、荒れ狂う水と炎が創り出すこの光景は、まるで自らの死期を悟った絵師に因り、渾身の作として残された名画を思わせる物。そう思わせるに相応しい光景で有り、
片や、紅き血の色を模した長い髪の毛を持つ水の邪神の周囲には、彼女の従えた水の精霊たちが舞い踊る。
その姿は、美の中に含まれる狂気。
こちらは、狂気に囚われた絵師が、最期の一筆にまで己が才能の限りを尽くして表現した、見る者を死と狂気の世界へと誘う名画と表現すべき存在、及び光景で有った。
青玉に彩られし胸甲に護られた、紅い髪の女性が笑った。彼女に相応しい表情を浮かべて。
「わたしを呼んだのは、コレの相手をしろ、と言う事なのか?」
俺の方を振り返る事もなく、崇拝される者、女神ブリギッドがそう聞いて来る。以前に出会った時と同じ、見た目からは想像も付かない程、落ち着いた声音、及び雰囲気で。
俺は、ゆっくりと歩を進め、ブリギットの傍らに立った。
そして、
「オマエさんに頼みたいのは、この世界の上書き。水の気の勝ち過ぎたこの異界を、オマエさんの炎の気で上書きを頼みたいだけ」
……と、彼女の問いに対して、答えを返した。
そもそも、このラグドリアン湖の異常増水事件の解決は、俺とタバサの任務です。
いや、ここにやって来てから、もう一人含めた、三人で対処すべき事件です。そこに、彼女、女神ブリギッドに事件を丸投げしても良い理由は有りません。
まして、現状のこの事態は確かにガリアの危機と言えなくも有りませんが、しかし、俺とタバサだけで対処し切れない事態では有りません。
この程度の事態で、一々、彼女のような存在に助力を依頼していては、流石に問題が有るでしょう。
天は自ら助くる者を助く。人事を尽くして天命を待つ。普通の場合は、この大前提が存在していますから。
俺の傍……。普段通りの右側にタバサが来て並んだ。大丈夫。彼女も、この事態を炎の女神様に丸投げして、後は解説役……と言うか、驚く役に成る心算は無さそうです。
この異常な事態に有っても尚、彼女の心は折れては居ませんから。
そして、俺は視線だけで、水の邪神をけん制しながら、こう続けたのだった。
「それに、そろそろ、ミーミルの井戸の封印が終わった彼女が、ここにやって来る。
彼女が帰って来る前に、俺やタバサが折れて仕舞う訳には行かないからな」
後書き
毎度の事ですが、最早、原作でサイトやルイズ達がラグドリアン湖に向かった時とは、まったく違う内容と成って居りますが……。
もっとも、この『蒼き夢の果てに』のラグドリアン湖関係の事件とすると、これぐらいの事件の方が相応しいでしょう。
原作の筋書き通りに進むのでは、この作品らしさがなく成って仕舞いますから。
最早、開き直りとしか思えない台詞ですが……。
追記。ネタバレ超危険。
ミーミルの水の正体は推○剤です。
流石に次○の壁を突破するのにはこれぐらい強力な魔道具が必要でしょう。
それでは次回タイトルは『炎の少女』です。
追記。……と言うか、戯言。
もう一人のセーラー服姿と言うのは、崇拝される者の事です。
まして、彼女に関しても、その姿をセーラー服姿で、更に長い黒髪を持つ少女姿に固定したのは、主人公ですから。
元々、最初に顕われた時には、巨大な炎の魔神姿でしたからね。
但し、物語上での最初で有って、時間系列上で最初と言えるシーンは……。
今、そのシーンを本編中で描くか、それとも、番外編とするかは考え中です。
……アンリエッタ姫にも関係しますから。
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