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薔薇の騎士

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第一幕その四


第一幕その四

「入って宜しいでしょうか」
「少し待って」
 見れば服は寝巻きのままである。乱れを慌ててなおしてガウンを羽織る。こうして何とか体裁は整えるのであった。少なくともフランスでは朝この格好で客人と会うのも普通だというからこれでもいいだろうと思ったのだ。マリア=テレジアの時代にようやく長年の宿敵フランスとも友好関係になったのである。これもまた婚姻政策でだ。嫁いだのはあのマリー=アントワネットである。
「いいわ。入って」
「わかりました。それでは」
 夫人の家の使用人達が少し憔悴した顔で扉を開ける。どうやら男爵を押し留めるのに必死だったらしい。
 その男爵だが白い鬘を被って赤と金の豪奢なフロックコートとズボン、白い絹のブラウスに靴下、それと編み上げ靴といったいで立ちだ。如何にもといったフランス風の格好である。
 結構変わった印象を与える感じの男であった。顔は粗野な趣に満ちているがそれでも中々端整で太めではあっても生気が感じられにこやかに微笑んでさえいる。黒い目の光も強く鼻も高い。大柄で背が高くやたらと強そうな印象も見せる。彼がそのオックス男爵である。歳は三十五、元帥夫人の父方の従兄である。
「お久し振りです」
 まずは三度フランス風のおじぎをしてみせる。その動きも中々さまにはなっている。
「お元気そうで何よりです」
「奥様も」
 顔を上げてからこう夫人に述べる。そこからまたおじぎをする。
「朝に申し訳ありません」
「いえ、それは構いません」
 このやり取りは社交辞令であった。お互いそれはわかっている。
「フランスではそれが普通のようですし」
「フランスのマナーでいくのはどうかとも思いましたが」
 ここでオックスは少し複雑な政治背景について言及した。
「何しろあそことはヴァロワ家の頃からの関係ですからな」
「それは確かに」
 これは元帥夫人も知っていることだ。オーストリア、即ちハプスブルク家とフランス、即ちブルボン家との関係はマクシミリアン一世の頃よりの激しい対立関係にある。ヴァロア家が断絶しブルボン家になってからもそれは同じであった。オーストリアとフランスは欧州における宿敵同士でありその対立が欧州の政治の一つの基軸なってさえいたのだ。彼等の間にプロイセンという共通の敵ができるまでそれが続いていたのだ。なおこの時代オーストリアにとって最大の敵はそのプロイセンであった。オーストリア継承戦争においてもそれに続く七年戦争でも激しく争っている。実質的なオーストリアの主であったマリア=テレジアはプロイセン王であるフリードリヒを激しく憎んでいたことでも知られている。
「それにあのサンスーシーの老人もフランス風を尊んでいるようです」
「あの御仁の話は止めにしましょう」
 実は彼女もプロイセン王が嫌いである。女性蔑視主義者であり女性をことごとく遠ざけているあの王は当時女性から徹底的に嫌われていたのだ。当時のロシアの女帝であるエリザベータにしろルイ十五世に代わって実質的にフランスを切り回していたポンバドゥール夫人もまた彼が嫌いであった。理由は簡単で利害が対立しているだけでなく彼が女嫌いだからだ。嫌わば嫌われるというわけである。
「不愉快なだけですし」
「そうですな。私も政治の話をしにきたわけではないので」
 男爵もそれに乗って話を止めるのであった。
「それではですな」
「はい。ええ、そこに」
 家の者達が三つの小さなソファーを持って来ていた。置く場所をそこでいいと告げたのである。
「ゆっくりとお話しましょう」
「わかりました。それでは」
 テーブルも置かれた。朝あった木製の白いテーブルと椅子は下げられている。オクタヴィアンは何気なくベッドをなおしている。それをメイドと見た男爵は興味深そうな目で彼女、いや彼を見ていた。
「可愛い娘ですな」
「新しく入った娘です」
「そうなのですか」
「ところでですね」
 男爵に左の席に座るように手で告げてからあらためて彼に問う。自分は右側の席の前にいる。中央の席はわざとあけていた。
「どうしてこちらに」
「手紙のことで」
 ちらちらとオクタヴィアンを見ながら答える。
「手紙のですか」
「一週間程前に着いていると思いますが」
 外見に似合わず計算が上手かった。
「その内容にある通りです」
「左様ですか」
「はい」
 答えながらもまたちらちらとオクタヴィアンを見ている。次第に好色さがそこに加わってくる。
「いいな。可愛いな」
「確か結婚されるんですね」
「そうです」
 夫人に顔を向けて答える。だが目はやはりオクタヴィアンの方を始終向いている。
「確か」
「ファニナル家の娘です」
「そうでしたわね」
 話を聞いてそれに頷く。実は手紙の内容を憶えていないとは流石に言えない。
「ファニナル家といえば」
「貴女の御主人の推薦で貴族になった家で」
「そうでしたわね。それで」
 実はあまりよく知らなくて話を合わせているのである。
「ネーデルラントにいる我がオーストリア軍に調度品を供給している家です。貴女は私とあの家の娘の婚姻にいささか御不満のようですが」
「それは別に」
「こう言っては何ですが」
 話す間に夫人はオクタヴィアンに目で部屋を出るように促す。オクタヴィアンもそれに頷く。オックスは話す間もずっとちらちらとそのオクタヴィアンを見ている。
 
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