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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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イゼルローン回廊外遭遇戦


イゼルローン回廊外遭遇戦

 フロル・リシャールという人物を表すに当たって、後世の人々は様々な賛辞と罵倒を持ってそれを行う。賛辞をする者は同盟に勝利を齎した、という一点によってであり、罵倒は一時期にせよヤン一党と対立していたという事実である。
 なぜフロル・リシャールと、士官学校時代に育まれたヤン一党との友情がもろくも崩壊したのか、というのは後世の歴史家にとって比類なく魅力的な問いであった。

『なぜ、フロル・リシャールはヤン・ウェンリーと対立しなければならなかったのか』

 永遠の謎、と呼ばれたこの歴史的問題は、彼の孫にあたるレイモン・リシャールが彼の日記を公開するまでその真相を明らかにすることはなかった。
 もっとも、それを語るには時の針を進める必要があるだろう。
 今はまだ、駆け出しの士官である。

 

 彼は士官学校卒業より一年、フロルは第4艦隊のパストーレ准将の元で小さな功績をこつこつと重ねた。それ一つ一つは健気で、風が吹けば飛んで行きそうな功績であったが、イゼルローン方面より突如現れた帝国軍との遭遇戦において、パストーレ准将を補助した功績が一番大きいというベきものであろう。これ以後、パストーレは何かとこの士官学校出にも関わらずエリートぶらぬ少尉を偏重に扱うようになった。
 フロルは自身の日記において、このパストーレ少将という人物を「なぜ准将まで進んでこられたのかわからない男」と評している。またキャゼルヌに言わせれば「財布が軽くなる度に昇進してきた男」とのことだったらしい。
 彼は辛うじて平和な時にのみ軍人が務まる男であって、それ以上の活躍が見込まれる男ではなかったのである。彼は政治家、それも国防族の議員の一部と親しかった。

 ラウロ・パストーレは宇宙暦775年、士官学校を平凡な成績で卒業。後方任務と同盟領土の守備部隊の任務で、危険性のない任務を無難にこなして昇進を続けた。つまり平凡な任務を務めるだけの統率力はあったわけだが、その能力はそこが限界点であった、とも言えるだろう。30代を前にして政治家との関わりを深め、785年准将に昇進。第4艦隊指揮下の分艦隊の指揮官となる。このとき、艦隊の司令官はカタイスト中将であった。
 カタイスト中将はビュコック提督と同じ、一将兵からの叩き上げで、同盟軍将兵から絶対的な信頼を獲得していた。その指揮ぶりは帝国軍ウィリバルド・ヨアヒム・フォン・メルカッツと比肩すると言われていたほどである。

 さて、その同盟第4艦隊旗下パストーレ分艦隊が不幸な戦いに巻き込まれたのは宇宙暦786年8月4日のことであった。

 その戦いは、第4艦隊とイゼルローン駐留軍との遭遇戦であった。実はこの遭遇はとある貴族が原因である。ダリウス・フォン・エッフェンベルク子爵がそれである。彼は同盟への亡命希望者であった。宮廷内においてブラウンシュバイク公の甥を不慮の事故で殺してしまうという一件によって、その一派より命を狙われていたのだった。エッフェンベルク子爵はその貴族の持ちうる軍事特権でもって要塞イゼルローンを半ば強制的に訪れ、自らの持ちうる限りの財産をもって、自らの腹心の家臣とともに単艦、イゼルローンより同盟に逃げたのであった。それが8月3日のことである。なぜ亡命するにあたってフェザーンではなくイゼルローンをわざわざ選んだか。これは同時期同様に亡命を図り、フェザーン航路中に事故死した某男爵の事件をエッフェンベルク子爵が知っていたからだと言われている。
 軍事要塞からの帝国貴族の亡命というゴールデンバウム王朝の汚点を、軍部が放置することはなかった。駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将は子爵を抹殺しようと画策したのである。子爵を殺せば、ブラウンシュバイク家に良い印象を与えるのは確実だったからであろう。
 そこで子爵の捕獲隊、もとい粛正部隊として駐留艦隊の分艦隊3000隻を出撃させたのだった。
 追っ手の存在に気付いた子爵の船は恐慌状態に陥った。捕まれば死罪は免れぬのは明白である。彼らは死に物狂いで逃走を続けたが同盟側のイゼルローン回廊外にて、翌8月4日、同追跡部隊に捕捉され、撃沈された。

 さてここで不幸が重なる。
 その時機、同盟軍では大規模演習として第4艦隊がイゼルローン回廊付近まで来ていたのであった。両軍は予期せぬ遭遇戦を迎えることになる。
 帝国軍は明らかに同盟領に入っていた。先に敵に気付いたのは帝国軍である。捕捉されたのは同盟第4艦隊、パストーレ准将指揮下の分艦隊3000隻。数の上では互角であった。帝国軍は撤退しようにも、回廊に戻るには、分艦隊の目前を通らねば帰れない。
 そして文字通り誰一人として望んでいない戦いが始まったのである。


「報告! 敵艦隊発見ッ! 方角は3時20分!」

 同日7時21分。敵発見の知らせは旗艦レオニダスに衝撃を与えた。本来、今回の大規模軍事演習は帝国に対する示威行為と偵察も兼ねており、わざわざイゼルローン回廊の目の前まで来たのであるが、艦隊の誰一人として、実際に敵と遭遇することは考えていなかったのである。

 ここにも同盟国家の末期症状が見られると言って良いだろう。政治家は軍隊を一つの政治ショーの見せ物として今回の訓練を企画し、実行した。軍部としてはそれはまさにゴリ押しされた作戦というべきで、誰も止めることは出来なかったのである。しかも、今回の軍事訓練は、なかばパストーレという国防族議員に親しき将校のために企画されたのである。
 実はフロルがこの艦隊に来てから、明らかにその艦隊の任務遂行能力が向上したという事情がある。フロルは初めて配属された艦隊のために、それこそ寝る間を惜しんで活動したのである。艦隊の指揮系統に異常はないか、衛生問題、食糧支給に問題はないか、医療設備は万全か、そういった今まで面倒で誰も手を付けなかった艦隊の面倒事を、怒濤の勢いで解決していったのである。
 もっとも、フロルにとっては、「仕事が特にないから、暇で仕方がなかった」という話なのだが、おかげでパストーレ准将は、最近注目株の閣下なのである。つまり、フロルに、原因の何割かがあるのだった。


「艦数はいくらか! 大雑把で良い、どれくらいだ!」
 第4艦隊パストーレ分隊司令部で、誰よりも先に困惑より立ち直ったのは、フロル・エシャール少尉だった。彼は司令部の幕僚補佐としてここにいたのだが、当の幕僚は硬直より立ち直る様子すら見せていなかったのだ。
「敵総数……3000隻! 当艦隊とほぼ同数です!」
「わかった。距離はどのくらいだ? 時間的距離で出してくれ」
「ほぼ、15分です!」
「近いな……、わかったありがとう」

 フロルは猛烈に頭を動かしていた。唐突な遭遇戦、自分は心構えがあったからいいものの、この艦隊は虚を突かれたと言ってもいいだろう。恐らくどの艦隊も慌てふためいてばかりだろう。それに近い。方角も問題だ。ほぼ右側面をとられたと言ってもいい。やはりこの宙域に来た時に、探査衛星を配置するべきだったのだ。

「閣下!」

 フロルは未だ開いた口が塞がらぬ体で呆然としているパストーレ准将に向かって叫んだ。パストーレはその声で今初めてフロルの存在に気付いたかのようにフロルを見た。

「敵艦隊が急速接近中です。急ぎ戦闘準備を!」
「せ、戦闘だと!?」
「はい、時間にして残り15分で交戦状態に入ります! 急ぎ艦隊に戦闘準備命令を出して下さい!」
「貴様! 少尉の癖に口の聞き方に気をつけろ!」と言ったのはフロルの横にいた、幕僚である。
(そんなことを言ってる場合じゃない!)

 フロルは怒鳴りつけたかった。この状況でまだそんなくだらないことを言っている上司が信じられない。

「閣下! 今は言い争いをしている時間はありません! 直ちに戦闘準備を!」
「わ、わかった。艦隊に指令、ただちに戦闘準備! そして右舷回頭——」

「閣下!」
 フロルはそこで声を上げた。パストーレは思わず、その少尉を再び見つめる。
「な、なんだ!」
「今から回頭しても混乱を招くばかりです。ここは逆に艦隊を左舷に大回りに回って、敵の側面を突くべきです!」

「バカなことを言うな!」違う幕僚が言う。「そんなことができるか、我々は速やかに回頭して本隊と合流すればいいのだ!」
 それができないから、俺はこれを言っているのだ。

「閣下」
 フロルはいきなり声を大人しくした。ここでこちらまで激情に駆られ激論しても、時間を浪費するばかりである。

「閣下」

 パストーレはその時考えていた。この少尉はまだ20歳を過ぎたばかりのはずなのに、この司令部で誰よりも冷静な目をしている、と。パストーレは欠点の多い男であったが、ただ一つ長所があった。それは彼自身が有能とは言いがたい人間である、という劣等感にも似た意識であった。だからこそ彼は、その少尉の発言に自分のそれを補う何かを求めたのだろう。

「敵の目的はイゼルローンへの帰還です。敵は一直線で我々を突破し、要塞に帰還するつもりなのです。敵の艦隊は3000隻、例え同盟の今回の秘密訓練を知り得たとしても、第4艦隊15000隻に3000隻で当たるということはありますまい。しかも敵は分艦隊だけでこんなにも領土内に侵入している。他に潜んでいる本隊がいるなら、こんな単独行動は行いません。文字通り、意味がないからです。我々は今、一対一で艦隊戦を行おとしているのです。ここで勝てば、閣下の名声は同盟内に響き渡りましょう」

 フロルは戦争が嫌いな男である。本来は人を殺し、血を見て、地獄を覗くようなことは嫌いなのだ。だが彼は今、自分が生き残る為に、なんでもすることを知っていた。彼は自分が生き残るためなら、いくらでもおべんちゃらが使える男なのだ。

「か、勝てるのか? リシャール少尉」
「はい、閣下。私に策があります」
「閣下! こんな少尉ごときに耳を傾けなさるな!」
「だ、だが参謀長……」
「パストーレ閣下、あなたが決めるのです」
「わ、わかった。とりあえず聞こう」
 これはパストーレにとって、ゴーサインも同義だった。

「それでは高速通信を使わせて頂きます。機動部隊長を出してくれ」
「わかりました、フィッシャー中佐を出します」

 さらにフロルは知っていたのである。原作で、生きた航路図と呼ばれた、艦隊運動の達人がこの分艦隊にはいることを。

「フィッシャー中佐であります。司令部からとのことでしたが?」
 フィッシャーは司令部からの通信で現れた、明らかに若い少尉を見て眉を顰めた。

「リシャール少尉です。小官のことは司令部の通信役と思って頂きたい。中佐殿、現在本艦隊は帝国軍3000隻に右舷より攻撃を受ける直前にあります。敵の目的は我が軍の中央突破、そして要塞への逃走だと思われます」
「なるほど」

 フィッシャーは目の前の若者が理路整然と語るのを見て、言葉を信じたようである。フロル自身は一度も、これが公式な命令とは言ってないのにも関わらずである。

「現在、旗艦レオニダスは艦隊の後部にあります。そちらは前にあるということでよろしいですね?」
「ええ、艦隊の中央よりは前に来ています」
「敵艦隊は、本艦隊の進行速度を見極め、我が艦隊の中央を突破しようとするでしょう。そこで、フィッシャー中佐には本艦隊の後方半個艦隊1500隻を置き去りにして、急速に前進しつつ、左回りに迂回して頂きたい」

「旗艦を含む半個艦隊を置き去りに!?」

 フィッシャーは驚いたように叫ぶ。

「リシャール少尉!」
 そこで参謀の一人がまた声を上げたのだが、意外にもそれを制したのはパストーレ准将であった。准将も、この若者ならなんとかするのではないか、と考えていたのだ。

「今ここで右舷に回頭しても間に合いません。むしろ前の半個艦隊と後ろの半個艦隊を故意に分け、間隙を作ることで、敵艦隊をそこに誘導します。前の半個艦隊は左回りに迂回して敵の側面を突いて下さい。旗艦を含む後ろの半個艦隊は、まず急速に後ろ向きに下がり、目の前を敵艦隊が通過したのち、敵の後方に食らいつきます」
「つまり艦隊を二つに分けた上で、敵の右舷と後方より時間差で挟撃を仕掛ける、と?」
「はい。敵は元々我が艦隊をその熾烈で高速な攻撃によって分断することが目的です。ならばそれを逆手にとってしまえばよろしい。敵は死に物狂いで来るでしょう。だからこそ、一度いなされてしまえば対応はできない。フィッシャー中佐、半個艦隊の指揮をお願いします」
「で、ですが……」
「フィッシャー中佐は艦隊運動の達人と伺っています。大丈夫でしょう」
「……わかりました。それではこれよりは半個艦隊を持って急速前進、左回り側撃を加えます」

 フィッシャーはそう言って、半ば感嘆の眼差しで、少尉に向かって敬礼した。彼はこれが司令部の発案ではなく、この若き少尉の発案だと気付いていたのである。
 フロル・リシャール少尉もまた、見事に敬礼をした。


 そしてこの作戦は見事に成功したのである。
 この時期において既に名人芸に達していたフィッシャーの艦隊運動は、まさに見事の一言に尽きた。その芸術的艦隊運用は、一艦の脱落もなく、戦場での左回り側撃を可能にしたのである。フロルもまた、司令部を無理矢理動かし、後ろ半個艦隊の急速後退を指示した。フロルの指示はすべて司令部の命令と各艦長は思っていたし、そうではないと気付いた者も、生き残る為に全速後退をしたのである。

 同日8時2分、敵艦隊はパストーレ艦隊に突如生じた裂け目に突入。同盟軍になんの被害も与えず、その空隙を突破しようと試みる。そしてももちろん、眼前を通り過ぎようとする獲物に、パストーレ後衛艦隊はが躊躇する謂われはなかった。急速後退より一転、一気に前進し、敵艦隊の左側面に熾烈な攻撃を加えたのである。敵艦隊は更に速度を増し、突破を図る。その後ろに後衛艦隊が追撃を仕掛ける。およそ半数の敵に背面をとられて、被害を出しつつも前進を続ける敵艦隊だったが、ここにフィッシャー中佐率いるパストーレ前衛艦隊が右側面より攻撃を加えたことによって、戦列が崩壊。そののちは前衛艦隊、後衛艦隊が合流しつつ、両翼を広げ、半包囲網を展開し、これを殲滅したのである。

 第4艦隊本隊が援護に来た時には、既に勝敗は決していた。この戦いは、艦隊の数こそ小規模であったが、圧倒的な同盟軍の勝利になったのである。


 パストーレ准将はこの《イゼルローン回廊外遭遇戦》の功績によって少将に昇進、一躍時の人となった。無論、一少尉が艦隊を動かしたとあっては軍隊としての規律が問われることになっただろう。そこでフロルはパストーレに願い出て、フロルはパストーレを補佐しただけ、ということに公式記録ではなっている。結果、名声と英雄の呼び声はパストーレが一身に受けることになったのである。その影でフロルもパストーレの推薦という形によって、ひっそりと中尉に昇進した。

 ヤンやラップ、キャゼルヌやアッテンボローは、フロルの突然の昇進に驚きながらも、これを祝った。特にキャゼルヌなどは既に裏の事情を知っていたから、
「随分、上手くやったもんだな」
「バカと鋏は使いようってね」
「人をノせるのもほどほどにしとけよ」
という会話があったという。


 その後半年ほどパストーレの元で細々と働き、功績を重ねた。その中でもフィッシャーと顔見知りになれたのは幸運なことだ、とフロルは考えていた。フィッシャーは今後、ヤン一党になくてはならない存在となる。ここで顔を知ってもらうのは、何かと都合がいいだろう。何よりフィッシャーの元で、艦隊運動のイロハを学べたのは素晴らしい成果であった。今後、フロルが艦隊を持つ時に決して邪魔にはならない技能に違いないであろうから……。

























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※訂正
彼の日記が→彼の日記を
探査衛生→探査衛星
リチャール→リシャール
ビュコック将軍→ビュコック提督 
駐留艦隊司令長官→駐留艦隊司令官 
半艦隊→半個艦隊
前艦隊→前衛艦隊
後艦隊→後衛艦隊
 
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