【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール
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第6次イゼルローン攻略戦(2)
第6次イゼルローン攻略戦(2)
混戦状態は収束の糸口すら見せず、多くのエネルギーを浪費して続けられていた。大小様々な悲劇、喜劇、惨劇が量産される中で、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》主演の戦闘劇は、まことに華々しく、しかも常軌を逸していた。
本来、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》の出番は、艦隊戦においてはそう多くないはずである。彼らは陸戦部隊であって、地に足をつけるのが本分だからだ。たが、第6次イゼルローン攻略戦において、この過激な亡命者集団は、非常識極まりない強襲艇による突撃を繰り返した。
更に彼らは、敵の一艦を占拠する都度、その通信装置を使用して、かつての隊長に呼びかけたのだ。
「出てきやがれ、リューネブルク、地獄直行便の特別席を、貴様のために用意してあるぞ。それともとうに逃げ失せたか」
このような|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊のやり方に対しては、「これは彼らの私戦ではない」と、窘める声もあったが、なぜか同行しているフロル・リシャール幕僚長がこれを擁護した。
「これは彼らなりの復讐戦だ。彼らは己の矜持のために戦っている。軍人としての矜持を保たんする者に対して、そのような言は慎まれたい!」
それは少し買い被りというものであったが、人づてにフロルがこのような発言をした、と聞いた|薔薇の騎士《ローゼンリッター》の面々は、肩を竦め、照れ笑いをし、頬をかいて、戦斧をもつ手を握り直したのである。
こうして、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》は、血文字を記したリューネブルク個人宛ての招待状を、戦場の各処にばらまいて渡ったのであった。
「出てこい、出てこい、リューネブルク、出てくりゃあの世へ直行便、地獄の魔女どもお待ちかね、朱に染まった色男!」
上品とは称しがたい即興歌まで作って、旧連隊長を待ち焦がれていた|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊が、ようやく望みをかなえられたのは、12月5日14時のことである。
前線の所在さえ明確ではない混戦域を、彼らの揚陸艦は移動していた。そこへ、帝国軍の揚陸艦が、衝角を向けて急接近し、回避行動を嘲笑うようにぶつかってきたのだ。
揚陸艦どうしが衝突したのだ。150年の長き戦争でも、このようなことは少なかっただろう。誰もが衝撃に驚いた中で、シェーンコップだけがその意味を正しく理解していた。
「リューネブルクが来たぞ!」
緊張が、連隊全員を帯電させた。
既に装甲服を着用していたフロルも、手に持っていた報告書を放り投げて、戦斧《トマホーク》に持ち替えた。それはバグダッシュ中佐から届けられた、帝国の動向であった。彼は今までにも、いくつかの資料を彼経由で秘密裏に手に入れていた。それは何か新しいことに気付く、というのも目的の一つであったが、フロルの記憶の補足をする、という意味合いも大きかった。そして、フロルがその時読んでいたのは、ヘルマン・フォン・リューネブルク少将の現在の境遇に関する報告書であった。フロルの記憶は間違っていなかった。ただ、これは一か月前のものである。恐らく、リューネブルクの妻エリザベートは既に、彼女の兄である内務省警察総局次長ハルテンベルク伯を殺した頃合いだろう。
彼は報告書に満足しつつ、急ぎ、戦闘の場に赴いた。
侵入してきた帝国軍との間に、壮絶な白兵戦が繰り広げられた。先頭に立った男が、|戦斧《トマホーク》でもって左と右にいた|薔薇の騎士《ローゼンリッター》隊員を瞬く間に薙ぎ倒した。そしてやって来たシェーンコップの姿を見つけたリューネブルクは、 装甲服のヘルメットの中で笑を頬に浮かべた。
「渇望に応えて来てやったぞ、未熟者のシェーンコップ! 貴様では案内人として不足だが、俺は寛大な男だからな」
ブルームハルト大尉が、好戦的な眼光を向けて一歩踏み出したが、水平に突き出された連隊長の腕が、彼の前進を阻んだ。
「やめろ、ブルームハルト、二年後はともかく、今はまだお前では奴に勝てん」
「そうだ、ひっこんでいるんだな。尻に卵の殻をくっつけた雛鳥が」
ブルームハルトが言葉を返そうとした時には、シェーンコップは既に歩を進め、リューネブルクとの間に|戦斧《トマホーク》を交えていた。
床を蹴ったのは同時、|戦斧《トマホーク》の速度もまた、同時であった。二つの兇刃はすれ違い、気に触るような擦過音と共に、火花を散らした。|薔薇の騎士《ローゼンリッター》の新旧二人の連隊長は、飛び違い、反転し、文字通り殺人的な斬撃を応酬しあった。永遠に続くかと思われた、苛烈を極まる闘いは、リューネブルクの一瞬のよろめき、一瞬の隙によって決着を迎えた。
「そこまでか、リューネブルク!」
声と斬撃と、どちらが速かったか、判断できる者はいなかった。シェーンコップの放った一撃が、リューネブルクの右腕を肘から吹き飛ばした。リューネブルクは仰け反り、よろめき、後ろに下がって、片手で戦斧《トマホーク》を構えたが、数秒後、膝を屈した。左手から戦斧《トマホーク》が音を立てて離れた。
右手から勢い良く流れる血液を、リュ=ネブルクは左手で抑えた。
シェーンコップが姿勢と呼吸を整え、敗者に低い声を投げかける。
「何か言うことがあるか?」
明らかな決着でもって敗北した男は、傲然とした態度と視線で、勝者を見返した。
「そうだな、一つだけ言っておこう。貴様の技倆が上がったのではないぞ、シェーンコップ、青二才よ。俺の力量が衰えたのだ。でなくて、俺が負けるわけはない」
「……そうかもしれんな」
シェーンコップはその言葉を否定しなかった。だが、そこまでだった。彼はリューネベブルクに興味を急に失ったように、それに背を向けて立ち去ろうとしたのである。
瞬間、リューネブルクの左手が背中に伸びて銃を掴んだ。だがその銃口がシェーンコップを捉えるより先に、フロルの右手の銃がその拳銃を撃ち抜いた。
「無駄な抵抗はやめることだ、リューネブルク少将」
フロルは見守っていた一団から足を踏み出しつつ、リューネブルクに近づいた。銃は一寸の狂いもなく、リューネブルクの頭に向けられている。リューネブルクは突然現れた役者に驚いたように、一瞬目を見開いたが、すぐに嘲笑を口に浮かべた。
「その顔は見たことがないな。貴様、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》か?」
「正確には|薔薇の騎士《ローゼンリッター》見習いだな」
「いつから|薔薇の騎士《ローゼンリッター》は素人の研修所になったんだ? シェーンコップ連隊長?」
シェーンコップは背を向けたまま、振り返らず、遠ざかって行く。
「なら試してみるか? 俺の銃の腕が、貴様の頭を撃ち抜けない程度だと思うならな」
リューネブルクは沈黙した。
「捕虜になりたいか、リューネブルク少将」
「ふん、殺せばいい」
「俺は人殺しが嫌いだ」
「ならば俺は偽善者が嫌いだ」
「……まったくだな。だが、おまえが死んでもエリザベートは喜ばんぞ」
フロルの言葉はリューネブルクの神経を急激に刺激したようだった。悪くなる一方であった顔色が、一瞬で激情に染まり、リューネブルクは立ち上がった。
「貴様!」
「君の妻であるエリザベートは、殺人罪で拘束された」
フロルの言葉は、理性を吹き飛ばしたリューネブルクを落ち着かせるだけの効果があった。
「貴様、なぜその名を知っている!」
「同盟軍を侮るなよ。情報部は何も戦局考察だけやっているわけじゃないんだ」
フロルは多少の誇張をもってこれに返した。フロルとバグダッシュが入念に慎重を重ねて作り上げたスパイ網、情報網はまだ発展途上期にあったが、リューネブルクに心理的揺さぶりをかけるには、これくらい言う必要があったのだ。
「リューネブルク夫人は実の兄であるハルテンベルク伯を殺したそうだ。かつて自分が愛した男を手にかけた者より、それを謀って抹殺した者に対して、彼女は憎しみを向けたようだな」
フロルは周りに人がいなくなったのを確認しながら、力なく立っているリューネブルクに言葉を紡ぐ。呆然とした表情でそれを聞いている彼の目には、絶望とも怒りともとれぬ感情が渦巻いていた。
「つまらん人生だな。女につられて亡命して、そんなことも知らんで死ぬか。そう思わなんか、リューネブルク?」
その言葉に対するリューネブルクの返答は沈黙であった。フロルを睨む眼光は強くなる一方である。
フロルは左手にあった応急スプレーをリューネブルクに投げた。タンパク質が主体の有機物によって傷口を塞ぎ、一時的に出血を抑えるものだった。リューネブルクは左手でそれを空中で掴み、眉を顰める。
「いったいどういうつもりだ?」
「俺はフロル・リシャール大佐だ。リューブベルク、覚えておけ。先月、ラインハルト艦隊を敗ったのは俺だ。あの甘ちゃん坊やを躾けてやったんだ。帝国軍からは感謝されてもいいくらいだな」
「ほぅ、おまえが、か」
リューネブルクは面白いことを聞いたというように、口だけを歪めて笑った。リューネブルクはあのラインハルトが11月に半数の艦隊を失うという失態を演じたことを聞いて、溜飲を下げていたのだ。それを演出したのが、自分の前に立っている男なのだと言う。帝国内部の情報をここまで知っているとは、ただ者ではない。そして何よりこの生意気な眼光、シェーンコップの目にそっくりだ。
「俺としては、おまえとラインハルトが帝国内部で自滅してくれれば嬉しいんだがな」
それはオフレッサーの言葉だ、とリューネブルクは気付いた。
「おまえは、そう言われて追い出されたのだろう?」
——この男は、いったいどこまで知っているのだ?
リューネベルクは目の前の男が、急に人の形をした化け物か何かのように思えてきた。
「……ミュッケンベルガーの幕僚、パウル・フォン・オーベルシュタインに接触しろ」
「俺は貴様の指示は受けない」
「別にこれは指示ではない」
フロルは首を振った。小さく笑ってさえいる。
「おまえのような男は、きっとオーベルシュタインと気が合うだろう。あの男は有能だ。あの男を利用すれば、貴様も出世できるかもしれんぞ」
「俺は俺自身の能力で進む。人の手は借りん」
「おまえの右手はもうないのだ、リューネブルク」
フロルはリューネブルクに話しかけていた。この男は、生きていればこそ役に立つ。帝国においてラインハルトに敵対するように仕向ければ最高だ。この男は、猛毒だ。帝国を内から侵していくだろう。
「失せろ、リューネブルク。次に会う時はおまえを殺す。せいぜい楽しみにしているさ」
フロルは彼のできる一番の笑顔で、挑戦の言葉を吐いた。リューネブルクはそれを視線で殺そうとした数瞬後、踵を返して強襲艇に戻っていった。途中、右手を拾うのも忘れない。
フロルはその姿を見て、これでよかったのだろうか、と自問していた。彼は敵側の人間の運命すら変えてしまった。そして、これがどのような結果を招くのか、彼にはまるでわからなかったのだ……。
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※訂正※
リューネベルク→リューネブルク
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