【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール
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外伝 新しい家
外伝 新しい家
5月20日(月) 天気:晴れ
私の元に役人がやってきた。私の引き取り手が見つかったという。トラバース法、という法律で、軍人が私を引き取ることになるんだという。私もこの施設から出られるのは嬉しいけど、軍人が私を養うと聞いて嫌な気持ちになった。私の父も、軍人だった。そして私のお母さまを捨てた男だ。今はどこで何をしているかは知らない。
もしかして引き取るという軍人が、その父かとも思ったが、役人から聞かされた名前は全然知らない名前だった。
施設のおばあさんはよく可愛がってくれた。引き取り手が見つかってよかったと喜んでいた。私は少ない親戚や色んな施設を盥回しにされてきたけど、このおばあさんだけは本当に私のことを思ってくれていたと思う。ありがとう、フラウ・ビュコック。だけどおばあさんは私の引き取り手の名前を聞いて驚いていた。なんと、フラウ・ビュコックの知り合いだという。おばあさんの夫の部下らしい。彼女は、それなら安心、と言っていた。彼女が言うのなら、少しは安心できるかもしれない。少なくとも、虐められることはないだろう。あんなのはもうごめんだった。
おばあさんは施設を出る準備をしとくように、と私に言った。だけど、準備するほど、私は荷物を持っていない……。
5月27日(月) 天気:曇り
キャゼルヌ大佐、という人が私に会いに来た。今回の手続きをしてくれるのだという。なんだかエリートっぽい人だったが、私を見て何か驚いていたみたい。聞いてみると、こんな美少女だとは思わなかった、という。私はお母さまに似ているから、それは素直に嬉しかった。だけど、今回私の保護者になる人はもしかしたら変なことを私に考えるかもしれない、と思って不安に思った。キャゼルヌ大佐にそれを聞くと、ひとしきり笑って
「その時は俺がフロルを殺してやる」
と言っていた。どうやらキャゼルヌ大佐は私の保護者になる人と知り合いのようだった。聞いてみると、仲のいい後輩だという。大佐は私の保護者になる人を
「怠け者、皮肉屋、面倒くさがり、女嫌い、人たらし、茶坊主」
と一通り悪口を言ったあと、
「だけど、あいつは優しい奴だ」
と言っていた。ますますわからない。私は安心していいのだろうか。それとも不安に思っていた方がいいのだろうか。
5月28日(火) 天気:晴れ
その日、私はフラウ・ビュコックと一緒に外出した。フラウは新しい生活のために必要なものを買ってあげる、と言っていた。私は遠慮したのだけれど、フラウは「この代金はあなたの保護者にあとで請求するから気にしないで」と言っていた。それでも渋ったんだけど、買い物の誘惑には勝てなくて、結局買い物をしてしまった。色々と可愛いものとか、綺麗なものとか、お気に入りのものを買った。途中、ペットショップに寄ったら、とてもとても可愛い仔犬がいて、私はそれに夢中になってしまった。フラウは「もし飼いたいなら、あなたの保護者に頼んでみなさい。もしあなたが本当に望むなら、彼はきっと許してくれるわ」と言っていた。どうやらフラウは彼のことを信用してるみたい。
そのあと、私はフラウのお家に伺った。中将だというフラウの夫の人にもご挨拶した。彼はちょっと斜に構えてる(この前習った表現)人だけど、フラウのご主人だけあって、とても素敵なおじいさんだった。フラウは私のためにアールグレイのケーキを焼いてくれて、それがとても、とても美味しかった。それを言うと、フラウはニコニコ笑っていた。まるで自分に祖父と祖母ができたみたいで、幸せな一日だった。
5月29日(水) 天気:曇り
昨日とは打って変わって、いろいろと大変な日だった。キャゼルヌ大佐が来たんだけど、書類にサインが必要なんだという。それでその書類が難しいんだけど、それを一つ一つ噛み砕いて大佐は教えてくれた。普通の役人なら何も言わずに書かせるんだけど、大佐は「君のためになることだから、君もちゃんとわかっていた方が良い」と言って、教えてくれたみたい。そのせいで頭をうんと使ったから、疲れてしまった。学校が転校になるという。今の学校では、亡命者の娘としてあまり友達ができなかったけど、転校先では友達ができるといいな。
5月30日(木) 天気:雨
今、寝る前に日記を書いてる。私は明後日、私は新しい保護者に会いに行く。
フラウや大佐から話を聞いて、そんなに心配はしてないけれど、でもやはり不安がある。いったいどんな人なのだろう。私の実の父のように女ったらしではないというから、それは良かったと思う。でもできたら、ちゃんとカッコいい人がいいと思う。おじさんは嫌。だけどまだ26だというから、それは大丈夫だと思う。
もう寝なきゃいけない時間なのに、まだ眠くならない。ああ、神様!
5月31日(金) 天気:曇りのち晴れ
今日は荷物を詰める作業をしていた。この前の買い物でちょっと増えてしまったけれど、それでも段ボール一つとトランク一つだった。たったこれだけ。お母さまの写真とか、形見とか、そういうのもあるけど、きっと同年代の女の子に比べたら服とかが少ないんだと思う。私は学校の制服しか持っていなかった。この前の買い物で、白い可愛いワンピースを買ってもらった。明日はそれを来て、新しい保護者の、フロル・リシャールという人に会いに行こうと思う。
施設の数少ない友達とお別れ会。私も思わず泣いてしまった。でも、同じハイネセンにいるんだから、会いたくなったら会えると思う。
今夜も、私は寝れそうにない。
6月1日(土) 天気:快晴
私は今、新しい家の、私の部屋でこれを書いている。今日という一日を表すなら、びっくり、の一言だと思う。これから詳しく書くけど。
今日、私はフラウに起こされて目を覚ました。いつもは一人で起きれるんだけど、今日に限って私は寝坊しちゃったみたい。おかげで朝ご飯と食べ損ねた。フラウは笑っていたけど、私は人よりしっかりご飯を食べるのでお腹が空くのは困る。
眠たかったけど、迎えに来た役人さんの車に荷物を載せて、私はフロル・リシャール中佐の家に向かった。今さらだけど、26歳で中佐って実は凄いことなのかもしれない。どうやら士官学校を出たエリート、ということだけど。
私は震える右手を励まして、中佐の家のベルを押した。思いのほか大きな音が鳴って、私は飛び上がりそうだった。家の中から声が聞こえて、私は緊張してドアの前で立っていた。
そしてドアが開く。フロル中佐、いやこれからはフロルさんと書くけど、第一印象は優しいお兄さん。顔もなかなか整っていて、変な人ではなさそうでよかった。背も見上げるほど高くて、驚いてしまった。フロルさんはジーンズに白いワイシャツを着て、なぜかエプロンをしていた。その時、私が気付いたのは、凄く美味しそうで甘そうな匂い。キッチンと思うところから凄く香っていたの!
荷物はフロルさんが運んでくれた。よっこらへっちら持って来たはずなのに、軽々と運ぶのは男の人だからだと思う。
そしてリビングに行くと、凄い量のケーキ!
ショートケーキ、チョコレートケーキ、マフィン、シフォンケーキ、シュークリーム、ミルフィーユ、他にもたくさんのケーキがリビングのテーブルの上一杯に並んでいた。驚いてフロルさんを見ると、彼はまるで悪戯をした子供みたいに舌を出して、それから笑っていた。私はお腹がぺこぺこだったから、凄く食べたくなってしまって、慌ててその椅子に座った。本当はもうそろそろお昼ご飯の時間だったんだけど、それよりも目の前の凄いお菓子の山に夢中だった。
すぐに食べようとする私に、フロルさんは待ったをかけた。そしてテーブルの反対側に座って「一緒にいただきますを言おう。自己紹介は、食べてからにしようか」と言って、一緒にいただきますを言って、ケーキを食べ始めた。そのケーキの美味しいこと! 今まで食べて来たケーキのどれよりも美味しくて(お腹が空いていたせいもあると思うけど、だけどそれでも)、私は夢中になって食べた。ケーキは普通よりもちょっと小さめで、どうやら私とフロルさんが食べられる量を用意したんだと思う。甘いのに甘過ぎなくて、全然胸焼けしないで一気に食べてしまった。フロルさんは紅茶を入れてくれて(これも凄く美味しかった)、私が凄い勢いで食べるのをニコニコしながら見ていた。
食べ終わって落ち着いた私は恥ずかしくなってしまった。こんなにがっついたら、礼儀知らずだと思われたかもしれないと思って。だけどフロルさんはむしろ嬉しそうだった。聞いてみると、なんとそのケーキは全部フロルさんのお手製だったという。
「カーテローゼちゃんが来るからね、お出迎えの心を込めて作ったんだよ。でも、美味しそうに食べてくれてよかった。ありがとう」
と笑っていた。こんなに美味しいのに! たぶんお店で売れるくらい美味しかったと思う。
それでその笑顔を見た私は、この人を信じてみようと思った。お菓子が美味しいから、とかそんな理由じゃないんだけど、いや、もしかしたら少しはあるかもしれないけど、あんなに美味しいお菓子を私だけのために作ってくれる人が、悪い人とは思えないから。
それから私とフロルさんは自分の自己紹介とか私のお母さまとか、フロルさんの両親の話をずっとしていた。フロルさんは、今度私をフロルさんの両親に会わせてくれると言う。
「いい人たちだから、安心しなさい」
と言ってるから、たぶん大丈夫だと思う。
一つ気になったのが、フラウ・ビュコックのお家で食べたアールグレイのケーキが今日もあったこと。聞いてみたら、フラウにその作り方を教えたのはフロルさんだという。
フロルさんは私に自分の部屋を一つくれた。今日からここが、私の部屋。初めて持った自分の部屋。
夕食はキャゼルヌ大佐のお家に伺って、いただいた。キャゼルヌ大佐とフロルさんは本当に仲がいい。ずっとチェスをしたりお酒を飲んだり、笑っていた。キャゼルヌ大佐の奥さんが料理を作って下さったんだけど、とても美味しかった。シャルロット、というまだ一歳の女の子もとても可愛い。まだ喋れないみたいだけど、桃みたいにほっぺたが柔らかかった。奥さんもとても良い人だった。彼女曰く「もしフロルくんがなんか悪さしたら、すぐに私に言いなさい。私が懲らしめてあげるから!」と言っていた。とても頼りになる人だと思う。
それからフロルさんと私は家に帰って、これから寝るところ。初めての部屋で寝るけど、昨日までの不安は凄く小さくなっていた。どうか、これからの生活が幸せなものでありますように。そして、フロルさんと仲良く暮らせますように。
お母さま、私を見守って下さい。
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