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かゆみ

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第三章

「罹りますよ」
「それであたしもなりましたか」
「気をつけて下さいね、梅毒は怖いですよ」
「死にますよね」
「つい最近まで本当に助からない病気でしたから」
 このことは本当のことだ、ペニシリンが出来るまではもう斑点が出来ればそれで助からないと思ってよかった。
 だから医者も朝八にこう言うのである。
「危なかったですよ」
「そうですよね」
「とにかく。治りますから」
 今はだというのだ。
「もう二度と罹らない様にして下さいね」
「わかりました」
 朝八は恐縮した態度で医者に頭を下げた。彼は何とか助かった。完治してから朝一に対して夜の居酒屋で魚を突きながら話をした。
 朝一は神妙な顔で彼に言った。
「よかったねい、危ういところだったそうじゃねえかい」
「手遅れになるところだったと」
「だから行ったろ?すぐに行けって」
「はい」
「そういうことだよ。病気ってのは見つけてすぐに行かないと取り返しのつかないことになることだってあるんだよ」
 朝一は杯を自分の前に置いたうえで朝八に話す。
「御前さんがそれだったんだよ」
「本当にそうだったんですね」
「けれど助かったからねい」
「よかったですよ」
「そうだよ。だから行ったろ?女ってのはねい」
「カンナですね」
「溺れなくても危ないんだよ」
 溺れて借金を作るなり二股だので揉めごとを作ったり過ぎて身体を壊すことが考えられるがその他にもあるのがそれだった。
「病気があるかねい」
「淋病もありますね」
「あれも罹ったら厄介らしいよ」
「小便をすると痛いらしいですね」
「膿が出てね」
 淋病の症状はこうである、やはり厄介な病気だ。
「挙句には手術で金玉切り取らないといけなくなるよ」
「げっ、そうなったらやばいですよ」
 朝八もその言葉には顔を真っ青にさせる。
「子供作られなくなるじゃないですか」
「支那で言う宦官になるね」
「それだけは勘弁して欲しいですね」
「だろ?女も危ないんだよ」
「ただの肥やしじゃないんですね」
「肥やしも過ぎると毒だって言ったね」
「へい、確かに」
 朝八もこの言葉はよく覚えていた、やたらと耳に残っている言葉だったからだ。
「覚えています」
「だろ?酒にしろそうだしね」 
 朝一はもう一つの肥やしである酒も見た。彼はまだそれには手をつけず杯の中にあるそれを見てそして言うのだった。
「過ぎるとまずいよ」
「糖尿病にもなって」
「借金の元にもなるだろ?」
「それに暴れてしくじるのもいますね」
「だからこれも過ぎると毒なんだよ」
 酒もまた然りだった。
「どっちも肥やしだけれど危ないものでもあるんだよ」
「そういうことですね」
「とりあえずこれから女は程々にするんだよ」
 朝一は確かな声で朝八に告げた。見れば朝八もまだ飲んではいない。
「さもないと御前さんまたえらいことになるよ」
「そうですね。それで、ですけれど」
「ああ、どうしたんだい?」
「あたしもそろそろ身を固めた方がいいですかね」
 首を前にやり肩を落とした感じの姿勢で朝一に問うた。店の中は客で賑わっているが飲んでいないのは二人だけだ、肴の刺身にも手をつけていない。
「やっぱり」
「そうだねい。所帯が一番だからねい」
「一番?」
「そうだよ。女房と子供が芸の一番の肥やしなんだよ」
「そうなんですか」
「大阪の坂田三吉さんを見るんだよ」
 朝一は将棋の話だがあえて例えとして出した。
「あの人だっていいかみさんがいてあそこまでなったんだよ」
「だからですか」
「そうだよ、所帯は持つべきなんだよ」
 こう言ってだった。朝一は朝八に告げる。
「それで落語家としてやっと一人前だからね」
「じゃあ相手を探します」
「いい娘を知ってるよ。小料理屋の娘さんでね」
「その人とですか」
「所帯持ちねい、そしてそこから芸を磨くんだよ」
「わかりました、それじゃあ」
 朝八は朝一のその言葉に頷いた。こうしてだった。 
 彼は所帯を持ってそこから芸を磨いた、女房や子供とのやり取りがそのまま芸の肥やしになったのだ。
 所帯を持ってからも酒と女は楽しんだ、だがそれはあくまで程々でありもう朝も昼もではなくなっていた、それがかえって彼の芸をよくしたことについて朝一はこう言った。
「そういうことだよ、所帯の肥やしはどれだけあってもいいからね」
「このままいればいいんですね」
「そうだよ、所帯から精進するんだよ」
 こう朝八に言うのだった。芸の肥やしは色々だが過ぎてもよいものもあるのだ。


かゆみ   完


                    2012・11・30 
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