銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百五十五話 人を突き動かすもの
帝国暦 489年 5月 31日 オーディン 広域捜査局第六課 アントン・フェルナー
「アルフレート・ヴェンデル、ちょっと話したい事がある。会議室に行ってくれないか。俺も直ぐに行く」
俺の呼びかけに“はい”と答えてヴェンデルが立ち上がる。チラッとこちらを見たがヴェンデルはそのまま会議室に向かった。
彼が会議室に入ったのを見て俺も席を立つ。アンスバッハ准将の視線を感じた、視線を向けると微かに頷いた。こちらも周囲には分からないようにそっと頷く。アルフレート・ヴェンデル……。地球教に取り込まれたであろう男、広域捜査局第六課に送りこまれたダブルスパイ……。
敢えて笑みを浮かべながら会議室に赴く。周囲には俺が上機嫌だと見えるだろう。会議室に入ると奥の端の方にヴェンデルが座っているのが見えた。そこからなら会議室全体が見渡せるだろう。偶然選んだのか、それとも理由が有って選んだのか。傍により手頃な椅子に座る。ヴェンデルはこちらを窺う様な表情をしていた。
「済まんな、呼び出して」
「いえ、それで私に何か」
上機嫌、上機嫌、自分に言い聞かせた。声を潜めてヴェンデルに囁く。
「驚くなよ、宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥が卿に会いたいと言っているんだ」
「司令長官が?」
ヴェンデルが驚いて俺を見ている。声には疑念の色が有った。もっともいきなりエーリッヒが会いたいと言っていると伝えれば誰もが“何故”とは思うだろう。
「ああ、例の地球の件でな、卿に訊きたい事が有るらしい」
「あの、それは、どういう事でしょうか。何故ヴァレンシュタイン司令長官が……」
ほう、訝しげな表情だな。どうやらエーリッヒが広域捜査局第六課の本当の最終責任者だとは知らなかったという事か。にもかかわらずエーリッヒのファイルを調べた……。やはり地球教の標的はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン、そう見るべきだろうな……。
「そうか、卿は知らなかったか、広域捜査局第六課の本当の最終責任者が司令長官だという事を」
「いえ、知りません。それはどういう事なのでしょう」
驚いているな。うむ、良い感じだ。
「安全保障に係る公安事件に関しては我々広域捜査局第六課が受け持っている。だが帝国の安全保障に関しては責任者を一本化した方が良いという事でな、ヴァレンシュタイン司令長官が最終的な責任者になっているんだ」
「ルーゲ司法尚書閣下もそれを認めていらっしゃる?」
「もちろんだ、一応報告は司法尚書閣下にも入れているがな、責任者はヴァレンシュタイン司令長官だ」
「……」
新事実発覚、そんなところだな。ヴェンデルの目が泳いでいる。好奇の目じゃない、困惑の目だ。
「そうそう、この事は極秘だ。ウチの課にも薄々気づいている人間は居るだろうが外部に知られると拙い。司令長官に権力が集中していると思われるのはよくないからな。卿も口外するなよ」
「はい」
ヴェンデルが頷くと俺もウンウンというように頷いた。
「それで、司令長官は私の報告に疑わしい所が有る、そう御考えなのでしょうか」
不安そうな声だな、俺を窺う様な目で見ている。ここは敢えて能天気な声を出した方が良いだろう。
「おいおい、勘違いするな、そうじゃないさ。卿からの報告は既にヴァレンシュタイン司令長官に報告済みだ。地球に関しては問題無しという事で閣下も納得している」
「では一体……」
「さっき別件で司令長官に会ったのだがな、その時地球というのはどういうところなのかと司令長官が言いだしたんだ。それでな、卿の事を話したところ会って話を聞きたいということでな」
「……」
悩んでいるな、本当かどうか判断しかねている、そんなところだな。よしよし、ここはちょっと情に訴えてみるか。
「公私のけじめはきっちり付ける人だから普通はそんな事は言わないんだがな……。まあ司令長官は俺と士官学校で同期生だからだろう。そんな事を言いだしたようだ……」
「……そうですか」
まだ納得はしていないな、もう一押し。今度はちょっと沈痛な表情をした方が良いな。
「それに、少し疲れているようだ」
「疲れている?」
「ああ、軍の他に辺境の開発、それに汚職の摘発と休む間もなく働いている。疲れもするさ」
「そうですね」
多少は信じたか……。
「まあ気晴らしになれば、そう思ってな。卿にとっては不本意かもしれんが司令長官と知り合いになっておくのは悪い事じゃない。どうかな、無理強いはしないが」
「……分かりました、お会いします」
「そうか、じゃあ六月十日だ。俺と一緒に宇宙艦隊司令部に行こう、空けておいてくれ」
「十日ですか、随分と先ですが……」
「中々纏まった時間が取れんのさ。時間は朝十時、午前中一杯だ。場合によっては昼食も一緒に取るかもしれん、楽しみだな」
「はい……」
ヴェンデルを置いて先に会議室を出た。ヴェンデルが会議室を出てきたのは俺が出た一分半後だった。表情には困惑が有る。普通なら帝国最大の実力者と会える、出世の切っ掛けになるかもと興奮、或いは不安を表すはずだが……。さて、ヴェンデル、どう動く……。
帝国暦 489年 5月 31日 オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「この間、メルカッツが士官学校で講話をしたそうだな」
「ええ、元々は私に来たものですが、そういうのは年長者の方が経験も豊富で上手だと思いましたのでメルカッツ提督を推薦しました。確か三月の半ばに行ったはずですが……」
「なるほど」
義父が二度、三度と頷いている。食事が終わり居間で義父とユスティーナはコーヒーを、俺はココアを飲んでいる。はて何かあったか? 機嫌は悪くなさそうだが……。
「何か有りましたか?」
「いや、昨日士官学校で妙な事を訊かれたのでな」
「昨日、ですか」
昨日は義父が士官学校で講話をしたはずだ。妙な事を訊かれたと言うのは学生に質問されたという事か。しかし妙な事? 宇宙艦隊司令長官まで務めた男に妙な事か……。一体何を訊いたのか……。義父は苦笑を浮かべている、必ずしも不快に思っているわけではない。ユスティーナに視線を向けたが思い当たるフシは無いようだ。
「妙な事とは一体どんなことを訊かれたのです?」
「それが若い頃と年を取ってからとでは戦争というものに対する思い、感じ方、やり方は違うのかと訊かれてな」
「なるほど……」
「本当ならお前に戦争とはどういうものなのかと訊きたかったのだろうな。だが講話に来るのは私やメルカッツなど年寄りばかりだ、それでそのような事を訊いたらしい」
「申し訳ありません、どうも御迷惑をかけたようです」
俺が謝ると義父が手を振って
「いや、迷惑では無い、気にするな」
と言った。
「しかし、私もそれは気になります。義父上は如何答えられたのです」
「知りたいかな」
「御話頂けるのであれば」
義父がコーヒーカップを見詰めている。そして“そうだな、話してみるか”と呟いた。
「若い頃は戦争に対して慎重で有ったな、年を取ってからの方が大胆になった、そう学生には答えた。不思議そうな顔をしていたな、それ以上は訊いてこなかったが……」
「分かるような気がします、逆ではないのですか、若い頃の方が大胆なのかと思いましたが」
俺の傍でユスティーナも頷いている。だが義父は首を横に振った。
「そうではない、若い頃は自分の立てた作戦、自分の指揮でどれだけの犠牲者が出るかと悩むものだ。もっと良い方法が有ったのではないか、犠牲を少なく出来たのではないかとな」
「……」
「年を取るとその悩みが無くなる、いや無くなるのではないな、悩みが小さくなる……」
「慣れてくる、そういう事でしょうか」
「そういう事だろうな」
「……」
義父がコーヒーを飲もうとして手を止めた。何かを考えている。
「……犠牲を払う事に慣れてくる。いや、そうではないな、鈍くなったという事だろう、犠牲を払う痛みを感じなくなる。しかし用兵家としては成熟したと言えるのだろうな。それだけ戦闘に集中できるし落ち着いて指揮を執れるのだから……」
「なるほど、怖い事ですね……、あ、失礼しました」
いかんな、つい口に出た。慌てて謝ったが義父は怒らなかった。
「いや、お前の言う通りだ、怖い事だな。損害が二千隻増えれば十万から二十万の犠牲者が出た事になる。しかし慣れてくれば“ああ二千隻か”と思うだけで済む。人としては何処かおかしいのだろうな……」
「……」
確かに義父の言う事は理解できる。十万隻以上の軍が戦う中で二千隻の損失と言われてもそれほど痛みは感じないだろう。損失率は全体の二パーセントにすぎない。だが現実には十万人以上が死んでいる事になる。人としては何処かおかしいと言わざるを得ない……。
「軍人と言うのは人を殺す、人を殺させる。以前は気付かなかったが何処か普通では無いのだろう、軍を辞めてそう思うようになった。振り返って見ると随分と人を殺したし死なせてしまった、そう思わざるを得ん。……罪深い事だ……」
「義父上……」
「お養父様……」
義父が俺を見た、苦笑を浮かべている。
「現役の司令長官であるお前の前で言う事では無かったかな」
「いえ、望んだのは私です」
「……まあ、お前なら無駄な犠牲者を出す事はあるまい」
「十分に気を付けようと思います。貴重な御話し、有難うございます」
「うむ」
少しの間沈黙が有った。気まずいな、そう思った時、TV電話の受信音が鳴る。救われるような思いで席を立ち番号を確認するとフェルナーからだった。例の件だろう、良い所で連絡をくれるじゃないか。流石、我が友だな。保留状態にしてから義父に断り通信室へ向かった。
部屋に入りTV電話の受信ボタンを押下するとフェルナーの姿が映った。
「待たせたかな」
『いや、そうでもない。話せるのか』
「丁度良い所だったよ、助かった」
俺の言葉にフェルナーが興味津津と言った表情をした。
『喧嘩でもしたのか』
「そうじゃない、そうじゃないけど気まずい時は有る」
『ほう、意味深だな、それは』
「それより話を聞こうか、どうだった」
フェルナーがちょっと残念そうな表情をした。多分俺とユスティーナが喧嘩でもしたと思っているんだろう。
『ボイムラー准将から連絡が有った。例の諜報員だが先程、地球教徒と接触したそうだ』
「間違いないのかな」
『間違いない、教団支部ではなく映画館で接触したそうだ。なかなか古典的だろう』
フェルナーが皮肉に溢れた笑みを見せている。
「仕方ないね。連中は古いものに愛着を持っている、昔ながらのやり方が好みなんだ」
フェルナーが声を上げて笑い出した。俺の事を酷い奴だ等と言っている。笑っているお前も同罪だろう。
「それで、他には」
『接触した地球教徒は大急ぎで教団支部に戻ったようだ。大分慌てていた様だな』
「……」
『その後、教団支部長のゴドウィン大主教も戻ってきた。一体何を話したのか、気になるところだ』
「つまり有罪、そういう事か……」
『そういう事だ』
フェルナーが頷いた。
「ボイムラー准将と六月九日の準備を進めて欲しい。気付かれるなよ、アントン」
『ああ、十分に注意する。待ち遠しいよ、その日が』
同感だ、これでフェザーン、地球、ハイネセン、全てが動くはずだ。地球教の尻尾を掴んで陽の当たるところに引き摺り出せるだろう。
帝国暦 489年 5月 31日 オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン
「ほっとしたような表情をしていたな。どうも居辛かったらしい」
「お養父様」
養父は苦笑している。私には軍の事は分からない、戦場も戦争も……。けれど勝利を得るためには非常に辛い決断や苦しみが有るのだろうという事は分かる。養父が話した事は重苦しい内容だった。夫にとっても同じように感じられたに違いない。
「心配はいらん。昔からあれを見ているが兵に不必要な犠牲を強いる男ではないからな。出世欲や野心とは無縁の男だ。心配はいらん」
“心配はいらん”、養父は二度同じ言葉を使った。気休めではなく本心からだろう。
「お養父様は御辛いのですか」
「うん?」
「先程の御話しを聞いてお養父様は御辛いのかなと思ったものですから……」
私の言葉に養父は少し考える様子を見せた。
「辛いのではないな、重いのだ」
「重い?」
「自分が死なせた人間達、殺した人間達に、その死が無駄ではなかったと証を立てねばならん。それが重いのだ」
養父が私を見ている。そして言葉を続けた。
「その重さを誰よりも感じているのがお前の夫だろう。だから今、身を粉にして働いている。どれほど辛かろうと投げ出すことなく歩んでいる。皆があれを称賛してもあれにとっては何の意味もあるまい。あれにとっては義務であり贖罪であり誓約なのだ……」
「義務であり贖罪であり誓約……。お養父様、あの人は何時それから解放されるのでしょう」
「……それを決めることが出来るのは、あの男だけだ」
「……」
養父は視線を逸らしている。そして私もそれ以上は訊かなかった。怖かったからではなく訊く必要が無かったから。多分夫は一生それを背負って生きて行くのだろう、そして私はずっとその姿を見て生きて行くに違いない、それがどれほど辛かろうとも……。
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