或る皇国将校の回想録
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北領戦役
第二話 敵は幾千 我らは八百
前書き
今回の登場人物
馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚の砲兵大尉 駒州公爵駒城家重臣 馬堂家の嫡流
新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊兵站幕僚の剣虎兵中尉
位階を持たない戦災孤児であるが駒州公爵駒城家育預として公爵家末弟の扱いでもある。
伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。
若菜大尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊 中隊長。
旧諸将家である男爵家の次男で真面目が取り柄の剣虎兵大尉
戦務幕僚 生真面目な幕僚、堅実で常識的な士官
皇紀五百六十八年 二月九日 午前第八刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 開念寺 本堂
天狼原野の敗戦から十数日を経て、独立捜索剣虎兵第十一大隊の全隊は路南半島中部にある開念寺を接収し、大隊本部を置いていた。
北府から混乱しきった中で情報を集め分析しつづけていた大隊情報幕僚、馬堂豊久大尉は、疲れきった視線で集まった士官達を見回し、現状の説明を続けた。
「――北領鎮台の現在の保有戦力は現在、約一万八千名とされています。
現状の保有戦力では北領の維持は不可能であり、鎮台司令部は北領を放棄し内地へと転進を行う事を決断しました」
帳面をめくり、馬堂大尉は情報幕僚として淡々と言葉をつぐ。
「そして、後衛戦闘には近衛衆兵第五旅団、並びに我々、捜索剣虎兵第十一大隊があてられます。現在、我々に下された命令は真室川の渡河点である真室大橋の保持です。
期間は最低限でも現在、我々の後方にて渡河を行う独立砲兵旅団が渡河を完了するまで――旅団本部より三日間と伝えられています。
よって十ニ日までの三日間、第十一大隊は北府より真室大橋へ通ずる路南街道の側道の防衛を行います――大隊全般情報につきましては以上――何か質問はありますか?」
「き、北領を放棄するのですか!?
残存部隊を糾合し、我々の不退転の覚悟をもって挑めば先の会戦で傷を負った〈帝国〉軍を撃退する事は十分に可能です!」
第二中隊長、若菜大尉の上擦った声が空しく本堂に響く。
「情報、敵情を」
伊藤はそれを鼻で笑い、情報幕僚の馬堂大尉に続きを促す。
「はい、大隊長殿――鎮台司令部の導術観測情報によりますと、敵は増援を受けおり総兵力は約四万名とみられております。
おそらく現在、北領に展開している〈帝国〉軍は完全編成の第21東方辺境領猟兵師団と総司令部直轄部隊です。
尚、敵の兵站状況につきましては、鎮台の備蓄物資を北府の占領時に奪われておりますので、極めて良好であると断定できます。故に後続部隊が主力と合流した以上は、敵が更なる大規模な戦果拡張を行う事が予想されます」
もういい、と伊藤が手を振ると馬堂大尉は静かに席に着いた。若菜は体を強ばらせ、黙り込んでいる。
伊藤少佐が立ち上がった。
「つまり、だ。俺達は撤退時重装備を失い数でも劣る鎮台主力を内地へ逃がす時間を稼がねばならんのだ。
俺達が防衛する真室大橋は真室川で唯一、軍隊が使えるまともな渡河点だ。〈帝国〉軍は雪崩をうって俺達のところへ攻め込んでくる。――そして親王殿下の部隊をそうそう戦わせるわけにはいかん。可能な限り我々の手で敵の動きを鈍らせる必要がある。
それを踏まえたうえで各中隊に大隊長として発令する――戦務幕僚」
戦務幕僚が立ち上がり、構想の説明を開始した。
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同日 午前第八刻前 開念寺門前
第二中隊兵站幕僚 新城直衛
「取り敢えず第二中隊の騎兵砲分隊はこちらの直轄にさせてもらうよ。
そちらの足を鈍らせるつもりはないからな」
馬堂豊久大尉は火の点いていない細巻を弄びながら第二中隊兵站幕僚の新城中尉に砕けた口調で云った。
新城直衛中尉は馬堂豊久の主家にあたる五将家の最有力者である駒城家の育預であり、位階は無位であるが駒城家の末弟として扱われるという面倒な立場に置かれていた。
新城自身の人柄に問題があったこともあり、その面倒な立場は駒城家陪臣を含む将家の若者達からの悪感情を招いている。馬堂豊久はその中の例外であり、二十年近くの親交を結んでいる仲であった。
「えぇ、それは問題ありません。街道の積雪がある以上は、人力牽引の騎兵砲を持ち出すつもりはありませんから」
新城自身も、二十年近い付き合いがあるこの青年を気が置けない仲だと思っている。何しろ駒城の家に住まうようになってから一番付き合いの長い同年代の人間である。
「そう云ってくれるのはありがたいね、なにしろ我が大隊の中じゃ一番手馴れているのは、大隊長殿かお前さんだからな」
そう云って唇を歪めた。
「どうにも昨今、俺みたいな馬鹿なボンボン将校が出回ってるからな、どうにかやらかさないよう、上手く宥め賺してなんとかやってくれ」
新城は苦笑した。
「其方は情報幕僚殿の本領でしょう」
――末端とは云え、陸軍軍令機関である軍監本部で情報を扱っていた事もある男だ、命令権なき発言力の扱い方は自分より一枚上手である
少なくとも新城はそう評価していた。
「そうかな? だが中尉には本領でなくともそれをこなしてもらわなくてはならない」
大隊長と話し込んでいる若菜大尉へ、視線を向けて云う。
「――焦った指揮官ほど性質が悪いのもないからな」
「僕の権限の及ぶ限りは」
新城が言葉短く云う。
「うん、頼むよ ここで下手を打ったら迷惑を被るのは大隊だけではないからな」
二つ年下の大尉も率直に頷き。
「無傷の中隊とまともな報告を持ち帰ってくれる事を祈るよ、新城中尉」
最後に盛大な無茶ぶりをし、馬堂豊久大尉は大隊長の呼ぶ声に応えて足早に向かっていった。
――良い友人だ、本当に。
こころなしか重くなった騎銃を担ぎ直しながら新城は無意識に唸った。
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「情報幕僚からは何かあるか?」
伊藤少佐は馬堂大尉を呼びつけ、尋ねると馬堂が頷き、若菜に云う。
「改めて第二中隊長に確認するが、真室大橋は真室川唯一の渡河点である。
敵軍も我が軍が真室大橋周辺に防衛線を引いている事は予想している筈だ。
敵もおそらく威力偵察隊を派遣しているだろうが、もし接触しても可能な限り戦闘を避けてもらいたい。
今回の偵察は威力偵察ではない、彼我の戦力比が此方に不利である事は予想されている。
戦力の消耗を避ける事を念頭に置いて敵情の収集に専念してもらいたい」
そこまで言うと馬堂大尉は大隊長に視線を送り、伊藤はそれに対して頷くと若菜へと云った。
「そう云うことだ、焦って兵を無駄使いするなよ」
若菜は――顔を強ばらせて頷いた。
同日 午後第五刻 独立剣虎兵大隊本部 開念寺
大隊情報幕僚 馬堂豊久大尉
本堂から外に出ると、馬堂豊久は細巻に火を点け、紫煙を吐き出した。
――天狼から今日まで第十一大隊は過失を最大限に抑えて行動できた筈だ 、矢張りと言うべきか脱走兵は何人か出たがその馬鹿達を含めてもこの大隊の損害は許容範囲内だ。諸兵科連合の要である砲の損失を一門に抑えて撤退出来たのは幸いだ。僅かでも撤退が遅れていたら混乱に巻き込まれ、火力の半数以上は失われたに違いない。戦闘に巻き込まれずにここまで戦力を保持して後退できただけでも最高だ。
そう考えているわりには、馬堂大尉の顔色は冴えないものであった、偵察に出ている第二中隊の帰還が遅れているからであった。
第二中隊から導術で送られた最後の報告では北北西側道上に敵戦力を確認、若菜中隊長自らが将校斥候へ赴き、一刻の間は新城中尉が当面の指揮を代行する、と云うモノである。
――この大隊でも一二を争う実戦経験者である新城が指揮権を掌握しているのならば、余程の事が無い限りもう帰還するはずなのだが――余程の事、それが何事なのか考えたくもないが、情報分析も今の俺の仕事だ。
鬱々とした表情で門前に佇み、送り出した中隊を待ちながら考え込んでいると衛兵が駆け寄ってきた。
「大尉殿!第二中隊より報告です。本堂にお戻り下さい。」
――少なくとも導術連絡が出来る状況か
幕僚としても私人としても馬堂豊久大尉は素直に胸をなで下ろした。
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「――以上中隊長ラ四名、中隊主力ノ離脱ヲ援護セント囮トナリ戦死セリ。
現在負傷シタ天龍ヲ発見大協約ニ基ヅキ救援ヲ行イシ為
帰還ハ約二刻後の見込ミ
発、第二中隊兵站幕僚 新城直衛中尉 宛、大隊本部」
報告が終わった途端に戦務幕僚の怒鳴り声が本堂に響きわたった。
「負傷した天龍と遭遇しただと!? ふざけるな!そのような都合の良い話があるか!
若菜大尉達を見捨てて逃げ出したから遅れたのだろう!」
「……」
情報幕僚である馬堂大尉は黙したまま考えこんでいた。
――仮にも俺の主家にて末弟の地位にある男であるが、俺はその可能性を否定できない。若菜は実戦経験も無く偵察に出る前の会議の発言からもおよそ実戦向きとは思えない家柄だけで昇進した将家による軍閥制の弊害を体現したような人間だと推測できる。
幕僚――新城や下士官の進言を無視して見捨てられた可能性がある、新城の存在が彼を焦らせたか?
伊藤少佐は青筋を立てている戦務幕僚と陰鬱な顔で物思いに耽っている情報幕僚を横目でみて鼻で笑い、言った
「役立たずのボンボン隊長と兵三名…。奴の事だ。馬鹿な奴等を選んだのだろう。
それで中隊主力が無傷で帰還するのだ。取り敢えずは十分だろう。」
――率直な人だ、この手の率直さは、「奴」と似通っている、我が指揮官殿は「奴」が気に食わない様だが同族嫌悪なのだろうか。
馬堂大尉は苦笑して、先へ向かう為の方策へと思考を切り替えた。
――さて、若菜はアレでも一応中隊長だった。
「大隊長殿、戦死した中隊長の後任はどうしますか?」
――この大隊の最先任中尉はその「奴」だがそのまま繰り上げか? 少なくとも、若菜が居た頃よりは使える中隊にはなるだろう。
「勿論、新城中尉を充てる中尉の最先任だ。若菜よりは使えるだろう――貴様の考え通りならばな」
とにやりと笑みを浮かべて答えられ、馬堂大尉は思わず頬を撫でた。
――いかんな、顔に出ていたか?
中隊に関する人務も決定すると、本部は本格的な作戦立案へととりかかった。第二中隊から(ようやく)まともな報告が来た為、半ば麻痺していた大隊本部は無為に過ごした時間を取り戻すかのように対応策の構築に取り掛かった。
馬堂大尉も、戦務幕僚と顔をつき合わせて言葉を交わす。
「連隊、騎兵連隊でしょう、恐らくは主力は増援との合流を優先させている筈です。
帝族が指揮官なのですから一度会戦で勝利した以上、後は先遣隊を編成して戦果拡張するだけでしょう。主力は前線にでない筈です。大切な姫様の初の外征に泥を塗りたく無いでしょう」
「問題は先遣隊の規模だ、情報幕僚。 どう考える?」
戦務が馬堂大尉に再び話を振る。
「確実に一個旅団規模――六千以上でしょうね。
――これは推論ですが先の軽騎兵とは別に、胸甲騎兵連隊が控えている可能性は極めて高いです、何しろ連中の自慢の精兵ですから蛮軍の追撃に使わわない筈がありません。
砲の数はそれ程でもないでしょう。持ってくるのは騎兵砲に平射砲――軽砲が中心でしょうね。
行軍速度を重視するでしょうし、重厚長大な火力線を挑むとなると流石に<帝国>軍も補給線の維持が出来なくなる」
情報幕僚の分析を聞きながら戦務幕僚は顎を掻いた。
「問題は真室大橋を確保したがるかだな――兵力の輸送に限界があったからこそ増援を待たずに会戦を挑んだ。それを考えると工兵の数は少ないと見るべきか?
〈帝国〉は北国だ、真冬の川で作業する技術は持っているだろうが破壊すれば時間を稼げるか?」
「いえ、増援は既に到着しています、支援部隊の不足はあまり期待しない方が良いでしょう。
ですがそうした工作を嫌がる事には変わりありません。そうなると偵察部隊の規模を考えると騎兵連隊を主力として強襲する可能性も――」
延々と議論は続き、やがて策は固まる。大隊本部の将校たちはけして無能ではなかった。
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「第二中隊が騎兵中隊と交戦して取り逃がしたのであれば、敵の本隊が我方により接近してくる事が確実です。
敵兵力は聯隊から旅団規模と予想します。
戦力差を埋める為には此処より北方約六里の側道にて夜間に伏撃し、
敵の指揮中枢を叩く事で相手を混乱させ――」
戦務幕僚は決して無能ではない。
淡々と手堅いが自分達が生きて帰れないであろう作戦を立案し、大隊長へとほうこくしている。
彼がどれ程の覚悟で戦術を組んでいったのかを知っている馬堂大尉はこれが最善手に近いものであると理解しているが、それでもひどく嫌な気分であった。
――畜生、所詮は大隊、頭数が足りなさ過ぎる。
頬杖をつく様にして目を手で覆う、彼の考え込む時の癖だ。
――俺達は最高でも連隊、最悪は旅団以上の大軍勢を相手に今夜、夜襲を掛ける事になる。地の利はあるが兵数の差は三倍以上である、厳しい戦争になるだろう。座学で習ってはいたが帝国軍の皇国では不可能な程の行軍の素早さを嫌でも実感する。
これまでの撤退時に行きあった村人達の話では、〈帝国〉軍のやり口は凄惨極まりないものであった、暴行、略奪、を当然のように行っている。
――気に入らないが行軍の早さを確保するには忌々しい程有効だ。しかも士気を保つ為などと民間人に対する最も下衆な行為を軍が推奨しているらしい。北領でも村人達から弾薬と兵以外のあらゆる意味での資源を略奪し気力を充実させながらこちらに嵐の様に向かって来る。
彼の頭をある考えがよぎった。それは相手の弱点を突き戦闘を避け、逃げながら時間稼ぎを可能にする戦術だった。
だが、実行したら衆民からの軍への信頼は崩壊するし兵や将校からも猛反発を受けるのは、火を見るより明らかである、それでも有効なのは間違いない。
―― 一応は『大協約』には反しないはずだ、戻ってきたら新城にでも訊くか?
一瞬よぎった考えを即座に打ち切った。
――否、彼の駒城の育預になった事情を考えればこんな事を訊くのは無神経の極みだ。そもそも後ろで砲兵旅団がつかえているんだ。2日は防衛線上で粘らなくてはならない。無理だな。
手を外し再び視界を戻すと、馬堂豊久は戦務幕僚達の会話に耳を傾けながら自嘲の笑みを浮かべた。
――いやはや馬鹿らしい、逃げ切れないからこうして戦闘の算段を立てているのに何故俺は逃げる方法を妄想しているのだ。そも、俺は軍司令官でも軍参謀でもないただの大隊幕僚だ。である以上、生きる為にも軍人たる為にも今は目の前の作戦を詰めなくてはならないと言うのに。
そう「焦土作戦」など非現実的な妄想だ。今は忘れよう。
後書き
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