人狼と雷狼竜
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朝焼けの中で
夜も更けようとする頃。本来ならば殆どの人は眠りに就き、朝方までその身体を休めている頃だ。
真夜中のユクモは少数の篝火と月光にのみを明かりとし、普段は殆どが闇に包まれているが今は違った。
無数の篝火が焚かれ、村の中は昼間のごとく鮮明にその姿を映し出しており、高台や村の入口周辺の道には武装したハンターとアイルー達が警備に当たっていた。ジンオウガによる怪我人が出た為だ。
怪我人はギルド認定の上級ハンターであるヴォルフ・ストラディスタだ。この地方の頂点に立つモンスター、ジンオウガと戦った結果という事実は既に村中に広がっていた。
油の乗った行灯が薄明かりを照らす畳の間に敷かれた布団の上で、包帯で身体を巻かれたヴォルフは眠っていた。そんな彼を六つの人影が囲んでいる。
「村長さん。ヴォルちゃんは?」
「朱美さんからの報告通りですわ。命に別状はありません」
村長の言葉に、いつもの柔らかい笑顔が嘘のように焦燥しきっていた夏空の表情に安堵が浮かぶ。
「ジンオウガ……か。ヴォルフが負ける程強いもの?」
小冬が村長に尋ねる。無表情だがどうやらヴォルフが敗北した事実が信じられないようだ。
「ええ。報告では彼は刀を抜く暇すら与えられなかったと。ナルガクルガとの戦いの後の連戦という事もあったのかもしれませんが……」
村長はそう言いながら、ヴォルフの左手を見る。彼の左手は包帯を巻かれた胸元の上に置かれており、その手は刀が納まったままの鞘が握られていた。治療の邪魔だったので取ろうとしたのだが、握力が強すぎて放す事が出来なかったのだ。
「そう……」
小冬がヴォルフの掌から刀を取ろうとするが、その指はまるで固定されているかのようにビクともしない。
「邪魔」
そう呟くと共に小冬は鯉口を切ろうと柄に手を伸ばしたが、今度はそれに反応するかのように親指が鍔を押さえ込んでビクともしない。
「そんなにこの刀が大事?」
「小冬……」
神無が小冬を嗜める。
「それで村長さん。ジンオウガについてはどうするんですか?」
「今は何とも言えません。ジンオウガはヴォルフさんに止めを刺さなかった。これには意味があると私はみております」
梓の問いに対する言葉は回答になってはいなかったが、今は保留ということだろう。
「ジンオウガ……強かった」
俯いていた椿が呟く。先程の戦いを思い出しているのだろう。その身体は少し震えていた。
「そうですわね。ですがそれだけではありませんわ。ジンオウガは賢い。人間の罠に掛かることがありませんし、奇襲を試みても逆に奇襲を掛けられるのが常だと聞いております」
村長が神妙な顔でいう。
「それって死角が無いって事じゃないですか」
「ですが、ジンオウガは人間を襲わないのが常でした。ヴォルフさんがこうなってしまった以上、今は様子見しかありません」
村長がそう言うと、その場が沈黙に包まれた。
「取り敢えず貴女達は今夜はお休みなさい。明日のことはまだ決まってすら居ませんが、休まなければ何も出来ませんわよ?」
「でも……」
「ヴォルフさんは私が看ておきます。大丈夫ですよ。」
村長の言葉に神無が何かを言おうとしたが、村長がそんな神無を嗜めるように言い、彼女は言葉が続かすに沈黙する。
「夏空さん。皆をお願いしますね?」
「はい」
年長者としての責任を果たせ、と言外に含まれている言葉に頷いた夏空は、神無と小冬を見回してから立ち上がる。
「梓さんと椿さんも」
「はい……」
梓はヴォルフを心配そうな顔つきで一瞥してから立ち上がり、椿もそれに続いて立ち上がった。
「神無ちゃん。小冬ちゃん。行きましょう?」
夏空の言葉に二人はしばらく動かなかったが、ゆっくりと立ち上がった。
「村長さん。ヴォル君を……」
「任せた」
「ええ。お任せください」
二人の言葉に村長は笑顔で頷き、それを確認した五人はこの部屋を後にした。
昼間のごとく照らし出された村の中を、神無たち五人は会話も無く、ただ歩いていた。
何かを言おうとしているが、言葉が出てこない。
やがて終着地点が来た。ハンターギルドの詰め所となる集会場だ。ここに梓と椿は寝床を用意しているのだ。
「じゃあ、また明日ね」
「またね……」
「……うん」
梓と椿の言葉に神無は力なく返事を返した。
「神無。彼はきっと大丈夫よ」
しかし、そんな神無に梓は敢えてそう言った。
「そうですよ。ヴォルちゃんを信じてあげましょう」
梓の言葉に夏空が続いた。
「お姉ちゃん?」
「神無ちゃん? ヴォルちゃんが良くなって欲しいのは皆一緒なんです。でもね、私達が沈んでいちゃダメなんだと思います。だから、皆でヴォルちゃんを信じてあげましょう」
「そう。まずは私達」
夏空の言葉に小冬も同意する。夏空はいつもの柔らかい笑顔を浮かべ、小冬もいつもの挑発的な笑みを浮かべる。
「そう、だよね。まずは私達が信じてあげないとね」
「明日にはぁ、起きてるかもしれないしぃ」
「……ありそうね、それは」
神無の言葉に椿が間延びした声で言うと、梓が少し間を置いてから呟くように言った。
「……そうなると良いわね。神無」
「うん。ありがとう梓ちゃん。じゃあ、また明日ね」
梓の言葉に神無は少し笑顔を取り戻していた。
「またねぇ」
「はい、また明日」
「お休み」
「じゃあ」
神無の笑顔を確認した梓と椿は集会場へ入って行った。
「さて、私達も戻りましょうか。神無ちゃん。お風呂を沸かし直してあげますから入ってくださいね。小冬ちゃんは休んでも良いですよ」
外に出た神無の為にもう一度風呂を暖め直し、小冬に休息を促すのは夏空の姉としての優しさだ。
「神無と一緒に入る」
「あらあらまあまあ。それじゃあ私も」
「それだと狭くて入れないよう」
小冬の言葉に夏空が名案だと両手を合わせて言うが、流石に物理的に不可能なために神無に却下される。
「次回は私がやるから、その時に夏空は神無と入れば? それともヴォルフと入る?」
「ふええ!?」
小冬がニヤリと挑戦的な笑顔を浮かべ、神無は焦り、夏空はニッコリと微笑む。
「良いですねぇ。お姉さん、お背中流してあげますよう」
「ちょっ!? ダメだよお姉ちゃん!」
三人はそんな会話をしながら帰路に就いた。先程までの暗い雰囲気は跡形も無く消えていた。
夜が明ける頃、目を覚ました神無は朝食の準備をしていた。今日の料理番は彼女だ。村伝統の汁物の出汁を取り具である野菜を刻みつつ、御菜の小魚の佃煮と漬物を皿に盛り付けていく。
「うん?」
ふと外が騒がしい事に気付いた。何やら慌しく人が通り過ぎていくような音が聞こえる。
「何かあったのかな?」
神無は小首を傾げながら台所を出て玄関に向かい、戸を開けようと手を伸ばしたところで戸は勝手に開いた。
「わっ!?」
「きゃっ!?」
神無は戸が勝手に開いたことに驚き、戸を開けた人物は開けた戸の向こうに人が居ると思っていなかったので驚いたようだ。
「あ、木葉ちゃん。どうしたのこんな朝から?」
木葉と呼ばれたその人物は、赤紫と黒の衣装に身を包んだハンターギルド所属の少女だ。ショートボブの黒髪に軽く吊り上がった意志の強そうな瞳が印象的だ。
しかし、今の彼女は平静さを失い見るからに慌てている。
「神無ちゃん! あの人が! 昨日の怪我人が!?」
その言葉に神無は背筋が寒くなるのを感じた。昨日の怪我人といえばジンオウガと戦ったヴォルフしかいない。
「ヴォル君がどうしたの!?」
「実は……」
風が吹いた。
吹いた風に煽られて枝から千切れ飛んだ無数の枯葉が宙を舞う。
その全てを、弧を描く白刃が瞬く間もなく切り裂いた。
白刃を振るった者は半身を包帯で覆われていながらも、細身ながらその逞しい肉体からは怪我人であることを感じさせないほどに、活力に満ちていた。
風に靡かれて、金糸のような髪が流れるように舞う。
「駄目だな」
振るった刀を残心を持って鞘に収めつつ、ヴォルフは呟いた。ジンオウガの電撃によるダメージは抜け切っていない。ヴォルフは刀を振るったところでそれを理解した。
現に身体のあちこちに焼け付くような痛みが残る。狩場では傷の有無など構ってはいられないのだが今回のような大物を相手にする場合、こんな痛みに気を取られるようでは致命的だ。
それでも戦えないことは無い。今までに負ってきた傷の中にはもっと酷いものすらあった。それに比べれば大した事は無い。
「ヴォル君!」
「ん?」
神無の声が耳に届いた。気付けば周囲には人が集まっている。昨夜、怪我人として運ばれてきた人物が起きて刀を振るっていれば、嫌でも注目が集まるというものだ。
そんな中で着物の裾を押さえもせずに神無が走り寄って来るのが見えた。
ヴォルフはそれを見ると刀を鞘に収めた。
「ヴォル君……」
ヴォルフの前に来た神無は不安そうな、それでも安心したような、複雑な顔をしていた。
「……世話になったな」
「えっ?」
ヴォルフの突然の言葉に、神無は頭の中が真っ白になった。
「本当に助けられるとは思っても見なかった」
「あ、ううん。ヴォル君は大丈夫なの?」
若干慌てながらも、神無は気になっていた事を尋ねる。
「……問題は無いが、奴とはまだ戦えない。当分は休息か、他の狩りに出るしかないな」
「休息だよ! 今のヴォル君には休息が必要なの!」
急に神無が大きな声を上げた。
ヴォルフが改めて神無を見ると、彼女は今にも泣き出しそうだった。
「雷を受けたんだよ!? 皆も私も心配してた」
「……心配? 俺を?」
「当たり前だよ! ヴォル君が、また何処かに行っちゃうって思ったら……」
不意に神無の目が何処か遠くを見るような目になった。
「何の話をしている?」
「え? だからヴォル君が心配だって……」
「……」
ヴォルフは今の神無を見て、言えなくなった。この依頼が片付いたらまたあても無い旅に出るつもりだとは。先程の神無の雰囲気にはそれを告げてはならない物があった。
「……そうだな。休息に当たる。他にも出来る事はあるだろう」
「他にも?」
「ああ。それはこれから考える」
ヴォルフがそう言うと、神無は安心したように胸を撫で下ろした。
「じゃあヴォル君早速なんだけど……」
「ん? 何かあるのか?」
目を逸らし、何か言い辛そうな神無だったがヴォルフはそれに気付かず、早速何か出来ることがあるのかと期待した。
「ちゃんと服を着ようね?」
神無の言葉にヴォルフは首を傾げつつ自分の身体を見た。
上半身は裸の上に包帯、下半身は袴だけという珍妙な服装だった。
「……何か変か?」
しかし、ヴォルフにはそれが分からず……
「変だよ!」
神無からの訂正が入った。
神無はヴォルフの様子見て少し疑問に思った。自分の外観を全く気にしていないような人物の髪が、何故しっかりと整えられているのか。金糸のような髪が朝日に照らされて輝く中で、細身ながらも過不足なく鍛えられた逞しい体に添えるように伸びているのが、嫌でも目に入る。
だが、今はそれどころではない。
「もうっ! 確かお父さんの服があったからそれを着る事!」
「? ああ」
ヴォルフは神無が何を怒っているのか理解出来ずに首を傾げると、彼女はそんな彼の手を取って自宅へと歩いていく。
彼女の手を払う気にはなれなかった。その手は柔らかく、暖かかったから。
「あらあら。少し、小さいですね」
神無に引っ張られるままに四季上家に着いたヴォルフを待っていたのは、夏空の叱責と小冬の質問攻めだった。
殆ど神無に言われたことを夏空にも言われ、小冬にはナルガクルガやジンオウガについてと、ヴォルフが刀を手放そうとしなかった理由などを問われたが、服を用意した神無が割って入った為に中断することになった。
そしてヴォルフは今、彼女達の父親が来ていたという着物を着ている。薄い紺色で着古した感のある服だったが、そのぶん柔らかくて着易いものだった。
ただ、ヴォルフの身体はどうやら父親よりも大きいらしく、腕と足の裾が足りていなかった。
「着れれば問題ない」
ヴォルフはそう言うと刀を帯に差した。
「ヴォルちゃん? 家の中での帯刀はちょっと……」
「ここにモンスターはいないわよ?」
「俺はこれを手放さない」
視覚的に問題があるヴォルフの行為に、夏空と小冬が嗜めるように言うが、ヴォルフは簡潔にその言葉を拒絶した。
「……さっきは聞けなかったからもう一度訊くわ。どうして貴方は刀を手放さないの? 昨夜も、意識が無いのに手放そうとしなかった」
小冬がヴォルフを見定めるような目で尋ねる。
「俺の今までの生涯を共にしたのがこれだ。代わりは利かない」
彼女達は理解した。彼にとってその刀とは半身であり、人間以上に信頼されているものなのだと。
「皆、ご飯出来たよ!」
神無の声が台所から届く。
「はーい」
「分かった」
夏空と小冬が返事をするとヴォルフの腹から音が鳴った。その音があまりにも大きかったのが可笑しかったらしく、夏空が噴出した。
「そういえば、昨日から何も食っていないな」
「そうなんですか? なら安心してください」
「神無、今日は張り切ってたから」
「ほう」
そう呟くや否や台所へとヴォルフは向かった。
「……そんなに空腹だったの?」
「そうみたいですね」
その速さはとても歩いただけとは思えないほど速かった。
『いただきまーす』
『……いただきます』
元気に言うのは神無と夏空、静かに言うのは小冬とヴォルフ。
長机に並ぶのは白米のご飯の他に、小魚の佃煮、村伝統の汁物、ガーグァの卵の出汁巻き卵、生野菜が沿えられた一口サイズに刻まれた焼肉、などなど。
「神無ちゃん、頑張りましたね」
「凄い量」
「えへへ、ちょっと張り切っちゃいました」
照れた神無が舌を小さく出していう。
「ヴォル君、おいし……」
美味しい? と神無は訊こうとしたが、聞くまでも無かったようだ。
ヴォルフは無言で、次々と口に入れている。食事に夢中のようだ。
「あ、箸は使えるんだ」
「ちょっと小冬? ヴォル君をどんな風に思ってたの?」
「野生人」
「……」
あまりの言葉に神無は二の句が告げられない。事実、ヴォルフは殆どをモンスターが闊歩する無人地帯で生活していた。野生人という言葉は当てはまっている。
「ん? 神無、この肉に掛かっている物は何だ?」
「あ、それは木豆から作ったタレでね、お肉に掛けると美味しいよ。煮た物にも焼いた物にも野菜にも合うの。食べてみて?」
ヴォルフはそれを聞くと、肉をタレに漬けて食べた。
一瞬固まるヴォルフだが、すぐに肉に添えられた生野菜をタレに漬けて食べ始める。どうやら気に入ったようだ。
「夢中になってますね。言葉よりも分かりやすいです」
夏空の言葉どおり、ヴォルフは言葉よりも行動で『美味しい』と言っていた。
神無は気に入って貰えたのが嬉しいらしく、ニコニコとヴォルフを見ている。
「これは何だ?」
「それは出し巻き卵だよ。昨日ヴォル君が見つけた金の卵から作ったの」
ヴォルフは神無の言葉で、昨日仕留めたガーグァの隣に居たガーグァが驚いて落としていった卵を思い出した。
実はヴォルフを運ぶ際に、朱美の仲間の一人が見つけて回収しており、その人物によって先程届けられたのだ。流石にガーグァの焼きかけの肉と、調理器具は未回収のようだが。
「あれが? 卵の中身は……」
「それを獣乳と混ぜてから焼くとこうなるの」
「技術が必要」
神無の言葉に小冬がジト目で神無を見ながら付け加える。専用の器具を使わずに、調理板と箸だけでここまで見事な出し巻き卵を容易に作れてたまるか、とでも言いたげだった。
「俺は今まで卵の何が美味いのか知らなかった……」
一口食べたヴォルフが呟く。目を見開いて『馬鹿な!?』とでも言いたいかの如く、驚愕を現している。
どうやら今まで生卵を食べていたようで、それもその口ぶりからあまり好きではなかったらしい。
「えっと、ヴォル君? 今まで何を食べてきたの?」
神無が遠慮がちに尋ねる。
「木の実や茸に魚、仕留めた獲物の肉を焼くか干して食っていた。人里に下りた時にその地の料理は食っていた」
一応料理を食したことはあるようだが、普段はかなり偏った食生活だったようだ。
『……』
その惨状ともいえる物を聞いた三人は、何と言えば良いのか分からず沈黙する。
「ヴォルちゃん。これからは美味しい物を食べさせてあげますね。お姉ちゃん、頑張っちゃいます!」
「私も頑張るからねヴォル君!」
「……私はどうしようもないかな」
「そ、そうか」
三者三様の言葉でヴォルフを励ましにヴォルフはその勢いに押され、そう返すのがやっとだった。
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