久遠の神話
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第三十三話 八人目の剣士その十三
「イタリアにスペインかな」
「それにハンガリーでしょうか」
「トカイね。高いけれどね」
欧州でも最高級のワインだ。王侯が飲んでいた美酒だ。
「そういうのが定番だね」
「しかしギリシアはですか」
「うん、日本じゃあまり飲まないね」
「そうなのですね」
「俺は美味しいと思うけれどね」
マスターはだ。そう思っているというのだ。
「実際に結構飲んでるよ」
「それは嬉しいですね」
「嬉しいんだ」
「ワインはそもそも神話の頃から飲まれていました」
聡美は微笑んでこのこともマスターに話した。
「ギリシアにおいて」
「そうそう、ギリシア神話の頃からね」
「そうした歴史がありまして」
「それなりの味があるんだよね」
「はい、それがギリシアのワインです」
微笑みから真面目な顔に戻ってだ。聡美は言った。
「それを一本お願いします」
「一緒に食べるのは何がいいかな」
「チーズを」
それをだというのだ。
「ギリシアのチーズは・・・・・・ないですよね」
「日本のならあるよ」
チーズはそれだとだ。マスターは聡美に話した。
「それでいいかな」
「ではそれでお願いします」
「日本のチーズはどうかな。我が国のそれは」
「そうですね。よく食べていますが」
「美味いかな」
「美味しいですね。匂いもきつくなくて」
「チーズの匂いも癖があるからね」
特にウォッシュチーズの類はそうだ。それこそかなりの匂いだ。日本人はまだ乳製品を食べはじめて日が浅い。だからチーズの匂いにも慣れていないのだ。
それが為にだ。マスターも言うのだった。
「だからね」
「匂いがきつい場合は食べるのにはですか」
「中々難しいものがあるんだよ」
こう聡美に話す。
「実際のところね」
「そうなのですか」
「だから日本のチーズはね」
「匂いに癖がないのですね」
「そう。比較的穏やかな味と匂いになるんだよ」
「ではそのチーズをお願いします」
聡美は微笑みに戻りマスターに頼んだ。
「チーズをスライスしたものを」
「他には何がいいかな」
「ナッツはありますか?」
「胡桃だね」
「はい、それはあるでしょうか」
「あるよ」
微笑んでだ。マスターはまた答えた。
「そっちもね」
「わかりました。ではそれもお願いします」
「ナッツも日本のものだよ」
「それでお願いします」
日本もだ。受け入れての言葉だった。
「では」
「うん、まずはワインを出すからね」
こう話を交えてだ。聡美はギリシアのワインと日本のチーズ、それに胡桃を口にした。今は酒を楽しむことにした。だがその中でだ。
不意に後ろに気配を感じた。それは。
「剣士の・・・・・・」
十三人の剣士、その気配を感じた。それで咄嗟に後ろを振り向いた。
しかし扉は開いてはいない。そこには誰もいなかった。
「店の前を通った。しかもこの気配は」
これまで会ってきた七人の剣士の誰のものでもなかった。つまりは。
「八人目。八人目の剣士が出て来た」
「どうしたんだい?」
聡美がカウンターの席から身体をよじって店の扉の方を見ていることにだ。マスターは尋ねた。
「急に後ろを振り向いたけれどね」
「いえ、別に」
「幽霊でもいたのかい?生憎この店にはそんなのはいないよ」
「そうですね。このお店にはいないですね」
「そうした話は嫌いだからしないでくれよ」
マスターは少し苦笑いになって聡美に述べた。
「どうもね。怪談とかはね」
「苦手ですか」
「うん、そうなんだよ」
「そうだったのですか」
「蜘蛛とか蛇は平気だけれどね」
そうした生理的嫌悪感を抱かせる生き物に対してはというのだ。
「けれどね」
「わかりました。では」
「そう、してくれなかったら助かるよ」
マスターはこう聡美に言った。
「そういうことでね」
「わかりました。では」
「そう。ギリシアのワインを楽しんでね」
「そうさせてもらいます」
聡美は怪談ということにして話を終わらせた。だが、だった。
また一人剣士の影が現れた。そしてその影が実体になっていく。聡美はそのことを実感していた。後ろに感じた気配がそのことの何よりの証拠だった。
第三十三話 完
2012・5・15
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