八条学園怪異譚
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第十六話 柴犬その十三
「確かに水道は便利で衛生的にもいいが」
「井戸には井戸のよさがあるんですか」
「そうなんですね」
「そうだ。とはいってもやはり水道の方が便利だ」
日下部は文明は否定しなかった。
「あれはかなりいいな」
「ですよね。やっぱり水道って便利ですよね」
「お水がすぐに出ますし」
「よく文明がどうとか言う輩がいる」
戦後左翼、七十年代のそれの特徴の一つだ。べ平連の代表だった小田実の思想であろうが文明を嫌う傾向が彼等にはあったのだ。
それで水道なり電化製品なりを批判する者が戦後日本には多かったのだ。テレビを観てクーラーの効いた部屋でそうした批判をしてきた。
「それは間違いだ」
「文明の利器がないと」
「ちょっとね」
愛実と聖花は彼女達の現実から話す。
「ガスコンロないとお料理出来ないから」
「パンも焼けないわよ」
「電気がないと暗くて手元も危ないし」
「冷やしてないと素材がもたないから」
「だから昔のままでの商売とかね」
「もう絶対に無理よ」
「君達は現実から言っている」
日下部の言葉は何時になくシビアなものだった。その強さは鞭、いや剣の様なものがあった。
それでその強さで彼は言うのだった。
「それは妖怪達も同じだ」
「そういえば普通にクーラーのある部屋にいますよね」
「テレビも博士の研究室で観てましたし」
「文明も使い方だ」
全否定するものではないというのだ。
「自然と対立するものではない」
「何かよく言われてましたけど」
「それは違うんですね」
「人間が地球の癌という考えも私にはない」
何代か前の禁治産者としか思えない首相は実際にこう言っていた。おそらく能力だけでなく人格にも重大な障害があったのだろう。
「人間もまた自然の一部でありだ」
「文明の一部ですね」
「そうなんですね」
「そうだ。海軍は文明の集合体の一つだ」
科学を結集して造られている、そうした組織だからだ。
「そこにいて文明を否定出来る訳がない」
「しかも海自さんですからね」
「やっぱり文明ですね」
「文明の利器で海の中にいた」
これは自然だった。
「潜水艦には乗っていないがな」
「ううん、本当に文明と自然と一緒なんですね」
「対立しないんですね」
「共存しているものだ。社会は全てが対立する様な単純なものではない」
このことに戦後日本の知識人が気付くことはかなり遅かった。若しかするとそれは今もかも知れないが。
だが日下部はそれがわかっていて言えたのだ。
「文明と自然も然りだ」
「よく昔の漫画とか小説じゃ対立するみたいに言われてましたけれど」
「違うんですね」
「自然に還れという者もいた」
その代表がルソーである。若しかすると戦後日本の左翼の反文明主義は彼にそのはじまりがあるいのかも知れない。
この思想について日下部はさらに言った。
「そういうことを言う人間が実際にそれを出来るか」
「無理ですよね、やっぱり」
「それは」
「出来た者を私は寡聞にして知らない」
生きている間も今の状況でもだというのだ。
「文明に甘えている者こそそう言うものだ」
「ですか。まあ私文明の中でしか生きられないですから」
「私も」
このことは二人共だった。
「野生の中でトンカツとかカレーないですから」
「チーズパンとかハムサンドとかないですよね」
「ある筈もない」
これはそのまま返答だった。
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